86. 魔王しねえぇええ!
「面を上げよ。用件を聞こう」
リリスを支える左腕が限界だ。ぷるぷるする腕を必死で支えていると、心得たヤンが後ろに回りこんで引っ張った。大人しく寄りかかると、丁度リリスを抱く左腕をヤンの頭が支えてくれる。
ナイスフォローだ! ヤン!! バレないよう褒めると、ヤンの尻尾が嬉しそうに揺れた。
「我が一族の領域に、神龍が侵入しております。仲裁をお願いしたく参りました」
「それは軍を束ねるベールへの嘆願ではないか?」
言外に「管轄外だ」と切り捨てた。
魔王軍と貴族間のトラブルはベールの担当だ。経理処理はベルゼビュート、祭事や記録をルキフェルが担っていた。アスタロトは魔王直属となるため、側近としての役目に加え、他の部署を統括する。
つまりドラゴンとシェンロンのトラブルは、魔王軍が取り仕切るはずだ。魔王へ直訴するのは順番が違うと首を横に振った。こういった直訴や手順を省いた嘆願を許せば、切りがない。
魔王城は魔王ルシファーを頂点としたピラミッド型の権力体制を築いている。順番を無視した嘆願を受け入れることは出来なかった。
「ですが、彼らは我が領土に踏み込んだ上で『陛下の裁決を得た』と」
「うん? ……余の裁可、だと?」
思わず地が出てしまい、慌てて取り繕う。そんな記憶は当然ながらない。まったく確認しないで署名しているように見えるが、ちゃんと中身は確認してきたし、半分以上の内容は記憶していた。領土に関わる署名を最後にしたのは、魔王城が吹き飛ぶ3日前だ。
ゆっくり記憶を辿っているルシファーの前で、ドラゴン族の男性は己の鱗を1枚差し出した。竜種にとって、鱗の献上は己の誠意を示す最大の方法だ。嘘をついていないと命にかけて誓う重さがあった。これが神龍族ならば、鱗は求愛の証になってしまう。
「余の記憶にはない。アスタロト」
呼び出す意図を込めて、僅かの魔力を滲ませた声で側近の名を口にする。寄りかかったヤンがぴくりと反応した直後、恭しく膝をついてアスタロトが現れた。転移前にこちらの状況を確認したのだろう。臣下としての礼を尽くす彼に、大仰な口調のまま問いかけた。
「神龍がドラゴンの領土を侵した。どうなっておる?」
「魔王城へそのような報告は届いておりません。こちらの者が陳情を?」
ちらりと視線を向けた先で、ドラゴンの貴族は伏せたままだ。跪いた姿勢を崩すことなく、利き腕で鱗を奉じていた。立ち上がったアスタロトが近づき、男の手から鱗を預って確認する。
「鱗はたしかにドラゴンのもの、あなたも竜族で間違いはありません。ただ……この鱗はあなたのものではありません」
誠意を示す方法として己の鱗を提示する。その忠義の証である行為に使う鱗が、当人のものでなければ……。
「では何が目的だ?」
「魔王ルシファー! しねえぇええ!」
ドラゴンの姿に一瞬で戻った男が炎を吐く。いつものくせで結界を張ろうと右手を前にかざし、次の瞬間痛みに顔をしかめた。間に合わない。リリスを抱き締めた途端、目の前に大きな羽が広げられた。
コウモリの羽で
「無礼な若造が身の程を知りなさい」
言い聞かせるアスタロトの口調は、まだ『私』バージョンだった。これが『俺』バージョンだと、本気でヤバイ。また城を壊すほどの騒ぎになるだろう。自制した側近の右手に剣が召還された。
銀の刃に虹色の輝きを宿す。大地を割り、風を裂く剣が振り翳され、目の前の大きなドラゴンは粉々になった。切り刻んだ刃に返り血はなく、ただ目の前に肉片が転がる。圧倒的、一方的な虐殺だった。
「……ちょっと、やりすぎだ」
凄惨な現場に、ルシファーの顔が引きつった。
竜の鱗を確かめるため、ルシファーが近づくのを待っていたらしい。確かに誠意を示した相手に、ひょこひょこ無防備に近づくルシファーの行動は有名だった。単に魔王ルシファーの力が突出しているため、たいていの不意打ちは意味を成さない。だからこその無防備さだったが。
今回のように側近を呼び出した行動も、アスタロトが鱗を手にしたのも、ドラゴンにとって大きな誤算だ。結果、嘘がバレて炎を吐いたのだが……あまりにあっさり退治されてしまった。
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