92. パパ、食べないの?

 いくら魔法が万能でも、一瞬で燻製くんせいにするわけにいかず……城の前に組んだ臨時燻製小屋に大量のオーク肉が吊るされた。風向きが悪いのか、城内にいてもいぶされる臭いがする。


「……煙臭い」


「リリス嬢がお望みのベーコンです。我慢できるでしょう」


 切り捨てたアスタロトが朝食を並べる。リリスのリクエスト通りのベーコン、目玉焼き、サラダ、パンという至って普通の朝食だった。問題は目玉焼きが異常に大きく、立派な大皿からはみ出している点だ。


「これ、何の卵だ?」


 魔王城の朝食に出たことがない卵のサイズは、目玉焼きから想像するとルシファーでも一抱えあるだろう。そんな大きな鳥に心当たりがなく、首をかしげる。


「おっきいね! パパ!!」


「そうだね。リリスが好きなら魔王城でも作ってもらおうな」


 子供用の椅子の上でフォーク片手に喜ぶ娘に、頬が笑み崩れる。何の卵でもいい。リリスが幸せなら……そんな気分をぶち壊すように、アスタロトが卵の親を教えてくれた。


「これはドラゴン種の卵です」


「………はい?」


「どらごーん!!」


 両手を広げてはしゃぐリリスのリボンが解けて落ちる。椅子から立ち上がったルシファーが落ちたリボンを拾い、リリスの黒髪を結わえ直した。無邪気に喜ぶリリスにアスタロトが目玉焼きを切り分ける。大きすぎる白身を最初に切り分け、スプーンで黄身をかけるスタイルだった。


「栄養たっぷりですから、しっかり食べるんですよ」


「あーい! リリスね。ほーく、出来るようになった」


 フォークで器用に卵を切って、なんとか口まで運ぶ。確かに上手に使えているが、ルシファーは目の前に用意された目玉焼きに複雑な表情を見せた。


 ドラゴン種って……どのドラゴンだ? まさか先日の件で竜族を脅したんじゃ……嫌な予想が膨らんでいく。このまま口にいれてよいか迷うルシファーの様子に、リリスは自分のフォークで刺した白身を差し出した。


「パパ、あーん」


「あーん」


 悩みはどこへやら。つい反射的に食べてしまい、もぐもぐ咀嚼しながらアスタロトを上目遣いで確認する。すでに彼は朝食を済ませたと言い、侍女さながらの給仕を行っていた。紅茶を注いでルシファーの前に差し出し、零して汚すリリスの胸元のエプロンを交換する。妙に手際がいい。


「卵はもらったのか?」


 ここは悩むより素直に聞いたほうが早い。決意したルシファーの声に、側近は整った顔に完璧な笑顔を貼り付けた。嫌な予感が強くなる。


「先日のお詫びだそうです。エドモンド殿の献上品で『彼』の卵ですよ」


 彼の心当たりが、庭先で昨日粉々にされた竜族の男しか思い浮かばない。その彼の卵というからには、遺された奥さんから卵を奪ってきたのだろうか。


 気持ち的に後味は悪いが、口の中の白身は美味しかった。正直、また食べたいと思うくらいには美味しい。それがなんとなく悪いことのような気がして、そっと目玉焼きを遠ざけた。


 弱肉強食の世界を否定しないし、その中で生き残ってきた自覚はある。だが……子供の教育的にどうだろう。そんなルシファーの複雑な気持ちを知らず、リリスは目玉焼きのお代わりをもらい、ベーコンを口に運ぶ。


「パパ、食べないの?」


 返答に困って曖昧に笑うと、フォークを置いた手が伸ばされた。届かないと足をばたつかせて怒るリリスに近づくと、額に手を当てられる。黒髪を揺らして首をかしげ、彼女は不思議そうな顔をした。


「おねちゅないよ」


 具合が悪いと思ったのだろう。慌てたルシファーが「具合は悪くないぞ」と否定すれば、ぷんと唇を尖らせてリリスはルシファーの頬をぺちんと叩いた。


「卵しゃんと、ベーコンしゃんに悪いでしょ!」


 驚いて動きが止まる。給仕中のアスタロトも同様に動きを止め、リリスの顔を凝視していた。まさかの展開だった。食材を無駄にするなと幼子は怒っているのだ。以前にご飯を握りつぶして遊ぶリリスを叱った、ルシファーの言葉を覚えていたのだろう。


「ゴメンな、リリス。パパもちゃんと食べるよ」


 叩いた頬を撫でたリリスは、自分のフォークで卵を刺す。ルシファーの口先へ運んで待っているので、ぱくりと食べさせてもらった。

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