森への帰還 その5
「み、ミレイユ様……! まさか、まさか再び……そのご尊顔を拝謁できる栄誉を賜われる日が来ようとは……!」
「……お前、そんな事を言う奴だったか……?」
ルチアが結界を解除した途端、膝を付いたヴァレネオが、涙ながらに仰々しい言葉を口にした。
今更、このミレイユは偽物だ、と言っても通じるものではないだろう。気絶させて逃げ出そうにも、周囲にはエルフも獣人も遠巻きに見ていて、誤魔化しようもなかった。
仮に全員を気絶させたところで、ここにミレイユがいた事実は変えられないし、ユミルに頼んだところで、都合よく記憶を消せるものでもない。
止むに止まれずとはいえ、面倒な事になってしまった。
ヴァレネオはルチアの父として、予てより親しい間柄ではあった。
尊敬に加えて尊崇すらしている、とはルチアから聞いていたものの、ミレイユ個人としては、エルフが人間に向けられる、最上級の敬意以上の態度を取られた記憶がない。
当時は当時の常識があって、ミレイユを耳を丸めたエルフと呼んで、エルフ集落全体に配慮した感謝の仕方をしていたものだ。多くのエルフはミレイユに信奉を向けていたが、その中でもヴァレネオは常識的な扱いを見せていたように思う。
それとも、それは単にミレイユの前だけの話で、エルフの中に居る時は今と変わらぬ態度だったのだろうか。
とはいえ、そんな事を考えていても仕方ないし、ここで右往左往している場合でもなかった。
周囲の目もある。
追撃から帰って来た獣人の兵達や、呪霊から逃げていた兵達も帰って来ていて、そして呪霊から身を挺して守り、退けた姿を目撃されてしまった。
直接攻撃したのも、昇天させたのもミレイユではないが、ヴァレネオが人間に膝を付いている姿を見れば、只者でないという事だけはすぐに分かってしまうだろう。
「とにかく大袈裟な事にしたくないんだ。ヴァレネオ、立ってくれ」
「しかし……」
「命じてやらねば駄目か?」
「は……、畏まりました」
強く言えば、流石に抵抗してまで膝を付くつもりはないらしい。
そこにルチアが、気不味い顔を隠しもせず前に出てくる。
「あー……、父上……」
「あぁ、先程も言ったが、お前も壮健そうで何よりだ。それにしても、どういう事だ。よりにもよって、ミレイユ様が身罷られたなどと嘘を吐くとは……!」
「いやぁ……、あれ言ったのユミルさんですし……」
「勝手に同罪にしないでよ」
「――ハァッ!? ちょっ……なに言ってるんですか、むしろ私を巻き込まないで下さいよ! 何をサラッと、私を主犯みたいにしてるんですか!?」
ルチアは勢い良く振り返り、ユミルの肩を掴んで揺らす。
ユミルは悪戯が成功した子供のように屈託ない笑顔で笑っていたが、ミレイユのすぐ傍に控えていたアヴェリンは、そんな二人に苦言を呈した。
「そんな気楽な態度でどうする。呪霊を作った犯人は、未だに姿を見せんのだろうが。死体ならば探すまでもなく転がっているんだから、また直ぐにけしかけて来ないとも限らん」
「まぁねぇ、その可能性を考えないではないけど……」
「だったら備えろ。私達では、本当の意味で倒す事は出来ん。お前を頼りにせねばならんのだから……」
アヴェリンは言葉を口にする度、その声に熱も入っていったが、ミレイユがそれを止めた。
「死霊術士の目的は、私達を表に引き摺り出す事だ。どこまで計算ずくだったか分からないが、いずれにしても、目的は達成したと見ているだろう。私達を攻撃したいなら、もっと別の手段を使う……と思うんだが、ユミルはどう見る」
「そうね、そうだと思うわ」
突然水を向けられたユミルだが、その返答に淀みはない。
「呪霊は作成できてたけど、支配までは出来てなかった。……というより、支配を続けられなくなったのね。だから今回の動きは予想外だったけど、事は上手く運んだ。死体があって、活用できる魂があったからと、敢えて呪霊を使うリスクは良く分かっている筈よ。……まぁ、お粗末な術者に似合いの結果、って感じよね」
「支配できなければ、真っ先に襲われるのは術者の方だ。……であれば、そいつは既に死亡していると見て良いのか?」
「……とも、限らないのよね。支配できないにしても、綱引き状態の時間が幾らかある筈なのよ。端から駄目なら死んでるのは間違いない。でも、拮抗できる時間を持てるなら、その間に逃げられるワケで……。術者の力量が分からない限り、断定は出来ないわ」
それならば、とアヴェリンは語気を強めてユミルを睨む。
「結局のところ、油断できる状況ではない、という話ではないか。奴の目的が我らを引き摺り出す事であるにしろ、それで本当に終わりとは限らない。術者を仕留めない限り、分かり易い隙を見せるべきではない」
「それはまぁ……、確かにね」
流石にそこは正論であると認めるらしい。アヴェリンの言う事には敢えて反論するスタイルのユミルも、時と場所を弁えている。
ミレイユがヴァレネオへと向き直ると、手短に状況を説明した。
「――聞いてのとおりだ。この戦争は、私を表舞台に引き摺り出す為に利用された可能性がある。そして、引き摺り出された私は非常に困った事にもなった。ここはまず、他の誰にも周知せず、姿を隠したいと思っているんだが……」
「な、なるほど……。事情は飲み込めませんが、ミレイユ様がお困りであるなら、何を言う必要もございません。お手伝いできる事があれば、何なりと申し付け下さい」
有り難い返答に、ミレイユはホッと息を吐く。
折角の再会、この場ですぐお別れというのも味気ない、と引き止められるかと思ったが、物分りの良い相手で助かった。
事後の説明は上手くして貰うとして、未だ混乱の度合いが強い現場から、動いてしまうのが先決と考えた。
だが、そこにルチアが待ったをかける。
「当初の目的を忘れてませんか。逃げるにしても、どうせなら森の方でなければ。こうまで多くの人に目撃されたっていうなら、不在証明は不可能、知れ渡るのも時間の問題ですよ」
「しかしな……」
「よく考えて見て下さい。最低でも確認だけはしなければ、ここまでやって来た意味もないですし、どうせなら活用する位じゃないと。それに何より、死霊術士の存在が拙いです」
「あぁ……」
ルチアが何を言いたいか分かって、ミレイユは頭を抱えたくなる思いで息を吐く。
ミレイユはエルフを助けた。見捨てる事は出来ない、と自ら証明してしまったのだ。なぜ助けたいか、その真理までは分からないだろうが、見捨てて良し、とまでは思っていない事は知られてしまった。
ミレイユが姿を隠すなら、同じ様な事を繰り返すだろう。
アヴェリンが言ったように、死体を探すには困らない。即座に隠遁すれば、再び呪霊を作り出す可能性がある。
ユミルの話では、行使しても自らを危険に晒す程度の力量である様だが、一度はやった事だ。二度目もあると考えねばならない。
エルフと森を人質に取られたようなものだった。だから最低でも、死霊術士を仕留めるまでは、森から遠く離れる訳にはいかない。
そして実際、現世へ戻り、オミカゲ様を助けようという方針を変えない限り、ミレイユにとってエルフは必要な存在なのだ。
信仰を向けられる事なく、その協力を取り付けなくてはならない。そしてそれには、今回の戦いにミレイユが関与していない、という前提であれば比較的容易い事だったのだが、今となってはそれも難しい。
「だが、いつかは説明しなくてはならない事か……。前倒しになったと思って、他に何か対策を練るしかない」
「まさしく、掌の上って感じがするわねぇ……」
ユミルが顰めっ面でボヤいて、フードの下から恨めしそうに空を睨んだ。
「狙いは読み切ったと思った。姿を見せず、エルフの多くに認知されないままでいるのは重要な事だった。でも、結局コレでしょ? 腹が立つわね……。姿を見せない死霊術士、今回はこれが神の手先だってコトだろうし」
「そう思えるが、だとすると……少しおかしな事になる。一連の動きは、連携が取れていたとは思えない動きだった。最終的にどう転んでも望む結果を得られるよう、駒を動かしていた神の手腕とも取れるが……。偶然が勝ちすぎていたように見える」
「今回に限っては、どう転んでも良い、っていう状況だった所為もあるでしょ。それにまだ終わったワケでも、負けたワケでもない。私達の勝ちの目は元より、引き分けの目だって、まだ十分残されてるわよ」
「……そうだな」
神々の狙いとしては、まずここでエルフから信仰を向けさせ、ミレイユをこの世界に縫い留める事だ、と思っていた。結果として、ミレイユが劇的な救出の場面に姿を見せた事で、その狙いも現実のものになりつつある。
だが、冒険者の利用など、粗と思える部分も同時にあった。
彼らの運用は、ミレイユ達が遠退き、むしろ介入を躊躇わせる原因となる。魔王ミレイユという肩書が、それを邪魔するのだ。
その二つの意志と齟齬が、この件に関して矛盾を生んでいた。
それが神々とは別に動く者がいるのではないか、と疑わせた原因だ。
そして、それならそれで、まだ猶予はあると考える事が出来る。
最終的な着地点は同じでも、途中の経過が違うからこそ齟齬に依る歪みが生じるだろうし、ミレイユがエルフ達から姿を隠せば、その結果から逃げる事も可能かもしれない。
姿も見せず声も聞こえない相手に、強い信仰を向ける事は難しい。かつての戦争で助力があったとはいえ、それは二百年も過去の事だ。頑なに衆目の前に姿を見せなければ、それはそれで疑念の方が強くなる。全く姿を見せない事が続けば、実在を疑い出すには十分なのだ。
ミレイユは顰めっ面を浮かべたまま、ヴァレネオへと向き直る。
「ところで聞きたいが、私が姿を見せた、というような噂は既に広まっているのか?」
「それは、はい……左様でございます。特に数日前から、そのように……」
「数日前? 先程ではなく?」
「先程、というのは……ルチアに会ってから、という事でしょうか?」
「いや、呪霊を目にしたとか、そういうところから、私の存在に紐付けていったとか……」
数日前という数字に疑問を覚えたが、自身が思い付いていた懸念から聞いてみると、ヴァレネオは首を横に振った。
「それで更に勢い付いたのは確かです。簡単な死霊術を使える者が森にいるので、それでないなら或いは、と……。ですが、森に辿り着いた親子から話を聞いていましたし、それより私がついた嘘により、森にはミレイユ様不在説、帰還説などが入り乱れておりまして……」
あまりの情報量の多さに、ミレイユは頭痛を感じて手を当てた。
聞いてみれば、その内一つは非常に納得できるものがある。綺麗さっぱり忘れていたが、何よりの状況証拠を隠蔽する事なく放置していた。
ユミルも思わず呆れた顔で嘆息した。これはミレイユばかりではなく、自らに対しても向けられたものだ。
「あらら……。何で誰も思い付かなかったワケ? 考えてみればそうじゃない。あの親子エルフ、普通に送り届けちゃってるじゃないの」
「……そこからミレイユの名前や容姿が伝わるのは、むしろ必定だったろうな……まったく。それで、お前がついた嘘というのは?」
「ハ……、真に恥ずかしながら話は非常に長くなるのですが……」
「掻い摘んで頼む」
「ミレイユ様は実は少し外に出ているだけで、すぐに帰って来ると、そういった話を里の皆に説明しておりました……」
ヴァレネオの表情は非常に申し訳なさそうな沈痛なもので、聞いた限りで嘘を言っている感じはしない。しかし、何故そんな嘘をついたのは理解不能だった。
「何故そんな……、いや、それを今ここで言及する意味もないか。とにかくタイミング的には、最悪な状況で言ってくれたという事は分かった」
「ちょっと待って。……それより、一つ聞かせて」
ミレイユが暗澹たる表情で眉間を揉んでいるところに、緊迫した声を出したユミルが口を挟む。
「さっき、死霊術を使える者、って言った? 知り合いに、死霊術士がいるっての? 呪霊を使役できる様な奴が?」
「そこまで高度な術が使えるとは知りませんでした。手の内を余り見せない手合いで、どこまで使え、何が出来るかも明かさないヤツでして……。ただ、ユミル殿と同じく、ゲルミルの一族と名乗る者が、里におるのです」
「――何ですって?」
ユミルが声音も低く問い返す。
その目は剣呑に細く睨み付けており、嘘は誤魔化しは決して赦さないと告げていた。
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