ミレイユの邸宅 その6

 ヴァレネオはわなわなと身体を震わせ、羨望の眼差しを向けるようにミレイユを見た。今までも確かに敬意や尊崇、感謝の視線は向けていたが、今向けてくるそれは、明らかにそれ以上だ。


「それは……! それが本当なら、我らエルフにとって朗報以外の何物でもありません! 信仰する対象から捨てられ、罵りつつも求めずにいられなかった――その守護と庇護を与えてくれる新たな神は、我らにとって二百年待ち望んだ存在です……! それがミレイユ様ともなれば、それは……ッ!」

「その興奮が分かるから、私はこれからする助力を知られる訳にはいかないんだ」

「何故です……?」

「神へと至る道は、現在判明している内容で二つ。その内一つは、多数から信仰を向けられる事だ。条件さえ整えば、願力を向ける事で神に至ってしまうらしい」

「それがご不満だと? ……いえ、そもそも神になりたくない、という口振りかして……」


 顎先を摘み、首を傾げるように伺ってきたヴァレネオへ、ミレイユはしっかりと頷いて見せる。


「うん、私には目的があって神になる訳にはいかないし、そもそも私が至る先は小神だ。そして、小神とは生贄の別名である、という事も判明している」

「生贄……? そんな、馬鹿な……」


 声を漏らしたのはテオだったが、ヴァレネオの表情も似た様なものだった。

 信じられない、というのではなく、信じたくない、と言っているように見える。事実そのとおりで、小神は生贄だ、などと突然言われて、納得できるものではないだろう。


 この世の常識として、神々は決して地上へ住まう命に便宜を図ってくれる、有り難い存在という訳ではない。しかし病毒からの庇護や、時として与える救済などを持って、敬う存在として認識されてはいる。

 子供じみた癇癪で、ひと一人どころか村一つ滅ぼす事もあるとはいえ、しかし畏怖と畏敬を向ける存在であると、疑った事はなかっただろう。

 神とはそういうもの、とテオは言ったが、それこそがこの世界の常識を体現した台詞と言える。


「私をな、その生贄にするべく付け狙われている。そんなモノになりたくないから、色々と対策を講じながら弑逆の機会を狙っている、という訳で……」

「しかし、本当なのですか、その生贄というのは……!」

「ユミルがそれを事実として知っているし、私も直接……まぁ、神にされた奴に聞いた」

「そんな……」


 ヴァレネオは愕然として首を振る。

 今後の納得をして貰う為にも、まずその事実は飲み込んで貰わねばならない。ミレイユは語気を強めて続ける。


「そして私という存在は、神としても簡単に諦められるもので無いようで……。逃げ切れず、こうして炙り出される事にもなってしまった」

「では、この二百年お姿が見えなかったのも……?」


 それはまた別の話だが、詳しく説明するには長く、また拗れやすい。大筋としては間違っていないので、それに頷いておく。

 ヴァレネオは途端に、腑に落ちたように表情を落とし、次いで難しそうに顔を顰めた。


「なるほど、ミレイユ様ほど優秀な御方、神へ迎え入れたいという気持ちも分かろうと言うものですが……。しかし、小神へと召し抱える事は、即ち生贄と同義であるとは……」

「けど、どうたって、そんな事してるんだ?」


 テオも首を傾げて言った。


「優秀な奴を、仲間に加えようってんなら分かるさ。でも、実際は真逆な訳だろ? その上、別にすぐさま生贄にするでもない。今の小神は若い奴でも何十年と生きてる筈だし、長い奴だともっと長く存在してないか? 生贄ってそんなに長く好きにさせた上、傍に置いとくもんかな?」

「そこにどういう意図があるにせよ、世界の存続の為に必要とする贄だとは聞いている。ユミルはまた別の意見だが……、何れにしろ私の様な反抗的な小神は、即座に贄行きだろうな」


 なるほど、とヴァレネオは重々しく頷く。


「用途については、それが本当に世界の存続に必要なら、我らも知らずに恩恵を受けていたと言えるかもしれません。しかし、それをミレイユが担わなければならないとなれば、是非とも防いでやりたいところです」

「まぁなぁ……。地上で好き勝手やってるのも、いずれ贄になると知ってるからの、目溢しみたいなものかもしれんしなぁ。神にとっちゃ、重要なのは国でも民でもなく世界って言われたら、納得しちまいそうだもん」

「実際、そうなんだろう。だから有能で有力な存在は、そう簡単に逃さないつもりなんじゃないか。私が拉致同然で、それと知らされず神への階段を歩まされた経緯を踏まえると、贄と教えて合意の元で昇神させたとは思えないが……」


 思わず愚痴の様な言葉になってしまったが、それが事実だ。ユミルも顰めっ面で同意するように頷いている。そもそも贄と知れば、いざと言う時逃げ出すかもしれないし、大神にとって不都合が少ないよう、素体には精神調整すら施している。


 到底、公平な取引があったとは考えられなかった。

 テオも難しく表情を歪めてから、幾度か頷く。


「けど、分かった。エルフは助けてやりてぇけど、それで信仰を向けられたら生贄一直線なんだな。だからその感謝をどうにか逸らさせたい、と……。それには洗脳させるのが好都合だと、そういう訳だな?」

「……どうだ、出来るか?」

「まぁなぁ……、出来るけどなぁ……」


 テオは腕組して背中を背もたれへと押し当てる。ギッと軋みを上げて身体を傾け、視線を天井へと向けた。

 嫌がる素振りというより、可能かどうかを詳しく検討しているようだった。

 暫く視線をあちらこちらと動かしてから、姿勢を正してミレイユを見てきた。


「別に洗脳って万能じゃないからさ、いずれ解けるぜ? 解けるより前に掛け直そうにも限度があるし、強い思いがあれば打ち破れる。お前に直接向けたいって思う信仰心、それがどれほど強いのか、って話にもなるだろうし……。これって、賭けになると思うぞ?」

「なるほど、それは仕方ない。しかし、賭けか……」


 ミレイユも難しく眉根に皺を寄せ、深く息を吐く。

 洗脳は実に有用だが、確かに強い思い――確固たる意志を向け続ける事で打破する事ができる。そして強い思いとは、信仰心にこそ現れる事も多い。

 エルフがどれ程の思いをミレイユに向けるのか、それは確かに賭けだった。


「姿を見せるのは極力控える、それは当然の措置だろうな……。この邸宅や、あるいは里長の屋敷から出ないとか、そういう露出を失くす措置は必要だろう」

「広場まで出て、自由に散策を楽しまれる、というのは難しいのやもしれませんな……」

「流石の俺だって、全員の洗脳なんて無理だ。全員が一同に集まる機会ならともかく、そうでもない相手も含めてなんて、不可能だ。どっかで抜けが出るだろうし、洗脳を使う奴は少ない方が絶対いい!」

「その理屈も分かる。その上で、お前が前面に出て、自らやってくれたら良い。アヴェリンやルチアは隠れるより、そちらのサポートに動いてくれれば、信憑性も少しは増すんじゃないか?」


 ミレイユが水を向けると、アヴェリンは明らかに顔を顰めて嫌がる素振りを見せた。ある程度、ミレイユの使いとして外働きするのは仕方ないにしろ、まるでテオの従者みたいに振る舞う事には抵抗があるだろう。


 アヴェリンは誓言してまで忠誠を誓った武人だから、例え演技と分かっていても、そう安易に頼める事ではない。


 ルチアに抵抗は見られないので、事が事だけに必要とあれば割り切ってくれそうだ。

 ユミルも使えるものなら何でも使え、という方針でもあるので、テオの偽功績を外からフォローするぐらいはやってくれるだろう。

 目を合わせたユミルは、事も無げに頷く。


「まぁねぇ……、実際に何するつもりなのかにもよるけど、意識をずらしてやるのは良いと思うのよ。今ならまだ、直接姿を見たエルフの数は少ないし、洗脳次第じゃ上手く誘導も出来るでしょ。でもねぇ……」

「不満か?」

「別にそこは良いわよ。もう決定事項みたいなものだし、ヴァレネオの積極的な協力もあるなら、不可能な事だとも思わないから。ただ、そこから先をどうするつもりなのかと思って」


 さき、とアヴェリンが口の中で言葉を転がし、それから挑むような目付きでユミルを見る。


「本来の目的である、弑逆の具体的な方法か?」

「そう。エルフを助ける具合をどうするか、それによっては長い間、足を止められそうじゃない? アンタの所在が奴らにバレた。そしてどうやら、信仰を得て昇神しそうにない。そうなった時、次にどういう手を出してくるか、誰か想像つく?」


 ユミルが全員を見渡しても、誰もそれには答えられなかった。

 当然だろう。奸計、詭計に優れる神々が下す一手など、即座に思いつくものではない。

 ミレイユにしても思いつくものはなく、嘆息混じりに呟いた。


「何が来るにしろ、何をするにしろ、ロクな事にならない、という事だけは確信が持てるな」

「正にね。アンタの所在が判明した今、既に何か策動があっても不思議じゃない。守る者を増やすと不利になる……、それが分からないアンタでもないでしょうに」

「エルフの協力は、私の目的には必要不可欠だから、そこのところは言いっこ無しだ」

「……我らの、協力ですか?」


 ヴァレネオが虚を突かれた様に目を丸くしたが、ミレイユは苦笑して手を振る。


「まぁ、それは最終的に理想的な結末を迎えられそうなら、手を貸して欲しいというところで……。今は殆ど理想どころか夢想みたいなものだから、その時に来たら詳しく説明する」

「ハ……、そういう事でしたら……!」


 ヴァレネオの顔には困惑も多くあったが、頼りにされるという事は純粋に嬉しいらしい。どこか誇り高い面持ちで一礼したが、そこへ水を差す一言がユミルから放たれた。


「それも本当に、色々上手くいった諸々の後でしょ? いざとなれば、アタシは見捨てろって進言するし、何なら攻撃しろって言うからね」

「それをここで言う必要あるか?」

「背後から知らずに刺されるよりマシでしょ。昇神させられる方法の一つに、多くの信仰を向けられるってのがあって、それが現状エルフからしか向けられる可能性がないんだから。下手に昇神する様な事に発展して、しかも事態を制御できなくなれば、最悪の手段だって必要でしょうに」


 ユミルは極力淡々と言おうとしているが、その実、不本意だと言いたいのは即座に分かった。ミレイユとしても、最悪の敗北条件は理解している。その為には、昇神させられる事は、絶対に受け入れてはならない。


 そして、その障害としてエルフの信仰問題が出て来るというのなら、対処せねばならないだろう。それが虐殺となれば他に手段も考えるし、最後まで他の方法を模索するが、他に方法が無いなら取るべき方策も限られてくる。


 ヴァレネオは、それに対して沈黙を貫いた。

 賛成は出来ないが、否定をこの場で口にしても意味がない、と理解している表情だった。いざその時になればどうなるか分からないが、しかしこの場で荒立てるつもりはないらしい。


「ユミルの言い分も分かるが、少々過激だな。敵に対するものじゃないんだ、もう少し柔軟にいけ」

「……そうね。少し焦り過ぎたのは認めるわ。でも、最悪の状況というのは想定しておくものよ」

「それもまた然りだな。だが、まずは一つずつだ。洗脳の効果と運用は、まず試してみなくては分からない。途中から補正や修正が可能かどうか、そこを突き詰めてみるとしよう」


 それぞれから了解の意が返って来て、ミレイユはホッと息を吐く。

 頼りになる仲間が出来た、と胸を撫で下ろす気分だった。

 何よりテオと協力関係を結べたのは大きい。本来なら諦めるしかない、と思っていたエルフ問題を解決できる糸口が見つかった。


 全てが手の平、神の手の内と悲観してた時もあったが、決してそうではないのだと、確信を持てた瞬間でもある。

 一つ胸の支えが取れたような気分になったところで、本来の目的について果たそうと意識を切り替えた。

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