幕間 その2

「ちょっと待ってください……!」


 ルヴァイルは言われた事を即座に理解できず、咀嚼するのに時間が掛かった。

 最初から移住を念頭に置いていた、というのなら、世界をあるべき姿に戻すなど不可能なのではないか。

 創造神すら匙を投げ、新天地を目指すというのなら、そういう事になりはしないか。


「この……この世界は、滅びるしかないのだと、そう言うんですか」

「……そうね、そう思うわ。でも、まだ分からない」

「どういう事です……? まだ他に、何か知っているのですか?」

「知ってるのは私じゃないわ、ラウアイクスよ。本当に大事な事、重要な事は、彼の頭の中にしかない。最も近しいグヴォーリでさえ、恐らく全ては知らされていない」


 立て続けに知らされる新事実で、ルヴァイルは目眩がする思いだった。

 繰り返す時の中で、ルヴァイルは多くを知ったつもりでいた。

 実際それは事実で、どうせまた繰り返すのだからと、大胆に情報を探った事もあった。


 それが次周の自分に役立つと信じて、そして『円満な解決』があると信じればこそ、大胆な背水の陣を張れたのだった。

 だが次第に、何百、何千と繰り返して行けば、引き出せる情報も乏しくなる。


 これ以上何も出てこない、何を探ろうと新発見はない、と思ってからは積極的な情報収集をしなくなった。

 だからこそ、ルヴァイルは全てを知ったつもりになっていた。


 だが、違うのだ。

 何があっても秘匿しようと考えているラウアイクスから、その全てを聞き出す事、調べ上げる事は不可能だったに違いない。

 だからこそ、今になって知らない事実が顔を出して来た。


 ルヴァイルは我知らず、奥歯を強く噛み締める。

 ――元より世界を救えないのだとしたら、一体、何の為に……!


 ルヴァイルが知る前提として、ここまでミレイユを信頼できる味方として手を組み、そして勝算を持って神々に挑める事など無かった。

 惜しいと思える事はあったものの、今回の様な形まで持っていけた事は皆無と言って良い。


 だから、そこより先へ踏み込んだ情報など知らなかったし、より深い事実など知りようもなかった。

 それこそが、ルヴァイルの失態だろう。


 一億を超える試行回数の中で、知らない事、知り得ない事など無いと高を括っていた。

 自責の念に捕らわれているところに、オスボリックの平坦な声が落ちる。


「でもラウアイクスは、移住なんてを考えていなかったと思う。彼は何より神々が――自分が大事だから、地上で暮らす無辜の民を思って、身をやつすつもりなんて毛頭なかった」

「それは……えぇ、分かる気がします」

「ラウアイクスはどう考えていたか分からないけど、創造神である本当の大神もまた、似た考えだったと思う。無辜の民より、自分達の保全を優先しようとしていた」


 大神は完全なる善として存在ではない。

 それは理解していた事だ。

 しかし、大神もまたラウアイクスと同じ考えをする神であるというなら、ルヴァイルは一体何を頼みにすれば良いというのか。


 足元から全てが瓦解して行くような錯覚を覚え、それを認めたくなくて必死に言葉を紡ぐ。


「しかし、しかし……! それは根拠ある意見なのですか? 単なる予想ではなく」

「汎ゆるものの根源――その理として、永遠は無い。創造神であってさえ、それは例外でなかった。でも、抗おうとした……のだと思う」

「思う? 真実は違うと? ならば――!」

「早とちりしないで欲しい」


 オスポリックは首をゆるりと左右に振ってから、言葉を続ける。


「小神を贄に使う延命措置、それを作ったのは本当の大神が先でしょう。ラウアイクスはそれを模倣する事を思い付き、他の神と共同して改良したに過ぎないわ」

「それは……、えぇ。でも、それを言うなら元になった計画も、大神と世界の維持を兼ねたものだった筈ではないのですか?」


 生贄延命計画、と言い換えても良いかもしれない。

 存続や維持に、より強いエネルギーを欲した結果、神魂を利用するしかない、という結論に至った事を始まりとしているのではないか。


 そして、生贄として小神が幾体も用意され、ルヴァイルもそうして作られた。

 いや、と思い直す。


 多く繰り返して来た事で、記憶の齟齬が生まれて曖昧だが、それだけが――単に延命が理由で小神を作った訳ではなかった筈だ。

 ――そう、生贄にするのは、あくまで副次的効果でしかない。


 失敗作だから捨てるのではなく、再利用する為に贄とするのだ。贄が先にあって、エネルギー変換に用いるのではない。

 そこは八神が協同した、神人計画と事を同じくしている。


「……いえ、でも、そう……。ラウアイクスは『鍵』を作ろうとしていた……のだし、大神の計画を沿っていた筈だから……。大神もまた、『鍵』を作ろうとしていた……? いや、でも大神は『遺物』を最初から十全に使えた筈……。『鍵』など必要としていない。ならば、何故……」

「さぁね……。より優れた、より特別な存在を欲していたのではないか、と思っているけれど……。永遠の生など無い、というなら、次を考えての行動かしらね」

「次……? 次代へ繋ぐ為……? 己で子を成すのではなく?」


 ルヴァイル達にその気がないから子はいないが、生殖機能それ自体は持っている。

 誰かに強く焦がれる事は無かったし、だから子を欲しいと思った事もないが、どちらにしても相手がいなければ作れない。

 そして、その相手をどうするか、という問題があった。


 欲しいなら地上の誰か適当な人間でも使えば、と短絡的に考えてしまうが、そうも出来ない事情がある。

 子を成せるとしても、その持ち得る魔力に隔たりがあり過ぎて、神の基準からすると凡愚と思える子しか生まれないのだ。


 大神にも同じ事が言えるのだとしたら、それが理由なのかもしれない。

 自分と同じか、せめて納得できるだけの力量なくして、次代を任せられない、という事だとすれば一定の理解は出来る。


「それで、わざわざ外から魂を連れ来る、などという遠回りな方法を選んでいた訳ですか」

「それだけが理由じゃないわ。移住先の選定も兼ねていた、という話よ。魂の成熟具合は、文明の成熟具合と比例するものらしいの」

「成熟……? つまり、石器文明のような文化形成しかない魂は、未だ不完全だと。そこから持ち出すより、より高度な文明を築いた世界なら、魂もそれなりの成長が期待できる、そういう話ですか……」

「それが事実なのか私は知らないけれど、そういう基準を設けて、選定していたのは間違いないみたいね。そして、だからこそ、先史文明が邪魔になるとも考えていた。『地均し』を必要としていた理由は、そこにあるのでしょう」


 ルヴァイルは、今更ながらその悪辣さに身震いする思いを抱いた。

 大神にも寿命と呼べるものがあり、そして、いつか死を迎えてしまうというのも仕方がない。


 それと同時に世界の死も招くというのなら、それを偲びないとして、対抗措置を講じたところに文句などなかった。


 世界そのものが消えてしまうなら、無辜の民を逃がす為に、別世界を移住先と考える事は自然に思える。

 しかし、それは同時に侵略でもあった。


 特に後継者とする神の為に、魂を現地から収集し利用するところが、悪辣さを感じずにいられない。

 効率的ではあるのだろう。しかし、あまりに他を蔑ろにし過ぎる。


 そして、スムーズな移住を助ける為の『地均し』という土木兵器の運用が、何より悪辣に思えた。

 恐らくは――。


 その選定元になる世界は、魔力を持たない世界なのではないか。

 選べるというなら、きっとそうなる。


 魔力を持たない相手に、神造兵器は無類の強さを発揮するだろう。

 仮に持っている世界を引き当てたとしても、やはり神造兵器が持つ、エルクセスの鎧甲が魔力を吸収して利用する。


 そして、全てが更地となった世界を、新天地として恵み授けるつもりだったのかもしれない。

 どの道、神は世界を超えられないが、『未完成』の素体状態なら問題なく移動できる。

 渡った先で奇跡の様に見える何かを見せてやり、信仰心を生み出せば、そこで昇神できるという目論見があるのかもしれない。


「悪辣です……。あまりにも、利己的に過ぎる計画ではないですか」

「魂を拉致するだけなら、まだマシだわ。『鍵』の一つで解決しようという、ラウアイクスの方がまだ恩情がある。元より世界を超えられないから、そうするしかなかった、とも言えるけど……」

「でも結局、神造兵器を持ち出して攻撃しました」

「仕方ないわ、ミレイユは逃げ出したんだから。『鍵』を取り戻そうと思ったら、それぐらい使わなければ不可能だと思うもの。神々と同レベルで戦える奴を、神を使わずどうやって取り戻せっていうの?」

「でも、それは――!」


 それは傲慢な神の理屈だ。

 話し合いの使者を送るなど、穏当な手段は他にもあっただろう。

 ミレイユに『遺物』を使わせたからと、彼女の身命に被害がある訳でもない。


 交渉、報酬次第で上手くやる道もあった筈だ。

 結果として、それがミレイユを徹底抗戦させる動機となり、決定的な破滅を招いた。


 自由に『遺物』を使われるなど、神々からすれば悪夢だろうから、何かしらの枷は必要だったろう。

 しかし、エネルギーがなければ使えないのは変わらないのだし、互いの合意の上で契約を結ぶなど、上手くやる方法はあった筈だ。


 そこまで考えて、だとしても神々は決して認めない、とルヴァイルは考え直す。

 使うかどうかではなく、使える者が自分たちの意志に反する可能性、それ自体が問題なのだ。


 契約で縛れると言っても、相手も唯々諾々と従うとは限らないし、所謂法の抜け穴を使って対抗して来るかもしれない。

 それは勝手な憶測に過ぎなかったが、自分を殺せるナイフを握らせたままに出来るか、という問題でもあった。


 神々は、自分たちの出自からして反旗というものに敏感だ。

 だから、常に警戒する。


 単純に願い、交渉する、という程度で安心できないし、許容できない。

 そもそも求めているのは『鍵』としての役割であって、鍵を自由に使える責任者ではない。


 仮に交渉して連れ戻したとしても、その意志や自由すら剥奪して、好きに使えるよう工夫をしていた筈だ。

 ならば最初から、衝突は避けられなかったという事になる。


 ルヴァイルは深く溜め息を吐いた。

 身から出た錆――、そう表現すべきなのだろう。

 ともかくも、考える程にどこかで綻びが見え、そして破滅に繋がるようにしか思えない。


 その時だった。

 ルヴァイルの背後に孔が空き、そこからインギェムが飛び出してくる。


「良かった、間に合ったか……! お前じゃ戦闘になった時、相当心配だったからな!」

「あちらもその気がなかった以上、戦闘など起こりようがありません。興味深い話も聞けました。……引き籠もっているしかない彼女の、時間稼ぎという手段に付き合わされただけかもしれませんが……。それで、どうなりました?」

「己がここにいる時点で、もう察しはついてるだろ? ミレイユはシオルアンを討った。今はラウアイクスと戦ってる最中だ。だから繋ぎ止める必要がなくなったんで、こっち来たんだよ」


 ルヴァイルは深く頷いて、オスボリックの平坦な表情を見つめる。

 今もそれは変わらない。その、表面的な部分については。


 しかし、動揺の気配までは隠せていなかった。心なしか青褪めてもいるようにも見える。

 彼女からすると、待っていれば事態が好転すると思っていたのかもしれない。


 しかし、それは全くの逆で、神々は今、岐路に立たされている。

 既に一柱落ちたというのなら、世界の維持は破綻を意味し、そして急速に傾く事になるだろう。

 こうして話している時間すら、惜しい程だった。


「大神に寄る世界の復活や維持について期待できない、……それは分かりました。けれど、足元が崩れている状態なら、まずその足場を固めようとはしてくれるでしょう。諸共死ぬつもりなど無い、とは考える筈……。今はそれに賭けませんか」

「そして、世界がとりあえず安定した状態になれば、対話する余裕も生まれる? より良い改善策が生まれるかも? ――あり得ないわ」


 そう言って、オスボリックは天を仰ぎ、そして大きく息を吐いた。


「……これで終りね、何もかも。破滅は既に始まっていたかもしれないけれど……、これから真の破滅が始まるのよ」

「そう悲観的になるな。ミレイユには見所がある。あいつなら……」

「そういう意味じゃないわ。大神はこの奥に居ない。……もう死んだ」

「なんですって……?」


 オスボリックの表情は変わりない。しかし、嘘を言っている様にも見えなかった。

 背後に光る黄金色の壁を横目で一瞥し、それから腕を振るって解除する。

 その目にはありありとした、諦観が浮かんでいた。


「私が封じていたのは、大神の死骸よ。腐り果て、泥になってしまった毒素……あらゆるものを侵す毒、大神の瘴気を封じていた。終わりというなら、私が幕を下ろすまで」

「ばっ……! 待て、早まるな!」


 インギェムが焦った声を出して手を伸ばしたものの、それ以上は結界に阻まれ近付けない。


「私が死ねば、数秒と保たずに結界が消える。逃げるなら早くする事ね。……とはいえ、それも少しの猶予が、生まれるだけに過ぎないでしょうけど」


 そう言って目を閉じると、背後から毒々しい色をした、粘性の液体が流れ出てきた。

 それは確かに泥の様に見えたが、単なる泥にも見えない。


 液体の表面には気泡が作られ、弾いて消える度、その代わりに毒性と思われるガスが吹き出る。

 それに触れたオスボリックの肌は、みるみる内に爛れて、肉が腐り落ちていった。


「オスボリック……! 待って、最後に……!」

「駄目だ、もう遅い!」


 追い縋るように結界へ近付いたルヴァイルの手を、逆に離れようとしたインギェムが握って引き離す。

 オスボリックは既に自立している事すら出来ないらしく、膝から力なく崩れ落ちた。

 今も指先から腐り、骨すら見え始めた両手を、皮肉げな笑みを浮かべながら見ていた。


「オスボリック、貴女の『不動』を使って、神造兵器を留めていたのでしょう? 止める手立てを知っているのではないですか!? それを、それを最後に……!」

「知らないわ……。そういうの、大事な事……。全て……ラウ、アイクスが……」


 ガスに触れても爛れるのは早かったが、泥に触れれば更に早かった。

 直接触れたと思うや否や、瞬きする間にオスボリックの身体が腐り落ちていく。


 そして、力なく身体が倒れたと同時、その身体は光球へと姿を変えた。

 流石に光球まで泥で侵せるものではないらしく、そのまま天井を突き破り飛んで行ってしまった。


 ルヴァイルはそれを呆然と見つめていたが、インギェムの強く引っ張る力で我に返る。

 インギェムが指し示す方向には、既に孔が開いて待っていた。


「急げ、逃げるぞ!」


 オスボリックが言ったとおり、その発言と同時に結界が砕かれ消える。

 抑え付けていた瘴気が襲い掛かってくるようにも見え、慌てて孔の中へと身を投じた。

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