幕間 その1

 ルヴァイルがオスボリックの後を追い、彼女の神処に乗り込んだ時には、既に結界を張って待ち構えている場面だった。

 権能を使って作られたものだから、突破する手段がルヴァイルには無い。


 こうなる前に追い付きたかったし、出来れば使う前に話が出来れば最善だった。

 とはいえ、元よりルヴァイルとオスボリックは親しい間柄でもなく、特にオスボリックは感情を表に出さず無口なタイプだ。

 問われるまで口を開かない事も多く、挨拶以外の会話を交わした記憶も遥か彼方だ。


 その女神が、赤紫色の髪の奥で、怯えた視線をルヴァイルに向けていた。

 ドラゴンに攻め込まれた危機的状況は、戦闘能力のない彼女にとって、さぞ恐ろしく感じる事だろう。

 ドラゴンとは神々にとって天敵のようなものだから、怯える気持ちは理解できる。


 しかし、その怯えた表情は、ドラゴンというより、ルヴァイルに対して向けられている気がする。

 彼女の表情には、それが顕著に表れていた。

 オスボリックは何かを知っている――あるいは、何かに勘付いている。

 恐らくは、ルヴァイルが裏切りや策謀を巡らせて動いているのだと、既に分かっているのではないか。


 そして、この状況にあってオスボリックを追って来た事が、その証明と受け取ったのかもしれない。

 状況が状況だけに、神処に引き籠もって結界を使用するのは不自然と言えないが、ルヴァイルに向ける視線は不自然に思えた。


 ルヴァイルは一歩踏み出し、結界で隔てられているとはいえ、可能な限り彼女へ近付く。

 オスボリックの背後には一本の通路があるのみで、そこで警戒心も露わに立ち尽くしていた。

 恐らく、その先にあるのが、大神を封じている間だ。


 通路の奥には扉の付いていない、大きいと予想できる部屋があり、唯一の出入り口には黄金色に煌めく輝きで封じられている。

 その輝きがあればこそ、部屋の内容は窺い知れない。

 だが逆に、見えないからこそ、そこに大神が封じられているのだろうと思った。


 ルヴァイルもまた権能は戦闘向きでないし、戦闘経験自体ひどく昔のことになってしまっていて、武器を持って戦える自信がない。

 それでも、反旗を翻した瞬間から、戦う意志は持っていた。

 ミレイユから気高い決意を聞いた時から、そしてその手を交わしてから、ルヴァイルの掌には常に熱が灯っている。


 ミレイユ達が戦っている横で、何も出来ない不甲斐なさを見せる訳にはいかない。

 そして、ろくな戦力にならない身とはいえ、出来ることはある。


 ここで大神を開放できたら、彼女達への、この上ない援護になるだろう。

 そのつもりで、ルヴァイルは結界の境い目まで近寄り、半透明の壁に手を置いた。

 言葉が通る結界かは分からない。しかし、とにかく声を投げかけてみる。


「オスボリック……、分かるでしょう? 終わりの時が来たのです」


 彼女からの返答はない。

 それが単に聞こえないだけなのか、それとも返答するつもりがないのか分からなかった。

 それでもルヴァイルは、届くと信じて言葉を重ねる。


「貴女も、この世の歪みは良くご存知でしょう? 遠い世界から魂を呼び込み、世界を存続させる為、自分達の安全の為に利用していた……そのツケを払う時が来たんです。元より道理から外れ、邪な考えから生まれたもの……。どうにもならない手詰まりが来るまでに、それを正さねば……! 分かるでしょう?」


 ルヴァイルとしては、必死に説得を試みているつもりなのだが、オスボリックの不審感は増すばかりのようだった。

 怯えるだけだった瞳が、今では敵意を見せるようになっている。

 眉根に寄った皺は更に本数を増やし、敵意はその数に比例するかのようだ。


「神人計画は失敗に終わります。ミレイユを使った時点で、もう『次』など訪れない。一柱でも損失すれば、世界の維持は不可能……急速に破滅へ近付いていく。それを覆すには、もう大神に頼るしか方法がないのです……!」

「……それが、貴女の結論?」


 それまで決して口を開こうとして来なかったオスボリックが、ここでようやく反応を示した。

 眉間に刻まれた皺の数は変わらないが、声に敵意は含まれていない。

 ただ純粋に、疑問を呈しているように見えた。


「ラウアイクスが言っていた、というのが、それ? 何をしようと、破滅は免れないと?」

「そうです、八神で行える事に限界があるのは、貴女も良く知っている筈……! 世界を削って無理してまで、という歪んだ形でしか維持できなった事が、その限界を如実に表している。今まで、必死に目を逸らしていた事を、直視する日が来たに過ぎません……!」

「それは出来ない。認められない……!」


 オスボリックが声を荒らげて否定する。

 普段から無口な所しか知らないので、突然の激昂に、ルヴァイルは思わず面食らってしまった。


「認められない……? 何故、そこまで頑なになるのです……? このまま、ラウアイクスに付いて行けば、すべてを解決してくれると思いますか?」

「彼は努力しているわ。今まで、彼の努力がここまで世界を存続させていた。それまで協力的とは言えなかった貴女が、それを今更持ち出さないで」


 オスボリックの主張には一定の正論があって、ルヴァイルは思わず息が詰まる。

 ラウアイクスの方針とは、つまり下界の生命を食い物とする事にあった。

 崩れ落ちようとする世界の維持に神が力を割いているのだから、その恩恵に預かる生命は、神の為に利用されて当然、という主張だ。


 ルヴァイルはそれに賛同する事は出来なかった。

 神は偉大かもしれない。

 しかし、だからと生命を、人間を、肥料の様な扱いに落とす事は納得できなかったのだ。

 しかし代案もなく、ただやめろとも言えない。


 そしてルヴァイルに、より良い代案を思い付ける頭脳はなかった。

 だから、唯々諾々でないものの、その方針には従う素振りを見せていた。

 確かにそれは、最初から協力的姿勢を見せていたオスボリックからすると、怠惰な姿勢に見えただろう。


 表立って否定こそしないものの、さりとて恭順でもない。

 それを今更、声高に否定するのだから、裏切り行為と見られても当然としか言えなかった。

 そして実際、ルヴァイルは彼らを裏切ったのだ。


「全てを大神に、返す時が来たのです。我らは不当に奪って来た。それを返すだけ……正しい、あるべき姿のところへ」

「……無理よ。無理だわ」

「何故です……。確かに、返上したなら、我々も裁きを受けるでしょう。それは避けられません。でも、その為に何もかもを道連れにするつもりですか。この世界のみならず、ミレイユの住む世界にまで破滅を呼び込んで……! 一体、どれほど犠牲を出せば気が済むのです!?」


 ルヴァイルは情で訴えたが、今更そんな事で絆されたりしないようだった。

 すっかり表情を落として、無機質な視線を向けて来る。


「貴女は……、そうか。最初から立ち位置が違ったものね。戦えないから大神と対峙していないし、後方支援、そして覇権を奪った後の役割しか求められていなかった。だから、大神という存在を、偉大な創造神としての側面しか知らない」

「単に偉大な存在と、盲目に信じている訳ではありませんよ。小神を作り、世界にテコ入れする方法を考えたのは、大神の方です。真に偉大な存在なら、そんな小手先の方法など……まして、残酷な方法など取らないでしょう。特別優れた、慈愛に溢れた人格性を持っているなど思っていません」


 ラウアイクスとグヴォーリが推し進めた神人計画とは、つまり大神が作り出した計画の焼き直しに過ぎない。

 大神の失敗と、その対策を練って生まれた新たな計画、という内容だとは知っていた。

 しかし、ルヴァイルは言われたままに協力しただけだから、その深いところまでは知らない。


 現在の八神も、贄という前提で生み出したのが大神だ。

 そうである以上、何もかもに慈愛を注ぐような存在でないことは想像がついてしまう。

 自分自身の命も含めて、先行きがないと諦めているのは、それが理由だ。


 オスボリックは黙ってルヴァイルの意見を聞いていたが、緩く首を横に振ってから口を開く。

 その見つめてくる瞳には、諦観が満ちていた。


「貴女は事の半分も分かっていない。あまりに主観的過ぎる。それで良くも……」

「どういう事です……? 何を隠し立てしていたと言うんですか? 貴女は何を知っているんです」

「貴女も分かっているんじゃないの……? それとも、無意識に目を背けてしまっているだけかしら。そもそも、大神は最初から世界に先を見ていなかった。維持の必要すら、考えていたかどうか……」

「どんなものにも永遠はない……と、そういう話ではなく?」


 オスボリックは少し考える仕草を見せたが、結局は首を横に振った。


「えぇ、先を見ていなかったというより……、そもそも世界に見切りを付けていた、というべきかも。だけど、『次』の目処が立つまでは維持しておきたい。そういう意味での存続は考えていたと思う」

「……『次』? どういう意味です?」

「次代の大神、そういう意味合いもあったけど、それだけじゃなく……。貴女、『地均し』は知っているわよね」

「それは……、勿論」


 これもまた、大神が造った兵器だった。

 ミレイユなどは、八神が造った上で送り込んだと思っていたようだが、全くの誤解だ。

 小神である現在の八神を造ったように、神造兵器と呼ばれる『地均し』もまた、大神の手によって造られたものだった。


 ミレイユは『地均し』の停止を求めていたが、出来ない理由とは、そういう事だ。

 そもそも制作にも関わっていない。

 完全な門外漢なのだから、止める方法など最初から知らない、というのが真相だ。


「それが……?」

「何故あの兵器が『地均し』と呼ぶか分かる?」

「……巨大で、歩くだけで地面が均されてしまうから、だと思ってましたが……」

「表面的には、それで間違いない。……でも、どうして『地均し』する必要があるか、それを考えた事は?」


 思わぬ事を言われて、ルヴァイルは眉根に皴を寄せて困惑する。

 敢えて巨体の兵器を造ったくらいだから、踏み潰す事が目的なのだと思っていた。

 何かを虐殺したいなら、もっと小さく数を揃えたら良い。


 威圧目的だとしても、あそこまで巨大にする必要があると思えず、あまりに非効率的に思えた。

 だからきっと、通行した後が平らになっている事を目的に造られたのではないか、という推論を疑問にも思わず信じ切っていた。


「あれは『地面を均す』事を、目的として造られたと思っていました。攻撃兵器ではなく、むしろ土木目的として」

「分かってるじゃない。つまり、今そこにある文明を破壊し、一度まっ更な大地を造る。あれはその為の物」

「でも、それだとつまり……」


 まるで最初から、その地を開拓する為にあるかのようだ。

 ミレイユの世界がそうであるように、元から生命がいて、文化があって、文明を持つ。

 そういう世界から魂を拉致し、利用する計画さえ、そこに何か作為的なものを感じてしまう。

 そして拉致計画は、大神が先に始めていた事だった。


 ルヴァイルの表情を見て、何かを悟った事にオスボリックも気付いたようだ。

 一つ頷きを見せると、やはり平坦な口調で言った。


「文明を破壊し、文化の形跡を消し去り、そこに新たな世界を造る。これは最初から、移住を念頭に置いた計画だった」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る