第二部 旅する隠者と錬金術師志望の弟子

40.魔力溜まりに建つ精霊の家

『ふむ、ここまで逃げれば大丈夫じゃろ』


 夜通し飛び続け、いくつかの山脈を越えた森の中。


 そこに生えていた大樹の根元に、ウィングとユニは着地しました。


 僕はそれなりに徹夜慣れしていますが、アリアの方が限界ですからね。


「アリア。しばらく眠っていていいですよ。四神たちが合流するまで移動は控えます」


「わかりました。……手を握っててもらえますか、スヴェイン様」


「いいですよ。……なんだか、アリアが初めて屋敷に来た頃を思い出しますね」


「そうかもしれません。……おやすみなさい、スヴェイン様」


「ええ、おやすみ」


 アリアは数分で規則的な寝息を立て始めました。


 精神的にも肉体的にも疲れていたのでしょう。


『さて、今後の行動指針じゃが、どうするのじゃ?』


『僕たちとしてはどうしてもいいよ』


『そうね。暮らそうと思えば森の中でも暮らせるし』


「うーん。アリアのことを思えば、きちんとした家で過ごしたいですね」


『そうじゃな。スヴェインはともかくアリアは厳しいじゃろう』


『でもそうなると、ヒトの街に入らなくちゃいけないわ』


『いま持っている身分証は使えないんだろう?』


「そうですね。グッドリッジ王国の身分証が使えるか怪しいですし、そもそも国を出奔した貴族が元の国の身分証なんて使えません」


『ヒトの世界は面倒ね』


『それがヒトの世界の規律じゃよ。そうなるとどうしたものかの』


『こっそり入ることもできないよね?』


「そんなことをしても見つかりますよ。……ともかく、アリアが起きるまではゆっくりしましょう。アリアが起きたら今後のことを話し合います」


『そうするかの。見張りは儂らが務めるのでスヴェインも休め』


「そうさせてもらいますね。休めるうちに休んでおかないと」


 僕も横になるとすぐにうとうとし始めました。


 思っていたよりも疲れていたみたいですね……。


**********


 ぼんやりとした意識が浮上してくる感覚のなか、目を覚ますと笑顔のアリアがそこにいました。


「お目覚めですか、スヴェイン様?」


「アリア? 僕のほうが長く眠っていたのでしょうか」


「はい。こっそり膝枕をして差し上げても起きませんでしたよ?」


「膝枕……あ、アリア、ありがとうございます」


「いえ。私こそ先に休ませていただいて申し訳ありません」


「いいのですよ。みんなは?」


『儂はここじゃ』


「ワイズ」


 樹の上からワイズが降りてきました。


 どうやら周囲を見ていたようです。


『身を守る結界はカーバンクルで十分じゃからな。儂は周囲の偵察、ウィングとユニは食べられる木の実を探しに行ったわ』


「ありがとうございます。それで、周りになにかありましたか?」


『人間たちの街が東の山を下りたところにあったな。もっとも、あの山を上り下りするのは楽じゃないがの』


 ワイズにつられて東を見ると、かなり標高が高く、急峻な山がそびえ立っていました。

 あれを越えるのは……空でも飛べないと無理でしょうね。


「ですね。ほかには?」


『南西の方に湖があった。それからそこに木でできた屋敷もあったのじゃが……』


「人が住んでいるのですか?」


『いや、人が住んでいる気配がまるでなかった。だが、朽ちた形跡もまるでない。不思議な場所じゃった』


「そうですか……」


『あとで一度一緒に調べてみるかの? 危険な場所ではなさそうじゃったしな』


「そうですね。安全な場所でしたら拠点にできるかもしれません」


「私はスヴェイン様の意思に従います。……無理をするようでしたらお引き留めしますが」


「無理はしませんよ。……あ、ウィングとユニも帰ってきたみたいです」


『そのようじゃの』


「無事でよかったです」


 2匹から聞きましたが、このあたりは妙に魔力の密度が高いそうです。


 そのため普通の植物があまり生えておらず、食べられる果物を見つけるのにも苦労したんだとか。


 ワイズは近くに魔力溜まりがないか探しに行きましたし、今のうちに食事は済ませておきましょう。


 果物をある程度食べ終え、残りをマジックバッグにしまったところでワイズが四神たちと一緒に戻ってきました。


 ただ、その顔は少し悩ましげです。


『ウィングたちの言うとおり、このあたりは魔力密度が高い。じゃが、魔力溜まりがあるわけでもなかった。おそらく、土地として魔力が集まりやすいのじゃろう』


『うむ、この場は地脈が四方から流れ込んでいる場所のようじゃな』


『そのようだ。これでは手を加えなければ普通の植物はなかなか根付かないだろう』


『この樹も魔樹だしね。多分、このあたりの木々は伐採して持ち帰っても3カ月ほどで元通りになるよ?』


『必要なときに必要なだけ木材が手に入るのは便利ね』


 ふむ、どうやらここは特別な地域のようです。


 ワイズたちに言わせれば人体に悪影響がでるほどではないとのことでした。


『さて、準備ができたのであれば湖のほとりにある屋敷を調べに行くぞ』


「そうですね。アリア、大丈夫ですか?」


「はい。行きましょう、スヴェイン様」


 僕たちはウィングとユニにまたがり再び空を舞います。


 ワイズが見つけたという湖は四方を山に囲まれたちょうど真ん中付近にあるみたいですね。


『先に儂ら四神があの家の周りを調べよう』


『危険なものはなさそうだがな』


「はい、よろしくお願いします」


 先行して周囲を調べてくれる四神を見送り、僕は周囲の様子を観察します。


 ここは周囲全体が山に囲まれている……いえ、山の窪地になっている?


 ともかく周囲とは切り離された地域のようですね。


 国を出奔した僕たちにはちょうどいい場所でしょうか……。


『スヴェイン、すまぬが降りてきてもらえるか?』


「ゲンブ? なにかありましたか?」


『なにかあったというか、いたというか……ともかく、アリアを連れて降りてきてほしい』


「わかりました。行きましょう、アリア」


「なんでしょうね、一体」


 全員が疑問符を浮かべながら屋敷の方まで降りていきます。


 すると、ゲンブの前には小さな女の子が佇んでいました。


「ゲンブ、その子は?」


『その屋敷の管理人……と言うか屋敷に宿った精霊じゃ』


「屋敷に宿った精霊? ですか?」


『この地方では馴染みがなかろうが、どのようなものであっても大切に何十年も扱われれば精霊が宿ることもある。この屋敷がその一例じゃ』


「それで、僕たちを呼んだ理由は?」


『うむ、アリアにこの屋敷の精霊と契約を結んでもらいたいのじゃ』


「この精霊さんとですか?」


『そうすれば精霊にも力が宿り、屋敷の維持で手一杯な現状から脱却できるはずなんじゃ」


「契約は構いませんが……なにも起こりませんよね?」


『ポルターガイストのような悪霊ではない。どちらかと言えばシルキーに近い性質を持っている。悪いようにはせんよ』


「わかりました。名前は……」


『いや、名前はつけなくてもよい。名付けをするにはまだ幼い精霊じゃ』


「では、どうやって契約を?」


『手で触れて契約を望めばよい。それで済む』


「わかりました。君、私と契約しよう?」


『うん!』


 アリアと女の子が合意した途端、女の子が光の玉になって一回消え去りました。


 それに伴い屋敷も消えましたが……すぐにまた現れましたね。


 先ほどまでは2階建てだった屋敷が3階建てになっていますが。


「お姉ちゃん、お兄ちゃん。新しいお家、できたよ!」


「……早いですね」


「早かったです」


『力を持った精霊はそう言うものじゃ。家に上がらせてもらえ。儂ら四神は周囲をもう少し調べる。護衛はカーバンクルとワイズがいれば十分じゃろ』


「そうですね。ありがとう、ゲンブ」


『ではの』


「早く行こう!」


「ああ、ちょっと待ってください!」


 急に元気になった女の子に手を引かれ、家のドアをくぐります。


 そこは木でできた温かみのあるエントランスでした。


「すごいでしょ! お姉ちゃんの記憶にあったお家を再現してみたの!」


「……あ、なんとなくシュミット辺境伯邸に似てるのはそれでなんですね」


「アリアが僕の家をそんな風に思っていてくれて、とても嬉しいです」


 そのあともパタパタ走り回る女の子に連れられて食堂や厨房、寝室などを見て回ります。


 ただ、寝室にあったベッドのサイズがかなり大きめなのは、ふたり一緒に寝るためなんでしょうね。


 こんなところにもアリアの思いが再現されているようで……それをみたアリアの顔は真っ赤でした。


 屋敷の中には広いお風呂もあり、いつでも入浴できるようになっています。


 そのほか、食材がほしい場合はアリアの魔力と引き換えに、食材を作り出すことができるのだとか。


 ただ、食材があっても僕たちは料理ができないことを伝えると、女の子ができると胸を張っています。


 試しに、パンを焼いてもらいましたが……確かにおいしかったです。


「お姉ちゃんとお兄ちゃんの食事やお洗濯、お掃除は全部私がするから任せてね!」


「いえ、そこまでされるのも気がひけるというか……」


「だめだよ! 私のお仕事なの!」


 家事に関することはすべて女の子のお仕事のようです。


 事実、僕とアリアには家事の経験がないので助かりますが。


「そういえば、あなたにはお名前がないんですか?」


「私? 前に住んでいた人からはスミカって呼ばれてたよ!」


「スミカ……ですか」


 スミカ、住処……。


 ちょっとかわいそうな気もします。


「あの、スミカちゃん。よければ新しいお名前をあげましょうか?」


「いいの、お姉ちゃん?」


「ええ。契約のときは名前をあげられませんでしたからね」


「うん、じゃあ新しいお名前、ほしい!」


「わかりました。……そうですね、ラベンダーなんてどうでしょう? 私の好きなお花の名前なんですが」


「うん、いいよ! 私は今日からラベンダー!」


 女の子……ラベンダーは花咲くような笑顔でクルクル回ります。


 新しい名前が本当に嬉しかったのでしょう。


「そういえば、ラベンダーちゃん。お家の設備って増やせませんか?」


「増やせるけど……お姉ちゃん、なにを作りたいの?」


「錬金術ができる設備がほしいんです。できますか?」


「うーん、無理かなぁ。お姉ちゃんの記憶の中にあるイメージがすごくあいまいで再現できないよ」


「そうですか……作れればスヴェイン様のお力になれたのですが」


「うん? お兄ちゃんのためにほしいの?」


「はい、そうです」


「じゃあ、お兄ちゃんから魔力とイメージをもらえばできるかも! 試してみよう!」


「わかりました。よろしく、ラベンダーちゃん」


「うん! ……これなら作れるよ。ただ、すごい複雑な設備になるから魔力をたくさん使っちゃうかも」


「構いません。お願いできますか?」


「わかった!」


 ラベンダーちゃんが頷くと同時にすごい勢いで魔力が吸い出されます。


 一瞬、めまいを覚えましたが魔力の吸引はすぐに終わり、徐々に魔力の回復が感じられます。


「できたよ、お兄ちゃん! それじゃあ、お部屋に案内するね!」


 ラベンダーちゃんに案内された部屋にあったのは、辺境伯領の屋敷にあったものと寸分違わぬ錬金術のアトリエです。


 これなら難しい錬金術も行えそうですね。


「すごいですよ、ラベンダーちゃん。ここまで再現できるなんて」


「私、頑張った!」


 アトリエにある設備をひとつひとつ調べましたが、どれも問題なく使えそうです。


 あとは素材などの問題がありますが……それはまた今度でもいいでしょう。


 そのあと、周囲の探索に出ていた四神たちから報告を受けましたが、この周囲にはモンスターも棲み着いていないとのこと。


 つまり、この家はかなり安全な屋敷になるようです。


「お姉ちゃんたち、そろそろお夕飯の時間だよ!」


「あ、もうそんな時間ですか。気がつきませんでした」


「それではお夕飯もお願いできますか、ラベンダーちゃん?」


「任せて、おいしいご飯、作っちゃう!」


 アリアは魔力だけ渡し、素材から調理まですべてラベンダーちゃんに任せたようです。


 出てきたお料理は見たことがありませんでしたが、とてもおいしかったですよ。


 そして、ラベンダーちゃんの勧めでお風呂に入ることとなりましたが、なぜかアリアも一緒に入ることにしたようです。


 アリアは恥ずかしげにしながらも、僕に寄りかかってお風呂を楽しんでいました。


 お風呂から上がったあとは寝室に向かい、ふたりでベッドに倒れ込みます。


 儀式を受けてまだ半月経っていないはずですが、なんだか遠い昔のことにも感じますね。


「アリア、まだ起きてますか?」


「はい。スヴェイン様」


「僕はしばらくここを拠点にするつもりです。アリアは街に行ってみたいですか?」


「いいえ、スヴェイン様が行かないのでしたら私もここにいます」


「わかりました。それではしばらくここで暮らしましょう」


「はい!」


 こうして僕とアリアはゆっくりと休める家を見つけることができ、そこに住むことにしました。


 次の日からは薬草畑を開墾したり、魔法を鍛えるための練習場を作ったりと環境を整えていきます。


 薬草なども無事に根付き、薬を調合して錬金術の修行をしたり、ときには山を越えた場所にいるモンスターを倒して魔法の修行をしながら、僕たちはここで過ごしていくことになりました。


 ここでの日々は平和で穏やかですからね。

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