決戦の舞台 その8

 ミレイユは『雷霆召喚』によって充満される魔力を感じて、呆れた顔をオミカゲ様へと向けていた。威力も強く範囲も広いこの魔術は、その最大の弱点として使用までに時間が掛かる点が挙げられる。

 そもそもが広範囲に対して扱う術だから、一対一の状況で使われるものでもなく、多くの前衛に護られる前衛で使うものと言える。


 その上、範囲を広げる毎に魔力の消費が跳ね上がるので、そう軽々しく扱えるものでもなかった。本来なら、たった一人で扱う術でもないのだ。

 多くの魔術士が十人以上で円陣を組むようにして扱うからこその広範囲魔術であり、ミレイユとてこの規模で使おうとすれば、継続時間は五秒と保たない。

 以前使った時はもっと小規模で、しかも規律良く並んでいた軍隊だからこそ、最小限の労力で済ます事が出来た。広範囲に、しかも視界を埋め尽くすような数となれば、別の手段を取るだろう。


 だが、それを可能としているのが、神としてこれまで鍛えてきたオミカゲ様の力であり、そして集積していたマナを使うからこそ実現できた結果だろう。


 ミレイユは隣にアヴェリンを控えさせながら、その術を制御する姿を見守る。

 周囲に魔物は居るが、遠巻きにして近付いて来ないか、あるいはオミカゲ様が降り立った方へ攻撃に参加するかのどちらかで、直接ミレイユ達へ攻撃を加えようとするものはいなかった。


 今まさにエルクセスを倒した二人に対する畏怖が表出していて、襲い掛かるべきという執念と、勝てる筈がないという本能がせめぎ合っている状況のようだ。

 ミレイユは傍らのアヴェリンへ、目配せしながら腕を組む。


「オミカゲの術が完成するまで、ここで待つ。わざわざ倒して回らなくても、あの術が全てを終わらせてくれる」

「分かりました。では、警戒だけすると致しましょう」


 元より油断など見せていなかったアヴェリンだが、改めて武器を持ち直して周囲を睥睨するように首を回した。

 戦う仕草を見せないミレイユを見ても、魔物たちが襲ってこようとしないのは、既に怯えの表情が出始めている事から戦意喪失しているのが分かる。


 その死の瞬間まで戦うのを止めないものかと思っていただけに、そのような態度は意外に思えた。だがその時、オミカゲ様の『雷霆召喚』の制御が完了したようだ。

 莫大な魔力が雲天まで上がり、そして目も眩む程の光量が視界を埋め尽くす。その直後、雷の轟音が耳を叩いた。


 ドゴゴゴゴ、とまるで工事現場の中に迷い込んだような錯覚に陥る。

 雷の語源が『神鳴り』であった事から分かるように、落雷とそこから起こる轟音は、神がもたらすものだと信じられていた。そして目の前で起こっている雨のように落ちる雷をみれば、オミカゲ様は雷神であると、誰もが疑う事なく思っただろう。


 あるいはこの魔術を使用した過去が、オミカゲ様を雷神と結びつけた原因なのかもしれないが、魔術など知らない者たちから見れば、これは間違いなく神と見紛う現象だ。

 ミレイユもまた眩しさに目を細めながら、落雷が収まるのをじっと待つ。周囲でミレイユ達二人を襲撃しようと逡巡していた魔物たちもまた、その落雷の直撃で次々と打ち倒されていく。


 雷に対して耐性を持つような敵ですら、耐えたなら耐えた分だけ雷に撃ち抜かれ、結局倒される結果となっている。完全耐性を持つような敵がいたら、それだけでも倒してやろうと思っていたが、どうやらその必要もないようだ。


 雷に対して弱い魔物は焼け爛れるだけでは済まず、炭化してしまっているものまでいる。

 いつまでも続くかに思えた落雷と轟音も、いつしか鳴りを潜め、最後まで残っていた最後の一匹が消し炭になったのを最後に途絶えた。


 魔物だけを狙い撃ちにしていたとはいえ、近くに数えきれない程の雷が落ちたせいもあって耳まで麻痺したように感じる。キーンと音だけは聞こえるのだが、隣に立つアヴェリンからの声が聞こえない。


 何か簡単な防壁だけでも立てておくべきだったか、と今更ながら後悔したのだが、何しろ自分が使った時はこのような至近距離では放っていない。

 その時の状況をそのまま当て嵌めてしまい、まったく対策してなかった状況は我ながら間抜けだったと自省しながら、治癒術を耳に当てて使う。


 鼓膜の破裂まではいっていないので、果たしてどれほど効果があるか疑問だったが、直ぐに音が帰って来る。同じような状況かもしれないアヴェリンにも、まず同じ治癒術を使って、その耳に手を当てた。


 くすぐったそうに顔を歪めたが、直ぐに音を取り戻した事に気がつくと、皺を寄せていた眉から力を抜いて小さく笑う。


「ありがとうございます、ミレイ様。魔物も綺麗に一掃されたようです。……オミカゲ様の元へ参りますか?」

「そうだな、ルチア達を回収して向かうとするか」


 全滅している事は分かっているが、一応生き残りがいないか周囲を見渡す。遠くでは隊士達の歓声が上がっているが、この近辺では物音一つ起こっていない。

 それを簡単に確認した後、ふと気が付いて頭上に空いたままの孔を見た。


 孔は大量の魔物を通した事で拡大の一途を辿り、最初は細かに幾つも空いて見えていたものも合体し、巨大な孔へと変貌している。

 その孔も未だ健在で、消える兆しが見えない。

 結界内で知った事実として、魔物が全滅した時点で孔は消えるもの、という認識でいたのだが、今回の孔は巨大過ぎる。その所為で消滅にも時間が掛かっているのか、とも思うのだが、何かそれとも違う予感がする。


 ミレイユは肩を軽く上げる動作だけでアヴェリンに付いてくるよう指示すると、すぐにルチア達と合流を果たした。

 ユミルは呪霊を消滅させている最中で、作成していた時と同様、面倒臭いと呟きながら最後の一体を消した。


「二人共、ご苦労だったな」

「……全くね。別に身の危険はなかったけどねぇ、まぁとにかく疲れたわよね」

「呪霊が傍にいて近付こうとする、あるいは近づける魔物はいませんでしたからね。……でも確かに、少し魔力を使い過ぎました」


 少しというには少々控えめ過ぎるが、確かに魔術をずっと維持していたルチアの顔には疲労が色濃い。魔力的な部分もそうだが、維持に掛かる精神的負担というのは馬鹿にならないものだ。

 ミレイユとしても直ぐに休ませてやりたいところだが、何にしろ孔の確認を済ませない事には、終わったと素直に喜べない。


「……ねぇ、ミレイさん。あの孔って非常に良くないものを感じるんですが……。あれ封じないと拙くないですか?」

「やはり、そうなのか? 私もそれを今から確認しに行こうと思っていたところだ。あれほど巨大だと縮小するのも封じるのも簡単じゃなさそうだが……、とにかく聞いてみない事には始まらない」

「ですね。ここは責任者さんの弁明に期待しましょう」


 神を捕まえて責任者というのも散々な表現だが、あの落雷を目の前で落とされては、意趣返しの一つもしたくなるというものかもしれない。

 それにはユミルも乗っかって、嫌らしい笑みを浮かべては髪の先端を弄って毛先を見せた。


「アタシもちょっとばかり被害の報告してやらないと。……呪霊の半数以上は雷で消し炭にされたしね」


 髪の毛よりも、むしろそちらの方が比重の重そうな発言だった。

 片付ける手間が省けただけじゃないのかと思うのだが、苦労して作成した分、色々と思うところがあるのかもしれない。

 とにかく、ここで話していても仕方がないので、先程のアヴェリンの時と同様、肩を回すような仕草をして歩き出した。


 それにアヴェリンが続いて、その後からルチア、ユミルの順でついてくる。

 隊士達の誰もが喝采を上げて、腕や武器を頭上で振り回しながら喜ぶ中へ、ミレイユは近付いて行く。肩を叩いて喜び合う者たちも、その気配を敏感に察して道を開ける為に左右へ分かれた。


 そうなると次々とそれに倣って場所を譲り、オミカゲ様へ一直線に通ずじる道が出来る。

 それらから喝采を浴びながら進み、オミカゲ様の前まで辿り着くと、互いに小さく笑みを作った。ミレイユからすれば御大層な事をやったな、という皮肉の笑みだが、オミカゲ様からは労いの笑みだったように思う。


 だが挨拶するよりも前に、聞いておかねばならない事があった。

 ミレイユは単刀直入に、親指を背後の孔へ向けて言葉を放つ。


「大変なはしゃぎようだが、あの孔は勝手に閉じるのか?」

「前例ないこと故、確かな事と言えぬが、閉じぬであろうな」

「そうだとしたら……ここで喜んでいる場合じゃないだろう」

「あまり水を差すようなこと言うでない。勝ちは勝ちであるからな。あの処理を終わらせる前に、その余韻に浸る時間くらいは与えてもよかろうよ」


 オミカゲ様の物言いに、引っ掛かるものを感じてミレイユは眉をひそめる。


「自然に閉じないまでも、閉じる方法は別にある……というのか?」

「然様である。でなければ、ここで隊士達の笑顔を見てばかりおられるものではない」

「なんだ、そういう事か……。手伝った方がいいのか?」

「うむ、その方が確実であろう。ルチアにも手助けを求めたいが、良いか?」


 オミカゲ様がルチアに顔を向けてから、ミレイユに確認を取ってくる。ルチアを動かす権利はミレイユにあるので、それを飛び越えて勝手に命令するのは御法度だと理解しているのだ。

 ミレイユは頷きかけて、ふと首を傾げる。


「一千華は呼ばないのか? 結界術に秀でているのは、むしろあちらだろう」

「業腹だが……背に腹は代えられまい。無論、最後の奉公として、これに参加してもらおう」

「分かった、そういう事なら好きにしろ。……直ぐに掛かるか?」

「一千華も奥御殿にて、結界の補助をしてもらっていた。こちらに呼ぶにも時間は掛かろうし、縮小封印にも時間は更に掛かるだろう。休める時に休んでおいた方が良い」


 そう言われたら、ミレイユに拒否する事は出来ない。

 何にしろ、ルチアの疲労が大きいのは確かなのだ。これから最後の大仕事を前に、しばしの休憩は必要だろう。オミカゲ様にしても、『雷霆召喚』を行使しての損耗は、集積していたマナを使用していたとしても、軽いものではない筈だ。


 それを言ったら、おそらく一千華の消費も大きいものだと思われるが――結局、誰も彼も損耗している事は間違いないのだ。

 ミレイユは背後を窺い、そして見上げながら思う。

 ――しかし、空に残った巨大な孔は、見過ごすというには不穏が大きい。


 そう思った時だった。

 巨大な孔の縁に手を掛け、何かが這い出でようとしているのが見えた。あまりに巨大で遠近感に齟齬が生じる。それが人型をしているというのは分かっても、存在を信じたくないという気持ちの方が強く出た。


 ――この上、更に。

 孔が消えていないのは、これまでの前例と同様、まだ出て来る魔物がいたからだ。

 そして幾つも孔を開けていたのは、つまり――。

 ミレイユは歯噛みして、孔から出ようと腕を伸ばした何かを睨み付ける。


「全てはアレを通す為か……! 多くの魔物を捨て石にして、巨大な孔を開ける為だけに利用して……!」

「あれは、まさか……ユミルさんが言っていた?」


 ルチアが一つの事を思い出し、伺うようにユミルを見れば、首を振りながら苦い顔で孔を見ていた。


「言ったでしょ、見たことはないんだってば。けど、間違いないでしょ。……あれが、神造兵器の『地均し』でしょうよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る