決戦の舞台 その6

 アキラは視界が白一色に染まった直後、続いた轟音に身を震わせた。

 目の前の鬼を斬り伏せた直後の事でもあり、視線が光と轟音の方へと向いてしまう。そして巨大なヘラジカの頭部に、堂々と立っていた角が圧し折れ落ちていくのを目撃した。


 ミレイユがやった事なのだろう、と直感的に想像し、そして改めてオミカゲ様の御子なのだと感じ入る。とても人が行使できる術の範疇にない威力は、それが神のもたらす力なのだと理解させられた。


 しかし、いつまでもそれに呆けていられない。

 鬼の集団もまた、その強大な力に身構えている。目の前にいる隊士達など、今更どうでも良くなったかのように見えた。


 威嚇するように空を見上げては吠え声を上げ、あるいは唸り声を上げては、何かに挑むような姿勢を見せる。

 何事かと思っていると間に、背後から巫女たちが走り寄ってきて、必死な顔で何かを伝えようとしていた。その手には籠を持ち、中には薄っすらと青白く光る直方体が幾つも入っている。掌の中にすっぽりと収まるような小さなもので、それが入った籠を大事そうに抱えていた。


 結希乃が彼女らに気付いて防壁の一部を開放する。

 そうして入ってきた巫女たちは、それぞれ手近にいる隊士達へとその直方体を手渡していく。結希乃も受け取ったものの、これが何かは分かっていないようだった。

 この状況下にあって、巫女が動いて直接手渡すものだから、無意味なものではないと分かっても、どうして欲しいのかまでは分からない。


 どうしたものかと結希乃が直方体を見つめている内に、巫女達はやるべき事はやったと、さっさと次の隊士たち――砲撃部隊の方へと移動して行ってしまった。

 だが、手渡された者たちから順次、それが何を意味するのか理解する。手の中にあった直方体は溶けるように消えていき、そして消耗していた理力が取り戻されていくのを感じたのだ。


 では、あれが何なのかは今更問うまでもない。

 オミカゲ様が、こういった時の為に用意していた支援物資だったのだろう。既に消耗度合いも無視できない状況になって来ていて、この支援は大変有り難かった。


 前線に出ていたアキラの部隊と、後方で一時退避していた部隊とが入れ替わる。

 そこで後続でやってきた巫女からも直方体を受け取り、そして理力を回復させていく。アキラの消耗自体は少ないので、それを他の者に回して様子を伺う。

 誰もが安堵した表情で直方体を受け取り、そして回復させていく様を見れば、萎え掛けていた士気もまた回復してきたようだった。


 支援系理術士にとって、理力の損耗は死活問題だ。

 いつまで続くか分からぬ戦況ならば尚更で、このまま戦っていて大丈夫なのか、という不安は常に付き纏っていた事だろう。


 同じようなタイミングで帰って来た七生もまた、消耗の激しかった味方を回復させてやれて安堵の息をついていた。

 お互いに目が合って、小さく微笑む。

 常に敵の圧を受け続けていた状況で、この回復は砂漠を渡り歩いた後に与えられる水のように感じられたものだが、彼女も似たような気持ちのようだ。


「オミカゲ様に感謝しなくちゃ。……まさか、こんな便利なものがあるとは思ってもなかった」

「そうね、オミカゲ様には、いつかこのような状況が来る事も見えてらしたのかも。……それにしても」


 言い差して、七生は戦場へと顔を向けた。

 今は前線を維持する為、他の部隊が前に立っているが、先程までの圧力は感じない。数を減らすべく隊士たちが斬り掛かっているが、それの対応もまたおざなりに見えた。


 今まではとにかく前へ進もうとする気迫が鬼どもからは感じられたが、今はそれとは全く別に感じる。逃げようとするのとは違う、敵を別方向から感じているような動きをしている気がした。


「鬼のあの様子は、一体どういう事なのかしら」

「やっぱり、あの御子神様の理術を恐れたんじゃないのかな。どういう物かは知らないけど、凄い威力だったし……」

「そうね、だけど……鬼が威嚇するように見ている方向が……」


 七生の見ている方へとアキラも見ていると、確かにミレイユがいた方向とは微妙にずれがある。というより、落下して地面の陣へと身体を預けたところなのに、後方に居る鬼どもの視線は未だ空を向いたままだ。


 ――何かを警戒している。ミレイユ達ではない、別の誰かを。

 それが何か分からぬまま、鬼どもは空に向かって火を吐いたり、雷や氷礫、何かの術を飛ばし始めた。そうしてみると、攻撃の先に豆粒ほどの大きさをした何かが飛んでいるのが目に入る。


 白い衣装を着た、白い女性のように見えた。

 その女性が空を軽快に飛びながら、衣装をはためかせ、ふわりふわりと鬼の攻撃を躱している。それがこちらへと近付きながら鬼を攻撃していると視認できた時、今更それが誰かなどと確認するまでもなかった。


「――オミカゲ様!?」


 思わず七生とアキラの声が被る。

 かの神を護る為に戦っていたというのに、それが本陣まで出向いてきたとあっては本末転倒という気持ちが湧き上がった。

 だが、もしかしたら違うのかもしれない――。


「見ているだけじゃ全滅すると思ったから、御自らご出陣なされたのかな」

「そう……なのかも。現状を見ても、大丈夫だと楽観できない状況なのは確かだもの。全滅させた上で攻められるか、それとも全滅させずに自ら出向くか、そういう種類の問題と捉えられたのかも……」


 それを不実とは思わない。

 信じて任せてくれと言うのは容易いが、死なば諸共と止められる状況でなかった事も確かだ。それで阻止を成功させられたら、感謝と労いの言葉を与えられるだろうし、隊士としても本望だろう。だが、全くの無駄死にであったなら、死んでも死にきれない。


 そして今の状況は無駄死に成りかねない状況だった。

 それを思えば、御自らの出陣を有り難いと思わねばならないのだろうが……。

 七生は慚愧に堪えないといった表情で空を見つめた。


「不甲斐ない……!」

「阿由葉さん……」

「私達がもっと強ければ、そのお心を痛める事も、煩わせる事もなかったろうに!」


 自他ともに認めるオミカゲ様の矛と盾、その役目を担えないというのは、生まれた時から御由緒家で教育を受けてきた身としては耐えられない事だろう。

 そのオミカゲ様は鬼の攻撃を躱しつつ、理術を一瞬の制御で完成させて放っていく。その練度も速度も、流石神だと感嘆できるものであり、多くの鬼を瞬く間に雷で射抜いていった。


 だが、いつまでも見ているだけでいる訳にはいかない。

 前線に出てきてくれたオミカゲ様へ報いる為にも、少しでも多く鬼の数を削らなければなららなかった。

 アキラは七生の肩を叩く。

 既に理力の回復を終え、隊士達がアキラ達の合図を待っていた。


 アキラ達と入れ替わりで出撃した部隊の損耗は、それほど激しくない。

 だが御由緒家の部隊と違って、その戦力には隔たりがある。まだ動けるという状態で退かせなければ、あっという間に崩れていく。

 七生はアキラへ目配せするようにして頷くと、部隊へと号令を掛けた。


「ただちに再出撃、最後に装備の点検だけは怠るな! 途中で交換なんて出来ないからね!」


 アキラの刀と違って、付与された武器に全て不壊の理術が込められている訳ではない。それぞれの得意理術を補助するものであったり、攻撃を有利にするものだったりと、その効果は様々だ。

 当然、無茶な使い方をすれば壊れてしまうし、これだけの猛攻を凌いでいるとなれば、予期せぬ傷とて付いていて当然なのだ。


 即座に代わりを用意できない物もあるが、だからと戦闘中に壊れたと言われても困る。

 アキラも同様に自分の部隊へと確認させ、そして全員から問題なしの合図を貰うと、七生へと顔を向ける。


「――出撃!」


 近くにいる支援部隊が防壁に穴を開け、そこから飛び出し戦場へと戻る。

 元いる部隊へと声を掛けつつ入れ替わるように前へ出て、下がるように指示するのと同時、幾つもの雷が降って鬼を焼いた。

 それでポッカリと穴が空いた戦場に、オミカゲ様が降り立つ。


 傷ひとつ無い身体であるものの、その神御衣には攻撃を躱した時に付いたと思われる汚れや傷があった。

 突然、降って湧いたかのようなオミカゲ様の出現に、アキラは元より誰もがどうして良いか分からない。己らの不甲斐なさを謝罪するべきか、それともまず先に救援に対する感謝を口にするべきか。


 だが、それよりも先に対処しなければならないのは、迫りくる鬼達だった。

 オミカゲ様が地面に降り立ったと知って、我先にと襲い掛かってくる。それらを一顧だにせず、オミカゲ様の降臨に駆け付けて来た結希乃へと、その双眸を向けた。


「これより鬼を一掃する大規模理術を展開する。空にいては集中できぬ。制御が完成するまで、この身を守れ」

「――ハッ! 必ずや、この命の代えましても!!」


 結希乃の発言は、この場にいる全員の総意だった。

 終わりの見えない戦いの、敵の数に圧殺される未来を予想した、勝利の見えない戦いだった。それを、神御自らがその道筋を示した。


 ただ勝利するだけではない、その玉体を守護するという、この上ない名誉ある役目を負っての勝利である。誰もが奮起し、そして勝利を疑う事なく邁進する。

 結希乃の声にも自然、熱が籠もった。


「防壁を展開! 決してオミカゲ様まで到達させるな、壁の前に隊士は並べ! 壁に触れさせるなどという不甲斐ない真似を見せるな! オミカゲ様の御前である、総員理力を絞り出し、一層奮起努力せよッ!」


 それで誰もが、この一戦を制する為、理力の制御を強めた。

 この後を考えない、全力の理力制御だった。

 オミカゲ様の制御が始まると、その身体中から青白い光が漏れ出し空へと上がっていく。その、人には到底到達できない、超越された圧倒的な理力には誰もが息を呑んでしまう。


 だが、鬼も当然それで勢いを増してきた。

 知恵のない鬼でも――あるいは、だからこそ――あの理術がどういう類のものか察知できたようだ。完成されたら負けだと分かれば、破れ被れにもなってくる。


 攻撃は激しいが、その攻撃は力任せの単調なもので、むしろ威力に目を瞑れば躱しやすいくらいだった。

 オミカゲ様はその制御を巡らせる毎に、理力の奔流が玉体を持ち上げる。一メートル程浮き上がったところで制御は完成が間近に迫り、そして空が雷を伴う黒い雲に覆われた。


 思わず視線を空へと向けたその先で、遠く離れた巨大なヘラジカが、ゆっくりと倒れ始めたのが視界の端に映った。

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