385.ユイの指導日誌七ページ目:回り始めた糸車
サリナさんに【魔力操作】の技術書を渡して今日で一週間、期限の日です。
「大丈夫でしょうか。お姉ちゃん、あれから一度も顔を見せていませんが」
「少なくとも食事には手をつけています。……パンとスープを少々ですが」
「……言い過ぎちゃったかな、スヴェイン?」
あの日の出来事は皆と共有済み。
でも、それを咎める人は誰ひとりとしていませんでした。
妹のエリナちゃんさえも。
「放っておきなさい。彼女の甘え癖がそれでも抜けないのであれば仕方がないでしょう」
「……わかった。エリナちゃん、そのときは」
「うん、ヴィンドに送り届けてくる。ユイさんには迷惑をかけちゃったけど……」
「私は大丈夫。でも、彼女、立ち直れるかな?」
「立ち直れなかったらそれまでだよ。いくら身内でも、ううん、身内だからこそ甘やかしちゃいけない時があるもの」
「強いんだね、エリナちゃん。私は胸が痛くてたまらないのに」
「私もコンソールに来たばかりの頃は苦労したから。ニーベちゃんのおかげでくじけなかったけど、ひとりだったらどうなっていたか……」
「そっか。競い合える相手か。難しいなぁ」
コンソールで彼女と競い合えるほど低次元な技術者なんていない。
第一街壁の外で建設中の新市街にいる職人候補だってもっと頑張っている。
それ以外の寄生虫はスヴェインの頼みで新市街ができはじめたときに吹き飛ばしたから。
「私もエリナちゃんも最初は技術はありませんでした。でも、諦めることだけはしなかったのです」
「そうだね。最初はポーション作りさえ怖かったけど、その恐怖を乗り切ればあとはスムーズだったからね」
「はいです。サリナさんにも教本はあるんですよね?」
「あるよ。セティ様が書いた服飾学の本が入門編から上級編まで一式。でも、彼女はそれを読む入り口にすら立ててないの」
「そうなのです? 先生はすぐ私にセティ様の本を読ませてくれましたよ?」
「ニーベちゃんには最初から覚悟ができていましたから。なんのためらいもなく教えることができました。エリナちゃんも半端な覚悟で弟子入り志願しているわけではないとすぐにわかったので特に禁止しませんでした」
「先生はどうしてボクたちをそこまで評価してくれていたんですか?」
「そうですね。ニーベちゃんは幼い頃から病を抱えていた反動から、エリナちゃんは『錬金術師』であるのに魔力水すら満足に作れない悔しさから。それぞれの挫折と苦境をバネに飛び上がろうとする意思を感じました。僕はそれを手助けしただけです。……かなり跳ね上がりすぎていますが」
「反省はしますが止まれないのです」
「ボクももう止まれません」
「僕やアリアも昔はリリスがいくら止めても止まらなかったので強く言えないんです。体を壊さない程度に自制はしてくださいね」
「そこだけは守るのです」
「健康を損ねたらそれだけ遅れます」
うらやましいなあ。
私は自分で選んだ弟子ではないと言っても師匠にすらなれていない未熟者。
スヴェインには本当に悪いんだけど、この師弟の絆だけは本当にうらやましい。
「さて、そろそろ出勤しないと。行きますよ、ミライ」
「はい、スヴェインさ……ま?」
スヴェインとミライさんが錬金術師ギルドへ出勤しようとしたところ、階段からサリナさんが降りてきました。
幽鬼のような足取りで、ふらふらと。
「……お待たせ、しま、した、ユイ師匠……【魔力操作】、なんとか覚えました」
それだけ告げるとサリナさんは頭から床に倒れ込みました。
慌ててリリス先生が駆け寄りスヴェインと一緒に容態を確認します。
「頭の傷は……問題なさそうですね。念のためポーションを」
「はい。倒れた原因は極度の栄養失調でしょうか?」
「おそらくは。栄養剤……足りなかったらエリクシールも飲ませて構いません」
「……よろしいのですか? エリクシールの素材はすべてスヴェイン様の拠点で手に入ると伺っていますし、私たちにも常備薬扱いで十本以上持たされてはいますが……霊薬ですよ?」
「せっかく灯った種火です。かき消えるか燃え上がるかはわかりません。ただ、もう少し頑張らせましょう。ユイも構いませんね?」
「はい!」
ああ、私、きっといい笑顔をしている。
弟子の成長ってこんなに嬉しいんだ。
やっぱりスヴェインはずるい。
こんな気持ちをずっと、ずっと抱いてきたなんて!
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