863. お姫様はやらかした
「あの甘い香りのする花は?」
「ん? 確かネズミくらいの動物を香りで誘って捕食する花だ。ベルゼビュートが育ててたぞ」
密林系の温室に似たベルゼビュートの私室に、確か小さめの鉢で育てられていたはずだ。そう呟きながら近づいたルシファーの足首を、結界越しに蔓が掴んだ。ぐいっと引っ張られて振り向き、青紫の実をいくつも揺らす蔓性の植物に気づく。
「この蔓、切ってしまいましょう」
ルーサルカが躊躇なく短剣を抜くが、ルシファーが止めた。
「いや、見ていろ」
図鑑には載っていない知識だが、生き字引として長く生きる大公や魔王はよく知っていた。襲ってくる植物のほとんどは、魔力を流すと引き下がるのだ。
握手するように蔦の一部に手を当てて、じわりと魔力を流す。一定量で満足した蔓は、するすると何もなかったように本体に巻き取られて大人しくなった。
「覚えておくといい。あれらは魔力を主食としているため、満腹になれば襲ってこない。蔓を切るとそこから枯れる」
傷つける必要はなく、穏やかに解決できる方法を教えていく。これも今回の視察の目的のひとつだった。こうした街中はもちろん、単一種族の閉鎖的な村にも足を延ばす予定だ。彼女達が学ぶことは山ほどあるが、机上の知識より実践の方が身になるだろう。
アスタロトやベールも「頭でっかちで使えない子供になっても困ります」とあっさり実践の視察旅行を許可した理由は、ここにあった。百聞は一見に如かず――体験は時に100冊の書物の知識を凌ぐのだから。
「勉強になります」
素直に感心して受け止めるルーサルカの隣で、ルーシアがメモを取る。翡翠竜はレライエや少女達に知識を追加した。
「緊急時は、ぴりっと多めに短く流せば離れるよ」
戦闘中などでゆっくり魔力を与える余裕がないときは、そういった対処方法もあると長生きした竜は語る。翡翠竜は尻尾を振りながら、レライエの胸元のポケットに入り込んでいた。レライエの父母からプレゼントされたらしい。
右肩から左腰へベルトのように掛けた帯に、翡翠竜が入れる袋がついている。中型ポーチを胸の前で留めた形だが、デザインが洒落ていた。室内で楽に使えるエプロンポケット型もあるようで、レライエの愛用品だ。
ポケットの上と下に穴が開いており、上から入って腕と首を出し、胴体を支えてもらいながら尻尾を外へ出せる。なかなか優秀な婚約者運搬袋だった。有袋類のようで微笑ましい。
「ルシファー、大変!」
突然思い出したリリスが叫ぶ。何事かと振り返れば、困惑した様子で眉じりを下げた魔王妃が屋敷がある山の方を指さした。
「アンナとイザヤを忘れたわ!」
「「「「あ」」」」
全員が同時に思い出す。そうだ、強制転移のお詫びに服を買ってやる約束をした。いつもの癖で大公女達と護衛のみ連れて転移したのだ。慌ててルシファーが単身戻り、アンナとイザヤを連れて戻ってくる。その僅かな間にお姫様はひと騒動やらかしていた。
「戻った……ぞ?」
リリスが何かに抱っこされて横向きだ。結界越しなので危害は加えられていないのと、リリス自身が楽しそうに笑っていたため攻撃はしない。空に向かって開く大きな朝顔の上で寝転ぶリリスに、溜め息をついた。大公女達やヤンは頭から花粉を被っており、これまた事件である。
この巨大朝顔の習性を知っているルシファーは、何が起きたのか察した。イポスは手を伸ばしてリリスを下ろそうとするが、あと少しで指先が届かない。
「リリス、おいで」
両手を広げて呼ぶと、目を輝かせたリリスが転移して腕の中に飛び込んできた。花粉だらけのお姫様の姿に、風を起こして赤い花粉を舞い上げる。まとめて花の根元に積んでおいた。
「誰か、目に入った子はいないか?」
「あ、それならルーシアが」
「すぐに水で洗い流せ」
指示を出しながら、大公女達の様子を見る。ヤンは両手で目を覆っているので無事らしい。花の匂いにやられたのか、鼻水を垂らしてふんふんと鼻をひくつかせた。
「ヤン、風と水を当てるぞ」
注意してから近づき、水で洗って風で吹き飛ばすと満足そうに鼻先を動かす。目は涙で潤んでいたが、実害はなさそうだ。良かったと撫でてから、ルシファーはリリスに向き直った。
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