ミレイユの邸宅 その1

「……魔王?」


 アヴェリンが訝しげな声を出し、不思議な物を見るように目線を向ける。何秒かそうして、自身の口から出た単語を吟味するよう沈黙し、疑いの眼をテオに向けた。

 その様子を見ながら、ユミル自身も頷きを見せる。


「そう……そうだわ、魔王よ。こいつったらまぁ、随分と縮んでしまったコト!」

「ば、馬鹿者っ! 離せっ!」

「妙に尊大な態度だと思いましたが……。てっきり若気の至りか何かかと……」


 ルチアが呆れた声を出し、手足を振り回すテオを、やはり呆れた表情で見つめる。

 それでミレイユも、ようやく既視感に納得がいった。当時出会った魔王とは、その年齢があまりに違うのでピンと来なかったが、もしあの青年をこの年齢まで引き落としたなら、確かにこのような姿格好になっている気がする。


 アヴェリンはいまいち半信半疑だが、しかしミレイユ達が納得する様子を見せて、ヴァレネオは酷く焦って顔を向けてくる。


「ミレイユ様……、つまり、どういう事なのでしょうか? この者は……このテオは、見た目通りの少年でも、孤児ではないと?」

「……そうなる。この者は四百年前に魔王と呼ばれ、当時討伐されたその人だ。そして、『死の呪法』を用いて、自らを転生させるという手段を取った。二百年前、私達の前に姿を見せたが、……そのとき殺した」

「なんと……、にわかに信じ難いですが……」


 呆然としたようにヴァレネオは呟き、そして今も宙吊りにされているテオを見る。

 必死に虚勢を張って顔を逸し続けているが、脂汗は先程より更に酷い。首の周りは自分の手で庇っているようだが、所詮は子供の浅知恵と変わりなく、その程度では本気で首を落とそうとされれば防げない。


 ヴァレネオが、本当にこれが、と顔を向けてくるのも無理はない。

 しかし、テオ本人が否定しない事こそ、何よりの証拠だろう。本来なら、何よりも先に、知らないと口に出すところだ。そうでなくとも、首を絞められた直後である。変な言いがかりだと、必死に否定するだろう。


「……だが、それで納得できる。私を嫌うに十分な理由だ。この顔を見れば、逃げ出したくもなるだろう」

「そうよねぇ、起死回生を願って自分に呪いまで掛けたのに、転生した先で再び殺されちゃうなんてねぇ……? 既視感があったワケだわ。……ところで、あれって転生直後だったの? 何日目に死んだ?」

「う……、うぅ……っ! やめろ、思い出させるな! 悪魔だ、お前たちは!」

「アンタの口からそんな単語聞かされると、この上ない喜劇って感じするわねぇ」


 ユミルは敵に向ける目付きから、再び嗜虐的な顔付きに変わると、宙吊りのままテオを揺らし始める。その揺れに抵抗しようと手を振るのだが、やはり何の手助けにもなっていない。


「まぁまぁ、ちっこい体になっちゃって。魔力も質も、随分下がったわね。繰り返すたび矮小化するんだっけ……、ご愁傷さま。ここまで変わると可哀想になるわ。……ところでアンタ、名前なんだっけ?」

「ふ、ふん! 貴様らに名乗る名などないわ!」

「へぇ、そういう態度取るの? 今の状況理解してる?」


 ユミルがテオを何度か揺すると、悔しげに顔を歪めて手を挙げる。肩の高さまで肘を持ち上げ、珍妙なポーズを取って高らかに声を上げた。


「特と聞け、我が誉れ高き名は、テオフラストゥス・フィップロス・アウレオール・ボンスバトス・レォン・ホルエイハム! 全ての者は、この名の元に跪くのだ!」

「あらまぁ、名前まで変わったの」

「変わっとらんわ! 前にも名乗ったろうが!」

「馬鹿ねぇ、覚えてるワケないじゃないの」


 名乗る時だけは腕を振り回すのを止め、尊大な態度を取って見せたが、宙吊りにされている上に小さな体では全く迫力に欠けた。

 ユミルのおもちゃにされるのも無理はない、という感想しか上がらない。

 そんな様子をヴァレネオは気の毒に見つめていたが、しかしハッとなって態度を改める。


「つまり……、このテオは、どういう事になるのでしょう? 森に対して敵対とか、そういう事はしていないのでしょうか?」

「……まぁ、していないだろうな。全くの不本意で、本人の預かり知らないやらかしでもしているなら、話は別だが」

「しとらんわ! 大体、何でお前達がいるんだ! あれから二百年経ったんじゃないのか! 悪夢だぞ、これは……!」


 テオは涙ながらに喚き散らしたが、何故と問われても困る。こちらにも、こちらの事情があったのだ、としか言えない。それに、説明しようと思っても、この場で言う事ではない。

 そもそも、テオが知る必要の無い事だ。


「まぁ、逃げたのも、私の顔を知っているのも、矛盾なく理解できたから良しとして……。お前の処遇をどうしたものか……」

「な、なっ!? また殺すというのか! まだ俺は何も成してない! そう簡単に死ぬ訳にはいかんのだ!」

「お前……、そんなナリになっても、まさか……」

「ふん! そう簡単に諦めるものか! 我が誉れ高き名は、それを成す為、そしてそのとき高らかに謳い上げる為にこそあるのだ! たかが一度や二度の失敗で、足を止める俺ではないわ!」


 再び見せる尊大なポーズも、宙吊りにされている状態では、全くサマになっていなかった。しかし、言っている事や、その一貫性には少しばかり感動させられるものがある。

 その手段として、相変わらず洗脳を頼りにするのは、あまり褒められたものではないが、やむを得ないと思える部分もある。

 追い詰められ、手下を作るのも容易でないとなれば、取れる手段も限られてくる。


「そうか……、ならば勝手にしろ。私は別にお前の歩みを止める為に来た訳じゃないしな。むしろ、こちらが聞かせてくれ。何故お前がここにいるんだ。お陰で余計な混乱をさせられたぞ」

「……殺しますか?」


 アヴェリンがメイスを持ち上げると、テオは大仰に体を揺らして否定する。


「何故だ! 逃げただけだろうが! まだ、何もしてないだろ!」

「……まだ? まだって言った?」


 ユミルが手をを揺さぶりながら顔を近付けると、脂汗を滴らせながら首を振る。


「いや、違う、言葉のアヤだ! 大体、俺がお前らに突っ掛かって、何か出来る訳ないだろ! 前回だってコテンパンにされてるんだぞ!」

「そうね、前回挑んであの結果じゃ、今回だって更に勝ち目ないわよね。……でも、洗脳ってのが、ちょっと嫌なのよねぇ……。傍にいて安心できる存在じゃないでしょ」

「そういえば、あの時は初手で洗脳を仕掛けて来ていたな……。変な名乗りもなく、全くの不意打ちだったら、確かに危機感を覚える手段だったかもしれない」

「……やはり、殺しますか?」


 アヴェリンが再びメイスを持ち出すと、テオは暴れ牛のように体を振るう。逃げ出そうと躍起になっているが、虚弱な体に転生している所為もあって、やはり拘束から逃げられそうにない。

 テオは必死に必死を重ねた、切羽詰まった顔で、唾を飛ばして言ってくる。


「やらん、無理だ! 絶対やらん! 今更お前たちと敵対して得なんてあると思うか!? 何より、志を同じくする者同士だろうが! えぇ、そうだろう!?」

「お前の口から同士という言葉を聞かされると、何とも素直に応じられない部分があるが……」

「だが、人間一強の状態はまだしも、他種族弾圧まで黙って見ているつもりはなかったんだろ!? だからエルフに協力したんだろうが! 今だって……そう、そうだとも! 見ぬ振りを止めて手を出すつもりになったから、姿を見せに来たんじゃないのか!?」


 テオにしても全くの当てずっぽう、口から出るままに言葉を吐き出したに過ぎないのだろうが、しかしその自論には不思議と説得力があった。

 ミレイユが思わず言葉に詰まった部分を見て、ヴァレネオからも期待に満ちた視線を向けられる。


 全くの無頓着ではないが、そのつもりでやって来た訳でもない。

 ミレイユにはミレイユの目的があって、今回もあくまでその一環で手助けせねばならなくなっただけだ。もし戦争がこの局面で起きていなければ、きっと密かに接触するに留めただろう。

 そして、現在の窮状にも積極的な助力はしなかったに違いない。


「……悪いが、そういう事じゃないんだ。ともかく、お前については解放しよう。どうやら敵ではないらしいしな」

「敵ではないかもしれませんが、……放置も恐ろしいのではありませんか? 利用されると厄介な事になり兼ねません」

「お前の言い分も理解できる。だが、厄介になり得るというだけで殺していったのでは、どれほど殺せば済むか分からなくなるだろう。出る杭はともかく、出るかもしれない杭まで叩いて回るのは気が引けるし、何よりキリがないぞ」


 ミレイユの言い分に、アヴェリンも深妙な顔付きで頷く。しかし、その表情は納得とは程遠いものだった。


「仰り様は良く分かります。怪しいという理由だけで、誰彼構わず処断していく訳にも参りません。――しかし、この場合です。洗脳という手段を持つ、かつて敵対した相手。本人ならず、誰彼とけしかける事も出来ましょう。我らに恨みも持っているなら、それをしてもおかしくはない。野放しにしてやる理由がありません」

「ば、馬鹿を言うな!」


 吊られたままのテオが、やはり手足を振り回しながら叫んだ。


「何度も言ったろうが! 俺は敵対するくらいなら、まず逃げるぞ! 最初から何度もそうしてたろうが! それでも姿を見せて来たのは、お前たちの方だ! 俺は常に逃げの一手を選び続けて来たのだぞ!」

「……ま、アンタの言い分に納得してやっても良いわ。殺すのはアタシも反対だし」

「お前もそうか」

「――えぇ。だって利用できるし」


 アヴェリンの顔が疑問で歪む。

 ミレイユが頷いて見せると、殺さないのは慈悲の為ばかりではないと気付いたらしい。ユミルへと詰問するように言葉を飛ばす。


「どういう事だ、ユミル。ミレイ様にも何かお考えがあるようだが、お前の賢しらな考えは信用できん。何をさせるつもりか言ってみろ」

「単純な事よ。洗脳が得意というなら、その得意なコトをさせてやろうってだけ。実際、この場合において、役立つんじゃないかと思うのよね」


 アヴェリンは胡散臭そうな視線をユミルに向けたが、ミレイユも同意するように頷いて見せると、態度を変える。腕組みして考える素振りを見せた後、すぐに首を傾げて次の疑問を口にした。


「洗脳を利用して何をするつもりにしろ……、そもそも言う事を聞くのか? こちらが想定していない、別の何かを命じられたら、それが我らにハッキリと分かる形で伝わるか?」

「それは分からないでしょうね。でも、断らないわ。このテオにとっても、悪い取引にならないから」

「な、何だ……! 命を助けてやる、なんていう理由じゃないだろうな! そ、そん……っ、そんな安い脅しに、く、くくく屈すると思うなよ!」


 その小さな体を震わせて、必死の虚勢を見せている事からも分かるが、手足の一本でも落としてやれば、素直に応じてくれそうではある。


 だが、ユミルが言ったように、悪意を持って洗脳の中に別の命令を滑り込ませるなどされたら、それを発見する事は難しい。

 命じた瞬間、その傍で見ていたとしても、明後日アレをしろ、という刷り込みまでは見抜けない。ユミルの催眠がそうであるように、口に出さなければ、その命令を認識しないという制約がある訳でもないのだ。


 ミレイユはユミルの嗜虐的態度と、テオの虚勢的態度の両方を嗜めるよう手を動かし、それからテオの目を真っ直ぐに見つめて言った。


「テオ……、お前の悲願を叶えてやる。もう一度、魔王へと戻り、皆を率いろ、と言われたらどうする?」

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