609. 沈黙し続ける魔法陣

 どこかの魔族か勇者が攻めてきたようだ。戦場で嗅ぎ慣れた焦げ臭さが漂う部屋で、汚れた白い髪を掴んで眉をひそめる。しかしすぐに表情を取り繕った。


 見覚えのない子供達が同じ部屋にいる。不安にさせるわけにいかなかった。どうやら巻き込まれたらしい。立派な大義名分を掲げるのは構わないが、未来ある子供を巻き込んだ時点で許されなかった。少数派を排除する施策も同様だ。多様性あっての魔族なのだから。


 大公が勢揃いしているところを見ると、かなり大きな戦闘だったのか。背中と頭が痛いから、一時的に自分が戦闘不能状態だったと判断した。見覚えのない部屋だが、地脈の強さはここが魔王城であることを示している。不思議に思いながら首を巡らせ……ルキフェルらしき魔力の青年に気づいて目を瞠る。


 いつこんなに成長したのか。1万年以上拒んできた己への封印を解いたなら、腕に抱いた少女が原因かもしれない。番喪失の痛みを、ルキフェルへの溺愛で埋めたベールの影響で、彼は幼子であることを選んだ。水色の髪や瞳も見覚えがある。抱き上げられる幼児から、自分が守りたい少女を抱き締める姿へ変化したのだろう。


 微笑ましい気分で呟いた言葉に、なぜか周囲が凍りついた。よくわからぬままにルキフェルは少女と部屋を後にし、オレも同様に連れ出される。廊下の彫刻は一部見覚えがあった。魔王城に新しい部屋を作ったのかも知れない。客間らしき部屋に寝かされ、ベルゼビュートが泣きそうな顔で治癒を施す。触れる指先が小さく震えていた。


「オレは平気だ、心配するな」


「ええ、わかっております。少しお休みくださいませ」


 治癒魔法に睡眠誘導の魔力が重ねられた。誘われるまま目を閉じる。その直前にベルゼビュートの頬を伝う涙を見た気がした。


 眠らせたルシファーの髪や服の汚れを浄化し、ベルゼビュートは音を立てて鼻を啜る。溢れた涙を手の甲で擦った。すぐ脇に控えていたアスタロトが肩を落とし、近くの椅子の背凭れに手を乗せる。倒れそうな自分を支える椅子に縋る形で、ずるずると床に座り込んだ。


 張り詰めていた緊張が解ける。


「……どうして」


 この2人は試練が続くのか。ただ幸せになって欲しいだけだ。アスタロトの呟きに、すぐ近くで鼻を啜るベルゼビュートが「ひどいわ」と唇を噛んだ。


 ベッドに横たわる主人に治癒を施しながら、ベルゼビュートも寄り掛かるように崩れ落ちた。治癒の手が離れないよう、ベッドの上に乗せた腕を伸ばす。ルシファーの手首を握る指は震え続けていた。


「ひとまず原因を調べます」


 切り替えるしかない。前を向いて元の2人を取り戻すために、できる範囲のことを全力で取り組むしかなかった。


「っ……原因?」


 首をかしげるベルゼビュートに、アスタロトは頷いた。


「頭を打ったのが直接的な原因だとして……その前の状況を調べる必要があります」


 魔王城の中は自己修復機能を持ち、城の主である魔王に対する害意に反応する魔法陣が刻まれている。それは城内というより、敷地すべてを覆う大きさで展開していた。


 不思議なことにその魔法陣を壊した形跡がない。防御の魔法陣は何故か発動せず、敵対者を捕捉しなかった。地脈から魔力を供給される魔法陣は半永久的に稼働する。


 過去にリリスが敵対者と勘違いされて発動したことがある。逆凪さかなぎで傷ついた魔王に感応するほど、魔法陣はルシファーと繋がっていた。しかし、ここまで傷つけられても魔法陣が動かない理由がわからず、アスタロトは考えを一度放棄した。


 なんとか身を起こし、部屋の外へ向かう。扉のところで足を止めて振り返り、泣きながらルシファーの手首を握るベルゼビュートに声をかけた。


「ルシファー様の警護と治癒をお願いします。我々以外はすべて警戒対象です。泣いている時間はありませんよ」


「わかって、るわ」


「あと、リリス姫にも会わせないよう……くれぐれも注意してください」


 その掠れた声に頷くベルゼビュートの頬を、新たな涙が伝った。

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