森への帰還 その8
明らかに顔見知りへ向ける態度に、ミレイユは肩の力を抜いて息を吐く。
村に住む少年の様にも見えるが、しかし同時に都市の中でも姿を見掛けた少年でもある。
隠蔽の魔術が使えるなら、あるいは森と都市の出入りに融通が利くのかもしれないが、ミレイユの顔を見て逃げ出した事といい、どうにも不審感が拭えない。
――それに。
青い肌を持つ、という部分にも引っ掛かりを覚えた。
多種多様の種族が生きるデイアートだが、青い肌は珍しい。非常に珍しい、と言って良い。オズロワーナの中でも、髪色肌色に多くの違いが見られたが、青い肌だけは居なかった。
そして、その青い肌、という部分に、ミレイユは記憶の端に引っ掛かるものを感じている。
「ヴァレネオ、あの……テオと呼ばれた少年は、一体どういう奴なんだ……?」
「ハ……、数年前から森へ逃げ込んで来た者でして。刻印も無く、魔術が使える事から古い知識を受け継ぐ一族の生まれと分かるのですが、それ以上の事を話そうとしません。よく森を抜け出していて、問題行動も多い者なのですが……」
「何とも、それだけでは判断し辛い奴だな。問題行動というのは?」
ミレイユが問うと、ヴァレネオは難しい顔をして考え込む。
「なんと言って良いものか……、年相応として見るなら、微笑ましい理想を口にする少年、という感じなのですが……。その為の強硬策に走りがちで、笑って見ているだけも出来ないと申しますか……」
「それだけでは、さっぱり分からん。具体的には?」
「種族の融和を唱え、その為に都市を奪還する必要がある、と主張しておるのです。その為には内部工作と称した都市への侵入、そして要人の洗脳を、などと口にし……」
融和政策そのものについては、かつてよりエルフが掲げた主張でもあるから、この少年が同じ思いを持つのは、不思議でも何でもない。
数年前から森に来た、というのなら、故郷を追われた少年が、思いを同じくするエルフを頼って来たとして、やはり不思議ではなかった。
ただ、その手法に関しては確かに少々過激と言わざるを得ない。
洗脳一つで内部の崩壊を招く事は難しい、という事以外に、そもそも洗脳は万能でも何でもない。時間経過で解けるものだし、その時の記憶も間違いなく残る。
有効に活用できるかは、自分自身、その要人の傍に居続けられる立場を得られるかに掛かって来る。そして、その立場に、青い肌という極めて目立つ容姿の少年が居座る事には、誰もが疑問を抱くだろう。
ひと一人の洗脳は難しくなくとも、それを要人に、となると、その不自然さを隠す事は苦労がある。問題はそれ一つでもないだろうし、芋づる式に頻出するものでもあるだろう。
一時の混乱を作るには有効でも、持続は無理だ。
それを理解しているというのなら救いはあるが、ヴァレネオの口振りからすると……、どうやらそういう事でもないらしい。
「……なるほど、問題児か。しかも実際に、都市まで入り込む程の行動派か。思わず頭を抱えたくなる気持ちも、分かる気がする」
「恐れ入ります……」
ヴァレネオは恐縮して頭を下げ、しっかりと三秒姿勢を維持してから顔を上げる。どこまでも臣下の様な態度を崩さない彼に、ミレイユは気不味いものを感じながら、視線を前方に固定した。
少年は里長の折檻を怖がってか、近付いて来ようとはしない。
顔も俯けたまま、腕を垂直に下げた先で拳を固く握っている。表情も見えないが、しかしどこか既視感もあった。
その感覚を頼りに記憶を探ってみたが、ミレイユの旅において、少年と関わった機会は多くない。
むしろ殆ど無い、と言っていい。
だが、不思議と感じる既視感はどうした事だろう。
一向に動きが見えない両者に、痺れを切らしたユミルが、ツカツカと歩み寄って少年の首根っこを捕まえた。十二、三歳にしか見えない少年で、小柄でもある体格から、ひどく軽々とその体を持ち上げてしまう。
「な、何をする! 離せ、無礼だぞ!!」
「あらまぁ、一丁前な口を利いちゃって。この子、無礼ですって」
少年――テオは体を揺すり、手も足も振り回して抵抗したが、ユミルは全く意に返さない。そのまま嗜虐的な笑みを浮かべて、戦利品を見せびらかすかのように揺らして見せる。
「ほらほら、どうする? 他にはどんな無礼がして欲しい? アタシたちに少しでも危機感を与えてくれた罰を、ここで受けさせてあげましょうか?」
「やめろ、離せ!」
「あら、離せ? 生意気だコト。まぁ、でも子供であるコトに免じて、腹を二つに裂く位で許してあげましょうか」
「ば、馬鹿言うな! 死んでしまうだろうが!」
テオは必死になって体も手足も振り回すが、それが逃げ出す手助けにはなっていなかった。ユミルの腕などは叩けるのだが、嫌がらせ以上の痛痒は与えていない。
ミレイユはユミルの遊びを視界の端で見つめながら、さてどうしようか、と対応に困っていた。アヴェリンやルチアは何も言わず、白けた空気を出しているし、ヴァレネオは困った顔をしているものの、積極的に止めようともしていない。
まさか本当に腹を引き裂くつもりではないだろうから、適当にからかった後に解放するだろうと思うのだが、しかし確認だけは済ませておかねばならなかった。
「ところでお前、……テオ。ここに一人でやって来たのか? つまり、自分で解錠して侵入できるのか」
「い、いや……」
「ほぅーら、素直に答えないと、あの怖〜いお姉さんが、その腹引き裂こうとするわよ」
「は、ハン……! ……み、ミレイユに、話す事なんてない! 俺にもプライドってもんがある!」
「ふぅん……?」
言ってやった、と自慢するかのように、腕を組んで顔を逸らす。それを見て、ユミルの顔から嗜虐的な色が潜み、興味深そうな表情を浮かべた。
顔の高さまで持ち上げたテオを、しげしげと見つめた後、その息遣いを感じる距離まで顔を近づけた。
「ミレイユに、話すコトなんてない? 森に生きる者にあって、その思想って随分過激よね? 恨み辛みでも有るっての?」
「……な、なに、何もっ! 話してやらないからな!」
テオは必死な抵抗を試みているが、それが痩せ我慢である事は一目瞭然だ。顔は逸していても、その顔色は恐怖で染まっているように見えるし、汗は吹き出し、体は小刻みに震えている。
素直に口を割らないのは、子供らしい反抗期と見て捉えても良いのだが、
そして何より――。
「このテオは私の顔を知っていた。都市で会った時にも、一目散に逃げて行った。思い違いや勘違い、この姿格好に驚いたのかと、その時は思ったものだ。偶像の『魔王ミレイユ』を恐れたのだと。――だが、実際は森の民だった。そして村へ入った私に気付くなり、一目散に逃げ出す事すらした……」
ミレイユが自らの記憶を呼び起こしながら言葉に出すと、ユミルの顔付きが変わる。単なる悪戯小僧に対するものではなく、敵に対するような目付きへ変化していく。
そうして、ミレイユは目を細め、震える横顔を見つめながら鋭く言い放つ。
「――お前、私をミレイユと確信して逃げたな?」
「ふ、――ぐぇっ!」
ミレイユが言葉を放つのと、ユミルがその首を締めるのは同時だった。
ユミルの嗜虐性は鳴りを潜め、今すぐにでも首の骨を折ろうとしている。即座にしないのは、情報を聞き出そうという目的があるのと、痛めつける事で口を簡単に割るかもしれない、という期待あっての事だ。
既にアヴェリンも、テオが単なる悪戯小僧などと思ってはいない。改めて武器を取り出していて、悔やむような顔付きをして睨んでいる。
「都市で逃げるのを見送った時、あの場で捕らえておくべきでした。……では、こいつが死霊術士、という事でしょうか?」
「捕らえなかったのは、私の指示だったから仕方ない。子供だから、迂闊そうに見えたから、見逃しても問題ないと判断した。……森の出入りも可能であったという事実と、灯台下暗し、という発言からも、いかにも怪しく思える」
「お、お待ちを、ミレイユ様!」
慌てて口を挟んだヴァレネオに、ミレイユは分かっている、という風に手を振った。
「ヴァレネオは死霊術士の事をゲルミルの一族だと言った。この者は肌を見ても違うと断言できるし、何より魔力が低すぎる。呪霊は扱えないだろうし、仮に作成できても、いの一番に餌食になる。――こいつは死霊術士じゃない」
「しかし、だとすると……何者なのです? ミレイ様に向ける反骨心といい、そしてその顔を見て、ミレイ様本人と断定できた事と言い、只者だとは思えません」
アヴェリンの最もな指摘に、ミレイユも頷く。
だが、そこはどうしても分からない部分だった。このテオがミレイユに反骨心を抱いているのは別に良い。森の民その全てが、ミレイユの信奉者ではない、と分かって安心したぐらいだ。
しかしエルフでもない少年が、森の外からやって来た上に、ミレイユの顔を知った上で反骨心を持つとなれば、警戒しない訳にもいかない。
まさか神の手先に使われているとは思わないが、冒険者を利用した手口や、その稚拙と断じたやり方に、この少年は通ずるものがある。
「洗脳、という手段を持っているのなら、あるいはギルド長を好きに動かす事が出来たかもしれないしな……。とはいえ、お前が何を思って、森に敵対行動を取らせたのか分からないが」
「テオ、お前まさか……まさか、そんな大それた事をやってたのか!? 森に仇なす行いを、お前が!? ……とても信じられん!」
ヴァレネオの顔は驚愕に染まり、そしてワナワナと震えながら拳を握り締めている。
彼からすると、それが有り得ると考えるより、そんな事は有り得ない、という感情の方が勝るようだ。それを見て、ミレイユとしては、むしろ安心した。
この迂闊な少年に、それほど上手く事を運ぶ手際など持っていまい、と思っていた。
それでも敢えて口にしたのは、テオに対する正直な評価を、ヴァレネオの口から聞きたかったからだ。
スパイなどと思いたくないが、実際目立たず溶け込み、その上効果的な手段として、子供を使う事はある。未だその容疑が晴れた訳ではないものの、それこそユミルに尋問させれば直ぐにでも分かる事だ。
テオは顔を赤くさせてしばらく暴れていたが、窒息寸前になって動きも散漫になっていく。
本当に殺すつもりはないので、既のところでユミルは首から手を離した。テオは両手で地面に手を付きつつ、ようやく自由になった口で息を吸う。
「げほっ、えほえほっ、……ゲホッ!」
一頻り咳込み、えづき、それから幾らか息を整えた。その呼吸が落ち着いたところで、再びユミルに襟首を掴まれ、持ち上げられる。やはり必死な抵抗をしたものの、為す術もなく宙吊りにされてしまった。
その顔は恐怖で引き攣って、顔面も涙や涎で汚れて酷いものだったが、何故かその顔にすら既視感が浮かぶ。
「はて……?」
同じ感情を抱いたのは、どうやらミレイユだけではなかったらしい。
ユミルが再び顔を近付け、目を細くして数秒見つめると、ひどくあっけらかんとした声で名前を読んだ。
「何よこいつ……、もしかして魔王じゃない?」
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