第十二章
しばしの別れ その1
目の前でミレイユとアキラが孔の中へ消え、次いでアヴェリンの視界も、インギェムの掛け声と共に黒く染まる。
足元から接地感が消え、それが浮遊感へと一瞬で変わった。
心構えは既に終わっていた。だが、突然の変貌に困惑の方が勝る。
すぐ傍にルチアとユミルも居た筈だが、果たして間違いなく近くにいるのか確信が持てない。
それ程、自分と世界が隔絶されてしまったのだと感じられた。
しかし、困惑は長く続かない。その直後、足元に点と等しい程の小さな穴が生まれた。
孔は次第に大きくなる。それが口を開いた所為なのか、それとも孔の出口へ近付いた所為なのか。
どちらか判然としないまま、アヴェリンは流れに任せて武器を握る。
事ここに至って、大事にすべきは敵に対する強い意志だ。
アヴェリンは自分の出来る事――眼の前に現れるであろう敵の、頭を砕く事に専念すれば良い。
雑念を抱えたまま、集中せずして勝てる相手ではないと理解していた。
足元の点は急速にその大きさを変え、みるみる内に拡大されていった。人が潜るに十分な大きさまで拡がると、穴の奥には人影が見えた。
何者かの直上に繋がっていると分かり、そしてインギェムの言葉が嘘ではないと分かった。
近付く程に対象の姿形がハッキリと見えて来て、その体格から相手は女性だと判断できた。
ベージュ色の髪をした頭頂部が、素早く顔を左右に向けて警戒しているのが分かる。
慌てふためく事なく、自身の置かれた状況を瞬時に判断しようとする姿勢は厄介に思えた。
アヴェリンはメイスを握り締めて、落下速度を乗せて一撃加えようと、武器を振り上げる。
そうしながらも、痒い所に手が届かない転送に、アヴェリンは大きく顔を顰めていた。
――どうせなら、もっと高所から落とせば良いものを!
速度を打撃力へ変換するには高さが足りない。
中途半端な場所へ放り出された、というのがアヴェリンの素直な感想だった。
インギェムが自分の事を戦闘に向いていない、と言っていたのは、どうやら事実だったらしい。
頭上から一撃加えてやれば良い、という発想が出来るなら、どうして落下速度を乗せる事に頭が回らないのか。
アヴェリンは舌打ちを抑えるのに苦労しながら、強くメイスを握り込み、そしてタイミングを測って全力で振り下ろした。
「――チィッ!」
だが初撃を外し、今度は抑えきれず盛大に舌打ちをする。
敵は頭頂部に触れる直前で何かに気付き、上を振り向く事なく身体を前に投げ出して回避してのけたのだ。
アヴェリンが出来た事と言えば、髪の毛を数本千切り飛ばしたぐらいで、敵は受け身を取って床を転がり、十分に間合いを離した上で身構える。
だが、その時にはアヴェリンも、着地と同時に床を蹴り出していた。
初撃を外し、そして逃げられたからと諦め、様子見に徹するアヴェリンではない。
察知されたのも、躱されてしまったのも事実だが、それでことらの全貌を理解した訳ではないだろう。
未だ混乱の最中にあり、適切な対応など出来ない筈だった。
そこに猛攻を仕掛けてれば、対処できず
そして、何よりアヴェリンは、一人きりで攻撃する訳でもなかった。
後方で次々と床に着地する音を聞きながら、アヴェリンは仲間の援護を信頼して、更に一歩、大きく踏み出す。
敵対する神――グヴォーリもまた、戦闘に長けた神ではないと聞いているが、それでも人の身で神に挑むというのは大事だ。
その上、ミレイユというリーダーを欠いての戦闘なのだから、苦戦は免れないと分かる。
未だ現状を把握できず、混乱しているこの時間は、万金を払っても得られないチャンスだ。
そのチャンスをアヴェリンが最大限に活かすには、嵐のような攻撃を加え続ける事だった。
「ハァァァア……ッ!」
アヴェリンはメイスを振り下ろし、そして返す動きで逆袈裟に打ち払い、一歩踏み出す動きで更に追撃を加えた。
メイスという打撃武器が剣に勝る点があるとするなら、それは刃を立てずとも有効打になる、というところだ。
どのような角度、どのような振り回し方をしても、当たりさえすれば大きなダメージを与えられる。アヴェリンに技術がない訳ではないが、力任せに振るうには適した武器だ。
そして、アヴェリンは自身の性として、武器を振り回し、叩きつける方が好みだった。
その乱撃を、グヴォーリは手に武器も、盾も持たずに受けていく。
「ぐっ!? この……っ! 馬鹿力……ッ!」
「何だ、神が泣き言か……? 笑い話にもならん!」
アヴェリンの一撃は、ドラゴンの頭蓋にさえ罅を入れる。
かつては一撃で砕けていた事を思えば非力になったと思うが、それでも巨岩程度ならば容易く砕く威力を持つ。
だが、それを素手で捌けている時点で、グヴォーリもやはり神を名乗るだけはあるのだ。
初撃を受けた手の甲は、赤黒く腫れて変色しているが、それ以降の打撃は上手く避けて致命傷から逃れている。
アヴェリンが一撃加え、そして一撃受け、避けられる毎に、防御精度を上げている。
一つの体験、一つの攻撃、一つの攻防で、恐ろしく早く学習しているのだ、とその数瞬後に分かった。
早期決着が出来なければ、グヴォーリはアヴェリンへの対策を万全にしてしまう危険すらある。
「こいつ……!?」
「少し馬鹿にし過ぎだよ、神ってもんを」
グヴォーリが皮肉めいた笑みを浮かべ、魔術を行使し腕の周りを防壁で囲んだ。
一つ攻撃を防げば、一つの対応を学び、そして同じ攻撃は二度と通じない。
アヴェリンは再び胸中で舌打ちした。
今はグヴォーリから攻撃して来ないから、外から見れば有利な状況に映るが、その実追い込まれているのはアヴェリンの方だ。
「そのまま! 縫い付けて!」
短く声が聞こえて、それでユミルが何かを仕掛けるつもりだと悟った。
あれのやる事はいつも面倒で、迷惑を被るようなものばかりだが、それが敵に向けられるとなれば、今だけは頼りたい気持ちになる。
そうとなれば言われた通り、自らの攻撃を対応される事も飲み込んで、アヴェリンは猛攻を繰り返し続けた。
最初はぎこちなく、受けたとしても衝撃を逃がせず身体が泳いでいたのに、今では完全に対応して勢いを殺されてしまっている。
――今はまだ良い。
だがグヴォーリが学習し、アヴェリンの攻撃を見切り、最早敵ではないと判断されたら、その瞬間から反撃が始まるのだろう。
無論、アヴェリンの攻撃全てが、最初から見切られている訳ではない。
虚実入り交じった攻撃をする事で、初見の攻撃は、まず対応できずダメージを負う。
だが、カリューシーがそうであったように、神というのは存在からして、とにかく頑丈だ。
並大抵の人間なら、既に複雑骨折して身動き出来なくなっている。
それほど打ち込んでいるのだが、肌には殴打痕が残るばかりで、致命傷になっていそうなものは見当たらなかった。
これが元より殴打という攻撃に対して滅法強いだけなのか、それとも何か対策されている結果なのかは分からない。
戦闘が得意でなくとも、防御ぐらいは気に掛けている、という事なのかもしれなかった。
身に着ける物へ付呪するだけで、得られる効果というものは多い。
ならば、神だとしても、それらを活用していると考えるべきだった。
むしろ、武術を活用し、普段から鍛えていないからこそ、強力な魔術秘具に頼ろうと思うものだろう。
アヴェリンの攻撃がまた一つ防がれ、のみならず攻撃へ転化しようとした時、足元からヒヤリとした冷気が流れて行った。
瞬時に何をするつもりか悟って、アヴェリンは大きく跳躍する。
その直後、ルチアが放ったと思われる魔術がグヴォーリを包んだ。
微細な氷は吸着すると同時に膨れ上がり、次々と体積が増大させていく。
アヴェリンが再び床を踏む時には、グヴォーリは足首から膝上まで氷で固められていた。
「……ほぅ?」
「――余裕ぶった声だしてんじゃないわよ!」
そして、側面に回り込んでいたユミルが、両手で制御していた魔術をグヴォーリへ撃ち込んだ。
一直線に飛んだ光弾は、脇腹に当たって小さな火花を上げたが、それだけだった。
ダメージらしきものを受けておらず、続いて何かが起きる気配もない。
命中した部位からは、帯電してパチパチとショートさせる様な音が鳴っているものの、それが何等かの痛痒を与えている様には見えなかった。
アヴェリンは口汚く罵りながら、地面を蹴って殴り掛かる。
「でかい口きいておいて、結局不発か!」
「アタシが使える、対個人に使える最大級の魔術だからねぇ……」
だから失敗した、とでも言いたいのか。
腹の中から燃え上がるような怒りを力に変えて、アヴェリンはグヴォーリに殴り掛かる。
グヴォーリもまた拍子抜けした様に脇腹を撫でていたが、即座にアヴェリンの動きに反応を示して、足元の氷を砕いて構えた。
迎撃体制も万全と見えて、またも胸中で舌を打つ。
最初から、ユミルに期待したのが間違いだった。
何か強烈な一撃でも撃つのだろうと、アヴェリン自身、大きく距離を離したのも手痛いミスだ。
ルチアの補佐もあり、動きを封じてからユミルの攻撃だったので、てっきり連携した何かがあると思ったのだ。
ルチアが敵の行動を氷を封じる事は、直後の攻撃を補佐する時に好む手法で、そして拘束された相手に決定打を加える貴重な一助となって来た。
強敵相手に効果は長続きせず、早くて一秒で解かれてしまう拘束だが、アヴェリンやミレイユになると、その一秒の拘束が決定的なチャンスを生む。
ユミルの攻撃に期待などしなければ、そのチャンスを活かして、アヴェリン自身が致命的な一撃をぶつけられたかもしれない。
――それこそ、状況を打破する決定的な一撃を。
収まらぬ怒り、幾らでも湧き上がるかに思える怒りを、グヴォーリ目掛けて殴り付けた。
だが、もはやアヴェリンの攻撃は、単純に正面から殴り付けるだけでは有効打にならない。
一つの打撃を受け、二つの打撃をいなし、そして外へ流される。
だが、アヴェリンもやられっ放しでいられず、外へ流される動きを筋肉で無理やり推し止めて、空いた脇腹――帯電している場所目掛けて殴り付けた。
その次の瞬間、目を覆う様な閃光と共に爆発が起こる。
「――ぐあっ!?」
アヴェリンも衝撃と共に、殴りかかった時とは逆方向に吹き飛ばされた。
咄嗟に受け身を取ろうとしたが、身体が痺れて動かない。
メイスを握っていた手から腕は特に強く、握り込んだ手は固まって、逆の意味で動いてくれなかった。
背中から床に落ち、そのままゴロゴロと回転して床の上を滑って行く。
そのまま一回転ごとに勢いが削がれ、最後には壁まで押し戻されて、ようやく止まった。
その時には偶然にも傍にルチアがいて、声を掛けられるより早く、治癒術が飛んでくる。
痛みも痺れも瞬時に消えて、それで目の前へ注意を向ける余裕が出来た。
そうして、にわかに理解する。
アヴェリンが爆発と思っていたのは、ある意味で間違いではなかったが、火炎などによる爆発ではなかった。雷が眼の前で局所的に発生した事による誤認だったのだ。
では、何故そんな閃光の爆発が起こったのかと思えば、直前にユミルの使った魔術に原因があると見て間違いないようだ。
「あぁぁぁ!! あぁぁぁぁ……ッ!!」
グヴォーリは今や、攻撃を受けた腕を中心に、雷を全身に纏わせて痛みに苦しんでいた。
身動き一つ、叫び声一つ上げる度に、そこへ反応して雷が内側から発生しているようにも見える。
そして、それが次なる身動きを呼び、そこから更なる苦痛を呼び起こすのだ。
アヴェリンは、未だ痺れている気がする右腕を上下に振りながら、得意満面で笑みを浮かべるユミルへ、威嚇する様な目を向けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます