森への帰還 その4

 ミレイユは防壁を展開し、前方二メートルの空間に壁を作った。唐突に出現した半透明の壁に激突した呪霊は動きを止め、額や両手を壁に押し当て貫通しようとしてくる。

 防壁自体に跳ね除ける力があるので、簡単に貫通は出来ないが、まるで鉄板を溶かすかの様に、押し付けた部分が変色していく。


 十秒も続ければ突破されると見て、ミレイユはもう片方の手で同じ防壁を展開すると、二重束ねる事で時間を稼いだ。

 それも単純に重ねるだけでなく間隔を開け、一方が突破されれば、もう一方を行使し直し新たな壁を作る。それを繰り返す事で、実質的に突破できない壁を作った。


 防御に関してはそれで良いとして、まずエルフ達を逃さなければ、自由に戦えない。

 ドーム状の防壁で自分たちを覆ってしまわないのもその為で、安全地帯に引きこもれば、呪霊はそれ以外を襲おうとするだろう。


 姿を現す事までしたのに、脇を通って逃してしまうのでは、その甲斐もなかった。

 だから防壁を展開しても、左右へ逃げようと思えば逃げられる規模でしか展開していないのだが、巧みに壁を動かして自由な行動を許さないでいた。


「ミレイ様、私はどう致しましょう?」

「……そうだな」


 いつもなら自分で判断して直接殴りに行くところだが、相手が呪霊だと生身の人間は相性が悪い。というより、生有る者は誰しも相性が悪かった。

 手で触れれば死に至るだけでなく、その全身、どこに触れても死に至る。ほんの偶然、どこかに触れるだけで命を落とすので、無鉄砲に襲い掛かっても死ぬだけだ。


 しかしアヴェリンには、気後れも戸惑いもない。

 既に命はミレイユに預けてあるので、それがどのような相手だろうと――触れただけで死ぬ相手だろうと、行けと言われれば即座に従う。

 それが分かっていても、戦えと指示するのは気が引けた。


 いずれにしても、被害を出さない為に姿を現したのだ。

 まずは注意を引き付け、他に目移りさせない事が肝要だ。ユミル達も呼びたかったが両手が塞がっていては召喚できない。防壁を突き破ろうとする力が強くて、一枚だけでは心許なく、また余力もなかった。


「後ろの奴らを、まず逃がすべきか……。とにかく邪魔にならないよう、遠くへ逃がしてくれ」

「畏まりました。蹴ってでも移動させます、暫しお待ちを――!」


 言うや否や、アヴェリンは駆け出しエルフ達を追う。

 唐突に現れた旅人が、迫ろうとしている呪霊を受け止めた。そこだけ切り取って見れば味方としか思えないから、足を止めて様子を窺う事にしたのだろうが、呪霊相手ならどれだけ遠くへ逃げても安全とは言えない。


 ユミルが使った死霊術は完璧に制御されていたが、この呪霊にはそういう支配された意志の様なものは感じなかった。作成してから放置し、好きに暴れさせているような状態だ。

 デルン軍の敵兵が、僅か千人しか生き残らなかったのも頷ける。


「全く、どこの馬鹿だ……!」


 呪霊は遠くから一方的に魔術を撃ち込んでも倒せるが、生命ではないので、動かくなったからと倒した事にはならない。何度だって復活し、何度だって生命ある者を襲う。

 本当にその活動を停止させるには、死霊術師による呪霊の解放か、あるいは浄化をして魂の昇天が必要になる。作るだけ作って放置するのでは、山に火を放つ行為と変わらない。

 非情に忌むべき行為だった。


 ミレイユが動きを止めている間にも、ユミル達は動き出している筈だ。

 呪霊は存在そのものが目立つし、何より同じ死霊術師のユミルなら、この距離で気付かぬ訳がない。二人がやって来てくれれば、防戦一方から一転攻勢に切り替えられる。


「オォオ、オォォォオオ……ッ!」


 一向に近付けない呪霊は、言葉にならない言葉を口の奥から叫び、ミレイユを相手する事を諦め、他に移動しようとする。

 だが、そう簡単に向かわせては、アヴェリンに他を逃がすよう指示した意味がなかった。


 ミレイユは二つの防壁を巧みに動かし、特に交叉させ、逃げたい方向へ行かせなかった。苛立ちとも悲痛とも取れない叫び声を呪霊が上げ、思わず耳を塞ぎたくなる。

 アヴェリンはどうしてるかと、そちらへチラと視線を向けると、本人の宣言どおり蹴りつけてまで獣人を遠くへ避難させていた。


 そのミレイユから向けられた視線に、俊敏な反応を見せ、互いの目が合う。

 それだけで、ミレイユが何を望んでいるのか伝わった。元より丁寧な手付きではなかったが、ぞんざいとも思える扱いで移動の鈍い幾人かを投げ飛ばし、そして切って返して戻って来る。


「――そのまま行け!」

「はっ!」


 防壁という壁があろうと、呪霊に武器が通じなかろうと、ミレイユが行けと言えば応じる。それはアヴェリン自身、ミレイユが持つ一振りの武器だという認識にあるのと、無責任な発言はしないという信頼が背景にある為だ。


 実際、アヴェリンを無策で突っ込ませて、そのまま失う愚を犯すつもりなどない。

 ミレイユは森側へ視線を転じ二人の姿を確認すると、防壁を一枚に束ねて呪霊を弾き飛ばす。その内一枚を消して、残った一枚をアヴェリンの盾として残しつつ、空いた手で素早く制御を始めた。


 呪霊が体勢を立て直すのと、アヴェリンが武器を振り上げ、飛び上がるのは同時だった。

 盾として用いていた防壁を、更に前へ押し出し呪霊の動きを阻害しながら、アヴェリンの振り上げた武器に向けて魔術を放つ。


 アヴェリンの武器は特別性だ。

 黒壇のメイスには二つの付与がされており、その更に一つが、魔術を受け止め武器に転じる、というものだった。

 ただし、どの様な魔術でも可能な訳ではない。体全体まで飲み込むような広範囲な魔術は受け止め切れるものでないし、小さな範囲でも着弾と同時に爆発するような物はやはり駄目だ。


 敵の魔術を利用する、となると使い勝手も相当限られるが、ミレイユがサポートする分において、その不利も消え利点ばかりとなる。

 これが、アヴェリン自身、ミレイユの武器と自認する要因でもある。


 ミレイユが放った魔術は『死者撃退の光』と呼ばれるもので、単純に使用するだけなら、アンデッドが逃げる光を出す、という効果でしかない。

 しかし、それを武器に宿して殴るとなれば、それはアンデッド特攻という爆発的な効果を生み出す。


 眩いばかりに輝く武器から、呪霊は怖気のよだつ声を出して逃げ出そうとするが、防壁が自由な逃亡を許さない。

 アヴェリンが武器を振り下ろす直前に防壁を解除し、その一撃が呪霊の胸を深々と抉った。


「ギョオオオォォアアアア!!!」


 叫び声に合わせて目から口から黒いものが飛び出し、それに合わせて身体が左右に揺れる。

 その骨と皮ばかりに見える細い手も遮二無二動かすが、アヴェリンにはその手を向けようとしない。それどころか、叩き付けたままの姿勢であるにも関わらず、その腕にも触ろうとしなかった。


 メイスから溢れる眩い光、その幾条も走る光は呪霊の肌を焼くだけでなく消滅させて、到底アヴェリンの身体まで手を伸ばせるものではないのだ。

 しかし、暴れるだけの価値はあったようで、押し付けられているにも関わらず、その拘束から逃げ出した。


 メイスが深々と刺さった痕と、そこから下部分がごっそりと削られて無くなっている。

 宙に浮かんでしまえば、手出しできないと思ったのだろう。天敵とも言えるアヴェリンは勿論、近付けないと理解しているミレイユには目もくれず、逃げたエルフ達を次の目標にしようと体の向きを変えた。


 ――だが、そう簡単にはいかない。

 十分、時間は稼げた。ミレイユが新たな防壁を展開するのと同時に、周囲を包む巨大な結界が展開された。


「遅くなりまして、すみませんね」

「いや、丁度良いくらいだ」

「ていうか、何でアンタ姿見せてんのよ。アタシ達の努力が水の泡じゃない」


 到着早々、不満も顕に鼻を鳴らす姿を見て、ミレイユは呪霊を指差し教えてやる。


「見えるか? あれが目と鼻の先に現れて、私の目の前で襲おうとしていた。周囲は警戒する獣人もいて、隠れたままの対処は不可能だった」

「だからってね、アンタ……。アタシなんてそりゃもう、壮大な嘘をぶっ扱いていた最中だったワケよ。アタシの話の中じゃ、アンタは壮絶な死を迎えたってコトになってんだから、この後ちゃんと死んどいてよ」

「どういう要求だ、それは」


 ユミルと馬鹿な言い合いをしている間も、呪霊は逃げ出そうと四苦八苦している。

 だがルチアの張った結界は強固なもので、呪霊であっても抜け出せるものではなかった。その上ミレイユが蓋をするように防壁で逃げ道を塞いでしまっている。


 半球状の三分の一から上部分に呪霊が閉じ込められ、そこから動けなくさせているのだ。

 ミレイユはそこにわざとらしく指を向けながら、鬱陶しそうな目を向ける。


「いいから、さっさとアイツを始末してくれ。アイツの叫び声は耳に刺さるんだよ。さっさと終われば、私もさっさと逃げ隠れる」

「いやぁ、それはどうですかね……」


 自分でも今更無理だと分かっていながら口にしたが、ルチアからも聞き咎められて肩が下がった。ルチアが結界を維持しながら指先を向けてきて、そちらへ目を向ければ、滂沱ぼうだの様な涙を流している一人のエルフがいる。


 少々老けたようだが間違いない。ミレイユの記憶違いでなければ、ルチアの父であり、エルフの纏め役だったヴァレネオがそこにいた。

 背中まで達する長い銀髪を全て後ろに流した髪型と、厳格そうに見える顔付きも昔のままだ。

 ユミルが制御を開始して、呪霊を解放しようとしているのを横目で止める。


「なぁ……、今すぐ呪霊の対処を後にして、何か上手く隠蔽できる方法はないか?」

「無理に決まってんでしょ。もうどうにもならないわ。それとも今すぐ死んでみる?」

「何か壮絶な死に様じゃないなら、頼んでみても良いかもしれない……」


 ミレイユは目を逸らして、帽子のつばを摘んだ。

 目線を隠すように深く引き下げても意味はなく、頬に突き刺さる視線は強まるばかりだった。ユミルが死霊術を行使すると、頭上の呪霊が光の粒子となって消え、アヴェリンも武器を収めながら近付いて来る。


 結界の役目も終わったが、結界を解くのは待ってくれ、とミレイユは往生際悪く頼んでいた。

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