1286. 雨上がりは散策を

 しとしと降る雨は半日ほどで止んだ。今回は災害にならず済み、ほっと胸を撫で下ろす。この世界で雨が降る地域は限られており、他の場所はほぼ雨が降らない。それでも木々や植物に問題がないのは、地脈同様に地下水が大地の下を流れているからだ。


 山などに降った水は、雨が降らない地域も湧水や川となって潤す。豊かな自然に満ちた魔族の領地は、かつて人族が固めて踏み慣らした地域と違い、今も活力と生命力が溢れていた。


「ベビーラッシュは数万年ぶりだな」


 雨が止んだ庭を歩きながら、ルシファーはリリスの脇に手を入れて、ふわりと水溜まりを越えさせる。レンガの上に下ろしてやり、自らは水の上に結界を張って歩いた。裾が多少汚れても気にしない。


「魔の森が眠るせいよ。意識が薄くなる間に困らないよう、多めに魔力を放出したのね」


 受け取った魔族の一部種族が反応し、妊娠しやすくなった。魔族が生まれることは、魔の森から魔力を得るのと同じだ。大量に放出された魔力を受け取った者は、次々と子どもを宿したのだろう。ある意味、魔族にとって自然の摂理そのものだ。


 魔の森と共に生きるのが、この世界の住人の在り方だった。


「ならば一段落か?」


「二度も三度もないと思うけど」


 確信はないし、遅れて子を宿す種族もいるかも知れないわ。そう付け加えたリリスを、ルシファーは笑顔でエスコートする。仲睦まじく散歩をしながら、ハーブをいくつか摘み取った。


「ハーブティを淹れるのか?」


「いいえ。明日のクッキーに使うのよ」


 久しぶりに全員が顔を合わせるので、大公女達と焼き菓子を作る。そう聞いて、すぐにリリス用の厨房を思い浮かべた。最初の頃は城の厨房を使わせたが、あまりに爆発や破損が多いため別に用意したのだ。菓子を作るたびに夕食が遅れるのは、城で働く者達が気の毒だろう、と。


「クッキーなら問題ないか」


 爆発を事前に防ぐため、防御系の魔法陣を大量に壁に描いた厨房は、ルキフェルとルシファーの傑作だ。中で使うオーブンや冷蔵庫の魔力と反発しないよう調整するのが難しかった。爆発はもちろん、混ぜてる最中の沸騰や型を抜く時の指切断も防ぐ。完璧仕様だった。


「アンナも誘ってみようかしら」


「双子がまだ小さい。あと数年してからの方がいいぞ」


「そうね」


 この世界の洗礼なのか。双子は泣いたり怒ったりして感情が昂ると、燃えたり凍ったりするようになった。日本人同士の純血なのに、ドラゴンの子に似た症状だ。まあ数年すれば落ち着くので、魔族はのんびり見守っている。日本人の3人も最初は驚いていたが、防ぐ方法を覚えて対応するようになった。


 イザヤは一度書きかけの原稿を燃やされて、半泣きだったが。ルシファーが復元魔法陣を使って見せると、目を輝かせて喜んだ。ちなみに書いていたのは、新作の冒頭部分だったらしい。有名なトリイ先生の新作を守った、その噂でルシファーは侍女達に拝まれたという。


「あら、可愛い」


 リリスが小さなリスを発見して抱き上げる。素直に腕に収まるリスは、ハーブと一緒に抱えたナッツを頬に詰め込み、ふわりと飛び降りた。


「……見事だな」


 魔王妃からナッツを奪い逃走するリスの後ろ姿を見送り、ほぼ同時に笑い出した。この場にどちらかの側近がいたら、リスは捕獲されたかも知れない。だが2人は特に気にすることなく、また散策を続けた。


「明日の茶菓子を楽しみに、仕事を頑張るとするか」


「ご褒美にナッツとチョコが入ったスコーンも持っていくわ」


 薔薇を摘み、ハーブを足し、戻ってきたところでアデーレに呼び止められた。


「魔王陛下、リリス姫。緊急事態ですわ」

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