幕間 その1

 テオは現在、己の住処とする森の外縁部にて、今や遅しと連絡を待っていた。

 外を睨み付けていても敵がいる訳でもなく、人は疎か獣の姿さえない。

 殺気立った森の民達は、必死に気配を押し殺しているものの、気配が漏れ出るものは抑え切れずにいた。


 鳥でさえ森に近付こうとしないのは、その所為だろう。

 森の民が、外縁部で常に外を警戒している事は、特別珍しい事ではない。

 鬼族がその任を担っているし、偶然通り掛かった旅商だろうと、その一挙手一投足は見逃さないものだ。


 しかし現在、テオ達がここにいるのは、単に見張りの交代をしているからではない。

 そもそも控えている種族も、またその規模さえも違う。

 普段は鬼族か、伝令役の獣人族しか近付かない外縁部も、今はエルフも含む千を超える人数でひしめいていた。


 彼らは外縁部分で待機しつつも、多くは集団の中心――テオに顔を向けている。

 そのテオもまた、傍らに立つヴァレネオへと顔を向けていた。

 そしてヴァレネオは、というと、手元の箱に目を向けているのだった。


 だがそれは、単なる箱というには語弊がある。

 ほんの少し白く色付いた、半透明の四角形は結界術によって作成された、即興の警告装置だ。

 ルチアが機転を利かせて作ったもので、魔術によって生み出された氷刃は、真っ二つに割れて結界の中で浮いている。


 本来なら、魔力によって生み出された物は、それが何であれ、質量の半分も失われれば自動的に消滅してしまう。

 それを結界内に充満させた魔力で、無理やり維持しているのだ。

 非常に高度で、洗練された魔力制御なくして出来ない代物だった。


 これを森の民に見せる時のヴァレネオは実に自慢げで、娘を誇りに思っている顔を隠し切れていなかったものだ。

 テオを始めとする部外者からすると――特に獣人族や鬼族は――、単なる綺麗な置物程度の感想でしかなかったのだが、同族のエルフ達からは羨望にも似た眼差しを向けられ、満面の笑みを浮かべていた。


 実際、その制御力だけを見るなら、テオも舌を巻く思いだったが……とはいえ、それだけだ。

 娘を誇りに思うヴァレネオは理解できるが、羨望とまでいかない。

 魔力や魔術に対して、並々ならぬ思いを持つエルフだからこその感想だろう。


 ともかく、これはもう片方――ルチアが持っている片割れの氷刃が解除された時点で、こちらの氷刃もまた消滅する。

 あるいは時間の経過で魔力が抜けてしまう事で自然消滅してしまうが、それにはまだ猶予があった。

 だから、それがいま消えたなら合図として機能するし、確認次第、これから作戦を決行する予定だった。


 それで誰もが必死に、殺気を押し殺した視線を箱に向け、そして開始の合図をする予定のテオに、熱い視線を向けている。

 とはいえ――。


 いつ合図が来るかも分からない状態だ。

 ミレイユの準備が整ったら来る合図なので、そちらが万端整うまで来ないと理解している。

 しかし、誰もが待ちきれず、こうして即座に出立できるよう、外縁部で待機している。


 テオは物理的な圧力を感じる視線を顔面中に受けながら、こっそりと息を吐いた。

 まだ涼しい時間帯なのに加え、森の中だというのに、じっとりと汗が浮く。それほどの静かなる熱気が、テオを中心として巻き起こっていた。


 オズロワーナとの正面からの戦争、そして王城に対する攻撃は、森の民にとって悲願だった。

 これまでは、保有戦力の差が邪魔して、やりたくとも出来ない事だった。


 元より刻印の登場から境に、魔術という絶対な戦力差を覆されて久しい。

 獣人族、鬼族の肉体的種族差も、刻印によって縮められてしまった。


 多くの有利を奪われ、互いに均等な能力まで落とされたとあっては、圧倒的人数差を持つ人間に勝てる道理がなかったのだ。

 しかし、森の中という、罠を張り巡らせた防御陣地で戦うのなら、まだしも引き分けには持っていく事ができる。


 だからこそ、敵の居城へ攻め込むとなれば、絶望的という他なかった。

 それは種族全体の絶滅を意味するし、かといって森に引き籠もっていれば安全ともいかない。

 休止期間はあっても小規模な小競り合いは発生して、その度に森の民は数を減らしていく。


 もはや、緩やかに滅亡を待つしかない状態だった。

 真綿で首を締められるような困窮や辛苦、多くの憂き目を見て来た者達からすると、今回の戦争は今までの感情を、鬱憤と共に晴らす機会とも言える。


 特にエルフは、ミレイユの後押しもあって、やる気に満ち溢れている。

 いつやって来るかも分からない合図を待って、こうして外縁部に陣取っているのが良い証拠だ。

 テオはこの戦争において、リーダー的立ち位置を任されているので、そのリーダーが誰より後方にいる訳にはいかない。


 特に、獣人族や鬼族は、強いリーダーを求める。

 人間の様に、後方で指示だけする者を決して認めない。

 全体の動きを見て陣頭で指揮を取るか、せめて近い位置に居る事を必要と考える。

 彼らは理屈よりも自己の信条こそを大事にするので、道理を解いても無意味なのだ。


 テオはその傍らで、ジッと氷刃を見つめるヴァレネオの顔を盗み見る。

 今更ながら、この男の非凡さを垣間見た気がした。

 ――よく、こんなバラバラの集団を纏め上げてきたな。


 胸中の吐露が漏れたのだろうか。

 ヴァレネオが顔を上げて、テオを見返して来た。


「……どうされました」

「いや、まぁ……。何だ……」


 何と言って返して良いか分からず、テオは言葉を濁しつつ、意味もなく首を回す。

 ヴァレネオはその忠誠をミレイユに捧げているし、元から里長という立場にあった所為で、多くの民に敬語を使わない。


 だが、リーダーとして据えている手前、民の前では言葉を選んで発する。

 使いたくもない敬語を使っているので、口調が硬いのはご愛嬌だが……いま気にするのはそこではないな、とテオは思い直した。


「こんなに早くから待機している必要は無かったんじゃないか。ここで根を詰めても、連絡が早まる訳じゃあるまい」

「勿論、そうですが……。誰もが抑え付けられていたものが噴出してしまい、我慢できなくなったのです。どうせ待機してるなら、いち早く動ける場所が良い、と誰もが率先して動いた結果、という訳で……」


 理屈に合わないが、理屈だけでも人は動かない、という事なのだろう。

 特に言う事を聞き辛い鬼族は、率先して動いてしまう。一つが留まらないなら、他の種族も留まるまい。


 テオなどは、同じくヤキモキして待つだけでも、部屋の中の方が良いと思ってしまう。

 里から森の外縁部までは、転移を繰り返してショートカット出来るので、時間差もそれほど生まれない。


 大人数での移動は陣に乗る関係上、どうしても詰まってしまう事になるから、やはり進行の遅れは出る。

 だからといって、見るべき物もない森の中、固唾を呑んで待ち続けるだけでは、肩が凝って仕方がなかった。


 叶うなら、直ぐにでも自宅へ帰って休んでいたいが、リーダーとして立っている以上、それは許されない。

 それに、デルンを引きずり降ろした後は、テオが引き続き先頭に立ち、皆を率いる事になるのだ。

 ここに至って、気弱で怠惰な姿は見せられなかった。


 そして、彼らが奮っていられるのは、テオが強いリーダーだと信じているからでもある。

 ミレイユが森にやって来た時から、彼女が見せた戦果はテオのもの、という事になっている。


 二万の兵を壊滅まで追いやったのも、森の奥で起こった強大な魔力反応も、全てテオがやった事になっている。

 彼らの大胆さは、その力に対する信頼を根底にしている部分もあった。


 これで勝てないなら、今後変わる事なく虐げられると思っている。

 それを打ち崩そうと気炎を上げていられるのは、彼ら自身がミレイユに強化された事ばかりでなく、ミレイユの口からテオを頼りしろと言われたからでもあった。


 だが、実際のところ――。

 テオにそんな力などない。


 かつてはそれに近い事も出来た。

 しかし、魂の矮小化と共に、繊細な制御を必要とする強力な魔術の行使などは出来なくなった。


 だから、その事を悟らせずに戦うしかない。

 これは勝利を勝ち取り、長らくの不遇を払う戦いであると同時に、テオが彼らをどれだけ騙せるかの戦いでもあった。


 自分の行動如何で、作戦が失敗するかと思うと胃が痛い。

 ヴァレネオが上手くサポートしてくれる事にはなっているが、不安は増すばかりだった。


 ミレイユに馬を引き渡して来たヴァレネオが言うには、既にそれから三日の時間が経っている。

 彼女らは自分たちが行う目眩ましとして、戦争を利用するつもりだと聞いていた。


 ――神々への弑逆。

 その為の大事な布石として、森の民を使うつもりでいるらしい。

 ていよく担がれただけなのか、信頼の証と見て良いのか、テオはミレイユが分からなくなる。


 だが、ヴァレネオは信頼と見ているようだった。

 ミレイユとその仲間たちが攻撃に加わってくれれば、デルンへの攻撃は、成功を約束された様なものだ。被害も抑えられ、より短時間で決着も付くだろう。


 だが、それでは全ての功績がミレイユに集中してしまう。

 そこでテオが王として皆を牽引する、などと言っても、誰も納得しないに決まっていた。

 だから、ここはテオとしても踏ん張りどころだ。


 ミレイユに引っ張り上げて貰うのではなく、自らの足で到達するから意味がある。

 それはテオにも良く理解わかっているのだ。


 かつて目指した理想をこの手で掴むにあたり、全てを任せきりにする事は出来ない。

 テオの理想に賛同し、そして散っていった同胞はらからの為にも、自分自身で踏ん張らなければならないのだ。


 だが、その成功と達成も、ミレイユ次第で瓦解する。

 彼女らが敗北し、神の支配を終わらせるようでなければ、テオ達の勝利は三年を待たず消えるだろう。テオ達の努力以上に、ミレイユ達の成功にも掛かっている。


 頼ってばかりでは駄目だと思っていたが、結局のところ、ミレイユ任せである事は変わらないのかもしれない。

 テオが自嘲の笑みを浮かべていると、それに目敏く気付いたヴァレネオが尋ねて来た。


「どうしました。戦いの前にしては、似つかわしくない笑みでしたが……」

「いや……、我らの努力も大事だが、結局はミレイユの勝利頼みになってしまっていると思ってな。我らの勝利以上に、彼女たちの勝利は厳しい。……だが、これはその勝利を土台とした作戦だ。頼り切るのは恥と思ったが、結局……頼りにするのと変わりない」

「それはそうかもしれませんが……」


 そう言ってから、ヴァレネオは一度言葉を切り、言葉を探すように視線を動かす。

 ほんの一時いっとき、静寂が降りて、虫の音だけを耳が拾う。

 その一時を長いと感じるより早く、ヴァレネオは再び言葉を発した。


「背を押されるのと、背に乗って任せるのとは全く違います。あるいは、我らはその背に乗っているのかもしれませんが、乗せられている訳ではない。任せきりではなく、我らの手で掴むという心構えがあればこそ、皆が立ち上がり拳を握っている」

「そうだな、……そのとおりだ」

「ミレイユ様は多くを助け、その為の力を与えてくれましたが、あくまで背を押して下さっただけです。その力に乗って走り出せるかは、我らの気持ちと力量次第。――成し遂げて見せましょう」

「そうだな」


 テオは腹に力を入れて頷く。

 彼女の勝利なくして、テオ達の勝利に意味はない。確かに、それは間違いではない。


 だが同時に、全てはテオ達が勝利してこそ、でもあるのだ。

 ミレイユの敗北によって覆ってしまうかもしれないが、彼女の勝利なしで諦めるという事にはならない。


 何が悪いというのなら、神々の謀を覆せない、自分たちの弱さが悪いのだろう。

 ミレイユ達を頼り切る弱さをこそ、恥じなければならないのだった。


 やってやろう、とテオが改めて決意したところで、見守っていた森の民たちからざわめきが起こった。

 それはヴァレネオを中心として巻き起こり、それが伝播して更に大きくなっていく。


 テオも同じく皆が注視している場所を見ると、ヴァレネオの掌の上、結界内に封じられていた氷刃が消滅したところだった。

 ――合図だ。


 それは紛れもなく、誰もが待望していた合図だった。

 これよりオズロワーナを――デルンを攻めろ、という指示に違いなかった。

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