神々との戦い その5
今もシオルアンは濃霧の向こうで、叫び声を上げていた。
炎を消す為だろう、服や肌を叩く様な音が聞こえてくる。
魔術で作られた火、それも体内で燃える火は、叩いたところでどうにもならない。
魔術に対抗するには魔術を使うしかないが、シオルアンにはその手段がないらしい。
あればとっくに消火あるいは消滅させる為、何らかの魔術を使っている。
有効な魔術を修得していないのは、強力な権能に頼り過ぎた弊害だろうか。
再生という強力な回復手段があるからこそ、今となっては他の手段に頼らないのかもしれないし、だから終わらない痛みに苦しむ事となっている。
消えない炎は遂に傷口から吹き上がり、更に内側だけでなく体の外まで燃やし始めた。
そこまで被害が拡大しても、なお魔術を使って抵抗しようとしない。
こうなれば、シオルアンに対抗手段がないのは明らかだった。
ミレイユはそれを認めると腕を振るい、充満させていた濃霧を解除する。
すると、火達磨になりながらも、必死に鎮火させようとしている姿が明らかになった。
「あぁ、ぁぁあ……! アァァァアアア……ッ!」
シオルアンの身体は上から下まで完全に炎で覆われており、頭を振り乱し、腕を遮二無二振るっているが、加勢は衰えないどころか逆に増す。
制御を失った『手』が壁や床を叩くが、目標は定まっておらず、アキラにもミレイユにも届かなかった。
だが、その『手』が水を叩くと、シオルアンの動きが明らかに変わった。
濃霧が晴れた室内では、その水溜まりが何処にあるか、実に分かり易く感じられただろう。
ミレイユが魔術を解いたのは、何も自分が敵の現状を確認したかったからだけではない。
シオルアンが水を発見し易いように、という理由も含んでいる。
魔術で作られた水である事は、彼女も即座に理解できた筈だ。
身体が燃えていれば、それに飛び付かずにはいられない。
「あぁ、あぁ……っ!」
ミレイユの想定通り、シオルアンは頭から突っ込む様にして水溜まりに浸かり、身体を左右に振って鎮火させようとしていた。
そして、ミレイユが『水流弾』を使っておいたのは、この瞬間を狙ってのものでもあった。
痛む身体はいつもの様な軽快な動きをしてくれないが、それでも走って接近する事は出来る。
火を消そうと躍起になったせいで、シオルアンは『手』の制御を完全に手放している。
霧が消える直前まで『手』のあった場所を回避して進めば、簡単にシオルアンまで近付く事が出来た。
右手に剣を召喚し、転がるシオルアンの肩を踏みつける。
「あ、あっ、ま……っ!」
自分の状況を理解したシオルアンは、身動ぎし、逃げ出そうとする。
だが、それより早く、ミレイユは間髪入れずにその首を斬り落とした。
盛大に血が吹き出し、首がゴロリと転がる。
炎に包まれて分かり辛いが、目と口らしきものが炎の中でも判別できた。
それに向かってダメ押しに、重く感じる剣を持ち上げ、渾身の力で貫く。
引き抜く動作で勢いを付け、更に心臓までを貫いた。
深々と剣は背中まで打ち抜き、一度抜こうとして踏ん張りが利かず、それでも歯を食いしばって腕を上げる。
そうしてもう一度、刃を心臓に突き刺して、それでようやくトドメを刺したと実感できた。
「ハァ、ハァ……!」
重く息を吐きつつ、油断なく見据えていると、シオルアンの身体から眩いばかりの光が溢れた。
光は次第にシオルアン全体を包み、炎さえも消してしまう。
そこから再生できるのか、と身構えていると、その輪郭が人の姿から光球へと変化する。
そして、一瞬の停滞の後、天井を貫いて空の彼方へ飛び去っていった。
ミレイユは思わず茫然と見送り、天井の空いた穴から見える夜空を茫然と見つめる。
いま起きた現象には、つい最近、見覚えがあった。
カリューシーをナトリアが仕留めた時にも起きた現象だ。
神の死亡と同時に、神魂となって『遺物』へ吸収される事で見られる光景が、あの光球となって飛ぶ姿だった。
では、欺瞞でも幻術でもなく、シオルアンは――。
「倒せた、か……」
ミレイユは剣を放り出す様に手放し、召喚を解除して消滅させる。
そして、そのまま地面へ引っ張られるかのように、膝を落とした。
そこへアキラが慌てて近寄って来る。
触れて良いものか、助け起こすべきなのか、迷った末に手を出せず、あわあわと手を動かすだけになっていた。
「まだ警戒を続けろ……っ。ぐ、うぅ……! 騒ぎを聞きつけて、敵兵が来るかもしれない……」
「は、はい! 申し訳ありません!」
ミレイユが脇腹を抑えながら忠告すると、即座に立ち上がって腰を落とし、刀を構える。
幸い敵の気配はミレイユにも感じられないが、大きな音や衝撃は建物内に響いた筈だ。
これに気付かないと思えないし、ならば誰が来ようと不思議ではなかった。
だが、アキラが息を潜めて出口へ注意を向けようと、騒がしい音も、何かが駆け付けてくる音も聞こえない。
ミレイユも傷口に治癒術を使いながら、扉の奥へ気配を探っていたが、何かが接近しようとする気配の一つも感じられなかった。
震える身体を抑えながら、ミレイユは治癒術を使い続ける。
だが、荒い呼吸と脂汗は収まらなかった。
むしろ、酷い。
魔術を使えば、ミレイユの肉体は――この素体は、マナを供給しようとする。
その生成量も落ちているというのに、全盛期と変わらぬ量を作り出そうするから、身体が悲鳴を上げるのだ。
それは胸痛や頭痛という形で、ミレイユの身体を痛めつける。
傷は治っても、この痛みは簡単に収まってくれない。
荒い息を吐きながら、この苦しみに耐えていなければならなかった。
「ハァ、ハァ、ハァ……っ!」
「だ、大丈夫なんですか、ミレイユ様……!? 凄い汗ですよ!」
「大丈夫じゃないが……っ! 耐えていれば、いずれ、収まる……っ」
「収まる? 耐えれば……? まるで、いつも我慢してるかのような口振りですよ? さっきの攻撃とは違うんですか……!?」
妙な所で鋭い奴だ、と心中で悪態吐きつつ、ミレイユはそれに返答しない。
アキラは出口を気にしつつも、ミレイユの傍にやって来て膝を付いた。
「水薬は僕も幾らか持ってます。使いますか?」
「どうせ効果がない。……いや」
魔力が満たされるまで、この痛みが続くというのなら、それを補ってやれば早く終るかもしれない。今更それに思い付いて、ミレイユは一つの水薬を取り出した。
そもそも、ミレイユには不要なものという認識だったので、補充すらしていないかった。
水薬はその効果を徐々に発揮するもので、治癒術の様に即座には回復してくれない。
だから多くは期待できないが、願掛けの様なつもりで使うつもりだった。
たまたま以前から捨てずに仕舞い込んでいた、下級水薬が残っていたのは幸いだ。
効果は微々たるものだが、今のミレイユには何より助けになる。
コルクを親指で弾くように抜き取ると、それを口の中に流し込んだ。
そうすると、身体に魔力が染み渡るような錯覚を覚え、予想よりも早く痛みも引いていく感覚がした。
ミレイユが安堵らしい息を吐くと、それを横目で見守っていたアキラも、胸に手を当てて大きく息を吐いた。
「良かった……、大丈夫そうですね。でも、そんなに酷かったんですか、あの攻撃は……」
「あぁ、よく身を呈してくれた……。あれが無ければ、正直危なかった」
「いえ、盾となるのは僕の役目です! 今回は刻印が上手いこと嵌りましたし……、相性が良かったのだと思います」
「そうだな……。一撃で大きなダメージ、というタイプだったら、一気に貫かれて十層の膜も意味を為さなかったかもしれない」
イルヴィとの戦闘が、そのタイプに近いだろう。
かつて見た時は、槍の一突きが十枚以上の層を破っていた筈だ。
アキラも刻印の重ね掛けで防いでいたが、あれと似たような事をする戦闘スタイルだったら、アキラの盾も有効に働かなかった可能性は高い。
そのような事を考えている内に、痛みが次第に和らいで来た。
顎まで伝っていた汗を拭い、額に浮いていた汗もぞんざいに払う。
震える息を一つ吐いてから立ち上がると、アキラも立ち上がって身体を支える為に手を伸ばしてきた。
「本当に大丈夫なんですか? 少し休んでからでも良いのでは……」
「そうもいかない。インギェムが、いつまで繋ぎ止めておけるか不明だしな……うっ!」
胸に唐突な痛みが走り、手を当てて動きを止める。
それを見て、アキラは心配そうな顔を更にに歪めて言ってくる。
「やっぱり、少し休みましょう。そんな身体で他の神々と戦おうなんて無茶ですよ。さっきの傷が原因だというなら、もう少し治癒術を使ってからでも……」
「これはそれと関係ない。単に寿命の問題だ……」
あの言語を絶するような痛みも、それが原因だという気がする。
急激な摩耗、とシオルアンは言った。
本来は緩やかに、時間と共に進行する肉体の摩耗が、一秒に満たない速度で発生した時、圧縮されたものが痛みとして伝わったのかも知れない。
だが、制御の流れとして魔力も感知していたミレイユからすると、それだけが原因じゃないと思った。
急激に失った魔力を十全な形に戻そうと、マナを生成したのも原因の一つだ。
急激に摩耗した皮膚や筋肉は魔術で癒せても、それと同時に失われた魔力までは戻せない。
その唐突な欠落を埋める為に急激な生成をした結果、それに伴う激痛を呼んだ。
急激にマナを生成する行為は、ミレイユにとってはナイフで内側から切り刻まれる行為に等しい。
この素体という肉体、そして寿命間近だからこそ生まれる、特異な痛み。
それが予想以上にミレイユを痛めつけた、という事だろう。
今は耐え、そして慣れるしかない痛みに、歯噛みしながら出口を見据える。
そうして胸に手を当てたまま、出口へと向かおうとしていると、アキラが青い顔をしてミレイユを凝視していた。
「寿命……? 寿命ってどういう意味ですか? ミレイユ様、まさか……でも、どうして!?」
「あぁ、口が滑ったな……。全く、痛みというのは、どうしてこう……」
症状は軽くなったが、未だ胸の奥で蝕むような痛みがある。
そちらに気を取られて、口から出るものに注意が散漫だった。
どうしようもない失言という訳でもなかったが、説明するのは面倒だった。
「そういえば、ミレイユ様……。時々、様子がおかしかったような……。胸を押さえてた事だって……」
「どうしても隠したかった訳じゃないが……。そうだな、言っておく。私の寿命はあと一年足らず、といったところだ」
「なぜ……!?」
「今更それを蒸し返すな。最初から決まっていた事だ……事、だったらしい。私が異様に強いのは、命の蝋燭の炎を、他人よりずっと強い勢いで燃やしていたから――そういう部分も、あったようだな」
「そんな……」
アキラは顔色を青くさせたまま、力なく左右へ振り、今にも泣き出しそうに表情を歪めた。
ミレイユはそれに、努めて笑って言ってやる。
我ながら、酷い笑顔だろうな、と思った。
「今は余計な事を考えるな。今日明日の命という訳じゃないんだ。だが、ここで神を弑せなければ、明日の命はない」
「はい……っ。そして、世界をあるべき姿に戻す為、ですね……!」
「そうだ。それに私は、自分の先行きを諦めている訳じゃないからな。その為に奴らは邪魔だ。絶対に相容れない。今日、ここで終わらせる」
「勿論です。この身で盾となり、その一助とさせて頂けるなら、これほど光栄な事はありません!」
顔が青ざめているのは変わらないが、すっかりやる気を見せている。
アヴェリンの弟子だからと、アヴェリンと同じ様にはなって欲しくないと思っていた。
だが、今だけはその前向きな姿勢に乗っかかるのが、精神的にも良いだろう。
話している間にも、痛みは鈍痛を残して引いていく。
ミレイユは首を傾けるように出口を指し示すと、アキラに先導させて部屋を出て行った。
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