森への帰還 その7
ヴァレネオが気を利かせてくれたお陰で、ミレイユ達が森を抜けて出た場所は、村の東端に位置する様だった。
明らかに歩いた距離と辿り着いた場所の時間が合っておらず、村人のみが知る特別な転移陣でも踏んでいたのだろう、とそれで察しが付いた。
どこを見ても同じ様な景色なので、それで尚の事、どこに陣があったか分からなくなっている。仮に森の民を拷問して聞き出せたとしても、手引きが無ければ決して分からないような仕掛けだった。
本来の入り口となる場所には木柱のアーチが建てられていて、そして続く先には大きな広場がある。投げ捨てられ、放置された子供の玩具が、酷く物寂しい雰囲気を発していた。それを物寂しく見つめていた青い肌の少年は、こちらに気付くなり、不自然な動作で逃げ出す様に走り去っていく。
疑問には思ったが、子供のする事だ。
視線を広場へ戻して観察してみると、そこはどうやら、本来なら集会や宴会などに使われる場所らしかった。
小さな村では何事か祝い事があっても、全員を収容できる建物など用意できない。その為、広場を使う事は良くある事だし、この里でも同様な扱いらしい。
建物といえば、その広場に沿うような形で作られており、その全てが木造で、草や葉などで飾り付けていたりする。どれも一階建ての平屋であり、大きな建物はあまりない。鍛冶場は村の西端にあって、その周りには同じ様な職人達が作業をしているようだ。
鍛冶より大きく場所を使っているのは木工職人で、他には強烈な匂いを発する錬金術、そして医療施設らしきものもある。
戦争で怪我の絶えない者が多いせいなのか、人が多く出入りしていた。術ではなく薬を使って治す事がメインの様で、その手には水薬が握られている姿がよく見えた。
基本的には牧歌的な田舎村、という事になるのだろうが、武器を携帯していたり、物々しい雰囲気で慌ただしく行き来している兵士達も多い。
今しがた一度戦闘を行った後でもあるし、そうでなくとも敵軍の進軍があったところなのだ。あれだけで終わりと見ていない者がいるのも当然で、何事かを言い争いしている光景も見えた。
その中にはミレイユなる単語も聞こえてきて、それが白熱する言い合いの原因になっていそうだった。
「……あまり、この場で暢気に見ている場合じゃないな」
「その様です。里長の屋敷がこちらにありますので、どうぞ……」
ヴァレネオが指し示す先には、他より大分立派な建物があった。
屋敷と言うには小さい気もするが、しかし村にある他のどの建物より立派で、装飾も多く見える。
入り口には衛兵らしき姿も見え、ヴァレネオが顔を見せるとホッと息を吐いた。
手には槍と盾もあり、全身に防具を身に着けているが、どうにも頼り甲斐がありそうには見えない。
「お帰りなさいませ、ヴァレネオ様! それに……まさか、そんな、ルチア様まで! これは一体……、どうしたことでしょう! 夢でも見ているのか!」
「……あまり騒ぎ立てるな。いま見ている事は内密にしろ。私もどこまで話して良いか分からぬ。――いいか、私が良いと言うまで、決して誰も通すな」
「は……、ハッ、畏まりました!」
ヴァレネオが魔力の制御をほんの少し見せながら睨みを利かせると、衛兵は青い顔をして何度も頷く。その横を通り過ぎるヴァレネオを見送り、そしてルチア、ミレイユの順で通った事で口をポカンと空ける。
何事か言いかけようと口を開いたが、それより前にミレイユの背をユミルが押して、睨みを利かせながら通り過ぎていく。
それで更に口をぱくぱくと開いては閉じるのだが、最後にアヴェリンが前を通り過ぎ、声にならない悲鳴を上げた。
卒倒すらしそうな勢いだったが、とにかく無礼を働く真似だけは出来ないと思ったらしく、一声たりとも声を上げない。とりあえず無駄な混乱を招かずに済んだか、と胸を撫で下ろして室内へと入って行った。
外から見ても思ったが、中へと足を踏み入れてもやはり狭く、その内装も簡素なものだった。有り体に言ってしまえば貧相で、田舎の村長宅と見るなら妥当というものでしかない。
だがここは、かつては森で一角の文化を形成していたエルフ達、その里長たる屋敷なのだ。そうして見た場合、種族の衰退を間近で見たようで、非常に心が落ち着かなかった。
ミレイユの表情を盗み見ていたヴァレネオは、困ったような寂しげな笑みを浮かべる。
「……その様なお顔をなさいますな。過去の栄光はミレイユ様のお陰です。その栄華を維持できなかった事、そして現在の衰退を招いたのは、全て我らの不徳と致すところ。気に病む必要はございません」
「そう……なのかもしれないが」
「長い間、お隠れになられていた件については、聞いてみたくありますが……」
丁度、客間らしき部屋の前を通ったが、視線を向けただけで素通りした。
「そうだな、色々話してやりたい。ルチアとの家族再会、そして団欒の機会を設けてやりたいとも思う。だが、ここへ訪れたのは、先ずもって私の邸宅に用があったからだ。すまないが……」
「はい、心得ております。いずれ帰って来るやもしれぬと思えばこそ、こうして護り通して参りました。その甲斐あったと、私は自分を褒めてやりたい気分です」
「それについては、素直に感謝するよ。……ありがとう」
「勿体ない、お言葉です……!」
これには感極まって、ヴァレネオは動きを止めて一礼した。その肩は震えていて、歓喜だけでなく、悲喜こもごもが混じった複雑な感情の発露も見えた。
ミレイユはその腰を曲げた姿を目にした事で、複雑な感情が胸中を占める。
彼らがミレイユの邸宅を守るべく、この地に森を築いた。その感情は素直に嬉しい。だがそれが、彼らの現在――窮状を招いたというのなら、素直に喜べない。
彼らは下手な義理など捨て去って、すぐにでも逃げ出せば良かったのだ。
かつて暮らした森が、その当時どうなっていたのか、そこまでは分からない。勝利と栄光を謳歌しながら、多くの財産を都市へと運び入れたりしていたのかもしれないし、そうであるなら、以前と同じ暮らしは出来なくなっていたかもしれない。
だが、敵国の目の前で暮らすよりは、遥かにマシな生活は出来ていただろう。
ミレイユには、それが進んで泥を被ったようにも、貧乏くじを引かされたかのように思えてしまう。義理は大事かもしれないが、ミレイユが帰って来る保障など、何処にも無かったのだ。
今となっては報われた気持ち、というのも本音には違いない。しかし、失ったものも遥かに多い。
――労いだけでは足りない。
褒美か何かを与えられたら、その労苦に報いるだけの何かを与えられたら……、そう思わずにはいられなかった。
とはいえミレイユに与えられるだけの財は無く、今すぐ報いてやれるだけの労も割けない。遣る瀬ない気持ちで背中を見つめていると、サッと姿勢を正して先導に戻った。
ルチアから困った様な笑みを向けられ、ミレイユの方も困ってしまう。
彼女は見捨てろと言ったし、自身の運命を覆すには、それぐらいの覚悟がなければ為し得ない、という意見には頷ける。しかし、気不味さだけは拭えない。
そうして、自身の気持ちに決着も付けられぬまま、一つの扉の前まで辿り着く。
ヴァレネオが持つ鍵で開くと、そこは離れに続く道があった。
その離れを経由する事で、ミレイユの邸宅へと辿り着くようになっており、先程言っていたとおり、周囲には天然の要害と言える樹木や草花が繁っていた。
少なくとも、単に悪知恵の働く子供が、怖いもの見たさで侵入する、などという事は起こるまい。
ヴァレネオの先導で離れへと入り、そこは本当に出入りする為だけの部屋で、物置の様な部屋を通過するだけだった。
そのドアノブに手を触れたヴァレネオは、身体を一時、硬直させる。
「……どうした、何かあったか」
「侵入者がおります。この扉に鍵はありませんが、代わりに魔力錠が掛けてあります。解呪した後、掛け直した形跡があり、隠蔽するつもりはあったようですが……」
「先程の扉も、それじゃあ魔術で解錠されていたと見るべきか。そいつは、今も中にいるのか?」
「はい、解呪したタイミングまでは分からぬものですが、掛け直した魔術には真新しい形跡があります。まず間違いなく、まだ中に居ると考えておいた方がよろしいでしょう」
ヴァレネオが断言すると、他の者にも緊張が走る。
即座に武器を取り出して、身構えるまでに一秒と掛からなかった。何の用意もしておらず、逆に腕組みだけで終わらせたのはミレイユだけだが、これは決して驕りではない。
過敏に反応するだけの敵が、扉の奥にいるとは思えなかったからだ。
魔力や戦力を、上手く隠蔽できる者は実際にいる。ユミルなどがその筆頭だが、しかし上手い隠蔽には、それと気付かせぬ慣れた雰囲気があるものだ。
隠そうとする上手さが、逆に熟練者には力量を伝える指針になる。
しかし、扉の奥にいる者からは、隠そうと必死になっているのが丸わかりで、素人臭さが窺える。だから警戒するには値しない、と判断した。
他の三人が注意するだけで十分で、だから誰もミレイユの態度に文句を言わない。
「じゃあ、どこの馬鹿が侵入したか、その顔を拝んでやろうじゃないか」
「……開けます」
ヴァレネオが外開きの扉を勢い良く開けると、その間を縫うようにアヴェリンが飛び出す。チームの盾として、まず前面に立つのが彼女の役目だ。
こういう狭い道であれば、アヴェリンの鉄壁の守りは非常に頼りになる。
ミレイユも続いて中に入り、その両脇を固めるようにルチアとユミルが傍に立つ。既に魔力の制御は始めており、いつでも魔術を放てるようになっていた。
離れを出てからは、真っ直ぐと見慣れた――しかし懐かしい邸宅まで道が続いており、その周囲を囲むように、やはり危険植物が覆っている。
植物と邸宅までの距離は十分に空いてる為、窮屈さは感じられず、むしろ陽がサンサンと照らされている事で開放感さえあった。
邸宅入り口前にはアーチがあって、特にその周辺は大きく空間が取られており、それが邸宅周辺をより広さを感じさせる設計となっているようだ。
こちらに生えている植物は見目だけは綺麗に見えるものが多く、神聖なものを守護するという美的配慮も窺えたが、危険性で言えば破裂毒の樹とそう変わらない。
アヴェリンが数歩前に出れば、全体的な景観も良く見えてくる。樹木や植物と関わり合いが深く、またそれを整える為の術も体得しているエルフ達が、敬意を持ってこの空間を整えていた事が伝わって来た。
ミレイユが有り難くも申し訳ない気持ちになっていると、そのアーチの影に誰かが隠れているのが分かる。まだ背は低く、ともすれば子供のようにも思えるが、単に種族に由来するものかもしれず、外見だけで判断するのは難しい。
改めて注視して確認すると、やはりその実力は低いと判断できて、ミレイユ達を先回りした敵とは思えなかった。だが、それならそれで、正体は気になる。
ユミルも似たような判断らしく、面倒臭そうな息を吐いて構えを解いた。
「……へったくそな隠蔽ね。あれで隠れてるつもり? まさか本当に、子供が紛れ込んだだけじゃないでしょうね?」
「流石に、子供の力で突破されるような魔力錠は付けておりませんが……」
ヴァレネオが苦々しい顔で言ったが、しかし現に侵入を許している。背丈からいっても成人はしていない相手に、突破されたのは事実なのだ。
ヴァレネオが声を張って、アーチ奥に隠れているつもりの何者かへ声を掛けた。
「そこにいるのは分かってるから、早く出てきなさい!」
「そうよね、怒ったりもしないわよね。ただまぁ、沈黙は敵対と受け取って、容赦なくそこのアヴェリンが殴りに行くけど」
「何でお前の命で殴りに行かねばならん。……が、ミレイ様が敵と判じれば、子供だろうと一切の慈悲なく頭を砕く」
アヴェリンが言う堂々たる宣言に、アーチ奥の何者かは身震いした後、ようやく観念したようだ。ユミルが言うほど下手な隠蔽ではなかったが、しかし専門家のお眼鏡には敵わない術を解いて、その姿を顕にする。
気不味そうなだけでなく、今にも泣き出しそうな顔をして出てきた少年には、見覚えがあった。
オズロワーナで奇妙な反応をしては、脱兎の如く逃げ出した青い肌の少年で、思えば村に入ってからも逃げ出した少年と同一人物のようにも見える。
「う、うぅ……何故分かったのだ! 灯台下暗しと思ったのに……!」
「何をやってるんだ、テオ……」
ヴァレネオが疲れ果てた顔で額に手を当て、苦労を滲ませた声音で息を吐いた。
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