生死急転 その7

「不可解だな……。お前如きが、この私の攻撃に、一度ならず……だと? そして、その武器……」


 ラウアイクスは目敏く、アキラが持つ武器の特性に気付いたようだ。

 斬り付けられた手刀部分をつぶさに見つめた後、蔑むような視線を向けた。


「なるほど、魔力の吸収か……。そして、刻印。吸収した魔力を刻印が利用し、制限以上の回数を使用可能としている……という事らしいな。取るに足らん攻撃だと受けてやったのが、そもそも失敗だったか」

「く……っ!」


 神の身として持つ優位性は、肉体的にも、精神的にも上である。

 侮って当然だから、アヴェリンに向けた程の攻撃をアキラにはしなかったし、そしてアキラからの攻撃も、虫を払う様な気楽さで受けてやっていた。


 そして、吸収した魔力あればこそ、あそこまでの粘り強さを見せたと看破した。

 アキラの粘りは、その刀が届く限り、という条件付きだ。

 元より中距離、遠距離を得意とする戦い方をするラウアイクスだから、それを不意打ち以外で掻い潜るのは難関なのだ。


 特に警戒を顕にした相手となると、アキラの実力では難しい。

 接近しようと思えば、何としても、味方の援護が必要だった。


 アヴェリンも努力しているが、未だ肩口を縫い付けられていて、脱出できていない。

 回転し、肉を抉りながら縫い留める水槍は、力業で抜けられるほど簡単な代物ではなかった。


 そして、ルチアの容態もまた心配だ。

 先程からピクリとも動かないのは、氷結魔術を恐れるからこそ、過剰な攻撃で一番に沈黙させたからだろう。


 ――ルチアに治癒を、アキラに援護を……ッ!

 頭ではそう思うのに、身体が言う事を聞いてくれない。


 痛みはまだ我慢できる。

 しかし、乱れ暴れる制御の方は、我慢したところで落ち着くものではなかった。


 それは例えば、ハンドルが無闇やたらと暴れる自動車を、真っ直ぐ走らせる事と似ている。

 何とか立て直そうとしたところで、ハンドルは暴れて黙っていてくれない。

 アクセルは固定された上で止まってくれない様なものだし、ブレーキまでも利かない。


 到底、制御できる状態でなかった。

 今のミレイユに出来る事と言えば、時間の経過で勝手に治まるのを辛抱強く待つだけだ。

 だが、この状況で待っているだけなど有り得なかった。


「ぐ、ぐ、ぐぅぅぅぅッ……!」


 ミレイユは痛みを堪えつつ、立ち上がろうとする。

 身動き一つする度に、全身から激痛が跳ね返ってくるかのようだが、意志の力で捻じ伏せる。


 横たえていた身体を持ち上げ、ようやく膝立ちになった時、痛みは激しさを増し意識は朦朧とした。

 だが、制御に関しては、少し融通が利くようになった気がする。


 霞む目でアキラを見ると、今まさに水弾を雨あられとぶつけられ、前進も出来ず、その場に縫い付けられている状況だった。

 強行突破しようとして、無駄に『年輪』を擦り減らし、無理だと判断して横へと逃げる。


 だが、この部屋の中にあって逃げ場など殆どない。

 最終的には四方全てを囲まれ、刻印全てを使い切ったようだ。


 絶望に歪もうとする顔を、克己心でねじ伏せ、そして、自滅覚悟で突撃しようとする。

 が、結局――水弾を全身に打ち込まれ、身体中を穴だらけにして崩れ落ちてしまった。


「申しわ……、ありま、せ……。ミレイ……さ……!」

「アキラ……! くそ……ッ!」


 手の中で始めていた制御が、これで無駄になった。

 まるで魔術を覚えたての魔術士の様に、遅々とした制御はアキラの助けに間に合わず――。

 そして、その努力に報いてやる事も出来ず、ミレイユは荒い息を吐きながら、憎々しい敵を睨み付けた。


 既に互いを阻む者もなくなり、床には倒れ伏した者しかいない。

 意識があるのはアヴェリンだけだが、肩口の水槍が抜けず、拘束から抜け出せずにいた。

 歯を食いしばって抜け出そうと藻掻いているが、歯の隙間から苦悶が漏れるだけだった。


 ラウアイクスは余裕を取り戻し、それらに鼻で笑って、改めてミレイユへと向き直る。

 どうやら脅威にならないと判断し、ミレイユを優先する事にしたらしい。


 一歩、また一歩と近付くラウアイクスを睨み付け、ミレイユは歯を食いしばって制御を始める。

 だが、その手が届くまでの距離は、僅かしかない。


 そして、ミレイユの制御は遅々として進まず、歯痒さと焦りで上手くいかなかった。

 それでも、あと僅か、というところまで来た瞬間に、ラウアイクスは指を一本向けて言って来た。


「実に、反抗的な目だな」


 その発言が言い終わるより前、紙のように薄い水がミレイユの横を通り過ぎる。

 薄いだけでなく、瞬きするより速く通過した水は、ミレイユの横というより、耳元近くを通過していった。

 耳の一つでも切り落とされたか、と思ったが、それらしい感触もない。


 まるで糸が一本、肩口に触れた程度の感触しかなく、攻撃されたという実感すらなかった。

 だが、その一瞬あと、何かが落ちる音と共に、床の水を叩く音がした。


 何だ、と思って視線を向けると、そこに見慣れたモノがあって戸惑う。

 ――それは左腕だった。

 女性らしい肉付きであると同時、筋肉もしっかり付いた腕で、運動をしっかりしている者の腕に見えた。


 鈍色をしたガントレットに、藍色をした魔術士的な姫袖も付いている。

 実に見慣れた、自分の腕としか思えないものが、そこに落ちていた。

 落ちている物が自分の腕で間違いない、と自覚した途端、痛みが傷口から湧き上がってくる。


「あ、あ、あがぁァァァ……!」


 冷たいようで燃えているようでもあり、只でさえ脂汗を浮かべていた額から、冷や汗も遅れてやって来た。

 痛みは頭痛を伴い襲ってきて、只でさえ危うかった目の焦点が失われ、視界は白一色に染まってしまう。

 口を半開きにし、激痛で身悶えすら出来ず、見えない視界の中で痛みに耐える。


「『鍵』を使うだけなら、四肢は余分だ。お前は道具として生きていれば良い」

「糞食らえ……だッ!」

「まだ口から声を出す余裕があるのか。……激痛で話すどころじゃないだろうに、そこまで強がれるのは大したものだ。いや、これは本当にそう思う。神の肉体は、脆弱な素体とは違う。少しばかりの事では痛みなど感じないものでな、私も久しく……痛みというものを忘れてしまった」


 勝利の確信があるからか、ラウアイクスは饒舌だった。

 ミレイユは傷口を手で抑えようとしたが、これだけ切断面が広いと、直接触るのも憚られる。

 止血しようと思えば、脇の下を圧迫するのが良いと分かっていても、それでは右腕が塞がり攻撃する手段を失う。


 倒れた仲間を助ける為にも、ミレイユが踏ん張らねばならない状況だった。

 ミレイユは再び搔き乱され、制御を失った魔術を再行使する。

 痛いなどと、泣きごとを言っていられない。自らが奮起しなければならない状況だった。


「……他の奴らも不甲斐ない。長く戦闘から離れていたツケだろうが……。神は強いという当然の思い込みが、ここまで覆される原因となったか」

「ハッ……、強いか。強くある意味を、……ッ! 履き違えたせいだろう……ッ」

「ふむ……?」


 少しでも制御の時間を稼げれば、と思っての事だった。

 乗ってこなければそれで終わり、そう思っての発言だったが、ラウアイクスは興味深げに眉を上げる。

 攻撃して来ないところからして、それで催促しているつもりらしい。


「強くなれば痛みを感じない……、鈍感になったのが問題だ。自分の痛みに鈍感なら、他人の痛みにも鈍感になる……ッ。力を振るう事に躊躇いがなくなる、お前達が傲慢な理由だ……ッ! は……くそっ、はぁ……っ!」

「それの何が悪いね? 強さとは力だ。いつだって、力あるものが世界を動かし、そして世界を作ってきた。神ならば、文字通りの意味で世界を動かして当然。痛みを一々感じていたら、何事も成せまい」

「その果てにあるのが、この世界だ……! 痛みを感じぬ傲慢が、この結果を招いた……ッ」


 口を動かしながら、魔力を練り込み、制御を動かす。

 痛みで目尻から涙が溢れ、汗と共に流れていった。

 本当なら崩れて倒れてしまいたかったが、自分自身と仲間の為に、決して諦める事だけはしたくない。

 ミレイユはそれを強く強く、痛む胸の奥でそう思った。


「私が痛みを感じる、弱い存在で良かった……。弱さを知れるから、私は……ッ。仲間を頼りにする、協力する……! 仲間に対して心を預ける……! ハァッ、ハァッ……!」

「勘違いするな。お前は強いと錯覚する、弱い存在として造られただけだ。お前が成した何事も、与えられたものの上で成り立っている。お前自身の力など、そこには何一つ寄与していない。与えられたもので粋がるなよ、滑稽だぞ」

「それはっ、……お前らも、同じだろうが……ッ! ――ぐホッ!?」


 喉奥から絞り出す様に言うのと同時、ミレイユの腹部に水刃が貫いた。

 針金よりは太い厚みの刃が、背中へ向かって突き出している。

 数秒の静止の後、それが抜け出て身体が傾いた。


「少しその痛みというものを、味わっておくか? 従順になるかもしれないし……、弱さに屈するところも見られるやもしれん」

「ぐふっ、グホ……ッ!」


 更に二度、三度と腹部に痛みが生じた。

 肩の痛みと違って、焼け付く痛みと、悪寒の走るような痛みが襲う。


 既にこの場は、ラウアイクスを楽しませる拷問場と化していた。

 助けに動ける仲間はなく、ミレイユ自身も、攻撃はおろか防御も出来ない有り様だ。


 ――しかし、それでも。

 ミレイユは未だ、諦めていない。

 切断された肩が焼け付くように痛くても、腹部を貫かれる度、吐き気を催す痛みが走っても、ラウアイクスを前にして戦意が衰える事だけは決してしない。


 ――抗え、と心の内から声がする。

 ――抗え、大神を挫け……!

 胸の奥から湧き出る情動が、そう叫び続ける。


 その声が聞こえる限り、ミレイユは決して諦めたりしない。

 弱いままで構わない。その痛みよわさを大事にしたい。

 何よりそれが、ミレイユの奥底から湧き起こる本心だった。


 ミレイユは右手を握り込み、遅々として進んでいなかった制御を、ようやく完成せる。

 その手の中に、燐光と共に『爆炎』が封入された、一振りの剣が召喚された。


「怯む……ッ、と、思うのか! この程度でェェェエ!!!」


 口から血を吐き出しながら、渾身の力で膝を伸ばした。

 その動きは、普段の俊敏さからは考えられない遅さだ。


 それでもミレイユは、諦める事なく剣を振るう。

 だが、一歩踏み出したところで膝が笑い、動きが止まった所を、水刃で膝の腱を切られ転倒する。


「ぐぁ……ッ!?」


 片腕だけで立ち上がるのは不可能に等しく、握った剣も邪魔となって、更にそれを難しくさせている。

 それでも、ミレイユは戦意を満たしたまま立ち上がろうとした。

 だが、近寄って来たラウアイクスに顎を蹴り飛ばされて、背中から地面に倒れを強かに打った。


「――ごホッ!」


 それでも剣は手放さい。

 再びラウアイクスから剣の届く範囲に入ったなら、一太刀食らわせてやれるチャンスがあると思うからだ。


 ミレイユは朦朧として来た視界の中で、剣を振ろうと持ち上げた。

 だが、それも背後から襲ってきた水刃が手の甲を弾いて、剣はラウアイクスの背後へと滑っていってしまった。


 遠くまでは行かなかった。本来ならば、歩いて五歩の距離――。

 しかしミレイユには、あまりに遠い距離だった。


 ラウアイクスは、どこまでも諦めないミレイユに感嘆めいた息を吐いたが、それだけだ。

 面白い芸事を見せられた、という感慨が浮かんでいるだけで、脅威とも思っていなかったのが窺える。


「……まぁ、中々楽しめたか。これ以上やると殺してしまうからな。それでは意味もない。お前には役立って貰う必要があるしな」

「……もぅ、勝った気でいる、のか……馬鹿め……」


 ミレイユは焦点の合わない目で、ラウアイクスの背後を見つめながら、呟く様に罵倒する。

 未だ制御は途切れていない。召喚剣は健在なのだ。

 斬り付ける事さえ出来れば、勝利は逆転する。


「その負けん気ばかりは、素直に負けを認めてやっても良いか。……この場での四肢切断は、本当に死にかねんな。回復してやらねばならんが……、その前に拘束か。オスボリックが居てくれたら楽に済むのだが……」

「お前は……、先のこと……、自分のことしか考えてない……」


 ラウアイクスは、だからどうした、という目を向けてきたものの、最早会話をするつもりはないようだ。

 既に勝利を得、次をどうするかに思考を移している。


 だがミレイユは、ラウアイクスの背後へと、変わらず視線を向けていた。

 そこにいる誰かが、落ちた召喚剣を音もなく拾ったからだった。


「おまえは、うしろを……かえりみない。――だから、負けるんだ……ッ!」

「なに……?」


 最後に放った、ミレイユの力強い言葉に、流石のラウアイクスも気を引かれた。

 単なる戯言と聴き逃がさなかったところに、ミレイユへの警戒心の強さを感じさせる。

 ならば、ミレイユの誘導は功を奏した。


「……ごプッ!」


 ラウアイクスが顎先を下げてミレイユを見つめた時、その腹から一本の刃が突き出す。

 半透明の刃が血で濡れて、歪なグラデーションを作っていた。

 ラウアイクスはそれを信じ難いものを見るように目を見開き、そして身体を震わせながら、背後を窺おうと身を捻る。

 しかし、それが誰なのかを確認する前に、怨嗟に満ちた声が地を這うように響いて来た。


「サプラァ〜イズ……ッ!」

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