5.アリアに届かない声

「……さま、スヴェイン様」


 誰かに肩を揺り動かされて目が覚めます。


 この声は……アリアですね。


「おはよう、アリア。少しは元気が出ましたか?」


「はい……ですが、なぜスヴェイン様がそのような格好でお眠りになっているのですか?」


「ああ、アリアの手を握りしめたら握り返してくれたので、そのまま寝ました。悪い夢は見なかったでしょうか?」


「悪い夢など見てません! そんなことよりスヴェイン様をこんな態勢で眠らせたということがしられたら……」


「大丈夫ですよ。僕が好きでやったことです。それよりも……大分顔色がよくなりましたね」


「そう……ですか?」


「はい。頬も赤みが少し出てきました。そういえば、おなかは空いていませんか?」


「え、それは……」


 僕が聞いた途端、アリアのおなかがかわいらしい音を立てました。


 我慢していたんでしょうね。


「リリス、なにか食べるもの……リリス?」


「あのメイド様でしたら私が目を覚ますとすぐに出て行かれました。それで、どうすればいいかわからず、スヴェイン様を起こしてしまい……」


「なるほど。僕は気にしていないので平気です。しかし、リリスがなにも言わずにいなくなるなんて珍しいですね? 何か言っていませんでしたか?」


「え? ……すみません、なにかおっしゃっていたのですがよく聞こえなかったのです」


「よく聞こえない?」


「私、メイドの声はあまりよく聞こえないのです。それで何度もぶたれたりして……」


 メイドの声が聞こえない、そんなことがあるのでしょうか?


 これはお母様に相談するべきですね。


 と、そのとき、ドアがノックされてリリスがカートを押して入ってきました。


「スヴェイン様、アリア様。お食事をお持ちいたしました」


「ありがとう、リリス。アリアの分もちゃんとあるのですか?」


「はい。ただ、アリア様は体の状況を察するに病人用のお食事がよいだろうとのことで、パン粥をお持ちいたしました」


「そうですか。アリア、ご飯が届きました。一緒に食べましょう」


「え……私もご一緒してもよろしいのですか?」


「はい、もちろんです。一緒に食べましょう」


 僕に用意されたのは、普段の朝食に比べると簡素化されたバゲットサンド。


 アリアには何かの乳で煮込んだパン粥です。


 おそらく、近くの牧場で飼っている牛の乳を使ったパン粥でしょう。


 牛乳は日持ちもしませんし高価ですが、病人にはよいそうですからね。


「あの、本当に私がこのような豪華な食事をいただいてもよろしいのですか?」


「ええ、構いませんよ。というよりアリアのための食事です。食べられる分だけでいいのでしっかり食べてください」


「は、はい……」


 返事はしてくれましたが、なかなかスプーンを手に取ってくれません。


 じれったくなった僕は、スプーンを手に取りパン粥を少量すくってアリアの口元まで運びます。


「はい、アリア。口を開けてください」


「あの、スヴェイン様……」


「早くしてください、アリア」


「わかりました。あーん」


 僕は慎重にアリアの口にスプーンを咥えさせパン粥を食べてもらいます。


 少量だったためにそこまで熱くなかったのか、アリアはゆっくりと飲み込みました。


「……おいしい」


「それはよかったです。うちの料理人たちも喜ぶでしょう」


「あの、あとは自分で食べられますので……スプーンを」


「ああ、すみません。どうぞ、アリア」


 アリアの手にスプーンを握らせると、今度こそゆっくり冷ましながら食べ始めました。


 うん、よかったです。


 僕もバゲットサンドを食べなくちゃ。


「ごちそうさまでした」


「はい。量は足りましたか?」


「……少し多かったくらいです」


「それなら残してくれてもよかったのに」


「私のために作ってくださったものを残すなんてことをしたら……」


「大丈夫ですよ。それを咎める人はこの屋敷にいませんから」


「……申し訳ありません」


「いえいえ。リリス、お母様からなにか伝言は?」


「はい。ひとまず夜までは安静にするようにとのことです。スヴェイン様はアリア様のお側に付いてるようにとおっしゃっていました」


「わかりました。そういうわけです。アリア、ご飯も食べ終わりましたし少し寝ましょう。まだ顔色が悪いです」


「……はい。あの、寝るまでまた手を繋いでいてもらっても?」


「わかりました。……はい、これでいいですか?」


「ありがとうございます。それでは……」


「ええ、いい夢を」


 アリアは満腹になったおかげか5分もしない間に眠りにつきました。


 さて、アリアが眠っている間に懸念事項を説明しておきましょう。


「リリス、あなたはこの部屋を出る前にアリアになんと伝えていきましたか?」


「え、はい。スヴェイン様とアリア様のお食事をお持ちしますのでしばらくお待ちください、と」


「……その言葉ですが、アリアには届いていなかったみたいなのです」


「それはどういう意味でしょうか?」


「アリアが言うには『メイドの声はよく聞こえない』そうなのです。僕には理解できないのですが、お母様ならなにか心当たりがあるかも知れません。聞いてみてもらえますか?」


「はい。食器を下げたあとに尋ねて参ります」


「よろしくお願いします」


 僕の手を握りながら眠っているアリアは、とても穏やかな表情を浮かべています。


 願わくばよい夢を見ていることを。

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