386.ユイの指導日誌八ページ目:糸は紡がれ始める

「……また、べっどのうえ? さっきのもゆめ」


「夢であってほしかったですか? サリナさん?」


 サリナさんが倒れたから二時間後、ようやく彼女が目を覚ました。


 スヴェイン特製の栄養剤とそれを活性化させるエリクシール、それを両方使って二時間も眠るとかどれだけ……。


「……夢じゃなかったんですね、ユイ師匠」


「もう一度聞きます。夢であってほしかったですか?」


「いえ、現実であってほしいです」


「よろしい。星霊の石板を見せなさい」


「はい。……どうぞ」


 彼女の星霊の石板、そこには確かに【魔力操作】のスキルが刻まれていた。


 まだたったレベル2、それでもレベル2。


「【魔力操作】レベル2。確かに確認しました。【魔力操作】自体を覚えたのはいつですか?」


「一昨日の夜遅くに。そのあと必死で努力してもレベル2にしか上がりませんでした」


「結構。【魔力操作】をのはいつですか?」


「三日前の昼です。それまでは現実を受け入れられずに呆然としているだけでした」


「わかりました。あなたの、認めましょう」


「え?」


「三度はいいません。あなたのを認めます。シュミットであっても補助者や補助具なしの場合、二日で【魔力操作】を覚えることは困難。それまで無為に過ごしていたことは解せませんが……そこは頑張りに免じて目をつむります、今回だけは。次は容赦しません」


「ほんとう? ほんとうにわたし、がんばったの?」


「はい。頑張ったと認めてあげます。今回は」


「……嬉しい。頑張ったって認められるってこう言うことなんだ。そっか、私、今まで本当に頑張ってなかったんだ」


 彼女は大粒の涙をこぼして嗚咽をあげます。


 私も最初に褒められたときは……ここまでじゃなかった、うん。


「自覚できましたか?」


「はい。今まで散々生意気な口と態度をとってきて申し訳ありません、ユイ師匠」


「自制しなさい。次からはもっと容赦しません」


「はい。本当に申し訳ありませんでした」


「よろしい。あなたに修行をつけ始めるとしましょう」


「え?」


「少なくとも入り口に立った、そこまでは認めました。弟子入りは認めません。そこまで認めてほしいのなら、もっとあがきなさい。這いつくばりなさい。もがき苦しみなさい。あなたは私よりも年上。無為に過ごしてきた時間を取り戻すにはそれしか道はありません」


「……道は示していただけますか?」


「背中を見せるだけなら。まずは……この布を持ってみなさい」


 私はマジックバッグからの端切れを取り出し渡します。


「これは……触る前から灰に!?」


「マジカルリネンという魔法布……の一番簡単なものです。あなたはそれにすら触れない。あなたが触ることが許されているのは、ただの布きれです」


「はい。理解しました」


「……本当に理解できているようで大変よろしい。あなたがまず最初に鍛えなければいけないのは【魔力操作】。これをマスターすれば自然と魔力視や魔力の受け流し、魔導具の発動などもできるようになります。逆をいえばこれができない限り修行を始めることすらできない」


「はい。わかりました。精進します」


「魔法布を触るには魔力の受け流しはです。触る前から崩れたのは不自然な魔力を流したため、魔力干渉が発生し内部から腐り落ちたのです」


「……魔法布の存在自体を今日初めて知りました」


「おそらく旧国では……ええと……名称は知りませんが国が認めた最上位服飾師が、マジカルリネンでハンカチーフを作れたかどうかでしょう。そもそも旧国で魔法布の生産そのものがあったかどうかが怪しいのですが」


「つまり一介の服飾ギルドではギルドマスターでも知らない、と」


「はい。今日この時点であなたはヴィンドの服飾ギルドマスター以上の知識を授かったことになります。ここまではいいですか?」


「ありがとうございます。こんな未熟者……いえ、それにすらなれていない人間に知識を授けていただいて」


「それがわかっているようで安心しました。次にこの本を読んでみなさい」


 私が取り出したのはセティ様の記した服飾学の入門編。


 原本は私がスヴェインに頼んで書斎の魔法錠の中に厳重保管してある。


 なのでこれは何十冊と作ってもらった写本の一冊。


「これは……すみません。服飾の本だとはわかります。わかるのですが……」


「それはシュミットにいる賢者が記した服飾学の本。その一冊で入門編です。あなたの頭がそれの理解をということは……」


「私の中にはまだが残っているんですね?」


「わかっているならよろしい。ちなみに、エリナちゃんは弟子入り当初から錬金術の入門編をスヴェインの解説なしで読み込んで理解していたそうですよ?」


「エリナが……」


「はい。つまりあなたはエリナちゃんより遙かに劣る。自覚していただけましたか?」


「痛いほどに。優秀な妹を持てて誇らしいと同時に不出来な姉であることが恥ずかしいです」


「スヴェインにいわせればエリナちゃんもニーベちゃんも特別優秀だったわけではないそうです。単純に旧国よりも優れた環境と指導者、それに本人たちの努力。それが結実した結果だと」


「優れた環境と指導者、それに努力」


「いいたいことはわかりますよね?」


「私に足りないもの、努力だけなんですね……」


「正解です。ようやくたどり着いてくれました」


 ようやく、たどり着かせることができた。


 なんて指導って難しいんだろう。


 そして、指導が報われた時って嬉しいのかな?


「師匠。今からでも遅くありませんか?」


「遅れた時間は取り戻せません。覚悟はありますか?」


「はい。、今はまだ足りません。でも、いつか必ず」


「それだけの決心があれば今日はいいでしょう。さて、の指導方針を説明します」


「え? 明日から!? 今日は!?」


「説明をまず聞きなさい。まずは明日以降、魔力操作をマスターするための特訓を始めます。目安は二週間。魔力操作は出だしがきついのですが、ある程度上がればサクサク上がります」


「はい」


「それと並行しての解説も行います。今のあなたではそれにすらついてくることができないでしょう。ですが、必死で食らいついてきなさい」


「わかりました」


「それに伴い初期の裁縫指導も行います。本当に最初期から鍛え直しです。今まで身につけてきた技術をすべて忘れるまで一歩たりとも先へは進ませませんので御覚悟を」


「覚悟します」


「昼間の指導はそれですべてです。朝夕は自習時間とします。なにをしても結構。私の時間が空いていれば私が指導もしてあげます。魔力操作は……本当はスヴェインやアリア様、リリス先生の方が上手に指導できるのですが、あなたはあまりにも醜態をさらし続けました。スヴェインははっきりと言っていませんがお情けで家に残しているようなもの。直接指導を請うことは絶対に許しません」


「はい。お許しをいただけるのであれば私からも謝らせていただきたいです」


「スヴェインたちが帰ってきたら聞いてみます。最後に指導が明日からの理由。あなたの体はボロボロです。今日一日は絶対安静。聖獣の見張りもついているので魔力操作の練習もしないこと、いいですね?」


「……私、そこまで酷いんでしょうか?」


「酷いです。スヴェイン特製の栄養剤を飲ませ、更に霊薬エリクシールも使ったのに目を覚ますまで二時間かかるほどでした。普通なら衰弱死一直線です」


「すみません。無知を晒すようで申し訳ないのですが、霊薬エリクシールとはなんでしょう?」


「あなたの姉……イナさん、でしたか。彼女を治すのに霊薬が使われたのはご存じですよね?」


「はい。詳しくはわかりませんが『マーメイドの歌声』という霊薬をスヴェイン様に作っていただいたことだけは知っています」


「エリクシールは種類こそ違いますが同様に霊薬として分類されるもの。効果はありとあらゆる回復作用の極大化。回復薬と同時に飲めばその回復薬の効果が極限まで高まります。これでも理解できないのでしたら本当に蹴り出します」


「……理解してしまいました」


「結構です。ちなみにエリクシールはお金で買えるような代物ではありません。素材に世界樹素材が必要と聞いています。作れる錬金術師もシュミットの賢者かスヴェインしか知りません。私たちには常備薬程度の気軽さで渡されているとはいえ大変な貴重品。それをスヴェインはあなたの治療に迷わず使うよう指示しました。それを後悔させない程度の輝きは見せてください」


「……本当にそんな貴重なものを?」


「蹴り出されたいですか?」


「いえ!」


「状況が理解できたのでした今日は一日休みなさい。明日からは厳しく指導します」


「わかりました。これまでのような浮ついた気持ちでは臨みません。ご指導よろしくお願いします」


「はい。……では、ゆっくり眠りなさい。せめて今日はよい夢を」


 私との会話が終わりベッドに寝転ぶと、すぐに規則的な寝息が聞こえ始めた。


 話を聞くだけでも頑張ってたのかな?


「それじゃあ聖獣様方、あとはよろしくお願いいたします」


 姿は見えない、でも優しい視線を向けている聖獣様たちに言葉をかけて部屋を出る。


 ……緊張した。


「よくできました、ユイ」


「リリス先生!? 驚かせないでください!」


 本当に驚いた!


 いつから部屋の前に!?


「あなたが部屋の中でずっと心配そうに様子を見ている間、私もずっとここで待っていました。指導者として誇りなさい」


「はい。私もまだまだ甘いです」


「あなたも成人したとはいえ十五歳。弟子を持つには若すぎるのです。魔力操作の訓練だけでも私が見ますか?」


「いえ、そのような、できません」


「……あなた、スヴェイン様の頑固さも移ってきていますよ?」


「スヴェインに似てきたのなら嬉しいなあ」


「……悪い側面は似なくてもいいのです」


「そこもまた愛おしいんです」


「まったく。それで、今日この後の予定は?」


「本屋と図書館で一般的な入門書を数冊買ってきます。あと、


「今から背中を見せて、また心が折れませんか?」


「大丈夫だと判断しました。その覚悟を彼女の瞳に見て取れます」


「よろしいでしょう。昼食は簡単なものをすぐに用意します。それを食べてから買い物に行きなさい」


「わかりました。弟子を育てるって大変だなあ」


「スヴェイン様は別の意味で苦労なさっていますが」


「あそこまで努力を積み重ねられる弟子たち、本当にうらやましいです」


 サリナさんにもああなってほしいなあ。


 ああ、いや、師匠に心配させるほど修行に打ち込まれても困るけど。

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