一つの決着 その1
ミレイユの傷も癒え、体力もまた取り戻しつつあるものの、万全には未だ遠かった。
そればかりでなく、胸を締め付ける痛みは未だ引いてくれない。
最も酷い時よりマシになり、今も痛みは少しずつ和らいで来ているが、正直な所を言えばベッドの上で寝ていたいぐらいだ。
しかし、今はまだ神々へ抗う戦いの最中だった。
泣きごとを言っても始まらないとはいえ、恨み言の一つぐらい言いたくなる。
孔から飛び出して来たインギェムは、更なる厄介事を持って来たようだし、ついつい言葉遣いも荒くなった。
「……やめろよ、インギェム。全員、満身創痍の状態だぞ。これ以上の厄介事は、お呼びじゃないんだがな」
「あぁ、クソっ! 今はお前の優秀さが恨めしいぐらいだよ! ラウアイクスのこと、弑しちまったのか!」
「最初から、その予定だったろう。殺らなければ殺られていた。チャンスがあれば、それを逃したりしないし、逃せない状況だった。命乞いらしきものも聞こえていたが、勝利の前に舌舐めずりする馬鹿じゃないんだよ、こっちは」
「勝ったのも弑したのも文句ないよ、そこじゃないんだ。その前に聞きたい事があった……!」
インギェムの表情は必死で、余裕が欠片も見当たらない。
神が一柱でも欠失すれば、世界の維持は急速に損なわれて行くというから、余裕がない事についても理解できる。
そして、同じ神々の中にあって彼女たちが知らず、ラウアイクスしか知らない事情が、問題の根元らしい事も何となく察した。
しかし、聞き出したいと嘆いたところで、今更聞ける事ではないだろう。
ミレイユにしてやれる事などない、と心の中で次の事へと方針を定めようとしていると、孔の中からルヴァイルもまた飛び出して来た。
その孔からは、何か異質な空気の様なものを感じる。
だが、何だと思うより先に閉じてしまい、結局分からず仕舞いだった。
まるでそれを見られまいと、インギェムが慌てて閉じたようにも感じられ、ミレイユは不審を強める。
「それで、聞きたい事……? 例え瀕死の生け捕りに出来ていたとして、素直に何か教える奴には見えなかったが……」
「それは、そうだとしても……。あぁ、くそっ……! こうなりゃ、行き当たりばったりにならざるを得ないか……!」
「一体、何をそんなに焦ってるんだ。詳しく話せ」
ミレイユが催促しても、インギェムは眉間に皺を寄せて顔を逸らすだけで、何も言おうとしない。
ユミルもまた不審感を強め、治療を受けている最中のアヴェリンも、目を鋭くさせて睨み付けた。
臨戦態勢に移ろうとする二人を見て、仲違いを防ごうとルヴァイルが間に入る。
「いえ、隠し事をしようという訳ではないのです。こちらとしても、随分混乱してしまって……。ラウアイクスは大神について、何か言っていませんでしたか?」
「死の間際に、気を逸らそうとでも言うのか、何か言い掛けてはいたな……。アイツしか知らない何かを材料に、私の手を止めようとしていたようだが……」
ミレイユはそう口にしながら、つい先程の事を反駁したが、あの場でトドメを刺さなければ、きっと後悔していたと断言出来ただけだった。
騙し、出し抜く事に長けた相手だ。
もしも言葉に釣られて手を止めたとしても、言う事は言ったかもしれないが、逃げるか逆転されるかされていた。
腹の探り合いになり、出し抜こうと画策した事は間違いなく、だからこそ重要な事は、きっと聞き出せなかったと思う。
だが、それより以前、戦闘中にも気を逸らすつもりで話しかけた事もあった。
その時の事を思い返していると、ふと思い当たる事があって顔を上げる。
「……大神と関わりある事かは分からないが、地上では崩壊が始まっているとか言っていたか。ここにいる限り、実感がないとも言っていた。急がなければ、『遺物』を使うどころではなくなると……」
「それだけ、ですか?」
「そうだな、他に大した事は――」
言い差して、ミレイユは動きを止める。
確かラウアイクスは、大神について、一つだけ言及していた事があった。
「後悔する事になる、とも言っていたな……。大神に対して、解放する事を指しているのかと思ったが。……お前達の態度を見ると、それも正しく思えて来る。いい加減、はっきり教えろ」
「えぇ、勿論……。申し訳ありません、こちらも混乱していて……」
「それは見れば分かる。――で、何があった」
ルヴァイルは一瞬、躊躇うような仕草を見せ、それから意志の籠もった視線で見つめてきた。
「……大神は、封じられていませんでした」
「何だって? そいつを救い出せば、多くは解決する筈だったろう? そう考えて、計画を立てていたんじゃなかったか?」
「……全くの誤算でした。神々がギリギリの瀬戸際で持ち堪えている世界の維持……、それも大神が解き放たれれば解決すると、それに確信にも似た思いを抱いていたのです」
「だが、居なかった? 封じられていないなら、どこに居るんだ……!?」
「どこにも居やしないよ」
横合いから差し込まれた、情緒を感じないインギェムの言葉に、ミレイユは一瞬意味が分からず思考も固まる。
固まった思考は直ぐに動き出してくれず、いつまでも停止したままだった。
ミレイユも今は十分な休息を取りたい気分で、難しい事など考えたくない。
それでも、ミレイユは訊かねばならなかった。
「……どういう意味だ? この世界から、もう出て行ったとか、そういう話か? ――いや、神は世界に根差すんだったか。だが、それなら大神の封印は欺瞞だったと……」
「いいや、封じられていた。――封じていたのは、大神たちの死骸だ。つまり、とっくの昔に大神たちは死んでいた」
「なんだって……?」
いま言った事が本当だとしたら……大神がとうの昔に死んでいるとしたら、世界の再生など、最初から不可能だったという事になる。
――だが、それは可笑しい。
「何でお前達は、そんな大変な事実を知らなかったんだ。すべての計画が、根本から瓦解するぞ。インギェムはともかく、ルヴァイルまで知らないのは可笑しくないか?」
「妾達も、ラウアイクスの計画全てを知らされていた訳ではありませんし、知り得ない情報もまた多かった……。いえ、もっと悪い。積極的に、蚊帳の外へ置かれていたので、自力で得られる情報にも限りがあったのです」
特に、と後悔の交じる表情で俯いたルヴァイルは、声を落として続ける。
「ラウアイクスは、グヴォーリと結託して何かを行う事が多かった。その二柱の間では取り交わされていた話も、他には回らない事は多かったのです……」
「そして、その一つが大神死亡の秘匿か……。自死なのか、それとも殺害なのか、今となっては知る由もないが……。だからなのか……。さっき、大神について何か聞いてないかと言ったのは……」
ルヴァイルは静かに首肯する。
俯けていた顔を上げた時には、僅かばかりの期待と謝罪が浮かんでいた。
「ラウアイクスは神があるべき姿として、非常に傲慢な性格をしています。その彼だからこそ、勝利を確信した時に、何か零さなかったかと期待したのですが……」
「いや、悪いが……さっき言ったとおりだ。だが、後悔と言ったアレは……、どういう意味だ? 大神を弑していた事について言っていたのか?」
「どうでしょうか……。死んだ後も封じ続けていた事こそを、言っていたのかもしれませんし……」
憂い顔で顔を振るルヴァイルに、ミレイユも胸を抑えながら溜め息を吐きいた。
そして、ふと思う。
ルヴァイルは、そのオスボリックが自身の神処で引き籠もらないように、と先行していた筈だ。
そしてインギェムも、分散工作と拘束に奮闘した後、ルヴァイルに合流したところを見ている。
だが、二人も戦闘向きの神ではなく、また戦闘向きの権能を持たない。
本神の自己申告だけでは信じられないところではあるが、その二人でオスボリックを打倒して来た、というのには違和感があった。
ミレイユ達が相手をした神々も、戦闘向きじゃないと言いつつ、相当な苦戦を強いられた。
だから、二人掛かりで挑んで勝てたと言われても納得するのが難しく、無傷にしか見えないところからも猜疑心が増す。
「それよりお前達、相手にしていた神はどうした。今は野放しになっているとかじゃないだろうな?」
「何だよ、疑われてるのか、己ら? オスボリックなら死んだ。自ら封を解いた時にな」
「死んだ……? 封を解いて? お前達がやったのか?」
インギェムは首を左右に振って、忌々しく顔を歪め、舌打ちしてから答えた。
「ありゃあ、自殺っていうのが正解だと思う。もうどうにもならんと、匙を投げた格好だろうさ。八神による維持も、もはや不可能。維持といいつつ、実際にはヤスリで削るように世界を失っていたんだが――まぁ、そこは置いとくさ。ともかく、挽回も不可能と思って、巻き込まれて死ぬ前提で封を解いたんだ」
「それがつまり、お前が血相を変えて転がり込んで来た理由か?」
「そうとも。封じていたのは大神の死骸に違いない……けど、それが泥みたいになって瘴気を生み出していた。あれは世界そのものに作用する毒だ。神ですら一瞬で腐り落とし、建物も大地も、草木も水も、全て関係なく腐らせる毒だ」
それを聞いた瞬間、ミレイユは本気で目眩がして、額を抑えて苦悶に喘いだ。
いま言った事が本当だとするなら、インギェムが孔の奥を隠すかのように塞いだ事にも納得がいく。
つまり、その瘴気が孔を通じて流れ込んで来ないよう、咄嗟に塞いだからそう見えた、という事だったのだろう。
だが、そうすると、非常に拙い事になる。
ミレイユが思わずユミルに目を向けると、忌々しく思う顔を隠そうともせず、頷き返して来た。
「元より破滅へのカウントダウンが始まっていた様なもんだけど、それが急激に速まった……そういうコトよね。規模は不明だけど、今も下界は崩れ始め、そして天界からも腐り始めてるって? まさにこの世の終わりって感じだわ……」
「全くな……」
ミレイユは大きく溜め息を吐いて、顔を顰めた。
面倒事はご免だと言っていたが、ここに来て最大級の面倒事がやって来た。
嘆いて傍観しているだけで沈静化するなら、幾らでも嘆いているのだが、毒の蔓延で滅ぶ世界を傍観して待っている事は出来ない。
「誰か何とかしてくれ、助けてくれ、と言っていられたら楽なんだが……。私達の立場で、それは許されないんだろうな」
ミレイユが顰めっ面のままそう言うと、ユミルは嬉しそうに笑う。
「あら、アンタもまぁ神らしいコト言うようになったじゃないの。自覚ってやつが芽生えたのかしらね」
「そういう意味じゃないし、茶化している場合でもない。……さて、どうするべきだと思う?」
「そりゃ……『鍵』を使うのが、一番現実的ってやつかもしれないわね。元より、起死回生の手段として、想定に入っていたワケだし?」
「そうだな……」
顰めた顔を変えないまま、ミレイユはルヴァイル達へ視線を戻す。
本来は大神を助ければ解決する、それだけの簡単な話だった。
ならば、封印を受け持つオスボリックだけを暗殺するなり排除すれば、後は大神に任せて解決するだろう。――そういう話でもあった。
実際にはそれで何もかも解決、というほど簡単な話にはならないだろう、という予想もついていたし、何かしら別の面倒は起こるとも予想していた事だった。
それらを吞み込んでの、救出劇と思っていたのだが……。
だが、ここまで酷い予想はしていない。
本来はオスポリックさえ排除できれば、それで多くの問題が解決する――その前提でいたのに、敢えて他の神も相手にしたのは、保険の意味合いもあったからだ。
今後の世界に今の八神は必要ない、というのも理由の一つだが、あるいは、こうしたどうにもならない事態を予想しての事でもあった。
ドーワと別れる寸前、そのときの話が思い出される。
――ただの憶測だよ。例え冗談でも口に出すべきでない上、突拍子もない類のね。
彼女は明らかに、何か勘付いている様子だった。
それが現在の事態を、予測していての事の様に思えてならない。
「オスボリックは腐り落ちたというが、神魂は飛んで行ったか?」
「行ったよ、それは間違いない」
「現状の神魂の数で、全てを賄う事が出来ると思うか?」
「それも分からない。でも、一か八かで賭けに出るには、ちょいと怖い数字だな……」
インギェムの表情も苦渋に満ちている。
残された時間は如何ほどだろうか。
残り時間次第で、未だドラゴンと対峙している神々を相手にするか、それともインギェムの言う賭けに乗って『遺物』に向かうか、それを決めなければならない。
どこか遠くで、建物が崩れ、次いで大地すらも崩れるような音が聞こえた。
今の音が神々と戦うドラゴンが起こしたものでないとしたら、例の瘴気が猛威を振るっているという事になる。
ミレイユは顰めていた顔を更に歪めて、大いに眉間に皺を寄せた。
あまり多く、時間は残されていなさそうだった。
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