356.エレオノーラの一時帰宅

「ただいま。お母さん」


「エレオノーラ!? あなた、なんで帰ってきたの!?」


「いや、たまには家族にも顔を見せろっていわれて……」


 内弟子になってから三週間くらい。


 今日もお仕事はお休みの日で、リリス様に家事を習おうとしたら『たまにはお母様に顔を見せてあげなさい』と言われて一時帰宅することとなりました。


 泊まりでもいいとは言われていますが、夕食までに戻ると告げてきてあります。


「お母さん。家でなにか変わったこととかない? 家を離れてからそれなりに経ってきたし……」


「それなりって、アンタ。まだ一カ月も経ってないよ。それなのに顔を見せるとか、追い出されたかつらくなって逃げ出したかのどちらかだと感じたじゃないの」


「あはは……大丈夫だよ。最初二日はショックを受けちゃったけど、それ以降はなんとかしがみついてるから」


「それならいいんだけど。それで、指導は厳しいのかい?」


「厳しいって言うより詳しいかな? 錬金術師ギルドで指導を受けていたときに比べると指導内容の濃さが全然違うよ」


「そうなのかい? ギルドマスターさんのお弟子様方はアンタよりも年下なのに街でも評判の凄腕錬金術師。相当厳しい修行をしているものだとばかり」


「ニーベ様とエリナ様はものすごく厳しい修行をしているよ? それも自分から望んで」


「自分から望んで?」


 そうだよね。


 普通は自分から厳しい修行なんてしたがらないよね。


「詳しい話はできないけれど、錬金術師ギルドで修行をしているときなんてお遊びみたいなハードな修行をしてる。それも、毎朝と夕食前、それから夕食後の一日三回も」


「それって体は大丈夫なのかい? いくらギルドマスター様のお弟子様でも十三歳なんだろう?」


「本当にハードなことをするときは常にスヴェイン様が見守っているから平気だよ。それ以外の時は……まあ、ぼちぼち?」


「アンタ、そんな厳しい環境についていけているのかい?」


「スヴェイン様は厳しくしてくれないんだよね。自分から厳しくするのは無理をしない限り止められないんだけど、きつい課題は決して出されないの。ときどき復習程度の実技はするけどそれだけ」


「それはそれで心配だねえ」


「うーん。私も意外だったけど、よく考えたらギルドでも似たような感じだなって」


「ギルドでも?」


「うん。スヴェイン様は聞けば教えてくれるし、実演してほしいってお願いすれば何度でもしてもらえる。でも、基本的にはそれだけで余計な手出しはしないんだ。……ミライサブマスターに言わせると、本当は手出ししたがっているのを我慢しているらしいんだけど」


「はー。本当に成人したばかりとは考えられないくらいしっかりした御方だね」


「本当だよ。本人は押しつけられたって言いつつ、十三歳からギルドマスターの椅子に座り続けてギルドを正常に運営しているんだもの。ギルド支部を作ったときは相当混乱したらしいけど」


「ギルド本部の規模を考えると、あのサイズの組織を更に作るのはねえ」


「ミライサブマスターに言わせると大きな失策はそれくらいで、細かい問題以外は特にないんだって。たった一歳しか違わないのに本当に立派な人だよね」


 うん、スヴェイン様の背中は遙かに遠い。


 近くにいるはずなのにあまりにも遠くに感じてしまう。


 できることならあの背中を追い続けたい、そう願ってしまうんだ。


「本当に、立派な人なんだよスヴェイン様って」


「おととしの冬に先代の錬金術師ギルドマスターが街から追放されて後釜に入ったのは十三歳の子供。どんなことをするかと思えば、威張り腐っていた錬金術師どもは全員追い出してポーションそのものを作り替えちまったからね」


「それだけでもすごいよね……」


「それで冬の終わりに急にいなくなって夏が始まる頃に戻ってきたら、今度はコンソールって街自体の大改革だ。極め付きはこの夏の出来事、竜宝国家コンソールの立ち上げだよ。まったく嵐のような御方だよ」


「嵐というか大嵐だよね」


「違いない。だがおかげでコンソール自体に活気が満ちてきた。もう誰も二年前の街になんて戻れないだろうさ」


「私も昔のなにもなかった頃になんて戻れないよ。夢と希望を見ちゃったらそれを追いかけるしかない、そう感じちゃったから」


「アンタがそこまで言うようになるとはねえ。入門初月から家一番の稼ぎ頭になったことも驚きだけど」


「あれは私だって驚いたんだよ? 経理の人には何度も念を押したし、帰り道なんて強盗にお金を奪われないかビクビクしながら帰ってきたし」


「でもあれが正当な報酬だったんだろう? すごいじゃないか」


「うん……私が、ううん、私たち入門者全員が考えているよりポーションの価値って高かったみたい。品質管理は何重にも行われているって聞くし、その分がすべてお給金に反映されてるんだって」


「だけどアンタ、そのお給金に手をつけ始めたのって三カ月以上経ってからじゃないか」


「……お給金が高いのが信じられなかったし、お金の使い方も知らなくてどうすればいいのかわからなかったんだもん」


「で、結局最初に買ったのが薬草学の事典なんだからしょうがない子だよ」


「仕方がないじゃない。まずは知識を蓄えようって考えたんだから。結局はあまり役に立つことが書いてなくて、お金の無駄になっちゃったけど」


「あの頃はまだ旧国の本ばかりだったからねえ」


「今も段々置き換わって行ってるけど……専門書はなかなか進んでないよ。シャルがシュミットから取り寄せている専門書の写本が売れているだけで、ほかの本はさっぱりなんだって」


「〝シャル〟ねえ。アンタが公太女様を気軽に呼び捨てにして友達づきあいしているのも信じられないよ」


「だって、シャルはシャルなんだもの。ちょっと前に間違えて〝公太女様〟って呼んじゃったら、へそを曲げてその日一日口をきいてもらえなかったんだから」


「はあ。そういえば、〝お手つき〟にはなってないのかい? ギルドマスターとギルド員って言ったって若い男女なんだから……」


「そういうのは一切ありません! 私たちの関係はあくまでも師匠と弟子! それじゃなくても奥様方が私とスヴェイン様の関係を疑っていたものだから、奥方様はスヴェイン様から罰を受けていて本気で泣いているんだから」


「罰?」


「添い寝禁止だって。スヴェイン様と奥方様たちって順番順番に添い寝をしていたらしいんだけど、アリア様とミライサブマスターは一カ月間添い寝禁止を言い渡されてた。代わりに毎日添い寝が出来ることになったユイは大喜びしてよ」


 本当にユイの喜び方はすごかったなぁ。


 それだけスヴェイン様のことを愛しているんだろうけど、いろいろ我慢できるのかな?


「ともかくそういう関係になることは絶対にないから安心してよ。スヴェイン様の指導を受けるときだってふたりきりになることはないんだから」


「まあ、そっちの心配はあまりしてなかったんだけど。それで、今日は泊まっていくのかい?」


「ううん。夕食前にはスヴェイン様の家に戻る。夕食後には指導を受けたいし」


「アンタも筋金入りの研究者になってきたね」


「そうかも。でも、そうじゃないとあの家で内弟子なんてやってられないから」


「そうかい。夕食まではまだ時間があるしのんびりしていくだろう?」


「そうさせてもらおうかな? 邪魔になるかもしれないけど」


「たまに帰ってきた娘を邪魔者扱いなんてしないよ。のんびり英気を養って帰りな」


「うん!」

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