412.リリス先生の悩み事

「ふう」


「あれ、リリスさんが溜息なんて珍しいですね?」


「エレオノーラ様。私だって人の子。溜息をつきたくなるときはあります」


 今日はエレオノーラ様が休みと言うことで私が家事を教えています。


 講習会の方法を教える機会も多かったのですが……さすがに冬も本格化しエレオノーラ様がひとり暮らしを始める夏も近くなってきたため、せめて簡単な料理と掃除はマスターさせないと。


「それにしてもリリスさんの手際はとってもいいですね」


「メイドですから」


「『武聖』なんですよね?」


「与えられた職業など……道を究めるものにしか関係ありません」


「はあ」


 道を究めるもの。


 スヴェイン様やアリア様のような求道者でも無い限りはそこまで『職業』は大切でないのです。


 ワイズにこっそり聞いてしまいましたが、彼がニーベ様とエリナ様に『魔導錬金術師』などと言う大それた職業を目指させているのも彼女たちの中に求道者の覚悟を見て取ったからこそ。


 スヴェイン様の背中を追いかけるなら、三十歳に到達する前にアムリタも飲むだろうというのが見立てです。


「それにしても、お料理ひとつだけでも奥が深いですね。ちょっと調味料を入れ間違うだけでも味が変わるだなんて」


「あなたも内弟子をやめたとして、朝夕の食事はここで取りなさい。まさか朝夕の修行までは投げ出さないのでしょう?」


「それはもちろんです。一人暮らしは……ひとり立ちの練習として譲れません。でも内弟子として修行できる環境を知ってしまった以上、それを放棄するのはちょっと」


「その覚悟があればよろしい。あなたに教えるのはまだ早いと考えていましたが、私の方から商業ギルドに手を回して近くに一人暮らし用の部屋を押さえてあります。夏からはそこで暮らしなさい」


「ええ!? 部屋探しも一人暮らしの練習なのに!?」


「朝夕の修行を考えれば遠くに居を構えるのはよろしくありません。私からの餞別と考えしばらくはそこで過ごしなさい」


「……ありがとうございます」


「結構。さて、そろそろ煮込み時間も終了です。味見をしたら昼食ですよ。ユイの食事は用意してありますので、あの弟子未満にはあなたの食事を食べさせてお上げなさい。それでももったいないのですが」


「リリスさん。相変わらずサリナさんには厳しいですね?」


「彼女のさらし続けた醜態を考えればまだまだ甘いです」


「ええと……否定できない」


「わかったら結構。食事の準備はこちらで済ませますのであなたはふたりを」


「はい」


 エレオノーラ様も行ってしまいましたし悩みの続きです。


 私の悩みの種はアーヴィン君とミリアちゃん。


 ふたりはもうポーションは完璧に、それこそ十割失敗せずに作れるようになりました。


 そうなると次の段階、ディスポイズンか風治薬に進むべきなのですが……スヴェイン様の許可が下りるでしょうか?


「リリスさん。ふたりを連れてきました」


「わかりました。あなた方は食卓へ」


「……あの、リリスさん。せめてお昼くらいは一緒に食べませんか? スヴェイン様もアリア様もいない日くらいは」


「ダメです。私には私の誇りがあります」


「……出過ぎた口を利きました」


「いえ、あなたなりに私を思ってのことでしょう。咎めません」


「ありがとうございます」


「では、配膳をします。あなたもテーブルへ」


「はい!」


 サリナもお昼だけは私たちと一緒に食べるよう指示をしました。


 毎回毎回取りに来られるのも面倒ですし、家主がいない以上健康管理は私の役目。


 は一切許しません。


「どうぞ、サリナ。しっかり食べて午後の英気も養いなさい」


「申し訳ありません。リリス様、毎日お手をわずらわせて」


「その気持ちがあるのでしたら更に鍛錬を積み重ねなさい。あなたにはもう許されないのですから」


「はい。肝に銘じます」


「よろしい。ところでユイ。サリナのペースはどうなのですか?」


「今のところ問題ないです。納期ごとに商品も納めていますし仕上げも失敗していません。春物コートにかけるエンチャントはもう一段階上を相談してきましたが、今のペースでいけば問題ないかと」


「ならば結構です。お召し上がりなさい」


「はい」


 食卓では今日家に残っている三人の食事音だけが響きます。


 いえ、まだテーブルマナーが整っていないサリナの音が大きいのですが。


「ごちそうさまでした。今日のお料理もエレオノーラ様がお作りになったんですよね?」


「はい。お気に召しませんでしたか?」


「いえ、とんでもない! とてもおいしかったです!」


「ならよかった。リリスさんには遠く及びませんし練習に付き合わせてしまい申し訳ないのですが」


「いえ、私のような未熟者に食事を振る舞っていただけるだけでも十分です」


「それなら嬉しいです」


「サリナ。あなたにはこの家の家人に逆らう資格はありません。施しは必ず受けなさい。今のあなたに外出する資格はありません」


「はい。ユイ師匠」


「それから黙っていましたが、あなた宛の家族からの手紙。それもすべて私が預かっています。中身は読んでいませんが構いませんよね?」


「当然です。もし里心がついてまた甘えが出てはこの家にいる資格を失います」


「よろしい。それでは、午後の作業に戻りなさい。子供たちを待たせてはいけません」


「はい。もし間違いがあればその都度ご指導お願いいたします」


「ええ。仮とは言え弟子なのです。その程度は時間を割いてあげます」


 本当に職人モードのユイは手厳しい。


 私もあのふたりにもう少し上の錬金術を教え始めるべきでしょうか。


「ふむ、風治薬とディスポイズンですか……」


 スヴェイン様がお帰りになり、時間が空いたタイミングを見計らい早速相談を持ちかけます。


 さすがの私でもいい解決策が見つかりませんでした。


「はい。あの子たちも今のうちはポーション作りで満足しています。ですが、それもいずれは飽きてくるでしょう。そうなったときのためにお考えくださいませんか?」


「……難しいですね。風治薬は効果が薄いとは言え病気の治療薬。ディスポイズンはその名の通り毒の治療薬です。子供の持ち歩くものではない」


「やはりそうですか」


「かと言ってマジックポーションはまだまだ時期尚早。それに状態異常回復薬以上の危険があります。どちらにしても、錬金術で許可できる範囲はポーションが限界ですね」


「……難しいものです。子供の教育というものは」


「おやおや、〝スヴェイン流〟を編み出した本人でさえその難しさを理解していますか」


「はい。毎週二回の英才教育など〝スヴェイン流〟でも想定していないもの。さすがに、ここまで成長するとは想像だにせず」


「子供の好奇心とはそういうものです。そうですね、好奇心を別のものに向けさせてはいかがでしょう?」


「別のもの、ですか?」


「はい。別のものです」



********************



「うわー! 本当にジュレだ!」


「あまくておいしー!」


「ええ。この程度のお料理でしたら簡単にできますよ?」


「錬金術も楽しいけどお料理も楽しそう!」


「リリス先生、おりょうりもおしえてください!」


「ええ、構いません。ただし、家でやるときは必ずお母さんと一緒にやるのですよ? 火を使うので危ないですからね」


「「はい!」」


 ……私も視野狭窄に陥っていたようです。


 なにも『錬金術』にこだわる必要はなかった。


 さすがに鍛冶は無理でもお料理や裁縫くらいはいくらでも教えることができるのに。


 しばらくは簡単なお料理で興味を引き、次は刺繍でも教えましょうか。

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