ミレイユの邸宅 その2
「なに……? 何だと……? 何を言ってる、俺は魔王だ。いつだって魔王として君臨し、皆を背負い、種族の弾圧に逆らってる! 今この時とて、それは変わらない!」
「……うん、その志は知っている。もっと早くに知っていればとすら思った」
ミレイユがユミルへと視線を移し、軽く頷いてやると、ユミルは鼻を鳴らしてその手を離した。
尻から着地する破目になったテオは、小さな叫び声を上げて尻を撫でる。だが、そう情けない姿を晒しながらも、挑戦的な視線だけは止めない。
それを好意的に受け入れながら、ミレイユは続ける。
「……あぁ、お前が魔王と名乗ってるのは知ってる。魔族の王でもなく、悪魔の王でもなく、魔力を扱う一族の王として、その矜持を持って弾圧から弱者を救おうと立ち上がった事もな」
「……魔王とは、そういう意味だったのですか」
アヴェリンが意外そうに言葉を零し、ミレイユはテオを気の毒そうに見つめながら頷く。
「かつては魔力制御の時代でもなく、詠唱を朗々と言葉に出して使わなければならなかった。魔力一つで魔術を発動させるのでなく、詠唱を媒介に、マナを絡める事が魔力の扱いと見做されていた時代があった。それを巧みに扱える事は誉れであると同時に、妬みの対象でもあったようだな」
「……その上、こいつは瞬間記憶とでも言うような、初めて聞いた相手の詠唱を、その場で真似るコトまで出来たのよね」
ユミルは拘束する事こそ止めたが、足の爪先でテオの尻で小突いて虐めている。
鬱陶しそうに手を払いながらも、しかし全員から警戒されている現状、テオも即座に逃げ出そうとはしない。何より、彼の矜持が、いま語られた内容に異議を唱えたいから、その場に留まらせているのだろう。
「そうとも、妬みは侮蔑に変わり、そして迫害へと繋がった。悪意は伝染し、我が一族は魔力の一族ではなく、悪魔の一族と忌み嫌われようなった! 我ら一族は少数だったが、それは同じ別の少数一族の迫害にまで及ぶようになり、それが悲しみの連鎖にもなったのだ……!」
「それで自身の一族はともかく、他の少数民族まで助けようって思ったのが疑問よね。その少数だって、アンタらを迫害していたんでしょうに」
「そうせねば、彼らも迫害されると理解していたからだ! 弱者ならば……弱者だから、その流れに逆らえぬのだ。彼らを憐れみこそするが、恨もうとは思えぬ!」
テオは血を吐く様な思いで当時を語る。
その表情からも、決して嘘を吐いている訳でも、誇張をしている訳でもないと分かる。そこには真実を語る凄み、そして悲哀と憐憫が見て取れた。
「……それで、全てを背負って、彼らを救うと立った訳か。ただ奪われ、ただ泣き崩れるのを見ていられなかったんだな。己の一族だけでなく、似たような境遇の他者まで無駄に背負った」
「無駄ではない! 誰かが立たねばならなかった! 誰も彼もが助けてくれと請うのに、誰もが助けれくれぬというなら、それは俺が拳を振り上げねばならなかったのだ!」
「……そこまで身を
「当時の弾圧とはそれ程までに苛烈だったのだ! 神の後ろ盾があった人間には、それが許された! 我らも救いを求めたが、祈るばかりでは、その庇護は終ぞ落ちて来なかった!」
神という一言が出たところで、誰しも顔を顰めて息を吐き出す。
その思いはそれぞれだったが、誰もが忸怩たる思いを抱いているのは確かだった。特に、ヴァレネオについては形相まで変わっている。
明確な悪意と怒りを、神々へ向けているのだと分かった。
テオは目尻に涙を溜めながら続ける。その声は叫びとなり、最後には慟哭へと変わった。ミレイユを見る目にも、怒りと良く似た感情が向けられている。
「――ならば、やるしかなかろうよ! 俺は多くの悲哀を知っている! 動かなくなった小さな子を抱く母親の、涙する光景は未だ忘れぬ! それを思い出せなくなるまで、俺の歩みは決して止まらんのだ!」
「……あぁ、お前は立派だ。それを私が、何の思慮もなく、小枝を払う気安さで手折ってしまった。それについては正直にすまなく思うよ」
「謝る必要はございません」
ミレイユが殊勝な態度で頭を下げようとしたが、それより前にアヴェリンが鋭い口調で止めた。
「どのような理由と背景があろうとも、洗脳という手段で我らに牙を剥いたのは事実。相手を誰に選んだかなど何の言い訳にもならず、反撃を受けて死に至るのも自業自得です。奴は挑戦し、失敗した。只それだけの事。この世に幾らでもある、ありふれた顛末です」
「中々に手厳しいな」
「その志に敬意を表するのは吝かではありません。実際、誰も彼も悲嘆に暮れる中、奴一人のみ立ち上がったという事実は、称賛に値するでしょう」
そう言って、アヴェリンは一度言葉を区切り、それから目に決然とした意志を乗せて続ける。
「――ですが、我らを襲った事とは全くの別物です。復活したばかり、手駒を増やすつもり、奴の言い分を信じるなら、当時その様な事を言っていました。それで、本当に我らのいずれかを奪われていたら、どうされました」
もしも、という前提で考えてみたが、そんなものは幾らも考えを必要とせず、結論とて既に出ている。術者を殺しても、その方法次第では解けない可能性はあるが、それでも多くは、確実と言える手段でもあるのだ。
ミレイユも、きっとそれを試みただろうし、彼の命はまず、なかっただろう。
「……まぁ、許せなかったろうな。このメンバーの誰が欠けようと、必ず救い出し、やった事以上の報いを受けさせた」
「それだけの事をしようとしたのです、こやつは。知らずにやった、というのなら互いに同じ事。やった事に対する正当な報復があっただけです。詫びる必要はございません」
「あぁ、そうだな。……忠言、大義だった」
ミレイユは腕を組んだまま、いっそ大仰に頷いて見せたが、アヴェリンの満足は非常に高かった。表情を出さないように努めているが、一礼する時の身震いは止める事が出来ていない。
本人はクールを装いたかったのだろうが、見る者が見ればすぐに分かってしまう。
そんなアヴェリンをヴァレネオは羨ましそうに見ていたし、ルチアは微笑ましいものを見るように目を細めて見送っていた。
ユミルはうんざりとした表情をしながらテオを逃さないようにしていて、そして、そのテオは悔しそうに顔を歪めながら涙を拭っていた。
微妙な間と沈黙が邸宅前広場に降り、アヴェリンが曲げた腰を元に戻したところで、改めてテオを見据える。その鋭い眼光から分かるとおり、未だその処分を諦めていない。
だが、ユミルが指摘した事からも、テオの有用性については、ミレイユも認めるところだ。
現状において切り札となるかもしれないものを、みすみす捨てるのは惜しいと思った。
「お前にそこまでの悲喜こもごもがあった事は知らなかったが、だがそれなら、尚の事お互い協力し合えるんじゃないかと思った訳だ」
「何がどう繋がるって言うんだ。俺には何を言っているのか、さっぱり分からない!」
確かに、感情を揺さぶられたテオからすると混乱ばかりで、冷静に考える事も出来ないだろう。ここで変に畳み掛けて、後で冷静になった後、騙されたと思うのも困る。
ここは下手な誤魔化しや、煙に巻くような言動は慎むべきだった。
「さっき、神の話をしていたろう。救いを求めても得られず、さりとて暴力や弾圧は推奨する。……お前は、その被害者だった」
「だから何だ……。そんなの当たり前だろ。どこにでもある、……それこそ、ありふれた話だろうが」
「そうだな。……神は何故そんな事を許すと思う。何故、扇動し暴力を許し、戦争を許容するのに、それを救ってくれないと思う?」
「それこそ知るか。それが神ってもんだろう」
テオの口調は吐き捨てるかのようだった。
実際、ここにいる誰もが吐き捨てる思いを持っているだろう。眼の前に神の顔があれば、そこに唾を吐きかけるつもりに違いない。
ユミルはミレイユが何を言いたいかを悟って、テオを焚き付けるかのように柔らかい口調で告げる。
「えぇ、そうね。それが神だわ。信仰を向けさせ、向けるように仕向け、そして得るだけで与えはしない。……何故って? 助けることに興味なんか持ってないからよ」
「はっ、今更そんな事……分からないとでも」
「戦争や迫害、弾圧は、被害者からすれば救いを求める機会となる。その機会がね、神にとっては大事なの。平和なだけの世より、荒んだ世界の方が、救いを求めるでしょ?」
ユミルの一言に、テオは元よりヴァレネオの動きが止まる。
不都合な真実、とまでは思うまい。何故、と考えた事は幾度もあった筈だ。しかし神の為さる事、きっと人間には理解できない深謀遠慮があったに違いないと思っていた。
あるいは――。
そこに利己はなく、已むに已まれぬ事情があるのだ、と自分に言い聞かせたりしていたのかもしれない。
反論しようと口を開いたテオは、しかし口を開け閉めするだけで、そこから声は出なかった。
代わりのように口に出したヴァレネオの声も、酷く掠れて聞こえ辛い。
「そんな、筈は……。だって……」
「全く救わないワケじゃない? ――そのとおり。完全に救わず放置するだけなら、敬う理由が希薄になり過ぎる。そんなコト、当然考えてるに決まってるでしょ。奴らが大事に思っているのは人間の幸福でも、不自由のない生活でもない。自らに向けられる信仰以上に、大事に思っているコトなんて無いのよ」
「そんな、馬鹿な……ッ。ならば、何故私達は……」
愕然とするヴァレネオは、それ以上言葉を紡げなかった。足元を一点に見つめて、悔しそうに唇を噛んでいる。
エルフの生活は、長らく戦乱の中にあった。毎日が戦争でも無いだろうが、しかし、またいつ襲われるか、というストレスが常に付きまとう生活であったのは想像に難くない。
そしてそれは、何もエルフだけに起こり、エルフのみに向けられた迫害という訳でもなかった。
過去の歴史を紐解けば、テオが言っていたように、そこには常に迫害と弾圧があった。人とは愚かなもの、争わずにはいられない、と悟った部分もあったろう。
だが、それは神の意図したもので、そして自己利益の追求が根本にあったというなら、嘆くばかりでいられない。
それを証明するかのように、テオの瞳にあった悲哀は、既に憤怒に燃えている。
ミレイユは、その双眸をひたりと見つめて言った。
「許せないと思うか? ――そうだろうとも、私も同じだ。だから私はな、その神々を討ち倒すつもりでいる。その為に、ここへやって来た」
ミレイユが放った端的な言葉は、テオの身体をぶるりと震わせた。
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