幕間 その3
ルチアからの合図を知らされ、後続で控えていた森の戦士が更に一千人加わり、合計四千人で草原の街道へ足を踏み入れていた。
そして、先行していた部隊は草原に身を隠しており、テオ達が到着した時には片膝を立てて待機している状態だった。
草の丈が低いので、そもそも潜伏しておく場所として向いていない。
それでも獣人の身のこなしならば、遠方からであれば辛うじて姿を隠す事が出来ている。
ミレイユが教えてくれた、草を全身に張り付ける擬装も役に立っていた。
元より人通りの少ない街道だけあって、そうしていれば偶然通り掛かった旅人などは騙せていただろう。
だが、今やテオ達を今や遅しと待機しているとなれば、目立たない訳がない。
とはいえ、この段階で見つかったとしても、作戦の遂行に殆ど支障がなかった。
草原の街道は、かつてオズロワーナの農作地帯としていただけあって、街からは目と鼻の先だ。
巡回兵が通りかかったならば、襲撃して情報を持ち帰らせなければ良いし、旅人が通報したとしても、その真偽を確かめる為には兵を派遣しなければならない。
例え千という数を対処するために、軍を動かすとなれば簡単な事ではない。
即応待機していればその限りではないのだが、二万の兵を返り討ちした時から時間も多く過ぎている。
これまで沈黙を保ち続けていたので、デルンの緊張も緩んでいる筈で、通常警戒に移行している事は、既に確認済みだった。
そもそも、ここ何十年も森から出て攻勢に移らなかったエルフ達である。
兵が潜伏している、という情報を最初から鵜呑みにするか、という問題もあった。
攻撃の企図があったなら、二万の兵を返り討ちにした時こそ、好機と捉える筈だ。
それを逃して準備時間を与える意味は、普通であれば無い。
攻勢に不利なエルフ達が、わざわざ準備万端迎撃態勢の整うまで待ってから、攻勢に移る合理的理由はない、と判断する筈なのだ。
だからまず誤報を疑うだろう、というのがヴァレネオの考えだった。
そして実際、準備だけは疎かにしていないデルンに、エルフ達が攻め込むのは大いに不利だ。
これまでの沈黙を、デルン側がどう捉えているか……それで対応も大きく変わる。
二万を迎撃できるだけの戦力を持つようになった、と考えるか、それとも玉砕覚悟と考えるか……。
敵とする相手は、戦争ばかりして来た国だ。
これまでの戦果を考えると、エルフを侮っていても不思議ではない。
だが同時に、だから無能であるとも考えられなかった。
これまでデルンは、常に攻める側だった。
だが、防衛について経験が浅くとも、防御が脆弱であるとは考えられない。
テオは改めて、膝立ちの状態から立ち上がった兵たちを見る。
誰より早く立ち上がり、そして先頭にいたのはフレンだった。
テオの視線に気が付くと、素早く近寄って肩を並べる。
共に行軍しながら、待機させていた兵も同時に前進する様、指示を出した。
待機部隊が前列となり、テオ達後発組がその後に続く形となったのだが、規律正しい行軍訓練などした事がないので、縦横の隊列距離も酷いものだ。
歩行速度も疎らになるのは種族的、身体的特徴もあって仕方ない部分がある。
それでも、著しい遅延や隊列の乱れが出ていないのは、彼らなりのやる気があるからだろうか。
フレンがテオとヴァレネオを見比べる様に、視線を順に向ける。
どちらに話し掛けるか迷った末、結局テオに向かって口を開いた。
「そんだけ雁首揃えて来たってんなら、ミレイユ様の指示があったと見て良いんだね?」
「そうだ。俺たちは精々、派手に暴れて注意を向けさせなきゃならん」
「暴れるのは良いさ、何の文句もない。けど、速攻でカタを付けても問題あるんだろ?」
「自信があるのは結構だけどな。それで足元掬われるなよ、ホント……」
テオとしては精一杯の注意をしたつもりだったが、フレンは全くの馬耳東風で、小馬鹿にした様に鼻を鳴らした。
「油断なんてモンはね、強い奴だから出来るんだよ」
「だからお前は油断を見せちまうんだろ? 違うのか……?」
フレンは獣人族で一番の戦士だ。
元より肉体的な能力は人間より上の獣人族だから、今の隔絶した制御力を身に着けたフレンなら、デルンの兵など恐るるに足らないだろう。
鎧袖一触で打ち払う様子が、テオでさえまざまざと想像出来るのに、当の彼女は全くそう思っていないようだった。
「アヴェリン師に稽古付けて貰った獣人が、ちょっと強いくらいで人間を侮る真似するかよ。あの人は……というか、ミレイユ様の周り全員が規格外だと知ってるけどさ、あれを知ってて警戒せずにいられるか」
「あぁ、なるほど、強い人間は他に幾らでもいる筈だって……? だから油断しないって言いたい気持ちも分かるけど、だから淡々と、順調に制圧されても困るわけだ。戦況推移次第では、手を緩めて貰わなきゃならん」
「そういう話は聞いてたけどさ……」
フレンは悩まし気に息を吐き、腕を組んでは顔を反らした。
「それって言うほど簡単じゃないだろ。勝機を逸して負けたんじゃ、何しに行ったか分からない。これを逃したら次なんか無い、そんなの誰だって分かってる事だ」
「それは同感だ。手を抜いても勝てる、なんて言いたいんじゃないんだ。けど、決着が早すぎても困るんだよ。……それは分かってくれるだろ?」
フレンは直情型で武力を重んじるが、馬鹿という訳ではない。十分に考える頭を持っている。
この作戦の成否は武力的解決を主としているが、同時にミレイユ達の姿を隠す欺瞞工作も兼ねている。
混戦が継続すればするほど、彼女達を助け支援する事に繋がるし、それをフレンもまた、十分に理解している筈だ。
「分かるけどさ。でも、暴れたい奴らを止めるのは、簡単じゃないってことも分かって欲しいんだよ。敵が予想外に弱卒だった場合を、考慮に入れるとしてもさぁ……。長引かせる事は仲間の死を招くのと同義じゃないか。心情的には受け入れ難いね」
「……だな。だから、一番良いのは、敵の防御陣地を奪った上での睨み合いだ。敵の増援が見込めない状況であるなら、尚のこと良いが……」
「馬鹿、そんな都合の良い展開があるもんか。……けど、こっちだってミレイユ様の思惑を滅茶苦茶にしたいわけじゃないからね……。状況次第としか言えないけど、長引かせる方向で動く」
「あぁ、助かる」
テオはホッと息を吐いたが、フレンは反らしていた顔を戻すと、凄みながら顔を近付けて来た。
「具体的な時間は?」
「とりあえず、半日……」
「半日だぁ……!?」
フレンの目付きが鋭く細められ、威嚇するように口の端を曲げる。美しい歯並びと犬歯が顕になり、そのきつく閉じられた歯は、今にも獲物を求めてアギトを開こうとしている様に見えた。
テオに近付いていた顔は更に距離が縮まり、それから逃げようと更に身体を仰け反らせる。
フレンは更に近付こうとしたが、動きを止めると唐突に顔を戻して鼻を鳴らした。
「……フン。それなら、まぁ……何とかするか。鬼族は硬い連中が多いから、上手く活用するのが鍵になるかね?」
「お、おぉ……」
テオも仰け反った身体を戻して頷くと、隣で見ているばかりだったヴァレネオが口を挟む。
「実際、それが鍵になるでしょうな。何より種族間の連携が物を言う。奴らに勝てる所があるとするなら、一律規定の戦力ではなく、その多様性でしょう。しかし活用できなければ、ただ乱雑で散逸する戦力でしかない。同時にそれこそが、課題となりそうです」
「その上、要所を見極めて勝ち過ぎるな、ってな。……ま、森の民の未来の為だ。ウチの奴らも気張るだろうさ」
「そして何より、長引かせ、欺瞞が上手く働けば、それだけミレイユ様の利として差し上げる事が出来る。直接的な手助けは無理としても、これが大きな一助となると知れば、誰もが励む事だろう」
ヴァレネオにそう言われては、フレンも頷くしかないらしい。
大いに決意を固めた表情を取り、興奮を吐き出す代わりに息を吐いた。
「それを言われるとね……。何しろ、こっちだけが成功したって意味はないんだ。むしろ、ミレイユ様が失敗しようものなら、全て元通りだ。……いや、もっと酷いか」
「間違いなく、更なる悲劇が繰り広げられるだろう。単に同じ事が継続して起こるだけ、とは考えられない」
ヴァレネオが断言して、辺りに沈痛な雰囲気が流れる。
ミレイユに心酔している二人からすれば、これが単なる国盗りの失敗とは考えていない。
何しろ、過去にない神々への弑逆である。
単なる死で済まない罰が下される事は間違いなく、そして、見せしめも兼ねた凄惨な処刑が行われるだろう。
その際でも、黙って見ている二人ではないだろうが……、結果は変わらないと思う。
更にその責任は、森の民全てに波及する事となる、と見て間違いない。
元より神々から捨てられた民だ。
今更、神の慈悲など縋るつもりはないが、最後まで負けっぱなしなど性に合わなかった。
そして、敗北程度で簡単に諦められるなら、テオとてこんな事にはなっていない。
ここにいるのは、諦めの悪い者達ばかりだ。
テオは改めてヴァレネオとフレンの顔を、それぞれ見つめた。
相変わらず度胸の据わっている二人から緊張は感じられないが、自信ばかり満ちるという訳でもないようだ。
現状の不確かさをしっかりと理解し、最善を尽くそうという気概に溢れている。
二人の姿勢に励まされ、テオも腹の底に力を入れた。
遠くにはもう、オズロワーナの姿が見えて来ている。特徴的な見張り台が見える城郭は、遠くからでもよく分かった。
そして、こちらから見えているというのなら、相手からも見えているという事だ。
にわかに都市の方から、騒ぎらしいものが発生し始める。
勝ち過ぎてもいけないが、負けが込みそうな戦いをするのも許されなかった。
まずは先手を取り、相手の首根っこを抑える事こそが先決だ。
テオは胸いっぱいに空気を吸い込み、魔術を介して声を広げる。
「者共、駆け足! 閉扉するより早く入城するのだ! 相手に有利を与えるな!」
『オオォォォッ……!』
即座に返事があって、まず前列の獣人部隊が走り始めた。
やはり行軍として纏まった走行は無理だったが、どちらにしてもエルフは追いつけないし、鬼族は更に遅れてしまう。
オズロワーナを攻める場合の定石として、門扉を閉ざさせる事を許さず、その上で開閉機構を壊す、というものがある。
オズロワーナには日々多くの商人が出入りするだけあって、巨大な門扉が用意されている。
巨大故に閉じるのも、開くのもまた簡単ではないから、ここを抑えられるかどうかが鍵なのだ。
普段は開かれたままで、衛兵が見張りをしているのだが、今日の様に敵軍が押し寄せてくるとなれば、泡を食って閉めようとする。
しかし、商人の行列、都市への入城を考える人は基本的に後を絶たない。
彼らを排除するなり、締め出すなりしなければ、門扉を閉じられないのだが、彼らだって外に残されるのは断固として嫌がる。
そこで互いに足を引っ張り合ってくれるのが理想と思いつつも、脅威に思える敵が近付いて来るなら、今後の商取引に禍根を残すと理解しつつ締め出すだろう。
だが、中には冒険者も居て、こちらに利するつもりが無くとも抵抗しようとする者もいる。
このタイミングでそういった者がいる保障は、必ずしもないが、もしもを考えられる程度には希望が持てた。
そして何より――。
「ユミルはちゃんと、本当にやってくれたんだろうな!?」
「ミレイユ様の側近だ。約束した事は守るだろうさ」
神々の相手を請け負ったミレイユだが、デルン相手に何も手助けしない、という訳でもなかった。
その一つが、南門を開閉不可能にさせる、というもので、ユミルが開閉機構を壊してくれる手筈となっていたのだ。
ただ、普段のぐうたらな性分を見ていると、本当に出来るのか、出来たとして本当に完全な無効化は可能なのか、という疑念を捨てきれなかった。
だが、近付いていく程に分かる。
門扉の上にある開閉機構周辺で兵たちが群がり、必死に何かを動かそうとして、それでも悪戦苦闘が未だに終わらない姿を晒していた。
「ハッ、いい気味だ! 何をやったかまでは分からんが、とにかくやってはくれたみたいだな!」
「敵軍としても、攻め込まれたらまずそこを塞いで時間を稼ぎ、防備を固めようと考えるでしょう。まずは進めるだけ、奥まで進軍してしまうがよろしいかと」
「そうだな! 皆の者、都市部に手を出すなよ! 攻めるべきはデルン、向かう先は王城だ! 他は無視して突っ走れ!」
既に門扉の入り口付近にいた旅人は、蜘蛛の子を蹴散らすように逃げていて、動きの遅い商人達も、巻き込まれまいと馬車を引きずる勢いで逃げようとしている。
それらを無視して入城を果たせば、行商や露天商も必死に商品をかき集め、道を開けて両端ギリギリまで寄っているところだった。
古くから都市に住まう者達は良く心得たもので、家の扉を固く閉じ、飛び火を避ける落とし戸を閉め、固く沈黙を保っている。
攻め込む側としては、非常にやり易い対応だった。
テオはデルンとは直接関係ない人々へも、言い聞かせるつもりで声を発する。
「進め、進め! 他のものには一切、手を出すな! 前進せよ、足を止める事なく前進せよ! 王城を目指すのだ!」
怒号を上げて疾走り行く戦士達に負けない声を張り上げ、テオは腕を振り上げ一直線の先に見える王城を指差した。
王城の目前には、刻印を用いたと思われる防御陣地が、着々と作られようとしている。
今ここに、森の民とデルンとの、壮絶な戦争が始まろうとしていた。
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