360.『潮彩の歌声』にて

 ルビーとクリスタルに乗って街中をすいすい駆け抜けること数分。


 ボクはある異変に気が付いてしまいました。


「あれ?」


「どうしたのですか、エリナちゃん?」


「ここって『紅珊瑚のきらめき』って宿屋があったはずの場所なんだけど……更地になっている」


「廃業したんじゃないのですか?」


「結構人の入っている高級宿だったんだよ? そんな簡単に廃業するなんて考えられないんだけどな……」


「そんなことより、エリナちゃんのお家に案内してください! 宿屋だとお部屋が取れるかも心配なのです!」


「そうだね、まだ昼にもなっていないし大丈夫だと思うけど、急ごうか」


 ボクたちはあらためてヴィンドの街中を駆け出しました。


 ただそこですれ違う人の顔にも活気が、夢や希望が足りなくて、コンソールがいかに変わったのかを思い知らされます。


 そして、お爺ちゃんが経営する宿、『潮彩の歌声』に到着したのですが……。


「コンソールの馬車がいっぱいなのです……」


「本当に。馬車小屋からあふれているよ」


 馬はさすがに厩舎へと預けられているようですが、馬車は預かりきれなかったのか門の前にも綺麗に並べて止めてありました。


 そのほとんどには竜宝国家コンソールの旗が立てられていて……どういうことでしょう?


「おお、ニーベ様、エリナ様。来てくださいましたか」


「ええと、おじさんは……お会いしたことがありますか?」


「申し訳ありません。どこかでお目にかかっていたなら失礼なのですが……」


「いえいえ、とんでもない。私ども商業ギルドが一方的に知っているだけでございます」


「商業ギルドの方だったんですか」


「本当に申し訳ありません。不勉強で」


「なんのなんの。商業ギルドの会員は錬金術師ギルドの構成員などよりも遙かに多いですからな。……しかし、それにしてもこの宿は本当に素晴らしい」


「本当ですか?」


「ああ、そういえばエリナ様のご実家でしたな。本当ですとも。掃除の行き届いた館内、清潔に保たれた部屋、おいしい料理、麗しき歌姫、極め付きは素晴らしきご主人。どれをとっても超一流なのにこの宿の値段は不釣り合いに安い。それでいて心付けは一切受け取っていただけないのですから、商人としては心苦しい一面もありますな」


「お爺ちゃんの宿をそんなに評価していただきありがとうございます」


「始まりはネイジー商会だったのですが、噂がどんどんと広まり、今ではこの街を訪れる商業ギルド員すべてにとって憧れの的です。私も三カ月待ちでようやく順番が回ってきたほどですから」


「すごいのですよ! エリナちゃん!」


「うん。お爺ちゃんの宿がこんなに評価していただけているなんて」


「……まあ、その結果として『紅珊瑚のきらめき』でしたかな? あの宿は大打撃を受けて経営が立ちゆかずに昨年の冬廃業しましたが。その前に一度だけ泊まりましたが、この宿とは比べものにならないほど酷い宿でした」


「あはは……この街では最高級とされてきた宿だったんですが」


「最高級というのはお金だけ高ければいいというものではありません。質、つまり宿で言えばサービスもよくなければ。……おっと、長話が過ぎてしまいましたな。私はこれから出発の準備がありますのでこれで失礼いたします」


「はい。お爺ちゃんの宿を気に入っていただきまことに感謝いたします」


「ええ、こちらこそ素晴らしい一夜を過ごさせていただき感謝しております。……願わくば、もう一夜だけでも泊まりたかったのですが、私の仕事と予約客の兼ね合い上どうにもならなく」


「あはは……」


 お爺ちゃん、増築も考えた方がいいんじゃないかな?

 

 でも、そうなるとサービスが行き届かなくなるし……難しいのかも。


「エリナちゃん。私の泊まる部屋、ありますかね?」


「うーん。どうしてもダメだったら、本当にボクの部屋で一緒に寝よう?」


「はいです! それも楽しそうです!」


 ボクたちが話をしている間も、続々とチェックアウトして行くお客様があとを絶ちません。


 本当にボクがいない間にものすごい人気店になっていたんだね。


 お客様が出てこなくなったタイミングで宿に入ると、そこには相変わらずピシッとした姿のお爺ちゃんが。


 お爺ちゃんはこの二年間で老けてもいないし……むしろ元気そう。


「小さなお客様だ。申し訳ありませんが、当宿は予約でいっぱいの有様でして……」


「ボクだよ、お爺ちゃん」


「その声、エリナか!?」


 ボクもこの二年間で大分背が伸びました。


 スヴェイン先生やアリア先生、ニーベちゃんはあまり変わっていないので、本当に『カーバンクル』の大きい方です。


「どうしたのだエリナ! まさか、つらくて逃げ出したとか、破門になったわけではあるまいな!?」


「違うのです、エリナちゃんのお爺さん」


「おっと、失礼。エリナ、こちらのお嬢さんは?」


「ボクの……姉弟子と言ったら怒られちゃうから同門のニーベちゃんだよ。マオさんの妹様でコウさんの娘様。今は先生たちの内弟子にとってもらっているライバルかな」


「おお、おお! そこまで立派に成長したのか! 去年の夏の終わりにこっそり様子を見に行ったのだが、聖獣ユニコーン様に乗って遊びほうけている姿しか見ることができず心配していたのだぞ」


「あの頃は……」


「先生たちからって言われて渡された宿題をで終わらせてしまい、時間を持て余していたのです」


「……自習はしていなかったのか?」


「午前中はきっちりしていたよ? でも、午後になるとユニコーンのユニが……」


「『気を張り詰めすぎだから遊びに行きましょう』っていつも誘い出してくれていたのです」


「そうか、ならば安心した。それで、どこまで勉強は進んだのだ。コンソールでは『コンソールブランド』として最高品質のマジックポーションまでは平気で売られていると聞く。そこまでは進んでいるんだろうな?」


「ええと……高品質のミドルポーションまでなら失敗しなくなっちゃった」


「なに? もう一度言ってくれ」


「高品質のミドルポーションまでは確実に成功するよ。今は高品質ミドルマジックポーションを練習中。ニーベちゃんも一緒にね」


「はいです。あとは……『サンクチュアリ』とか『セイクリッドブレイズ』とかの魔法も教えてもらえました」


「たった二年でそこまでか……」


「うん。先生方にはよく『予定より二年は早く成長しています』と呆れられているけど……」


「代わりに予定よりもたくさんのことを教えていただけているのです! 内容は話せないのですが、先生方の秘伝も一部だけ教えてもらえるようになりました!」


「……あの魔力水すら作れなかった孫娘がこんなに立派になって帰ってくるとは」


「はいです! 今では私たち、コンソールでは『カーバンクル』って呼ばれるちょっとした有名人です」


「その名前に負けないように日々精進を重ねるのも大変なんだけどね」


「『カーバンクル』……その名前はヴィンドの街でもよく聞く。コンソール冒険者ギルドに一大改革を巻き起こした錬金術師。『コンソールブランド』が手に入るようになった今でさえ、コンソールの冒険者たちは『カーバンクル』のポーションを求めて毎日の努力を怠らないのだとか」


「ボクたちとしては、普通のポーションよりも値上げしてもらっていることが申し訳ないんだけどね」


「買い取りをしてくれている冒険者ギルドのサブマスターさんが断固として値下げに応じてくれないのです」


 本当にミストさんにはいい加減どうにかしてもらいたいな。


 服はおろか肌着までユイさんのものに置き換わってしまって、以外ではお金の使い道が本当に無くなっちゃったんだもの。


「それで、今回はゆっくりしていけるのか?」


「うん。先生たちには最低でも五泊はしてくるようにって」


「でも、お部屋がないのじゃ仕方がないのです」


「……実を言うと使っていない、いや、誰にも使わせていない部屋が一室空いているのだよ」


「え?」


「最初にスヴェイン殿たちをお通しした部屋だ。いつ泊まりに来てもあの部屋をお使いいただけるよう、常に清掃だけして部屋は空けてある。今のお前たちならあの部屋を使う資格は十分にあるだろう」


「先生たちの専用部屋ですか!?」


「お爺ちゃん! ボクは住居スペースの自室でいいから!」


「同門なのだろう。ふたりきりではないと話せないこともあるはず。すぐにでも使うことができる。まずはその部屋に行って少し休みなさい。お昼の時間になったら呼びに行ってあげよう。娘や孫たちも喜ぶ」


「……エリナちゃん。お言葉に甘えるしかないのです」


「先生たちの専用部屋って言うのは気がひけるけど……」


「気にするな。さあ、こっちだ。ふたりとも、ついておいで」


 なんだか、考えていた以上に大事になっちゃった。


 どうしよう……。


 帰ってからこのことは報告しなくちゃいけないし、先生方に怒られないかな……?

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