ミレイユの邸宅 その4
ミレイユの提案を断る者はいなかった。
流石に立ちっ放しで話すには時間も経ち過ぎていたし、何よりヴァレネオを放って置きつつ、話し合いを続けるのも憚られる。
落ち着ける場所が必要だったし、そもそもの目的がミレイユの邸宅だったのだから、ユミルも異議を挟まなかった。
邸宅内は予想していたとおり、綺麗に掃除が行き届いていて、埃の一つも積もっていない。当時利用していたまま家具が残されていて、内装もミレイユが持っていた『箱庭』と大きく変わらない。
思わず懐かしいと思ってしまったが、今となっては箱庭に対して苦く思う部分もあった。
流石に水や食料など、腐る物は持ち込まれていないので、それはミレイユ側で用意した。離れを通って里長の家まで戻れば、食料も水も用意できるのだろうが、未だ姿を隠していたい、という思いがあって身銭を切る。
とはいえ、これは旅の間に消費する予定の物だから、ここで少々の浪費があっても大した問題とはならない。
家の間取りも良く似ているので、勝手知ったる様子でルチアが台所を利用して、お茶と保存食を用意してくれる。旅中なので碌な物は用意できず、戦闘糧食の様な物になってしまうのはご愛嬌だ。
この邸宅は客人を招く事を想定していないので、客間というものが無かった。だから談話室を使うか食卓を使うしかないのだが、クッションに座りながら出来る軽い話でもないので、食卓の方を使う。
こちらはそれなりに広いので、ヴァレネオとテオを加えても問題ないが、椅子は足りない。ミレイユはいつものように自分で魔術を使って用意し、その数を補った。
ミレイユが上座に座り、その両脇をアヴェリンとユミルが対面する形で座る。そしてユミルの隣にヴァレネオとテオが並び、残った席にお茶を用意したルチアが、それぞれに配ってから残った場所に座った。
全員が一口お茶を含み、幾らか落ち着いたところで、ヴァレネオが改めてミレイユに頭を下げる。
「先程は、大変お見苦しいところをお見せしました。どうか、お許しを……」
「気にするな、と言っても、お前は気にしそうだな。だが任せろ、と言ったのは本心だ。お前にも色々と働いてもらう事になる。頼むぞ」
「ハッ! 何なりと、お申し付け下さい……!」
更に深く頭を下げたところに、ユミルが大きく顔を顰めながら口を挟む。
「それはもう済んだ話だから良いとしてさぁ……、どうするつもりなのよ? 村に入った時、エルフの数は予想以上に少ないように見えたし、三千いるかどうかは微妙な線よ。でも、獣人まで合わせて見れば同じコトでしょ? 感謝だけで済むと思ってるなら大間違いよ」
「それについては、同意します」
ルチアがカップから口を離して頷いた。
「教化されるって事もあると思いますよ。獣人はかつてのミレイさんを知りませんけど、エルフが神のように敬い、そしてその思慕を一身に受けるのみならず、数々の援助までしてくれる存在を見る訳です。頭を下げろと誰かに言われたら、そうしちゃう人だって増えるんじゃないですかね?」
「最初は良いでしょうよ。何か色々助けてくれる、偉そうな人っていう印象だろうから。新しく就任した村長っていう、敬い程度の認識で済むかもしれないわね。村長だから村人を助けるのは当たり前だし、感謝の度合いもその程度で済むって? ……そうだといいわね」
ユミルから更に追撃の指摘が飛ばされて、暗に見通しが悪い、と睨み付けて来た。
落ち着くように、ミレイユは苦笑しながら手を上下に振った。
「相談もなく突然、方針転換をしたのは悪かった。何事を決めるにしろ、まず話を持ちかけもしなかった事、それがお前には不満なんだろう?」
「そうよ、当たり前じゃない。これが木っ端依頼を受けるかどうかっていう程度の内容なら、別に文句なんて言わないわ。好きにすればいい。でも、これは違うでしょ? アンタの命運が掛かった上に、たった一つ道を踏み外しただけで全てが瓦解する、そういう道の上に立っての行動だったんだから」
「そうだな、一歩踏み出す事すら慎重でなければならない。それなのに、お前にはまるで、その上で飛び跳ねるような、無謀な姿と映ったんだろう」
ユミルは不機嫌そうに頷く。
何も全く相談されず独断で決めた事だけが、不満だった訳ではない。ミレイユが取った行動は自殺行為と変わりないように見えたからこそ、怒りを見せたのだ。
ミレイユが見せた行為は、先程の例を出すと、細い道の上で飛び跳ねて見せたようなものだが、ミレイユの主観としては違う。閃きに頼った部分もあり、それが正解と分かった上で飛んだ訳でもなかったが……。
しかし、ミレイユは道を踏み外したのではなく、隣に見えた道へと飛び移ったのだ。その道の先に光があると、分かったからだ。
暗い道、先行きの見えない道、それは変わらないが、はるか先で光明が差して見えた。
「それについては謝る。後で個人的にも謝罪しよう。――だが、聞け」
ミレイユは鋭く言葉を発した。
尚も反論しようとしたユミルと、謝罪の必要などない、とユミルに反発しようとしたアヴェリン、その両方に向けて言う。
ミレイユの眼差しに込められた意味を察した二人は、前のめりになっていた身体を戻す。二人とも背もたれへ身体を戻したのを見届けてから、次にテオへと顔を向けた。
「それで……先程、お前に持ちかけた、協力の話に繋がる」
「いや、悪いがサッパリ話が見えん。エルフを助けたいのに、感謝されたくないのか? それに神殺し? そんな事できると思ってるのか?」
「するつもりでいる。そして、私はやると決めたら必ずやる」
ミレイユが眼光に力を込めると、テオは息を呑んで顔を青くさせた。
周囲に助けを求めるよう顔を動かすが、メンバーは承知の上という顔をしていて、ヴァレネオには意気込みの表情が浮かんでいる。
「本気なのか? ……何故? さっき言ってた事だって、別に確証あって言ってるんじゃないんだろ? 憶測ってやつじゃないのか?」
「本気だし、何故と言われたら……殴られたから、かな。殴られたら殴り返す、それは誰であっても同じ事だろう」
「神だぞ!? 神が人間を踏みつけ、殴り付けるなんて当たり前だろ! それを怒る奴がいるか!」
「……何故だ?」
ミレイユが冷静に問い返すと、テオは再び息に詰まる。
答えを探しているようだが、適切な答えを見つけられない。それは苦悶の表情からも理解する事が出来た。しばらくして、喘ぐように口を開く。
「何故って……、神とは理不尽なものだからだろう。強風や豪雨に文句言うようなもんだ。それに殴り付けても仕方ない。……だろ?」
「本当にそれが風であり、雨であるならばな。だが、神は実際に手を下すし、恣意的に相手を選ぶ。風も雨も利益を考えないが、神は利己的に利益を求める。そうしなければならない理由があるかもしれないが……、殴られる者には理由があろうと関係ない」
「だから、殴り返す? それは……それは……、叛逆というのではないか?」
「そうだ、我々は神を弑逆する」
テオは椅子を蹴って立ち上がり、二歩、三歩と後退る。顔面は蒼白で、汗まで浮いていた。目は泳いで動揺が表に出ているし、震えてもいるようだった。
そのような姿を見せる事を、不甲斐ないとは思わない。むしろそれが普通で、何事もなく付いてこれるアヴェリンやルチアの方が異常なのだ。
ユミルは言うに及ばず、ヴァレネオにも動揺が見られないのは、その根底に深い恨みがあるからだろう。ミレイユの堂々たる宣言に対し、羨望の眼差しすら向けていた。
息遣いまで荒くなってきたテオへ、ミレイユは視線を向けながら続ける。
「決意は良いが、しかし困った事もある。神々は私が何をするつもりか知っている」
「も、もう……っ、バレているのかッ!?」
「具体的にどうするつもりでいるのか、そこまでは知らないだろうな。だが、所謂叛逆の意がある事は知られているだろう。それは間違いない」
「お、おまっ、おまえ……!」
テオは指先をぷるぷると震わせて向けて来るが、言葉は形にならず開閉するに留まっている。
何と言うべきか、何を言ったら適当なのか、自分でも分からないのだろう。それほど現在の状況が、客観視出来る者からすれば狂っているように見える。
神は叛逆を嫌う、というルチアの分析は正しいと思うが、人の噂に戸は建てられないと言うように、叛意を持っただけではどうにもならない。
祭壇に立って祈りと共に、その叛意をぶつけるのでなければ、人間一人一人の悪意など気付けるものではなかった。だから、それが火種として燻っていても、とりわけ手を出して来る、という訳でもなかった。
ヴァレネオが良い例で、間違いなく神から見放され、そして恨みも強かったろうが、それを理由に攻撃されてはいない。本気で煩わしいと思っているなら、この森は既に灰と消えている。
それが成されていないのは、利用価値があった、というだけでなく、何も出来ないと知っていたからだ。それこそ風や雨に殴り付けるようなもので、一切の痛痒を与えられないと知っているからの余裕に過ぎない。
「私が本気で殴り掛かれば、神は傷付く事を知っている。殺せる事も、また同様に」
「実際、小神を一柱やっちゃってるしね」
「なに……? やっちゃってる? やっちゃってる、って何だ? ……お前、まさか小神を弑し奉ったのか!?」
表情を変えぬまま頷いてやると、テオは絶望的に顔を歪めて頭を抱えた。この世の終わりだと思っているかのようだが、それとは逆にヴァレネオは感動で打ち震えていた。
「二百年ほど前の話だ。オズロワーナとの戦争よりも、更に前の事だな。ヴァレネオは知らなかったか」
「ハ……、寡聞にして存じ上げませんでした。ミレイユ様は何事にも、己の功績などを口にされない方でしたので……」
「それはそうだが……、てっきりルチアなどから聞いていたのかと思っていた」
「他の何かはともかく、神殺しはそう簡単に口に出来ませんよ。不敬という感情もゼロではないですけど、そもそも信じてくれません」
ルチアの言い訳に至極納得して、ミレイユは小さく笑った。
神殺しとは大罪だという認識もあるが、テオが言っていたように、風や雨を殴り付けるようなもので、殺せる存在とは認識していない。
そんな事を声高に言う者は、酒場で酔い潰れた馬鹿の戯言と同列に見られる。
ミレイユは仄かな笑みを浮かべたまま、テオへと視線を戻した。
「だから神々は、私に対して本気で対処を目論でいる。万が一にも自分たちに被害が及ばない様、そして私を上手く利用しようと、色々策を練っている」
「神々を狙うってだけでなく、それを知られた上に対処されてる真最中? ――馬鹿な事を! 俺を変なことをに巻き込むな!」
「既に巻き込まれている。エルフがこれまで生かされていたのも、そして今回、デルンに攻め込まれたのも、私を誘き寄せる為に利用されたものだ。最初から無関係ではいられない」
「なんて、ことだ……っ!」
テオは頭を掻き毟って身を捻り、絶望に打ちひしがれていたが、ヴァレネオの顔付きは変わらない。むしろ
「では、我らは既に運命共同体という事ですね。ミレイユ様がこの里を預かる、と申された事にも納得がいきます。これから、この里と人とを、どうか宜しくお願いいたします」
「私が招いたようなものだ、そう言ったろう。後は私の後ろで着いてくれれば、それでいい」
「いえ、どうか後ろと言わず、隣へ置いてください」
ヴァレネオは顔を上げ、その真摯な瞳で続ける。
「無力だとて、御身を支えたいという気持ちに一点の陰りもありません。里の者たちまで勝手を言う訳には参りませんが、どうかこの私一人だけでも、お好きなようにお使い下さい……!」
ヴァレネオの瞳には嘘を言わない、情熱的な光が灯っている。
それはただ明るいばかりでなく、怒りや恨みも含まれる暗さもあったが、彼の身の上に起こった事を考えれば、それもまた良く分かる輝きだった。
神々がした事ならば、と素直に受け入れようとするテオみたいのがいるのと同時に、叛意を抱くヴァレネオの様な者もいる。
ミレイユはその忠義を有り難く受け取り、同じく真摯な表情で返して頷く。
「お前の助けを、有り難く借りよう。その時には私を支えてくれ」
「――御意!」
ヴァレネオはまたも深く頭を下げ、それを見つめるルチアと目が合った。
困ったような笑みが浮かんでいたが、仕方ないと諦めを含んだ笑みのようにも見えた。実際、彼女がヴァレネオに向けた表情は、諦観を多分に含んでいた。
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