幕間 その2

 森の民が動員できる戦力は、三千人と決して多くない。

 デルン王国が、その一部を動員して二万という数を派遣して来た所から見ても、その戦力差は圧倒的だった。


 刻印という、魔術の敷居を下げた発明もある。

 不利な条件ばかりが重なり、攻めに転じるのは悪手でしかなかった。

 たかだか三千人の兵で落とせるものでもなく、感情は抜きにしても、城門さえ突破出来ないと誰もが理解していた。


 だが、魔力とその制御技術は、そこまで浅いものではない、とミレイユが証明してくれた。

 森の危機、そして自分たち一族存亡の危機を、常に感じていた森の民だ。

 常から訓練の度合いも、その強度も決して疎かにしてはいなかった。


 誰もが自分に出来る精一杯をしていたと自覚していたし、自覚の薄い者には発破を掛けてもいたものだ。

 しかし、それでも制御技術の本質――その表面しか、なぞっていなかったのだと知った。


 魔力と魔力総量も大事な一要素だが、それが全てではない。

 制御技術がなくては十分な運用が出来ず、そして総量は多いだけでも持て余す。

 獣人族のような、種族的特徴として元から少なくとも、その制御技術が、むしろ少ない総量を有利にしてくれた。


 人間は最早、刻印頼りで制御技術を磨こうとはしていない。

 そして全てを刻印が最適化してくれる、と思い込んでいる。

 実際に何度も戦ってきた森の民だから、それを事実として認識していた。


 しかし、本質を知った今となっては違う。

 あれは上辺だけの強さで、本質を理解して使っている訳ではない。

 刻印を使用し続ける事で、より強い刻印が使えるようになったから、強さの種類を勘違いしているだけなのだ。


 強い武器を持っている剣士が、即ち優れた戦士とは限らないのと、同じ理屈だ。

 刻印は、その戦士としての技術すらも与えてくれるから、強い戦士として認識していたが、本当に強い戦士とはアヴェリンやフレンの様な者を言う。


 小手先の技術だけでは、何をしても無意味と思える、存在からして別格の存在。

 アヴェリンとフレンの間でも、大きな隔たりはあるものだが、そのフレンでさえ、正しい制御を学んでからは別格の戦士に成長した。


 魔術は確かに脅威だ。戦える魔術士を揃えるのは、容易な事ではない。

 刻印がそれを可能とした今、数の猛威には最早耐えられない――と、思っていたのは、既に過去の事だ。


 戦士が一様に正しい制御を身に着けた今では、慢心でも傲慢でもなく、必ず勝てる、と誰もが思っている。

 それは、彼らの外側から見ていたテオからしても同感だった。


 何度も城壁内に入り込み、敵兵の戦力を把握しているからこそ言える。

 数で圧殺できると思っている兵たちは、一人一人の練度が高くない。

 強く侮れない兵がいるのも確かだが、今までと比べ物にならない森の戦士たちには、遠く及ばないと見ている。


 その頼れる戦士たちが、テオと共に進軍していた。

 勿論、そこには戦士たちばかりでなく、同じく制御技術と魔術を与えられたエルフ達もいる。

 ルチアと並ぶ実力と言える者は居ないが、それでもやはり以前とは雲泥の力を身に着けた者達だ。


 しかし、その全てがテオ達と共に移動している訳ではなかった。

 オズロワーナの程近く、背の低い草ばかりが生い茂る草原にて、身を潜めて待機している者達もいる。


 あまりに大人数で移動すると目立つから、という理由もその一つだが、待ちきれない者達が先行し始め、仕方なく前方待機を命じた為に起こった事だ。


 テオは纏め役として、頼れる戦力として数えられているものの、纏め上げるカリスマについては微妙なところだ。

 慕われていない訳ではないし、侮られている訳でもない。


 だが、誰もがミレイユを強く認めている為に、テオが一段も二段も低く見られてしまうのだ。

 それについては仕方ない。

 これからテオの努力次第、率いられるに足る人物と、自ら示していけば良いことだ。


 今はミレイユの要望もあって、その功績を横取りしているような形になっているが、この度の戦働きでテオ侮りがたし、と認められたい。


 非力な自分には難行だろうが、やり遂げるつもりでいる。

 既に何度も胸中で決意していた事をあらたにしているところに、隣を歩くヴァレネオが声を掛けてきた。


「緊張してますかな」

「む……」


 考えているところに、唐突な声を掛けられ、テオは一瞬言葉に詰まる。

 すぐに返すべき言葉が見つからず、眉を寄せたのも不味かった。

 ヴァレネオは気遣わしい言葉を向けつつ、叱咤するように言って来た。


「あなたは大将なのです。皆を率いるに足るところを見せなければ。誰もがその背を追いかける……そうしたい、と思わせる様でなければならない。実際のところはどうであれ、他の者に不安を見せるべきではない」

「無論、分かっておる! 大きな戦を経験するのは、これが初めてという訳でもないのだからな!」

「……あぁ、そういえば、そうでしたな。その見た目であると、どうにも忘れてしまうようで」


 ヴァレネオは口で謝罪はしたものの、その声音からは形ばかりのものだと分かる。

 侮り、というほど酷いものでないにしろ、落胆めいたものは感じた。


 実際、外見が頼りなく思えてしまうのは事実なのだ。

 ならば、高慢に見えるぐらいの方が、返って皆を安心させられる。

 リーダーとは、自信アリ気にほくそ笑んでいるくらいで丁度良い、というのは、自己体験からも得た知識だ。


「無論、俺とて不甲斐ない真似は見せるべきでないと思ってる。だが、緊張だけはどうにもならん……!」

「あなたはミレイユ様に託されたのです。その思いに応えなくてどうします」

「託されたというより、譲られたっていう気がするが……」

「そこは別に、どちらでもよろしい。あなたには我らの主義に賛同し――いや、その考え自体は我々より先でしたね。ともかくも、平和と平穏の主義を掲げるに足らん、と立ち上がったのでしょう。その大義を背負う者が、不安を見せてどうします」

「う、うむ。そうだな……!」


 ヴァレネオの言葉は、あまりに重い。

 テオがその主義を抱えて戦ったのは遥か昔の事だが、実際の活動時間となると逆に短い。

 ヴァレネオは二百年以上もの間、その主義と共に戦って来たので、そういう意味ではテオの方が新参といえる。


 だが、己に呪いを掛けてでも、その主義を成そうとした心意気だけはヴァレネオからも認められていた。

 前にミレイユが謝罪と共に称賛した時から、ヴァレネオのテオに向ける態度は改まった。

 ミレイユが言う事ならば、という背景があるからかもしれないが、とにかくそういう理由でヴァレネオからの当たりは弱い。


 弱い……筈なのだが、テオの態度には思うところがあるようだ。

 空元気を出すように去勢を張ったのが悪かったのか、ヴァレネオは目を鋭くして忠告してくる。


「単に見せかけだけの去勢に意味がありますか。騙すというなら、自分自身も騙すべきです。自分以外全てが不安に沈んでいても、自分だけは大丈夫だと、安心させる態度を取るのです。それが如何に味方を鼓舞するものであるか……!」


 ヴァレネオは虚空に向かって熱意のあり過ぎる視線で見つめて、次第に身体がワナワナと震わせた。

 そうして数秒経った後、ストンと表情を落とし、無機質な瞳で見返して来る。


「――私はそれを知っている。それを為せるリーダーがいればこそ、他の誰もが勇気付けられるのです。だから、それを求めています」

「それはミレイユの事を言ってるのか。あいつはいつも、どこか遠くを見ているような奴だったが……。心ここにあらず、という意味じゃなく……何と言って良いか分からないが」

「そうですな。ミレイユ様は、いつも泰然としておられた。十万の大軍を相手にした時も同様、取るに足らないと感じさせる態度をしていたものだ……。圧倒的少数で、非力な我らが、それでも折れずに戦えたのは、一重に……あれがあればこそだった」


 そう言って、ヴァレネオは睨み付ける様に視線を向ける。

 つまりテオにも、同じ事をしろと、出来るべきだと求めているのだ。


 だが、それは強者だけが許される態度だ。

 自信に裏付けされる実力、それがなければ単なる道化となる。

 そしてテオがやるのなら、道化よりも更に酷いものとなるだろう。


「真似したところで滑稽になるだけだ。精々、去勢を張るのが精一杯だろう。俺は、あいつの代わりは出来そうもない。でも、せめてリーダーの名に恥じない鼓舞は出来るようにする」

「えぇ、今はそれでよろしい。何より自信ない態度、自信の見えない言葉というのが拙い。そこに注意していれば大丈夫でしょう」


 そして、後はテオがどれほど鼓舞し、率いられるかに掛かっている。

 多くの力を失った今となっては、それも簡単な事ではない。

 だが、神々の傀儡となっているデルンを排し、また恣意的に行われていた戦争や差別を失くす――。

 その為に出来る限りの事をする、その決意だけは本物だった。

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