待望 その5

「貴女と戦うというのは、それだけのリスクという事です。昇神すれば、やはり素体の時より遥かに強力な存在と成りますし、権能すら得る。それが何かまでは分かりませんが……、神殺しをするに適した権能という予測は捨てきれませんでした。……そしてユミルという、ゲルミルの切り札すら持っている」

「半殺しか、あるいは完全無力化。それをされた上での眷属化をされた日には、勢力バランスがひっくり返る。その事には納得出来るが……、ならば何故、一度は逃したんだ」

「それこそが始まりのミレイユ、貴女に対して誤解していた部分なのです」


 言わんとする意味が分からず、ミレイユは首を傾げる。

 だが、始まりの、と言うからには……。


「あの時、初めて『遺物』に向き合った時、私が帰還を望む事を考えていなかったと? 見通しが甘すぎないか。本当に思いもよらぬ選択だったと言うのか?」

「そうです。力を得るとはそういう事でしょう? 全能感というのは麻薬に近い。一つ得たから十分とはならない。それが十にも百にも膨れ上がり、また欲するようになる」


 言いたい事は、確かに理解できた。

 ミレイユも一つの魔術を得る度、そして戦闘技術を高める度、更なる力を求めたものだ。強くなる事、新術を得られる事は快感だった。本来は長い時間を掛けて体得するもの、簡単に出来る事ではない、と知った時の優越感は抑えがたいものだった。


 そして、その様な力さえ、神の前では見劣りする。

 もっと力を、もっと優越感を、その様に考えた時、神へと至る手段があって捨てられるものではないのだろう。


 だがミレイユは、力への渇望より、現世の平穏無事で、自堕落な生活こそを求めた。

 その思考は異端に違いなく、だからこそ読み違えたとも言える。

 ルヴァイルはいま麻薬に例えたが、確かに麻薬を覚えた人間が、それを意思の力だけで耐え切る事は難しい。


 しかし、ミレイユの場合、己の命と平穏の方が余程魅力的に映った。

 デイアートでの暮らしは、決して忌避するほど嫌いなものではなかったが、常に危険と隣り合わせの生活でもあった。危険があるから力を振るったとも言え、力を保つ事が危険を呼び寄せるのだとも思った。


 ミレイユにとって、力を振るう事は至上ではない。

 火の粉を払うではなく、常に火の粉が降り注いで来る環境は、ミレイユにとって魅力的な環境として映らなかったのだ。


「あの時点まで、神々は昇神を選ぶと確信に近いものを持っていましたし、そうであるべきという考えだったのです」

「傲慢だな。油断ですらない」

「抗いがたい欲求であると、その時いた神々の総意だったのです。神々もその味を知っている訳ですから、他の選択をするとは思ってもいません」

「神々も……?」


 その発言では、まるで大神すら一度は素体と同じ道を辿った様に聞こえる。

 それとも、力の渇望やより強い力を求める事を言っているのだろうか。信仰を求め、願力を求めるのもその一環、という気がするが、どうにも違和感を覚えた。

 ミレイユの葛藤を他所に、ルヴァイルは澄ました顔のまま続ける。

 

「ですから、もう一度選択を突きつければ、今度こそ正しい選択をするだろうと思っていたようです。しかし、現世から奪い返した時には、神々への叛意を滾らせていました」

「そうなるのは当然……いや、待て。……そうか」


 ループをするからには、開始地点がある。

 ミレイユが帰還したその最初のタイミングでは、過去からやって来るミレイユと対面できない。その最初の一回目、ミレイユが初めて神々の思惑から連れ戻された時、一体何を思っただろう。


 ――自分のことだ。それとなく理解できる。

 二度と同じ事が出来ないよう、神々を攻め落としてから帰還しようとする。だが結局、現世の過去に飛んだからには、失敗に終わった事も理解できた。


「今となっては最初の失敗を覚えている神はおりません。正確に言うならば、私以外は覚えていない、と言い換えるべきですが。そしてミレイユ、貴女はその際、神々の三分の一を弑し奉ったのです」

「ほぅ……!」


 感嘆の溜め息はインギェムとアヴェリン、その両方から上がった。

 自然と二人の目が会い、アヴェリンは自慢気に胸を張って、挑発的に視線を返す。ミレイユが神殺しを決意したなら、それぐらいは出来て当然、と誇示するかのようだった。


 インギェムは楽しげに笑みを深くするだけで、特に何も言わない。

 ただ、興味深げにアヴェリンとミレイユの間に瞳を動かしていた。


「冷静、冷徹、研ぎ澄まされた思考……。何よりも目的を遂行しようとする果断な決意と戦闘力は、いずれもが高水準であり、神々であっても止めるのは容易ではなかった」

「本来、神々より劣って当然の素体だからな。それに……、抵抗できないよう精神調整されていた筈……そうだろう?」


 ルヴァイルはおっとりと頷いたが、インギェムはこれに、呆れとも賞賛ともつかない表情を浮かべた。


「そんな事まで知ってるのか。何で分かった? 疑おうとすれば、意識が逸れるようにもなっていた筈だろ?」

「オミカゲ……、いや前周のミレイユが調整されていると教えてくれた。そのミレイユがどの様に知ったかまでは分からないが、その調整をブチ抜く眷属化を自らに行ったくらいだ。それで勝手に推察したんじゃないのか」


 まさしく、とルヴァイルが頷き、そして伏し目がちに続けた。


「その抵抗できない筈、という先入観が神々の多くを死に追いやった。本来は協調しない神々も、これには重い腰を上げざるを得ませんでした。本来、神人計画に無関係だった神々も、自らの危機と知れば、これに参画しない訳にはいかない」

「そうだな、それはそうなるだろう……」


 対岸の火事は見て見ぬ振りが出来ても、その火が自らを焼こうとするなら話は別だ。

 自らの命が危ういと感じて、それでも身動きしない者などいない。それが神という自尊心の塊みたいな存在ならば、殆ど発狂するような混乱ぶりだったのではないか。


「そこで妾も、他の神々と共に参画する事となりました。事態の終息と修復を求められたのですが、神魂の回収は自動的です。死んだ神は、元に戻らない道理でした」

「そこは大神であっても、例外じゃないのか……。いや、高度に練成された魂、という括りで考えねばならないからこそ、例外になれないのか……?」


 竜魂一つと四千年を生きた魂三十、そして小神の神魂、それらが殆ど等価であるらしいのは、ナトリアから聞いた事だ。大神の神魂がそれらと比べ、どれ程大きかろうと、一定水準以上を目標とされるなら、むしろ大きいから例外にはなれないのかもしれない。


 その様に推察していたのだが、インギェムは露骨に視線を逸して髪の毛先を指先で弄り出した。

 不審に思ってルヴァイルに目を向けてみれば、気不味そうな表情を一転させ、取り繕った笑みを浮かべる。

 更に不信感が増して、その事を問い詰めようとする前に、ルヴァイルはその発言へ被せるように言った。


「神々の数が減んじた事は、歓迎されない事態です。早急な解決を求められたのですが、小神とて勝手気ままに作る訳にはいきません」

「そうなのか? 随分と勝手気ままに作って来た様に見えるが」


 ミレイユが皮肉げな視線を向けて言うと、眉根に小さく皺を寄せて首を振った。


「本当に、何も気にせず昇神させれば、それこそ悪神ばかりが蔓延る事になるでしょう。或いは、カリューシーの様な協力的と言えない輩も増えるやもしれません。神選びというのは、言うほど無作為でも無遠慮でもないのです」

「……まぁ、それは良いさ。無能な馬鹿が神になるなんて、それこそ悪夢でしかないしな。それに素体に入れた魂は、練成してやる必要があるんだろう? それには数年の時間と、相応の試練が必要だ」

「えぇ、まさしく。切羽詰まった状態であったのは事実、だからと不完全な素体を昇神させたとしても意味はない。果実みたいなものですよ。固い上に渋く、栄養価もない果実に、価値が無いのと同様です」

「その言い様には言いたくなる事もあるが……、まぁいい。一々話の腰を折りたい訳じゃない」


 助かります、とルヴァイルは目礼し、そしてユミルへ視線を向ける。

 無意識な窘めだったのだろうが、それを敏感に感じ取ったユミルは機嫌を殊更悪くさせた。

 黙っているよう指示された筈だが、よほど腹に据え兼ねたのか、視線鋭く口を挟む。


「一々話の腰を折って、申し訳なかったコトね。でも聞いてた限りじゃ、どうも神の数は維持するコトに意味ありそうな感じじゃないの。数が多いばかりで信者とシェアの奪い合い、世界の存続の為……。それってどこまで本当なの? 小神を贄にするのは良くて、自分達は駄目だって?」

「口を慎め、ゲルミルの。あくまで己らが、多めに見てやっているって事実を忘れるな」


 インギェムは凄んで見せたが、今更ユミルが神に対して尻込みする筈もない。

 挑発的に鼻を鳴らし、腕を組んだままルヴァイルへ鋭く視線を向けた。

 その態度にインギェムが立ち上がろうとしたものの、それより早くルヴァイルが肩を掴んで座らせる。


「良いのです、インギェム。今この場は、友人の様に振る舞いなさい。それを求められている、と伝えていた筈……」

「……あぁ、そうだな。だが、我慢にも限度がある」

「分かっていますよ。……そういう事なので、そちらも挑発は控えてくださいますように。この場で争い事や禍根を残すのは、互いに求めていない筈」


 ミレイユは溜め息にも似たものを鼻から吹き出し、ユミルの肩を小さく揺さぶる。


「苦労があろうと、今は飲み込め。お前が神と対面して冷静で居続ける労力は大変なものだと分かるが、飲み込めると覚悟したから同席してるんだろう。破談にするかどうかは最後まで話を聞いてからだ、いいな? この場で何もかもぶち壊す事とは、全く話が別の事だ」

「そうね……、悪かったわ。何か言ってやらねば治まらない場合でも、挑発的な言動は慎むわね」


 それでいい、と頷いて肩からも手を離す。

 ルヴァイルにも顔を向けると、今度こそ礼を言うような目礼が帰って来た。


 ミレイユとしても、今回の会談が愉快なものにならないと予想していた。

 何を聞かされるにしろ、自分達にとって不都合な事実は多く、そして神らしき理不尽な考え方や言い方に、腹を立てる場面もあるだろうと理解していた。


 それに一々、腹を立てている様では話も出来ない。

 協力関係を打診して来たからには、こちらの利となるものを提供できると踏んでいるからこそ、話を持ち掛けて来たのだろう。


 互いに中立な場所でなく、ルヴァイルからすれば敵地の真ん中へと身体を晒し、護衛の一人も付けていないのは誠意の証だ。

 ユミルという切り札がある事も承知の上で来ているのだから、彼女にしても賭けに違いない。


 どういう内容を聞かされるにしろ、逆上するような事を聞かされたとしても、全ての話を聞き終えるまで、冷静に会談を終わらせる必要がある。

 ミレイユはもう一度、それを納得させる指示をユミルに向け、無言の首肯が返って来たところで会話を再開した。

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