努力と魔力 その3
それから更に一週間が過ぎた。
新たに金策も思いつかぬまま、磨り減っていく資産を見ては、眉間に皺を寄せる日々も変わらない。そしてアキラがアヴェリンに転がされている光景もまた、変わりなかった。
今日もミレイユは二人の鍛錬を椅子に座って眺めていた。
アキラは間違いなく努力しているし、非才な身でよくやっているとも言える。ろくに防具も身に着けない中、いつも身体を傷だらけにして、痛みに耐えて武器を振るっている。
それは傷がその日の内に癒えるという期待があればこそなのかもしれないが、拷問めいた鍛錬に、よく着いてきているというのが本音だった。
言われた事を即座に実行できないし、何度注意されても同じ間違いを起こす事もある。それでも投げ出さず、続けられているのは一種の才能だ。
ミレイユも、そこだけは素直に感心していた。
しかし、実力差は如何ともし難い部分がある。
元より最初から追いつけるとも、追い縋る事も出来ないとは思っていた。まだひと月も経過していないのに、見切りを付けるのは早いという気がしないでもない。
存在としての在り方が違うのだから、そもそも同じ尺度で見るべきでもないのだろうが、それでもアキラの実力は既に頭打ちが見えていた。
このまま剣術道場で大会入賞を狙うのなら、問題ないだろう。
生死の分かれ目を経験するような事はなく、運悪く骨折するような事故はあっても、それ以上はない。あくまで同じ人間と切磋琢磨し、優勝を狙うという意味なら望みはある。
そういう意味での伸びしろなら、これからもあるように思えた。
しかし、アキラが身を置こうとしている世界は、ルールが存在しない殺伐とした世界だ。相手をするのも人間ではなく、人型ですらない場合もある。
人間以上の俊敏性、人間以上の腕力、人間以上の体力を持った相手に、常に不利な状態から勝利をもぎ取らねばならない。
インプのような弱い相手ならばよかった。
防具や魔術秘具を用いた防御壁を破れないような相手ならば、武器さえ相手に通じれば勝つことはできる。しかし、最近は
いかにも大儀そうに出てきたから、あれがオオトリのように見えたものだが、トロールは別に強力な存在という訳ではない。むしろ雑魚に分類される敵で、だからあれを相手に出来ない以上、アキラはあの世界でやっていけない、と判断するしかない。
アヴェリンが痛みに耐えて、武器だけは手放すな、と激を飛ばすのも、そもそも生き残る最低限の条件だからという理由ばかりではない。
武器を持った相手が厄介だと感じるのは、知性ある動物ならどれもが共通している。
あくまで逃げる機会を損なわない為にそうさせているのであって、勝つ為にしているのではなかった。武器すら持たない人間は、敵にとって格好の餌だ。
痛みに負けず、武器を手放さねければ、最後の起死回生――決死の逃亡も有り得ない話ではないのだ。
アヴェリンは初日に少し打ち合って、早々に戦うのではなく逃げ切る手段を与える方向に舵を切った。どうせ勝てないのなら、というアヴェリンなりの優しさだった。
それはまだアキラ本人には言ってない。
実際アヴェリンの鍛練は、常人なら最初から逃げ出していてもおかしくないようなものだ。鍛練というより拷問の類いで、傷が癒えるからと続けられるものではない。
だからミレイユも聞いたのだが、アキラは続けると決意ある表情で言った。
逃げ出したくなる時はあるのだろう、実際先週は逃げ出す素振りを見せた。しかし、それでもまだ続けているのだから、大したものだと言える。
それとも、アキラはこの鍛練が順当なものだと思っているのだろうか。
弱い自分が悪いのだ、という自責の念と共に受けているのなら、それもあり得るのかもしれなかった。
ミレイユは改めてアキラを見る。
打ち込み、しかし逸らされ、反撃を受け、吹き飛ばされて着地も出来ず転がっていく。それでもし立ち上がり、即座に刀を構えた。
そして再び斬りかかって行く。二度、三度と切り結び、やはり隙きを見出され、打ち込まれて悶絶したところを蹴り飛ばされる。
立派だと思うのと同時、不憫にも感じる。
ミレイユは勿論、アヴェリンだっていつまでも師匠として面倒見る訳ではない。どこかで見切りを付けねばならないし、そして見切りというなら既に付いているのだ。
あとは不都合な真実を突きつけるだけ。
ミレイユはむっつりと口をへの字に曲げ、足を組み直して肘掛けに頬杖をつく。
不機嫌な表情を隠そうとしないまま、二人の鍛練する光景を見つめ続けた。
◆◇◆◇◆◇
アキラはアヴェリンからの打撃を躱し、反撃として上段からの一撃を振り下ろした。あっさりと受け止められ、鍔迫り合いのような格好になる。
顔が近づいたのを好機と見て、ひっそりとアヴェリンに話し掛ける。
「あの、師匠……? ミレイユ様、すごい見てくるんですけど……」
「だから何だ、不都合でもあるのか」
「いえ、それはないんですけど。……やり辛くありません?」
「直々にお前の実力を見定めて頂けているのだ。感謝して集中しろ」
そうと言われては、アキラも集中するしかない。
しかし明らかな不満顔、不機嫌顔とあっては、アキラも冷静なままでいられなかった。
切っ先が鈍り、集中力も落ちる。
それに活を入れるようなアヴェリンの攻撃に、アキラは何とか躱して転がって逃げる。
再び立ち上がった時には既に眼前にいる。鉄棒が振り下ろされると分かって、更に前転して避けた。足に纏わりつくように腕を振るい、どこでもいいから斬りつけようとしたところで、まるでボールを蹴るようにしてアキラが蹴飛ばされた。
長い滞空時間の末に地面に落ちて、一度跳ねて止まる。
衝撃で息が止まって視界も定かではないが、それでも動かねば更なる痛みを受けるだけだと知っている。転がりながら、腕の力と反動で起き上がり、アヴェリンがいるだろう方に刀を構えた。
不機嫌な視線はジリジリと、熱を持つようにアキラの顔を貫いて来る。
何なのだ、と文句も言えず、集中しようと試みるも、いると思ったアヴェリンが見当たらない。姿を完全に見失い、心が乱れたところ、横合いから殴られ吹き飛ばされる。
起き上がろうとしたが、既に体力も限界、到底起き上がるなど不可能に思えた。そういう時は素直に言えと言われている。だからアキラは絞り出すように声を出した。
「む、無理です! もう無理!」
「そうか……」
すぐ傍までやって来ていたらしいアヴェリンが、上から平坦な声を落とす。そうして分かりやすく鉄棒を構え、大きく振りかぶり――。
アキラが身を躱すのと、その場に鉄棒が振り下ろされたのは同時だった。大して力を入れていたようには見えなかったのに、まるで大砲が着弾したかのような振動が走る。
叩きつけるような砂と衝撃波が身体を打ち、顔を守っていた腕にもビシビシと音を立てて石が当たった。
地面の惨状を見て血の気が引いた。小さいクレーターが出来ていて、生えていた雑草も根こそぎ抉られている。もしあれを避けられなかったら、肉が抉れるどころの騒ぎではなかっただろう。
「なに考えて――!」
非難しようと声を上げたところで、アヴェリンが冷淡な視線で指を向けているのに気付いた。
指された場所、アキラの足元に目を向けても、特に何があるわけでもない。その不自然さと理不尽な暴力に怒りを燃え上がらせようとしたところで、アヴェリンの方から声がかかる。
「立てているじゃないか」
「……え?」
言われた事が理解できず、アキラが目を白黒させていると、アヴェリンから再び冷淡な視線と共に指摘される。
「自分の状態をよく見てみろ。両足で立って、身構えてすらいた。……どこが無理だ」
「あ……」
そこまで言われて漸く気づく。
アヴェリンの一撃に身の危険を感じて躱し、そして衝撃から身を守りつつ、次の備えとして立ち上がっていた。それは今まで教訓から得た癖のような動きだったが、確かに精根尽き果てた人間に出来る動きではなかった。
それを指摘されて、アキラは息が詰まる。
本当は動けるのに、楽がしたくて、単に楽になりたくて音を上げたのだ。それを見抜いたからこそ、アヴェリンは過剰に思える攻撃をしてきた。
今まで教訓から、危機察知能力を発揮して、躱せるところまで計算して、そのような攻撃をしたのだろう。
アヴェリンは不甲斐なさに呆れているだろうか。怒っているだろうか。
その両方な気がしてきた。
先程から感じるミレイユからの不機嫌な視線も、もしかしたらそれに気付いてのことだったのかもしれない。
アキラは自らを恥じて俯いた。
もう無理だと思ったのは嘘ではない。実際感じた身体の重さは、これ以上動けないと言っていたように感じた。しかし疲れと痛みが、アキラに楽な方へと逃げさせたのだ。
そこにアヴェリンからの声がかかる。
「恥じる必要はないぞ。動けないと思ってから、それでも咄嗟に動けるのは命の危機を感じた時だけ。最後の最後まで余力を失くすまで動き続けられる人間は、そうはいない」
「そうかもしれません。……でも、僕は楽な方に逃げたんです。ミレイユ様も呆れています……」
ふむ、と呟いて、アヴェリンは鉄棒を肩に担いで腕を組んだ。
「お前は自分の事を、全く駄目だと思っているようだな」
「違うんですか……?」
「いいや、正しい評価だと感心している」
一瞬縋るような目で顔を上げたが、アヴェリンからのにべもない評価に、再び頭を下げた。
「じゃあ何故、駄目なのかを考えた事はあるか」
「経験が浅いから、覚悟がないから、努力が足りないから……、多分そんなところだと思います」
「そうか……。だがその三つは、別に大した問題ではないがな。むしろ考慮に値しないというべきだろう」
アキラはアヴェリンが言うことが理解できない。
大概色んな事に檄を飛ばされて来たから、何が良くて悪いのか、今でもよく分かっていない。ただがむしゃらに食らいついていけばいいと、そういう浅い考えであった事は否めない。
だがアヴェリンが言う事は、そういう部分ではないように思う。
あるいはもっと、根本的な部分なのだろうか。
「……才能がないとか、そういう話ですか」
「非常に近い。……そうだな、立ち話をするのも辛かろう」
震えつつも、それでも立ったままでいるアキラを見て労るように言った。
実際、アキラが今も立っているのは単なる意地だ。小突けば容易く倒れ、そして今度こそ起き上がれないだろう。
アヴェリンの珍しい気遣いに感謝しつつ、アキラは尻から落ちるように腰を下ろす。
足が楽になったと同時に、身体が弛緩し、気力まで弛緩したかのようだった。ものを考える事まで放棄して、視線の先にある雑草を意味もなく見つめる。
今はただ動きたくなかった。
アヴェリンは小さく息を吐いて、短く告げた。
「……いいだろう。話の前に、しばらく休憩だ」
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