ミレイユの邸宅 その5
「……さて、テオ。お前の返答は聞いていなかったな」
「差別や弾圧を無くす……。あの泣き顔を見ずに済む、平穏な生活を誰もが享受できる世界……、俺の願いはそれだけだ……」
「そうだな。お前の願いは正当で、そして叶えようと足掻くに相応しいものだ。だが、神々がそれを阻止する。エルフの時は、もうあと一歩のところまで来ていた筈だ。問題は多かったろうが、その一歩を踏み出せる位置までは来ていた」
ミレイユがヴァレネオを見ると、そのとおりだ、と言うように首肯が返ってきた。
それを見たテオは苦々しく顔を歪め、それから泣きそうな顔で下を向く。
「……俺の野望は、このままじゃ永遠に叶わないか?」
「無理だと言う事を、エルフが実際に示したようなものだ。そして、私達が述べた根拠も、全くの的外れじゃないと分かっているから、その様に落ち込んでいるんじゃないのか?」
「そうだが……、だが俺に何をさせようって言うんだ。言っておくが、俺は神に叛逆できるほど、ご大層な力はないぞ! かつての万全な姿であったとしても、それは同じ事だ!」
テオは俯いたまま、身の丈をぶつけるように言葉を吐く。
それは誰の目から見ても明らかなので、最初からかつて魔王と呼ばれたその力量を当てにしてはいない。そもそも、隣に立って剣を振って欲しくて持ちかけた話でもなかった。
「お前に望むのは、魔王として返り咲いて貰う事だ。かつて人の上に立ち、導き、敬われた存在。そのように思われる形で、表舞台に立って欲しい」
「それは……勿論、いつか立って見せると思っていたが……」
「だが、今のままでは難しい……それは百も承知の筈。矮小化した魂の問題もある。人より遥かに短い時間で寿命が尽きる事を考えれば、機会は選り好みしている場合でもないだろう」
「それも分かってる……! 分かってるが……!」
テオの根源的問題は、そこにこそある。
彼の場合、死んだとしてもそこで終わりではない。まだ次の機会が残されている。しかし、転生を繰り返す度、その魂が矮小化する呪いがある以上、下手な失敗は出来ない。
機会がまだ残されている、と考えるより、機会を与えられる度に失敗の可能性が増える、と考えなければならないのだ。そして、現時点でも、叶えたいと思う願いは簡単ではない。
神との敵対は――失敗する事は、つまり死を意味する。
悲願は達成したい、しかしこの話に乗るのは厳しすぎる。その様な葛藤が、テオの中で行われている事だろう。
その葛藤は理解できる。だから、解決を後押しする言葉を投げ掛けた。
「お前に望むのは、私の功績を横から奪う事だ。私がやる事なす事を、お前の――魔王の功績と喧伝するでも良い。方法は任せるが、注意と注目を私から逸らせ」
「だが、そんな簡単に……!」
「やって欲しいのは、森の民に対してだ。これから森の問題、その解決に動くが、それで私は感謝される訳にはいかないんだ。お前なら、上手くそれを誘導する事が出来るだろう?」
テオが恐る恐る顔を上げる。ミレイユと目が合うと、その表情が大きく歪んだ。伸るか反るか、そこに葛藤が見える。
だが、すぐに出せる答えでもない。ミレイユは、その答えを辛抱強く待った。
お互いに声を発せずにいると、横からユミルが呆れを含んだ声で口を挟む。
「……まぁ、何をしたいか、するつもりなのか、それで分かったけどさぁ。でも、そんな都合よく行くの? 確かに洗脳は催眠とは違う。強制力は強いけど、短時間で解ける催眠とは違うし、長く続く性質を持つ洗脳は、この場合適していると言えるかもね。眷属下に置く制約ほど強力じゃないけど、枷なく多人数に施せるのは魅力だわ。だから、こいつの洗脳が役立つのは分かる、けど……」
ユミルは一度言葉を切って、それから眉根を寄せて首を傾げた。
「それでさぁ、アンタがやる事の全てを、肩代わりできる程かしらねぇ……?」
「そこは洗脳の度合いや、ミレイさんが何するのかにもよりますよね。眼の前で見たものを誤解させるのは容易だと思いますけど、上級魔術の行使とか、本人にも出来ない事となると、齟齬の大きさ次第で洗脳が解けますよね?」
ルチアが分かっている範囲で注釈を入れてくれたが、その部分については承知している。
何も、そう大それた事を要求するつもりはない。あくまで意識を逸らす事さえ出来れば良い。
「この里で行う差配や、問題の解決程度だから、その辺りは十分許容範囲だろう。精々、威張り散らして自分がやった事にしていれば良い。私自身も、魔王の素晴らしさを説いても良いしな。誘導は難しくないだろう」
「何でそうまでしたいんだ……?」
テオが唸るように声を出した。その視線には疑念だけでなく、猜疑の色まで浮かんでいる。
「感謝を受け取りたくないなんて、そこまで気にする事か? やった事、受けた事に対して、感謝を贈るなんて拒否する事でもないだろ。何でそれを嫌がるんだ。俺にはサッパリ理解できない」
「……まぁ、そうだろうな。普通なら拒否する事じゃない。気にする事なく、言いたい者には言わせていただろうさ。だが、エルフに対しては、そういう訳にはいかない」
「なんで……?」
「彼らは私に対し、感謝だけでなく信奉すら向けて来るからだ。ルチアはその様に分析してたが……ヴァレネオ、実際のところどうなんだ?」
ミレイユが水を向けると、ヴァレネオは粛々と頷く。
「ここ二百年で生まれたエルフは然程でもございませんが、やはり過去の戦争を知る者からは、感謝だけでは済みますまい。ミレイユ様こそ神の代わりになる存在として、敬う部分が御座います。神の庇護を失っている現在、救世主として見られ、感謝以上の感情が向けられる可能性は高いと思われます」
「それだって全部じゃないと思うんですけど、やはりそこは教化されると思うんですよね。親と同じ神を信仰しなくちゃならない、って事はないんですけど、只でさえ直前の
ルチアの解説に、ミレイユ自身、苦い顔で頷く。
敵軍が二万の大軍で攻めて来たが、森へ辿り着く前にはその数を大きく減らしていた理由。そして、呪霊から身を挺したように見える救出劇だ。
エルフは当然として、他の種族としても悪感情は向けていないだろう。
二人の分析を聞いて、ミレイユは納得して頷いたが、それを聞いてなお疑念を深めたのはテオだ。やはり分からない、と首を振ってミレイユを見る。
「それの何が悪い? すんごい感謝されるんだろ? 信奉までするエルフには、正直ちょっと引くけどさ、でも分からないでもない。それが嫌なのか? 嫌でもいいけど、無視すりゃいいだろ。助けたいのはお前の勝手、……だろ?」
「そうもいかない事情があるんだ。そうされたくない、って言うんじゃない。そうされたら非常に困る。エルフを見捨てる事すら視野に入れる、それだけの事情がな」
詳しく説明せず、その輪郭だけ伝えただけでは、やはりテオは納得できないようだった。エルフを見捨てる、と言った時にはヴァレネオもまた、眉根に皺を寄せていた。
ああ言った手前、今更反故にする気もないが、しかし詳しい説明なしに納得できない、ヴァレネオの表情はその様に語っている。
そこへ、アヴェリンが難しい顔をさせて、重々しい口調で口を挟んだ。
「事ここに至っては、細部を誤魔化した説明は難しいかと……。味方に引き込むというのなら、その全てを説明なさっては……」
「そうよねぇ。特にテオはさ、その矢面に立たされるようなもんじゃない。別に宣戦布告を敵軍の正面でさせるワケでもないけど、やっぱり目に付くでしょうし。後方にいれば安全ってワケでもないんだから、最低限の義理は通さないと納得しないんじゃない?」
ユミルの言い分にも一理あった。
エルフにとっても、ミレイユが接触した事で完全な味方、その勢力下に入ったと見做されるだろう。ミレイユを昇神させる事が叶えば用済みとして処理されるかもしれないし、それを阻止する役目を持たせたテオは、間違いなく邪魔者だ。
幾ら森に引き籠もっていられても、暗殺などの手段で排除を目論まれては防ぎ切れない。
ミレイユがヴァレネオたち二人へ順に目を向ければ、説明を求める視線が返って来る。
数秒、瞑目して思考を巡らし、そして開いた時には話すと決めた。非常に業腹だが、納得と協力の引き換えと思えば、当然とも言える。
ミレイユは息を一つ吐き、それからゆっくりと話し始めた。
「まず一つ、これは前提として考えて貰う。この場を乗り切る虚言や冗談の類いじゃない。それを理解してくれ」
「元より進退含めて、全てをお任せすると決めた身。信じない、という選択肢は存在しません」
「ヴァレネオはそれで良いとして、テオはどうだ。……因みに、断るつもりならここで帰って貰う。全てを知った上で、放逐するのは流石に無理だ」
テオは青い顔をして目を泳がす。
神へ叛逆心を募らすだけでなく、実際行動に移そう、と考える者はいない。それを実際にやりかねない、それどころかやるだろう、と思える者からの提案だ。
生半な覚悟で出来る事ではない。
だが、テオにしても後が無いのは確かだった。寿命の問題、転生後の問題、そして弾圧を望むシステムの問題。それらを考えれば、そして悲願を達成するというなら、今後これより望みのある展開は起こり得ないと分かっている筈だ。
数秒の沈黙の後、テオは生唾を飲み込んでから頷く。
青い顔をして、冷や汗も浮いているが、しかし目の奥には覚悟を決めた光がある。
「わ、分かった……! 覚悟を決めた。どうせ今まで森にいても、どうしたら良いのか全く展望が見えなかったところだ。お前の言う事が本当なら、正攻法じゃ望めないみたいだしな……!」
「そうだろうと思う。言ったことは裏付けを取った確固たるものとは違うが、全くの根拠なしでもない。平和な世の中で得られる信仰より、争乱の中で願う救いの方が、余程強い願いだ。神々は信仰……いや、自身へ向けられる願力を求める。だから、平和をお題目に掲げる王は必要ない、という訳だ」
「……そうね。神々が常に求めるもの、それが願力なんでしょ。信仰はその一形態。だから畏怖でも同じくらい意味があるし、信仰を求めるくせに、神が行う理不尽な横暴は矛盾しないんだわ」
ユミルが同意して自身の考えを開陳し、そしてルチアも同意する。
「支配者層に貴方が立ったとして、魔王の名の元に人間を迫害するなら神は認めるでしょう。でも、平和を説くなら、即座に玉座から降ろされる。神々の専横を黙認する限り、貴方の悲願は永遠に叶わない」
「あぁ、分かった。証拠なんて無いけどな、きっとそうなんだろうって気がする。――言っとくけどな、流されたんじゃないぞ! 自分で考えて、ちゃんとちゃんと考えて納得したから……お前に付いた方が望みがありそうだから、そうするんだからな!」
「あぁ、失敗すれば破滅はお互い様だ。精々、上手くやろう」
それで、とヴァレネオが催促するような視線を向けてきて、ミレイユは頷いて二人に告げる。
「私はな、謂わば神の卵だ。このままだと、一柱の神として、この世に根を下ろす事になる」
即座の反応は返って来なかった。ただ、二人が息を呑んだ音は、はっきりと聞こえた。
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