森への帰還 その6

 ユミルはヴァレネオに詰め寄り、襟元を掴んで顔を引き寄せた。彼女らしからぬ余裕のない態度に、周囲は一種騒然とした雰囲気に包まれた。


「半端な言い訳はアタシに通用しないわよ。嘘を吐いたと判断したら、即座に催眠かけて白状させるから、そのつもりで答えなさい」

「お、落ち着かれよ……! 私は決して嘘など申しておりません!」

「それを判断するのは、お前じゃないのよ。ゲルミルの一族? よくもまぁ、そんな嘘を……!」


 ユミルの腕に力が籠もり、それに付随して魔力も籠もる。

 明らかに冷静じゃない彼女に、ミレイユがその肩に手を置いてやんわりと窘めた。


「お前が感情を昂らせるのも分かるが、ヴァレネオに当たるな。騙されているか、そう思い込まされているかのどちらかだ。冷静になれ」

「……そう、そうよね。ヴァレネオ、悪かったわね。正式に謝罪するわ」


 ユミルが肩から力を抜いて、それでヴァレネオも解放される。きつく絞った襟元には皺が出来て簡単には元通りになりそうもないが、ヴァレネオは軽く咳き込みながら鷹揚に応える。


「……いえ、どうかお気になさらず。ですが、誓って嘘は言っておりません。今はまだ姿を見せておりませんが、じきやって来るでしょう。その時、ご自身の目でご確認すればよろしいのでは……」

「そうね、そうするわ」


 ユミルは周囲を探るように険しく、そして忙しなく目を動かす。ミレイユもつられて捜すが、ヴァレネオが言うような人物は見つける事が出来なかった。

 ユミルと同族であると言うなら、それは例外なく黒髪赤眼である筈だ。周囲から遠巻きに伺っているのはエルフや獣人ばかりだから、それ以外の者が居れば間違いなく目立つ。

 ヴァレネオが言うとおり、この場にはまだ来ていないのだろう。


 そうして、唐突に気付く。

 自分達がとんでもなく注目され、そして興味を引かれている事に。年若いエルフや獣人はともかく、かつてミレイユと共に戦った者の目には、驚愕と感動の色が浮かんでいた。


「……既に目立ち過ぎていて、もはや隠蔽がどうと言っていられる状況でもないが。とにかくヴァレネオ、私達は自分の邸宅に用がある。案内してくれるか」

「それはもう、勿論でございます。里への帰還は誰もが喜び、迎えてくれる事で御座いましょう」

「……それは、里に入らねば辿り着けないのか?」

「はい、集落の最奥にあり、他の誰もが勝手に侵入できないよう、天然の要害によって、屋敷の周囲は護られておりますので……」


 つまり、入り口は一箇所しかなく、そしてその一箇所を通るには隠れて進むのが難しい、という事なのだろう。

 更に頭の痛くなる問題だったが、しかしいつまでもこの場で足踏みしていてもいられない。案内を頼むと、ヴァレネオは後の仕事を近くの者に引き継がせ、意気揚々と歩き出す。


 ミレイユはせめて顔だけは見られまい、と帽子を目深に被ってみたが、あまり功を奏してなさそうだ。ヴァレネオの後を歩きながら、ミレイユはひっそりと息を吐いた。


 ――


 森の中に入ってみると、予想していたとおり、魔術的仕掛けが多くあった。

 樹木が視界を遮り、そして直進できない工夫もされているが、方向感覚を狂わせるものや、見ている向きを変えてしまうものまである。


 その上、変わる前と変わった後の樹木の配置に変更はないから、罠に掛かったと自ら気付く事も難しかい。非常に嫌らしい罠である上、直接的には被害が出ないという点で、後続もまた同じ罠に嵌められる狙いもあるようだった。


 伏撃に使う事も出来て、これまで森を守り通して来た理由は、こういう工夫にもあるのだろう、と妙に感心していた。


「……しかし、これでは罠の配置を覚えるまでは、ろくに森を歩けないな」

「ええ……。ですが森に住む者は、子供の頃から樹の実を採ったり、あるいは親の後をついて行ったりしますから、そう苦労する事でもありません」

「森の中全てで完結しなくてはならないんだからな……。苦労も多いだろうが……」

「そうですね、やはり食糧事情は芳しくありません。森の獣もその数をしっかり見極めて狩りますし、農作業できる面積も多く取れませんから……」


 ヴァレネオは苦労を滲ませた口調で言った。

 外から見るには森も広く見えるが、実際は要塞化させ防備に回している部分が多い。そういった場所は獣も寄り付かないだろうし、そうなると縄張りの問題で獣すら数が増えない。


 樹の実はエルフ達の食料としているようだが、それは獣の食料でもある。彼らも肥えなければ子を産めないので、あればあるだけ採る訳にもいかないのだ。

 森から飛び出した追撃兵は、あまり数がいないと思っていたが、人口の減少もその一因だったのかもしれない。


 何ともやれ切れない思いで、ミレイユは息を吐く。

 かつては栄華を迎えようと、実際そこに手を掛けていたエルフたちが、今はかつて森で暮らしていた時より貧しい生活をしている。


 それは戦争が悪い、と一括りにして良いほど単純な話ではないだろうが、どうにかしてやりたい、という気持ちも湧き出てくる。

 ――悪い癖だ。


 ミレイユは独白して帽子のつばに手を掛けた。

 今は他人の助けより、自分への助けこそが必要だ。ユミルも何を考えていたのか見透かすように、意味深げな笑みを向けている。

 そちらから目を逸らして逆側を見ていると、唐突にヴァレネオから声が掛かった。


「――ご注意ください。あまり道を逸れると、フラクレプタの樹があります」

「……植えてるのか、あれを?」

「えぇ、已む無く……」


 戦時中、それも不利な状況ともなれば手段は選んでいられないだろうが、諸刃の刃でもあるだろう、とミレイユは顔を青くした。

 見てみると、他の皆も同じ様な表情をしている。


 フラクレプタとは、別名『破裂毒の樹』とも呼ばれ、その果実は猛毒を持っている。武器に塗るだけで有効なこの毒は、傷口から入ると激しい痙攣と嘔吐を繰り返し、最悪の場合死に至る。

 樹皮にも毒があり、細かな棘が生えていて、迂闊に触れようものなら、そこから同じ毒を受けるという、殺傷能力の強い樹だった。


 悪魔の樹とも恐れられる毒樹で、何より恐ろしいのは、その果実が破裂する事だ。

 熟練の弓士にも劣らない速度で種を撒き散らし、接近した状態で回避するのは不可能とされる。その種にも、当然果実の毒が含まされているので、現代兵器で例えると、さながら毒入り手榴弾のようなものと言えた。


 果実に触れようとしただけで破裂する事もあり、だから迂闊に近寄れない。気付かず樹木に手を当てようものなら、手の平や落下した果実から毒の雨を受ける事になる。

 方向を失わせる罠は、きっとこういう場所へ誘導する事にも用いられているに違いない。


「だがまぁ、知らぬ者には実に有効だ。……森の民に被害が出た事はないのか?」

「そこは徹底的に周知させておりますので。現在のこの道も、普段なら通らない道です。集落の正面から入りたくなかろうと思いまして、わざと脇道を使用しております」

「気を遣って貰えて有り難い。先程も言ったが、大袈裟な事にされると、私としては本当に困る事になる。出来れば、集落の……村長? そういった者にも内密にしたいぐらいなんだが……」

「それは難しいかもしれませんよ……」


 隣からルチアが申し訳なさそうに声を出すと、やはり親子だけあって、ヴァレネオも似たような顔をして頭を下げた。


「ハ……、その里長をしておりますのが、私ですので……。ですが、周知させないよう手配できる立場でもありますから、そのお手伝いが出来れば……」

「あぁ、……そうか。いや、そうであれば逆に有り難い。詳しい事情も説明したいが……さて、どう説明したものやら」


 森の名前といい、集落の最奥に屋敷を置いて、それを守るように村を配置している事といい、エルフたちがここに住んでいる理由は既に察しが付いている。

 その事に対しても感謝せねばならないだろうし、その誠意に対し、こちらも誠意で返さなければならないだろう。だが、どこまで説明したら良いか――或いはどこから説明したら良いか、それが頭を悩ませるのだった。


 難しい顔を見て、ヴァレネオは察するように、寂しげな顔を向け笑う。


「何事もミレイユ様の思うようにされると宜しいのです。我らにはそれだけの恩がある。……本音を言えば……いえ、失言でした」

「ミレイさん、変な期待はさせない方が良いです。下手な気遣いや同情は、自らの首を締めるだけでは済まないと心得ている筈。同族の一人として、私の方から進言します。構いませんから、見て見ぬ振りをして下さい」

「ルチア……」


 辛い発言をさせてしまった、とミレイユは自らを恥じた。

 困窮した森の民を、そして自分の父が長として取り纏めているのを知って、それでなお見捨てろと進言するのが、どれほど辛い事かミレイユにも分かる。


 そして現在は、敵の術中にあった。

 決して無理でも不利でもない状況から、最善を導き出したと思った矢先の事だった。ミレイユがオミカゲ様を救いたい、その欲を出した結果とも言える。


 だが、死霊術士の介入一つで、ここまで事態が悪くなるとも思っていなかった。

 忸怩たる思いはある。

 下手な弱みを見せる事は、更なる事態の悪転を呼ぶだろう。

 それもまた、よく分かるのだ。


 考えが纏まらない中で視線を足元に向けていると、ヴァレネオが殊更明るい声を出して前方を示す。言われるままに目を向けると、そこには森の切れ目が見え、奥には村の姿が露わになろうとしていた。

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