決戦の舞台 その7
アキラはつい、その倒れていく光景を目で追って、慌てて目の前の鬼へと集中し直した。
あちらの方でも、ミレイユが奮闘していたのは知っていた。
巨大な箆角が地面へ落ちたのを皮切りに、何度か攻撃を仕掛けていたのは、そのヘラジカが悲鳴を上げたり顔を左右に振ったりしていたので、何となく分かってもいた。
あの巨体なので、どうしたって視界の端には映ってしまう。
だから攻撃は継続しているのだと思っていたし、そしてそれが倒れ伏す姿を見えてしまうと、動揺する気持ちも湧いてくる。
何しろ十階立てのマンションに相当するような、高さと大きさを持つ生物だ。
そのような巨体を持つ生命は地球上にはいないから、倒れる――あるいは倒せる光景が思い浮かばなかった。だから、ゆっくりと硬直した姿勢のまま横倒しになっていく敵の姿は圧巻だった。
それを見た所為というだけでもないだろうが、鬼どもの圧力も、いや増しに増してくる。焦りからなのか、大ぶりの攻撃も増えてきた。
支援理術も飛び交いアキラの防御も速度も上がっていたが、細かな傷は増えていく。牛頭鬼を代表として、人型に近い体格を持つ攻撃は躱しやすいが、獣に近い鬼はその俊敏性から攻撃を受けてしまう事が多い。
鬼の勢いは増すばかりだが、隊士達の士気は否が応でも高まっている。たかだか傷を受ける程度で、簡単に収まるものでもなかった。
そこへ結希乃からの発破が飛んでくる。
「なんとしても護り切れ! オミカゲ様の前に鬼を立たせるな、隊士の恥だぞッ!!」
「護るだけなどと考えるな! 押し返せ、切り返せ! 隊士の底力を見せてやれ!!」
砲撃部隊の指揮を他に任せたらしい侑茉も、前衛に加わり声を張り上げている。
実際、彼女の防御に関する動きは巧みで、後の先を取るような戦い方が抜群に上手い。ここに来て、彼女が防衛に加わってくれたのは、非常に心強かった。
アキラもまた、その二人に気持ちを後押しされるように刀を振るう。
次々と迫りくる鬼の中には、口から剣のような牙を生やした虎もいる。巨体に似合わぬ俊敏性と、その牙だけでなく太い爪も脅威だった。
血走った眼と、口の端から垂れる涎は理性の欠片も感じられないが、本能だけで戦うだけにしろ、獣の闘争本能は厄介だ。
危機に対する回避能力が高く、容易くアキラに一撃を加えさせない。そして一歩譲るように身を屈めれば、その隙間を埋めるようにして別の鬼が入り込んでくる。
ワニを無理矢理、二足歩行にさせたような見た目の鬼だが、その能力は馬鹿に出来なかった。単純に噛み付く攻撃は恐怖を誘発するし、実際その咬合力は見た目以上である事も疑いなかった。
腹は柔らかそうに見えても妙なヌメリがあって、刃が上手く斬り込んでいかない。
しかもこいつは口から火を吹くので、接近するもしないも嫌な相手だった。
「うっ、くそ……!」
ワニの長い口先から逃げようと距離を取ったところで、その炎がアキラを焼く。咄嗟に隊員から防御理術が飛んできて、その炎を二つに割ってくれたお陰で直撃は割けたが、同じミスをするのはこれで二度目だ。
炎を掻い潜って接近し、刀で首の付根を狙う。
だが、首の動きは俊敏で刃をその歯で掴まれてしまった。顎の力と捻って体勢を崩そうとする首の力は、想像するより遥かに強い。
不格好に身体を沈めるように地面へと押し込まれそうになってるところに、虎の鬼が飛び掛かってきた。
刀を手放して逃げるか、その一瞬の思考――。
アキラの門前まで爪が伸びて来て、逃げ出そうと反射的に動いた瞬間、その腕が斬り飛ばされて宙を舞う。
飛んで行く腕の先から血の跡が尾を引くように流れ、そして鬼の群衆の中に落ちては消えた。
飛んだ腕は虎鬼の方だった。
悲鳴を上げて飛び退る虎鬼を見据え、ワニの捻り上げる力から逃げず利用するように動きつつ、その頭を蹴りつけて咬合から抜け出す。
ちらりと一瞬だけ視線を向けて、アキラは危機を救ってくれた味方に礼を言った。
「ごめん、助かった!」
「いいのよ、余裕があったのは偶然だったし。いつかのピンチがあったら、こっちもお願いね」
「当然!」
言い返しながら、アキラはワニの口先を縦に斬り裂く。
どこも滑りそうな外皮を持つが、口周りだけは例外だった。それを狙ってみたのだが、その予想は見事に的中した。
口先を仰け反らして追撃から逃れようと、身体も逸したところへ追撃で首元へ刃を突き刺す。滑ろうとする刀を、抱き止めるように脇を畳んで切先に力を込めた。
刃が一度外皮を穿つと、あとは簡単に突き進む。中程まで貫いてから、横振りして大きく斬り裂いた。首元に手を当てて血を堰き止めようとする動きまで人間らしく、出血多量で沈み込むように倒れこむ。
その間にも片腕を失った剣虎は、好機を窺いながら唸りを上げていた。
前足一本失ったとは思えない俊敏性で接近して来て、流石にアキラを仕留めるには足りない。小さな跳躍で横へ避けると同時に刀を振り抜き、もう片方の腕も切り落とすと、倒れた剣虎の首に刀を振り下ろした。
喉を大きく斬り裂き、勢い付いた刃が地面を噛む。
血で溺れるように空中を蹴って藻掻くような動きを見せたが、アキラにはその最期を見届けるような時間も感傷もない。
次の鬼に狙いを定め、襲い掛かろうとして来る奴らがいないか警戒しながら武器を構えた。
――その時だった。
「皆の者、よく耐えた」
オミカゲ様の厳かな声と共に、莫大な理力の流れが上空へ流れる。そうかと思うと、空を覆う雷雲から、次々と雷が降ってきた。
それはまさに、雨の代わりに雨のように降る雷、と表現するに相応しい光景だった。
轟音が幾つも鳴り響き、そして眼前を白とも黒ともつかない明滅が支配する。とても目を開けていられず、光から庇うように腕で庇を作った。このような無防備な姿を晒すのは悪手だと分かっていても、そもそもどう動いて良いかすら分からない。
下手に斬り込めば雷に打たれる怖さがあり、そしていつ自分の持つ刀に雷が落ちてくるかと気が気でもない。
自然現象の雷とは違うと分かっていても、やはり鉄製の物に向かって落ちてくるのでは、という危惧は拭えなかった。しかし、ただ成すがまま見守る事しか出来ず、腕で隠した狭い視界の隙間から、鬼どもが撃たれる姿を伺うことしか出来ない。
そして、いつまでも鳴り止まないと思われた轟音も、突然終わりを告げた。
途端、静かになったと思いきや、最後の駄目押しと一つ落ちた雷を最後に途絶える。恐る恐る腕を下ろして眼前の光景を見て、現実の光景かと目を疑いたくなった。
全ての鬼は雷によって打ち抜かれ、薄く煙を上げながら倒れ伏している。ただ一体の例外なく、焼け爛れ、あるいは炭化した死体があるのみで、生者は一つも存在しない。
雷神として、そして戦神として敬われるオミカゲ様の存在を、紛うことなく体現していた。
過去、幾度となく雷と共に現れ、そして悪なる者に神罰を下した神として祀られているのは何故なのか、それをこの光景が知らしめている。
先程までは間違いなく劣勢だった。
押し込んでくる鬼どもを、堰き止め続ける事すら難しいと、誰もが理解していた。だが、神のひと薙は、これ程までの威力があるのだ。人と神の差を見て、愕然とした思いもある。
だが、勝利は勝利だ。
孔から流水のように現れていた鬼も、先程の一撃を最後に出現しなくなっている。そして最後の一匹まで一掃されて、誰もが喜びに打ち震えた。
「オミカゲ様、万歳! オミカゲ様に勝利を!」
「オミカゲ様の御威光を、あまねく示さん!」
中には武器を手放して腕を持ち上げている者すらいる。
褒められた行為ではないが、今だけは許されるだろう。それ程までに、この勝利の喜びは他の何にも代えがたい。
アキラが宙に浮くオミカゲ様を見上げていると、その隣に七生が立った。
「オミカゲ様の矛として役割は果たせなかったけど、でも盾の役割は果たせた。あの守りがあればこそ、あの大群を相手を一掃できるだけの理術を放って頂けた。オミカゲ様と共に戦えたのは、間違いない誇りよ」
「そうだね……。誰もが打ち震えて喜ぶのも分かるよ」
「でも、あなたは不満そうね?」
七生はそう言って困ったように笑った。
声を掛けてくれたのも、それが原因であったのかもしれない。
他の誰もが喜んでいるのに、アキラだけが武器も手放さず、そして喜んでもいない。それを不審に思ったか、あるいは単に心配してくれたのか。
実際アキラはこの状況を素直に喜べなかった。
オミカゲ様の活躍にも、隊士達の活躍にも不満がある訳ではない。むしろ逆で、共に戦った仲間にも敬意と感謝を、そしてオミカゲ様にも感謝と崇敬とがある。
ただ、胸騒ぎが収まらない。
本当にこれで終わりなのか、という不安が拭えなかった。
余りに簡単に、余りに呆気なく終わってしまったから、そう思えるだけなのだろうか。あれほど尽きぬ勢いで溢れ出ていた鬼も、急に止まってしまった事が怪しいと感じてしまう。
それとも、これは単に考え過ぎなだけなのだろうか。
アキラが神妙な顔をして考え込んでいるいる間に、人垣が割れて歓声が上がった。
見てみれば、ミレイユとその仲間が一列になって歩いて来ている。この戦いの多くは、彼女達がいなければ成し得なかった。もし到着が遅れていたらアキラ達の命はなかっただろうし、続く鬼の氾濫にも対処できなかった。
間違いなく彼女達が勲一等で、誰もが感謝と共に労う声を上げながら、彼女達を迎え入れる。
その歩みはオミカゲ様まで一直線で、二柱の神が互いに称え合う姿を想像しながらその時を待ち、そして結局不敵に笑い合うだけで済ませる、という実に味気ないもので終わった。
だが、すぐにミレイユの顔が引き締まる。
何事かを話しているが、アキラからは距離のせいもあって聞こえない。オミカゲ様と御子神様を称える歓声が邪魔しているのも理由の一つだった。
ミレイユは親指を背後――空の方へ向けているから、孔に関する事のような気がする。
そう思って、ハッとした。
孔が消えていない、という事実が示す現象は一つしかない。
そして、これだったのだ、とアキラはようやく理解した。鬼の全滅と周囲の歓喜に流されていたが、孔が閉じていないのなら、まだ終わりではない。
アキラは隣に立っている七生へ声を掛けた。歓声で消えてしまいそうな声だが、今はそちらの方が都合が良かった。
「……ねぇ、鬼を全滅させて、それでも孔が閉じないなんて事あるの?」
「普通はない……けれど」
七生も言われて、ようやくその不自然さに気付いたようだ。
「でも、何かもかも前例なしの状況なのよ? それにあれだけ巨大な孔、閉じるにしても時間が掛かるんじゃないかしら」
「それは……」
反論されて言葉に詰まる。
何もかも例外で、孔の大きさも規格外だ。人の身の丈程の大きさ、あるいはそれを上回る程度というのがこれまでの常識だった。今ではそれが、十倍かそれ以上の大きさになっている。
幾つも空いていた大きな孔も、今では一つの巨大な孔に変貌しているのだ。
もし今も縮小を徐々に始めているのだとしても、アキラにそれは判断できないだろう。
いずれにしても孔も結界も、アキラの管轄外の事だ。
ミレイユもオミカゲ様もいらっしゃる現状、何事かがあっても上手く対処してくれる、という安心感はあった。周囲のはしゃぎようも、それを感じての事なのかもしれない。
「待って、あれ……!」
アキラはその一点を指差すところでは、孔が巨大な脈動をしているところだった。それを見て、アキラの浅はかな考えが間違いだと分かった。
あれは縮小していない、更なる拡大を見せようとしている。その外縁に何かが掴むように覗いている。形状だけ見れば、それは指のように見えた。
あまりに巨大な指が四本、その外縁を掴んでいる。
今、その孔から想像を絶する巨大な何かが這い出ようとしていた。
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