1022. それは何の隠語でしょう

 全員が満足したところで、食後のデザートとお茶が提供された。豪華な食事のメインが猪豚だったため、魚料理は省かれたのだ。説明を聞いてルシファーも納得した。もしフルコースで魚料理も出ていたら、猪豚を味わう頃には満腹だろう。


 せっかくの良い肉を味わうのに勿体ない。アデーレの采配と、量産化に関する目処をつけてくれたことに対して、魔王から何らかの褒賞を与えることが決まった。


 用意された紅茶を前に、デザートは軽めの柑橘系シャーベットだ。クレープに添えているが、口の中をさっぱりさせるのが目的らしい。せっせとリリスの口元に運ぶルシファーの手元では、シャーベットが溶けて……いなかった。


 きっちり魔法陣を敷いて温度管理をしている。皿を割ったり机を傷つけないよう、細心の調整をする辺りがルシファーだ。感心しながらアスタロトは、ちらりと隣の若い2人を確かめた。


 一般的な話題のみだが、アベルとルーサルカの間で男女の関係を匂わせる単語が出たら、そこから切り崩す気でいた。獲物を狙う捕食者の眼差しは鋭く、容赦や遠慮はない。


「リリス、こっちも食べるか?」


「ううん、もう平気よ」


 甘いものが好きなリリスのために、デザートを譲ろうとするルシファー。その会話に一瞬気を取られた。直後に、ルーサルカが動いた。


「ねえ、アベル。明日は休みだったわよね、約束していた狩りに行きましょうよ」


「ああ、それなら朝早く出るかな。迎えに来るよ」


「私が行った方が早いわ。家で待ってて。軽食も持っていくから」


 今夜の猪豚をパンに挟んでお昼ご飯にしよう。そんなルーサルカの提案に、アベルは頬を染めた。


 ぎぎぎ……そんな擬音が聞こえそうな動きでアスタロトが振り返る。今の会話は、もしかして隠語ですか? 何らかの暗号が入っているんじゃないでしょうね。声にならない本音がダダ漏れだ。


 引き攣った顔で聞き耳を立てている。そんなことしなくても、2人は普通に会話しているのだが。そもそも吸血種は蝙蝠に擬態できるほど聴覚が優れている。真横の会話は一言一句届いた。


「獲物、何が取れるかしら」


「取れなくてもいいさ。楽しいじゃん、ピクニックみたいで」


「湖まで行きましょうね」


「もちろん」


 微笑ましい若いカップルの会話のはずが、アスタロトの脳裏では別のストーリーが組み立てられていく。


 獲物とは妊娠する赤子? だとしたら、楽しいに込められた意味も通じる。湖とは何の隠語でしょうか。まさか……すでに娘は手を付けられて!? いや逆かも知れません。明日、絶対についていかなくては。


 にやりと笑う表情は、魔王より魔王らしい。アスタロトの顔に気づいた翡翠竜が、びくりと身を震わせて、隣の婚約者の膝に顔を埋めた。それに気づいたレライエも見てしまい、動きが止まる。ルシファーが呆れ顔で肘をつき、アスタロトに注意した。


「明日は書類処理で忙しい、休むなよ」


「わかっております、陛下。明日ではなく、明日です」


 戦場から送られる書類はまだ山になっている。思い出してうんざりする3人の大公女だが、リリスは楽しそうだった。


「明日も印鑑するのね。お膝が痺れちゃうから、隣に座るわ」


「何を言う。リリスは羽根のように軽いから平気だ。膝の上にいてくれ」


「部屋でやってください」


 リリスとルシファーの甘い睦言は、ホスト役であるアスタロトにより切り捨てられる。ここで会話が一度途切れたため、各自アデーレに礼を言って解散となった。


 なまじ強いだけにアスタロトの強さと怖さをよく知る翡翠竜は怯え、漆黒の微笑を正面から受けたレライエは顔色が悪い。ふらふら歩く同僚を心配しながら、ルーシアが付き添った。シトリーは迎えに来た兄に、猪豚を初めて食べた感想を話しながら自室に引き上げる。


 残されたルシファーとリリスが腕を組んで出るタイミングで、アベルも手招きされた。一緒に部屋を出さないと危険だ。魔王なりの気遣いで、今夜のアベルは無事に生還を遂げた。

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