ミレイユの邸宅 その3

 テオはまるで信じられないもの目撃したかの様にミレイユを見つめ、そしてやはり、ヴァレネオも似たような表情で見つめている。

 ミレイユは二人から向けられる視線を悠然と受け流し、単調に聞こえる声音で続けた。


「……これも巡り合わせだろう。なぁ、テオ。私達は協力し合えると思わないか」

「いや、しかし……神殺し……? 可能だと言うのか? まさか、本気で言ってるのか……?」


 その懐疑的な声にミレイユは顔を背け、一度視線を切る。

 大きく息を吸い、それから森を睥睨するかのように顔を巡らせた。


「話している内に思った事だが……。エルフを救う、それは良いさ。容易いことだ。この四人で都市へ急襲し、王国を攻め立ててやれば半日で終わる。手段さえ選ばず、余計な横槍が入らないなら、更に容易い」

「しかし、それでは反発も多く……」

「支配層の人間だけ暗殺して終わらせるような形では、暴動を招くだけ、言うほど簡単に終わらないだろう。それは分かる。正しく宣戦布告し、正しく正面から打ち破る段取りが必要だ。かつてエルフが、オズロワーナ戦争でそうしたように……」


 神々が戦争を是としている事は、この大陸に住む者ならば理解している事だ。

 だからそう簡単に攻め取られぬよう、どの時代のオズロワーナも防備を厚くしていた。そして今、デルン王国はエルフが力を付けぬよう、定期的に圧力を掛けている。


 戦争に敗北し、支配者層が変わるとなれば、その政策も大きく変わる。その事を、民衆もよく理解している。

 二百年前、エルフが勝利した時にも民衆は納得していた。攻め取られたのでは仕方ない、不甲斐ない奴らめ、といった感情はあったものが、支配者の交代そのものを受け入れる土台は出来上がっていた。


 攻め取られたなら、再び攻め取れば良いだろう、という楽観的な気持ちもあったのかもしれない。民衆には戦争の行方など、生活に影響しなければ気にしない。


 だが、事の本質はそこではなかった。

 一つの支配者層が倒れようと、また次の争いの準備期間に入ったに過ぎない。攻め取る許可が神を与えているのだから、誰憚る事なく攻めれば良い。


 一つの王国の終了は、一つの戦争の始まりに過ぎなかった。

 王族は途絶えても、都市は終わらない。税率や法律など、変わることは多々あろうと、都市は生き続け、またそこで生きる人々も生活を続けていく。

 これまでと何も変わらない。そして恐らく、これからも――。


「勝利とは終わりではない。そう……、次の戦争の始まりを意味する。攻めた側は、今度は攻められる側だ。しかし……」


 言い差して、ミレイユは口の周りを片手で覆った。

 何とは無しに、口にした事だった。当たり前の事を口にしただけだったが、もしそれが間違いない事実だとするなら、それ故に、と考える事は出来る。


 ミレイユはヴァレネオの困惑した表情を見つめ、次いでユミルへ視線を移した。

 その動揺した瞳の中から、彼女は正確に意図を汲み、そして悔やむように顔を歪める。彼女としても同じ意見だと分かり、ミレイユ自身、大きな過ちを犯したのだと、今更ながらに気付いた。


「エルフは勝利し復権した……。しかし即座に退場させられたのは、その意義として民族の協和を掲げていたからじゃないのか。協和と博愛、平和を説いた支配層は、神々からすると邪魔だ。弾圧でも何でも良いが、とにかく他種族、他部族を虐げて貰わねばならない。何故なら、それこそがオズロワーナの役割だからだ。……そういう事じゃないのか?」

「同意するわ。アンタは真実の限りなく中心に近い部分を突いていると思う。……そう、オズロワーナを支配する層は、神にとって都合の良い尖兵でなくてはならない。必要なのは暴君であり、他種族を攻める悪王であり、救済を願う貧困層を生み出すパーツであるコト……」


 ユミルは苦々しく同意し、そして痛ましいものを見るようにヴァレネオへ視線を向けた。

 ヴァレネオの手は細かく震えている。非常によく堪えてはいるが、今にも爆発させそうに見えた。それでも自制できているのは、ルチアがその手へ、己の手を添えたからだろう。


 それが最後の最後、暴発するのを防いでくれた。

 そのルチアが、恐る恐るという具合に、ミレイユへ問う。


「神々が直接それをしないのは、自分達にその矛を向けられない為なのでしょうか?」

「そうだと思う。神々は畏怖を受け入れる、実際、理不尽と感じる怒りを向ける神々は多い。それについては、矛を向けられるとは感じないようだが」


 ユミルはつまらなそうに頷いて、ミレイユの言葉を引き継いだ。


「それもまた信仰である事には違いないからでしょ。だから時として、理不尽な怒りを見せる事が、むしろ神々にとって益になる。けど己に怒りは向けられたくないんだわ……叛逆は駄目なのよ、きっと。それは避けようとしている」

「大瀑布を設けたのも、その一環か……?」

「かもしれないわ。絶対手の届かないどこかに身を置き、盤上に一手を指しつつ甘い蜜を吸う。非常に有り得る話よ。むしろ、と言うべきでしょうね」


 ミレイユも苦々しく頷いてから、胸の下で腕を組み、未だ地面に手をついたままのテオを見つめる。


「弾圧、差別、迫害、圧制……。呼び方は様々だろうし、起こす内容も様々だろうが、それを正したいと思うなら、都市を奪うだけでは到底足りない。その上のシステム――神々を打倒しない限り、この世の不条理は決して消えない」

「なぜなら、その神々こそが元凶だから、というワケね」

「我々は――!」


 ユミルが話を締めようとしたところで、とうとう堪り兼ねたヴァレネオが声を出した。

 血を吐くような、という形容以外、思い付かないような有り様で、苦渋に歪められた表情で言葉を吐き出す。


「我々は、この二百年、必死に堪えて参りました。都市から追いやられ、この場へ逃げ延び、ミレイユ様の邸宅を発見してからというもの、ここの守り人として生きようと思った……。神々への信仰も再び始めようという声もありました。実際やったが、声は届かなかった。我々が神を裏切った所為だと思った……! けれども真実、見捨てられていたのですね……」

「そうだと思う。そもそも、お前たちに都市を奪還させるつもりなどなかっただろう。融和を唱える様な王族は邪魔だ。落ち延びた後にしても同じ事、神々にとっては邪魔者に過ぎず、救ってやる価値もなかったろう」

「何故……! そうと言うなら、遥か昔から是正するような神託でも下ろせば良かったろうに……!」


 ヴァレネオの発する感情は、怒りだけではなかった。悲嘆でも悲哀だけでもない。理不尽な暴力に耐える事しか出来ない、幼子の抵抗のようにも見えた。


「弱者の戯言、虐げられた者が望む理想、その様にしか見えていなかったのかもしれないな。それが決して叶わぬ夢想とも理解していた。好きに言わせていただけ、夢を見て語り、それを悲願として祈りを捧げる内は、都合の良い存在だったんだろうな」

「エルフは長きに渡って許しを請うた。救われると、救ってくれるという神の慈悲に縋った……! それが……!」

「『勝ち取れ、さすれば与えられん』だったっけ? 最後には無理難題を押し付けて、投げ捨てたのかしらね。……面倒にでもなったんじゃない?」


 それもまた神らしい、と言わざるを得なかった。

 神々は超常の存在で、人には成し得ない多くのことが出来るものだが、同時にひどく人間味溢れる存在でもある。その背景には、合理的と思えるものだけが有る訳ではない。


 ユミルの言った事が正解でなかったとしても、二百年前――当時の支配者層を引きずり降ろす事にメリットが無かった神々からすれば、エルフに適当な事でも言って煙に巻きたかったのだろう。

 そうして、まんまと信仰心だけは受け取っていた。


「だけど、そこで例外が起きた。アンタが手を貸した事で、エルフの叛逆が為されてしまった。慌てたんじゃないかしらねぇ……? 大陸中に融和政策なんて広められちゃ困るでしょ」

「それで異例の短期終了か。僅か数年しか保たなかったと聞いている」

「ハ……、二年と三ヶ月でした……。たった一人の戦士に、為す術もなく……」

「辛かったな……」


 ミレイユが優しく労うと、ヴァレネオの顔が泣きそうな顔に歪む。


「ハ……っ」

「よく民を助け、よく民を纏めた。安心していい、私が助ける。……私が終わらせる」

「ぐっ……! ぅ……っ、ハ……!」


 ヴァレネオは嗚咽を必死に押し殺し、無様や泣き顔を見せまいと顔を俯けた。

 次にミレイユが何を言うつもりなのか察したユミルは、手を伸ばして止めようとしたが、それをアヴェリンが身体ごと差し挟んで受け止める。

 ヴァレネオの手に添えるルチアも、困り顔で涙を浮かべていた。


「お前は良くやった。お前の荷物は、私が預かる。お前は私を風除けに、私の後ろを歩くといい」

「ふ、ふぐぅ……っ! はっ! しかし、しかし、その様な重荷……! 任せるなどと、気軽に……!」

「いいんだ、私が預かる。気兼ねの必要もないし、これは責任の放棄でもない。私が助けると決めた、これはそういう話だ」

「はっ! ……真に、真に……っ!」


 ヴァレネオは泣き崩れて膝をつく。ただ力無く崩れただけでなく、両拳を地面につき、額まで地面につける、臣下が捧げる謝罪のような体勢だった。

 ルチアも同じく膝を付き、ミレイユには泣き笑いの顔を見せ、父の背中に手を当てていた。


 彼のそれは実際、謝罪でもあるのだろう。

 感謝と共に、謝罪もせねば気が済まないのだ。ミレイユが預かる荷物とは、森に生きる全ての民に他ならない。その生活までも面倒を見る、と言ったのだから、感謝だけでは到底足りない。


 ミレイユもまた膝をつき、その肩に手を軽く置く。

 嗚咽が止まらぬ中、その頭上から優しく声を掛けた。


「畏まる必要はない。私が招いたようなものだ。後は全て、私に任せろ。……良いな?」

「ハ……ッ! よろしくお願い致します……! ご厚情、ありがたく……っ!」


 それ以上は声にならないようだった。

 地面に額づけたまま、嗚咽が止まらず泣き声が響く。大の男の泣き声は心に刺さるが、それ程の重圧を背負っていたのだと分かるから、誰からも声が発せられない。


 ただ、ユミルから刺さるような視線が向けられていて、それまで堰き止めていたアヴェリンの腕を振り切り、ズカズカと近付いて来ては指を一本突きつけた。


「アンタ、何を言ったか本当に理解してる? 何でいらぬ苦労を背負おうとするのよ? 苦労なんて嫌いなんでしょ? これがどんな面倒事を引き起こすか、分からない筈ないでしょうに……!」

「どうやら私の性分らしい。抑えられず、気付けば、考えるより言葉が先に出ていた」

「だからってね……!」


 尚も言い募ろうとするユミルを、横からアヴェリンが押し退け、握り拳を胸に当てて一礼する。その表情は実に晴れやかで、誇りに満ち満ちていた。


「ミレイ様のご厚情、真に感服いたしました! このアヴェリン、ミレイ様の臣下として、一振りの武器として、必ずや望む成果を献上いたします。如何様にでもお使いください……ッ!」

「……うん、頼りにしている」


 ミレイユがその肩に手を置いて素直に感謝を口にすると、アヴェリンの身体がぶるりと震える。歓喜と武者震い、それを抑えきれなくなったのだろう。

 既にミレイユが何を言うより前に、やる気で溢れているのを感じる。


 だが、それで黙っておられぬ者もいる。その筆頭が押し退けられた体勢から戻って来て、再びミレイユに指を突きつけた。


「何か良い話にしてやろう、みたいになってるけどね、現実を見なさいよ。アタシたちは現在、罠に掛かった状態なの。つまり手の内ってコトよ。その上、本来エルフから身を隠すべきところを、助力するだけでなく預かる? 冗談は大概にしなさいな」

「考えなしで言った訳じゃない」

「そうでしょうとも! 考えるより前に言葉が出るコトが、さぞお得意なんでしょうから!」


 ユミルの怒りは相当なもので、しかも正当なものだった。

 これでは神々の見えている罠に、自ら飛び込むようなものだ。トラバサミへと考えなしに足を置くようなもので、本来なら避けられるものだった。

 しかし、その正当な怒りに我慢できないのはアヴェリンだ。


「お前にはミレイ様の、気高い精神が理解できんのか。エルフの窮状を見て、それでなお見捨てる事が出来なかった、と仰っているのだ。いや、これは何もエルフに限った話ではない。世界で弾圧される、そしてこれからもされるであろう全てに対し、その解決を計りたいと意思表示をされたのだ。ミレイ様には考えがあると言うのだから、それを信じれば良いだけだろう」

「……なるほど? 確かにそうだわねぇ。大層、よいお考えをお持ちなのだろうから、それを頼みにすれば何もかも全て、万事解決するんだったわ。それで一気にまるっと解決よ。……そうよね?」


 ユミルの目には剣呑な光が宿っていて、下手な誤魔化しは許さないと語っていた。

 勿論、何もかも解決する、良い方策なんてミレイユは持っていない。しかし、神々の用意した今回の罠だけならば、回避できると踏んでいた。


 そして、その鍵となるのがテオなのだ。いい加減立ち上がっていたテオだが、話に入っても付いていけず、手持ち無沙汰で立ち尽くしていた。

 随分、遠回りしたし、大いに待たせてしまったが、これでようやく本題に入れる。


「話に戻ろう、と言いたいが……この様子だ。一度落ち着く為にも、邸宅へ入って休まないか」

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