努力と魔力 その1
それから一週間が過ぎた。
アキラにとっては相変わらずの毎日だったが、変わってきた事もある。
一つは剣術道場にて、気の入り方が違うと褒められた事。どこかスポーツチャンバラのような浮ついた気持ちがなくなったと、そう師範に指摘されたのは間違いなくアヴェリンの指導のお陰だと思う。
このまま精進すれば、御前試合の本戦出場も夢ではないと太鼓判を押された程だった。
アキラは一気に自信が増して、アヴェリンとの鍛錬にも力が入った。
それはアヴェリン自身にも伝わったらしく、気を良くして更に熱心な指導が飛ぶ。一つ階段を登れたと思ったら、容赦なく次の階段を用意して、それがまたとんでもなく辛い。
今まで本当に手加減してくれていたんだと、実感できてしまうのが更に辛かった。
食いついてこれるなら、まだこれくらい出来るだろうと、要求されるレベルが上がり、それについていけなければ転がされる。出来ないという泣き言は聞き入れて貰えない。
アヴェリンが出来ると判断したなら、アキラはそこへ到達できなくてはならないのだ。
そして実際、着いてきているのだから、アヴェリンの慧眼は大したものなのだろう。
後は、だいたい三日に一度の割合で発生する結界に、参加するのを正式に許可されたこと。
発生に前後のぶれ幅はあるものの、今のところは大きな誤差もなく、ルチアの探知範囲に入ったもので同行を願えば着いて行ける。
発生時期は不明でも、発生時間はほぼ固定で、夕方の終わり頃だと経験から判断された。
それからというもの、アキラは帰る時間を早め、決して夕暮れより後にならないよう気を付けている。
参加するから毎回死ぬ目に遭うかと言えば、そうでもない。
最初のインプにも善戦できたとはいえ、大きな顔は出来ない結果だった。それでも怪我もなく勝てたのだ。怪我がなかったのは装備のお陰でもあったが、ともかくも勝利を握った。
トロールのような敵が出てくれば、それはアキラの出番ではないが、雑魚敵の露払い程度なら、いつでもアキラが担当として動く。
そうして実戦での勘を磨きながら過ごしてきたお陰で、アキラにも少ないながら自信というものが身に付いてきた。
これで傲慢になるというのならともかく、確実に己の糧とし吸収するため精進してきた。
だから間違った事は、決してしていないと思うのだが――。
アキラはあくまで視線を眼前のアヴェリンに集中しつつも、横から向けられる視線を努めて意識しないよう注意していた。
常と変わらず、今日も朝日が昇る頃からアヴェリンと鍛錬を始めていた。
しかし今日に限って違うのは、その鍛錬にミレイユも着いてきた事だ。暇だからという理由で着いてくると言い、断ることも出来ずいつもの原っぱで鍛錬を開始した。
ミレイユは少し離れた場所に、いつもの椅子を用意して、追加でテーブルやパラソルなんぞも設置してしまった。完全にそこだけ異質な空間が出来上がっていたが、意見できる者がいる筈もない。仮にいてもアヴェリンが封殺していただろう。
だから鍛錬が始まってからこちら、横から刺すような視線を受けてやり辛さを感じていた。
だが、そこで思い直す。
実戦でやり辛さを感じるなど、むしろ当然の事。敵はいつだって、自分へ不利になるよう動いてくるし策を講じてくる。今までの敵はせいぜい大声を出すとか、奇声を出して威嚇するといった程度だった。時には位置取りを有利に取ろうと動く敵もいた。
それを思えば、単に視線を受けただけで集中を乱すなど、あってはならないことだった。
アキラは集中している自分を自覚しながらも、更に気合を込めてアヴェリンを見つめる。
構えた刀で、どこに打ち込もめば良いか迷い――、そして一歩踏み出した途端、動きを封じられた。
「――ッ!!」
首元へ、既に鉄棒が触れている。
考える時間が長すぎる、というアヴェリンからの指摘だった。
思考時間が長ければ、それは敵にも考える時間を与える事を意味する。戦場で眼前に敵がいる状態で、それは悪手だといつも言われていた。
動きを止めた状態で、アヴェリンが身を引くのを待つ。
アキラの視線に理解の色があることが分かると、鉄棒を引いて、改めて構えた。
今度は相手が構え直すよりも早く仕掛け、そして足を払われ宙に浮き、地面に背中から落ちる前に鉄棒で打ち落とされた。
「ゴホッ! おごぉぉぉ……!!」
アキラは思わず獲物を手放し腹を抑える。
身を捩り、くの字に折りながら、痛みに必死に耐える。顔は歪んで涙を流し、口から涎が垂れるまま、痛みが引くのを祈ったが、一向にその気配がない。
「……内蔵をやったか?」
他人事のように言うアヴェリンへ、アキラは恨み言を言おうとしたが、それも痛みでままならない。アヴェリンが近くに屈んで服を捲り、腹がどうなっているか見分する。
抑えていないと我慢ができないと思っていた腕を振りほどかれ、腫れている部分に触れると、アキラは痛みで絶叫した。
「ぁ、イヤ痛ああぁぁぁあ……!!」
「……これはやったな」
どこまでも他人事のような台詞だが、実際この程度は怪我の内に入らないと考えているのだろう。アヴェリンはアキラの肩を掴むと、強制的に起き上がらせる。
落ちていた刀を拾い、痛みで顔を歪ませているアキラの手に、その刀を握らせた。
そして頬を張って顎を掴む。
「痛がっている暇があるなら、痛みに耐えつつ武器を振るえ。そういう鍛錬には、実に丁度いい案配だ。続行するぞ」
「や、やるんですか、この……この状態で……?」
アキラの声に先程までの気力はなかった。痛みですっかり萎縮してしまって、涙目のまま懇願するようにアヴェリンの意思を確認している。
アヴェリンはそれに一片の同情も見せずに頷いた。
「痛みは慣れで耐えられる。逆に言えば、慣れねば耐えられん。今その怪我をしたのを幸運と思え。実戦で痛みに悶えて、そのまま殺されてやるつもりか? 死にたくなければ武器を振るえ!」
「はいぃぃ……!」
アヴェリンが檄を飛ばして、アキラが泣き顔のままとりあえず刀を構える。
痛みに耐えながらなんとか持ち上げている状態で、とてもそこから動けるようには思えない。足を踏み出さないアキラに業を煮やして、アヴェリンの方から仕掛ける。
握力の伴わない構えが、あっさりと武器をその手から飛ばす。
あっと声を出す暇もなかった。
アヴェリンはそのまま腕を打ち据え、足を打ち据え、屈んだところに肩を打ち据えた。
痛みに悶えて悲鳴を上げるしかないアキラの髪を掴み、強制的に顔を上げさせる。
「馬鹿にしているのか貴様! 痛みに耐えろ! 耐えて武器を振るえ! 武器を簡単に手放すな! 何度言わせる気だッ!!」
アヴェリンは髪から手を放し、頭を握って放り投げる。
アキラは抵抗らしい抵抗も出来ず、そのまま地面へ強かに身を打ち付けた。
腹だけでなく、今は腕も肩も足までもに痛みが走っている。いつまでも寝転がって痛みが引くのを待っていたいと思うのと同時、そうすればアヴェリンから追撃が来るか見放されるか、どちらかだと理解もしていた。
それでもアキラは立ち上がる事が出来ない。
だから這いずるように動き、刀の元まで戻って手に取り、それに縋るようにして立ち上がった。感覚がなく、言うことをきかない腕を柄に添え、生きている腕で握り込む。
荒い息を食いしばった歯の間から吐きながら、気力だけで目の前のアヴェリンを睨み付ける。
足を踏み出そうとしたが、打たれた足が言う事をきかない。無理して動かしても痛みで歯を食いしばる力が増すばかりだ。
あるいはそれが良かったのかもしれない。
アヴェリンが振るった鉄棒は刀を弾いたが、腕が大きく外に向かっただけで、今度は手放す事はなかった。
アヴェリンの口に笑みが浮かぶ。
その顔は見事だ、と言外に語っているように見え――、そして再び肩を打ち据えられた。
先程とは別の肩だっただけ温情があったのかもしれないが、アキラは痛みに悶絶して膝をつく。
「な、なんでぇぇ……ッ!!」
「……何故だか癪だった」
あまりに酷い言い草に、アキラは堪らず涙を流す。痛みばかりの涙ではない、尊厳から流れる涙でもあった。
蹲って耐えているアキラに、アヴェリンからの蹴りが飛ぶ。
「いつまでそうしているつもりだ。さっさと起きろ、まだ時間が残っている」
「うぐぅ……ぐぐぐうぅ……!」
もはやアキラからは、ぐぅの音しか出てこない。
必死の気力を振り絞り、出来る限界まで己を鼓舞し、痛みに耐えて立ち上がったのだ。それをああもあっさりと打倒され、しかも癪だという理由で転がされては、アキラとて立ち上がる気力を失う。
再び蹴りが打ち込まれそうになった直前、遠くから――しかしよく通った声で制止が掛かった。
「あまり、そうやって虐めてやるな」
ミレイユの声にアヴェリンの動きが止まる。持ち上げていた足を降ろし、身体の向きを変えて一礼する。
アキラにとっては天上の声に聞こえた。この窮地、この地獄から救い出してくれる救済の声。
アキラは涙で目の前が塗れてよく見えない視界の中、ミレイユに向けて感謝の視線を送る。
そこに白い光がアキラを包み、一瞬で傷が癒えていく。
ミレイユがやってくれたのだ、とはすぐに知れた。この場で他にそれが出来る者などいないし、使った瞬間は見えなかったとはいえ、その手から光が消える瞬間は目撃できた。
アキラは立ち上がって刀を胸に当て、一礼する。
ミレイユは咎めるような視線でアヴェリンを見、それから声を掛けた。
「痛みに慣れる訓練は分かるが、最初から飛ばしすぎだ。痛ければ気力も萎えるものだ、痛む状態で更に痛めても逆効果にしかならないだろう」
「ハッ……! 考えが至らず申し訳ありません」
「だから、傷の癒えた今なら、また同じ訓練が出来るだろう」
「え゛……!?」
アキラの絶句など目に入っていないようだった。
アヴェリンは得心と感銘の表情をミレイユに向け、ミレイユは幾度か首を上下させる。
――悪魔だ、人の皮を被った悪魔がいる……。
天上の声とか救済とか、そんな感情を抱いた自分の馬鹿さ加減を笑う。元より怪我をさせても別にいい、と考えているような人達なのだ。傷が瘉えれば更に傷が増やせるなどと考えていても、全く不思議ではない。
「いや、おかしいでしょ! 今のはもう完全に傷が治ってありがとう、今日はもうおしまいってなる流れでした! 絶対そうでした!」
「うるさい。――吠える元気があるなら、まだまだ痛めつけても大丈夫そうだな」
「やだ、嫌です! 人殺し!!」
「アヴェリン、殺しだけはダメだぞ」
アキラの悲鳴も、ミレイユからの能天気な発言に肩透かしを食らう。
アヴェリンも心得たように頷き、アキラに向かって壮絶な笑みを浮かべた。
「安心しろ。絶対に殺すような真似はしない。殺してくれと懇願するまで痛めつけてやった事もあるが、そいつはそこから更に三日生きた。お前もそれぐらい上手くやる」
「何ですか、それ! 絶対やばいやつでしょ! どういう例えでどういう状況でそんな、……いや待って、待ってくださいよまだ喋ってるさいちゅ――いっっだぁぁぁ!!!」
バシィィン、と甲高い音が辺りに響いた。
何とか逃れようとするアキラに、アヴェリンは言うこと無視して容赦なく近付き、その太腿に鉄棒を打ち付けた。再び転がるアキラを足蹴にして、上から声を放った。
「早く起き上がらないと、更に痛くしていくぞ」
「う、うぅ、くそっ……!」
口汚く罵って、アキラは立ち上がる。アヴェリンに向かって刀を構えようとして、咄嗟に身を翻して逃げ出した。
「ああ……、なるほど。この私から逃げられると思ってるのか。まさか、といった感じだな」
言い終わると同時、アキラは頭から地面に激突していた。
一足飛びに追いつき、そのままの勢いで頭を掴み、地面に押し当てたのだ。草原の上、土は柔らかいとはいえ、アヴェリンの走力と腕力で押し当てられては痛いでは済まない。
顔の片方を土まみれ草の液まみれにしながら、その顔を持ち上げられる。
「はい……ずびまぜん……」
「無駄に終わると分かっていただろうに。つまらない振る舞いをするな」
「あるいは、今日はここまでと。思ってもらえたらと……」
アヴェリンは嘆息してアキラを投げ捨てた。
言葉短く、今日はもう終わりだ、と告げてミレイユの元に帰っていく。
アキラは背中から地面に大の字に転がり、青い空を眺めて荒い息をついた。
「呆れ、られた、かなぁ……ッ」
アヴェリンの鍛錬は実戦的だ。それは間違いない。しかし実戦的すぎて着いていけない時がある。今日はまさにそれで、しかもミレイユまで加わって扱こうというのだから、この身が幾つあっても足りない思いだった。
流れていく雲を眺めながら、あの二人が合わさる日は要注意、と心に刻んだ。
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