330.『努力の鬼』のその後

 危険物となった娘さん、ユイさん。


 彼女の処遇が決まって一週間が過ぎました。


 その日、朝からアリアともどもシャルによってシュミット大使館へと呼び出された訳なんですが……どうしますかね。


 用件がひとつしか思い浮かびません。


「お兄様、アリアお姉様。昨日、ユイから服が送られてきました。ホーリーアラクネシルク製の普段着と寝間着、下着一式などなど普段使いするものあわせて十日分。そのうち一着は今着ています」


「奇遇ですね。僕も着ています」


「私もです」


 僕たちの間に気まずい沈黙が流れます。


 出されたお茶が冷める頃、ようやくシャルが沈黙を破りました。


「ユイ、寝ていますか?」


「しっかり寝ています」


「リリスが管理していますので間違いありませんわ」


「どうやったら、あの数の服を?」


「ちなみに、作った服はこれだけではありません」


「私たちの弟子たちにも十日分ずつ。リリスにも十日分。ミライ様にも十日分です」


「……一体どうやって?」


「ミシン……正確には足踏みミシンと言う道具を使ってです」


「あしぶみみしん?」


「詳しい原理は省きます。短時間で正確かつ均一に縫い物ができる装置だと考えてください」


「私とスヴェイン様が古代遺跡から復活させた道具のひとつです。本来は魔導具となっているものもあるそうなのですが……」


「作りが複雑すぎて匙を投げました。設計図の一部しか復元できていません」


「……それ、セティ様でできます?」


「どうでしょうか?」


「最近のセティ様は人を育成するのがご趣味では?」


「そうでした……それに『設計図の一部』ですよね」


「はい。残りは解読すらできていません」


 本当に遺失文明は進んでいました。


 あんな複雑なもの、どうやって量産していたのか。


「その足踏みミシンの設計図、売っていただく事はできますか?」


「写本でよければ差し上げます。エレオノーラさんとユイさんのお詫びです」


「お兄様。律儀です」


「……正直に言います。僕たちも二度とミシンは作りたくありません」


「合間合間の時間でやっていたとはいえ、私とスヴェイン様が力を合わせて十カ月かかって一台です。スヴェイン様が非常に厳重なエンチャントを施したのでカイザーでも破壊できませんが、二度と作りたくありませんわ」


「どうしてそんな危険物がユイの元へ?」


「ユイさん、あまりにも大量のデザイン案を持ってうろついていたんですよ……」


「あれも作りたいこれも作りたい、でも自分じゃなければ布を裁つことすらできない、時間がない時間がない。と」


「仕方がないので死蔵していたミシンを渡しました。すると……」


「まさしく水を得た魚のごとく裁縫を始めました。初日は寝ないで続けていたため、二日目以降はリリスに見張らせて睡眠時間を確保しないとミシンを奪うと脅していますわ」


 本当、なぜを渡してしまったのか……。


 判断の誤りです。


「今、ユイはなにを?」


「あなたの謁見用ドレスをデザインしています。なにか別の仕事で止めなければ十日以内には大量のドレスが届くでしょう。ホーリーアラクネシルク製の」


「……代金、どうすれば?」


「本人が満足しているのでいいのではないでしょうか?」


「ですわね。シャルは存分に着て歩けばいいと」


「私が気にします!」


「……素材費用、ただなんですよ」


「聖獣が量産しているのですわ。ユイさんひとりでは消費が追いつかない勢いで」


「自分の素材が使われているのが嬉しいんでしょうね。シルヴァン・アラクネがはりきりすぎています」


「……どうか、気にしないで受け取ってください。私たちも困っているんです」


「……せめてドレスの生産を少しだけでも止める方法は?」


「なにか別の仕事を与えてください。ホーリーアラクネシルク製のドレスデザインにはまだ時間がかかっていますので」


「心苦しいのですが、ノーラの服を発注していただけますか?」


「わかりました。今日の仕事帰りにエレオノーラさんをユイさんに会わせます」


「代金は私が支払ったことにしておいてください。親友からのプレゼントということで」


「ええ。ほかに要望は?」


「できれば目立たないデザインと偽装を。ノーラが普段着や仕事着として使えるように」


「はい。エンチャントによる防護も必要ですよね?」


「……やっぱりエンチャント済みなんですか、これ?」


「シャルの【神眼】でも鑑定できませんか……」


「鑑定不能でした。妨害系のエンチャントは?」


「かけていないと考えています。その上で、僕の渡したエンチャント全集で付与しているはずです」


「お兄様。危険物に危険物を与えないでください」


「……圧がすごいんですよ。ユイさん」


「私やリリスが押される程です」


「ミライさんが本気で泣いてしまったのでやむなく渡しました」


 あれは酷かった……。


 リビングに古代竜エンシェントドラゴンが現れたかと錯覚する程度に。


「この際です。ノーラの普段着と仕事着、寝間着と下着一式を作らせてください。ユイの望むままに」


「親友を生け贄に捧げますか……」


「……あとからお詫びはします」


「ちなみにこの服。スヴェイン様の持っているローブに多少劣る程度の頑丈さらしいですよ? カイザーに言わせると」


「は?」


「私や弟子たちなどが使っているカイザーの皮膜製ローブより頑丈ということです。カイザーですら恐ろしいと」


「おそらくかけられてているであろうエンチャントを考慮すると、底の見えない谷底に落ちても怪我ひとつしません。上に登る手段を探る方が問題です」


「……くれぐれも身内以外には出さないよう厳命を」


「それも既に言い含めてあります」


「抜かりはありませんわ」


「……たかが服、されど服、ですか」


「はい、その通りです」


「服ひとつでここまで振り回されるなんて……」


 まさか、まさかです。


 一月前にはこんな事態になるなんて思いしなかったですよ、本当に。


「ちなみに、服を渡された方々の感想は?」


「リリスは『メイド服を怖いと感じたことは初めて』だそうですわ」


「弟子たちはオシャレに興味も関心もありませんでした。それがいきなり機能性もかわいらしさも優れた服に代わり戸惑っています。街やギルド内を歩くと視線を集めて逃げ出したり、僕がうっかり褒めたら恥ずかしがってその日は逃げ出されましたね」


「ミライ様は『服に着られているのはわかるけど肌触りがよすぎてやめられない』と」


「毒物ですか?」


「聞き返しますが、シャル。あなた普通の服に戻る自信はありますか?」


「……ありません」


「というわけで弟子たちも恥ずかしがりつつ着続けています。諦めましょう」


「……わかりました。覚悟を決めます」


「それがいいですわ」


「ええ。無駄な努力はやめましょう」


「それにしてもですか、お兄様」


「僕は『努力の鬼才』などと呼ばれているそうですが、彼女は別格です。まさに『』ですね」


「本人、かわいらしい茶目っ気たっぷりの妹分なんですけどね?」


 本当に彼女こそ『努力の鬼』の名がふさわしい。


 アリアではないですが、本人はかわいらしく茶目っ気たっぷりで、アリアたちが気がつかない場所でいまだに僕を誘惑してくる娘さんです。


 まったくもって、かないません。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る