努力と魔力 その2

 アキラを連れ帰り、傷を癒やして学校に送り出すと、アヴェリンは元よりミレイユも暇になる。現在は資産を食い潰して生活している訳なので、新たに収入源を作る必要があった。

 質屋の件では、上手くいったとも失敗したとも言えない。

 相手の出方がよく分からず不透明、目的もまた不透明、それが判明するまでは迂闊な手段を取る訳にはいかなかった。


 今はまだ残り金額に余裕があるとはいえ、残金がギリギリまですり減ってから、新たな収入の当てを探し始めるという事態は避けたい。

 しかしここで壁になるのが、ミレイユたちには戸籍がないという点だ。


 銀行口座も持てないので、基本的に振込の給料形態には就職できない。そも戸籍がない時点で履歴書も書けないし、職歴もないからまともな職にもつけないだろう。


「はぁ……」


 ミレイユは溜め息をついて、箱庭の中にある自室をぐるりと眺めた。

 多くの価値ある書籍が壁際に整然と並んでいるが、ここでは大きな価値などつかない。あるいは古書としての価値を認められるかもしれないが、それとて二束三文。


 しかもまた謎の集団に先回りされる心配もあり、これが相手方に渡るのは避けたいところだ。かといって、他に有用な手段があるかといえば……、なかなか難しい話だった。


 結界内の魔物素材を売却できれば、結界潰しにも意欲が湧くというものなのだが、あれらの素材に買取業者なぞ存在しない。

 魔物が絶命し、結界が崩れる前に素材を採取し個人空間に仕舞えば、素材は消えないことが分かった。幾つかの錬金素材として用いることもできるし、中には傷薬として活用できるものもある。

 そういう意味では有用ではあるのだが、これを日本円に替えられないのなら、やはり大きな意味はなかった。


 ミレイユは自室の椅子に座りながら、腕を組んで唸り声を上げる。天井を見つめながら思案していると、部屋の外から気遣う声色でアヴェリンが名を呼んできた。


「……ミレイ様、何かお困り事ですか?」

「うん、金策を考えていた」

「ああ……」


 ミレイユの答えを聞いて、アヴェリンも納得した顔で頷く。

 入ってもいいかと丁寧な言葉遣いで聞いてきたので、頷いて一脚椅子を用意する。ミレイユも椅子を反転させて座り、それで正面から向かい合う形になった。


「我々が好むやり方では、この国の法が邪魔をするという話でしたね」

「この国の法というより、私達が既に法を犯しているせいで働けないんだがな。現状、いわば不法入国に該当するだろうから」


 ふむ、と難しい顔で眉を寄せ、しばし考えてから口に出した。


「真っ当で駄目なら不当な手段で手に入れるしかない、という話になりますが」

「まぁ、そうだが。しかし、いずれ自分の首を絞めるような方法じゃ、稼げたとしても意味はないだろう。因みに、何を思いつく?」

「そうですね……。恐喝、強盗、詐欺、スリ……あとはギャンブルといったところですか。ですがそのような事、選択肢に入れるのは如何なものかと」


 指折り数えて言うアヴェリンだったが、渋い顔をして首を振る。唯一ギャンブルは違法性がないが、ギャンブルは基本的に負けるように仕組まれているものだ。

 だからこそ成り立っているとも言えるのだが、生活費を稼ぐためというのは、ギャンブルをする上で最もやってはいけない事だ。

 それは必ずいつか身を持ち崩す。そういう話は、こちらでもあちらでも枚挙に暇がないものだ。


「しかし……、しかしだ。魔術を使ってバレない方法なら、これは勝てるギャンブルとしてやっていけるんじゃないか?」

「……それは詐欺なのではないでしょうか?」

「勿論詐欺だ。しかし詐欺というよりイカサマだ。そしてバレなければイカサマじゃないとも言うし……」

「ミレイ様、お気を確かに……!」


 思考が徐々に悪へ傾きかけていたのを、アヴェリンの呼び掛けで押し戻された。

 余裕のない逼迫した心理状態が、ミレイユの気持ちを後ろ向きにさせていた。

 まだ貯金に余裕はある。

 まだ、――まだなのだ。だがしかしそれは、あくまで『まだ』でしかない。


 今はまだ足りている。

 しかしそれが、いつか必ず、いずれ足りない、に変わるだろう。それを考えると、ミレイユは言いようもない焦燥感にかられるのだ。


 皆の前だから余裕ぶって見せているが、食料を買って残り金額が減っていくにつれ、口がへの字になっていくのを止められなかった。

 余裕ある暮らしぶりを見せているのも、他のものに心配をかけたくないからだった。一家の家長として、以前と同じ水準で、全員の余裕ある生活を維持する義務がある。


 一週間ほど前に行った喫茶店も、正直手痛い出費だった。

 自分がコーヒーだけで済ませていたのも、甘いものが苦手だからという理由からではない。少しでも出費を抑えようという、涙ぐましい努力だったのだ。

 実際はまた行きたいと思いつつ、それが未だ叶わないでいる。


 正直な事を言うと、ミレイユは今にもアヴェリンに抱きつき、その胸に額をぐりぐりと押し付けたかった。不安だと嘆いて慰めて欲しいという欲求が膨れ上がるのを感じていた。

 しかしそれをぐっと腹の奥底に押し込み、余裕ある態度で肘掛けに腕を置いた。背もたれに身を預け、小さく息を吐いて笑みを作る。


「ああ、すまない。我ながら取り乱した。しかし、公式賭博――競馬、競輪、競艇、宝くじなどは、運の要素が強く、また付け入る隙もない。損する公算が高い……却下だな」

「あの、本当に賭博で身を立てるおつもりですか……?」

「ああ……、そのつもりだが。なに、上手くやれるものを探して選ぶ。何度も勝てば怪しまれるから、一度で大きく儲けられるような……」


 アヴェリンは一度顔を伏せ、それから一生一度の決心を思わせる表情で顔を上げた。


「ミレイ様、不遜ながら申し上げます。そのような……賭博で身を立てるなど、貴方様に相応しくありません! 今この瞬間、収入を得る手段がないのは確かです。ですが、一時の感情でご自身の誇りを投げ捨てるなど、そのような事あってはなりません!」

「アヴェリン……」

「どうかお急ぎにならないで下さい。ミレイ様に相応しい手段は必ず得られます。ミレイ様は特別な御方、それに相応しい地位と収入が、必ず得られましょう。それまでどうか、心静めてお待ち下さい」


 言い終わると、アヴェリンは背筋を伸ばして一礼した。深い深い一礼は、無礼と判断すれば首を落として良いという表れだった。

 ミレイユは椅子から立ち上がり、アヴェリンの前に立ってその肩をそっと押し上げる。

 その瞳をまっすぐに見つめ、ミレイユはごく柔らかい笑みを浮かべた。


「お前の忠義に感謝する。よく私を諌めてくれた。……お前の言葉を励みにして、今は耐えよう。そして己に恥じない行動をすると、お前の主人として誇れる行動をすると誓う」

「誓うなどと……! ミレイ様におかれましては、恥じない行動を取られるだけで、それが正道となるのです。それを見せつけてやれば、衆愚も悟ることでございましょう」


 ミレイユが手の甲を上にして差し出せば、アヴェリンはそれを両手で捧げ持ち、その指先に額づける。そうする事が出来る喜びに、アヴェリンは打ち震えているようだった。


 その光景をたまたま通りかかったユミルが、一部始終を見ていた。

 呆れた表情で最後まで見てから、やはり呆れた口調で一言零した。


「……何やってんだか」

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