森への帰還 その3

 呪霊があるなら使用した魔術士も近くにいる、その考えに間違いはない筈だった。

 大量の魂を必要とする魔術だけあって、短時間で作成するには、それこそ戦場のような場所でなければならない。


 その作成手順も複雑で、そもそも一時間と掛からず作れるものでもないのだ。

 長い年月を掛けて、徐々に自分の魔力と亡霊を慣らしながら作るもので、そうでなければ容易く束縛から逃れ自律してしまう。

 ユミルはそれに反して可能としてしまうが、長年の熟達と才能が成せる技だ。


 この世に呪霊という魔物が自然発生する確率は極めて少ないのに、それでも存在が示唆されているのは、過去に術者が作成したものの、御す事が出来ずに逃げられたからだ。

 当然、逃した術者も只では済まず、多くはその命を落とす事になる。


 死霊術が嫌われる理由は、そこにこそあった。

 呪霊ほど極端な存在は稀だが、しかし亡霊や、それより少々強力な魔物を生み出す事は難しくない。それを放置するのが百害しかないと分かっていても、用途の終了と共に昇天させず放置する者も多かった。


 亡霊はその作成工程からして、魂を不当に扱うから、生まれたと同時に恨み辛みを持っている。生ある者なら区別なく憎み、襲う。

 そのような、本来なら魔物とすらと呼ぶべきでないものが、この世にあって人を襲うのは、その身勝手な振る舞いで亡霊を生み出し、解き放ったからに他ならない。


 疎まれ嫌われ、禁術として扱われるのも妥当としか思えないが、だから行使した魔術士の存在は随分と特異だった。

 何しろ、二百年前には既に異端として排斥されていた術だ。


 この時代で修めるのは相当な苦労があるだろう。魔術は師なくして修得するのは難しいから、独学で呪霊を作成しようと思えば、百年では到底足りない。

 ではエルフが使ったのか、と思えば、それもあり得なさそうに思える。大地と樹々と精霊を敬う種族が、亡霊に手を出すとは考えられないからだ。


 そうすると、やはり疑問は最初に戻る。

 ――いったい誰が、呪霊を作ったのか。

 神々ならば容易い、と思う反面、そんな分かり易い手出しはしてこないだろう、とも思う。神々は盤面の指し手なのであって、駒を動かしても、動く駒にはならない。


 そこから引きずり下ろすか、自らのし上がるかを考えなければならないが、今はそれより目前の死霊術士だ。恐らくは、この術士こそが稚拙な策謀を巡らせた張本人だろうし、そしてこれを捕まえられたなら、神々へと繋がる何かを見つけられるかもしれない。


 そして死霊術士と言えば、ミレイユからすると一つのイメージが強く思い浮かぶ。同じ術を修得しているとは限らないが、幻術との併用は相性が良い。

 ミレイユは野営地の裏側へと大きく湾曲しながら接近しつつ、その左斜め前方を走っているアヴェリンへと声を掛けた。


「アヴェリン、相手も姿を隠しているか、何かしらの隠蔽をしている可能性がある。よく注意を払え」

「畏まりました。もしもいるなら、絶対に見逃しやしません……!」


 アヴェリンの声にも熱が籠もる。

 敵が死霊術などという面倒な方法を使った為、いらぬいざこざが発生した。これを策謀を呼んでも良いか分からないが、とにかく混乱させられたのは事実だ。


 意図的で有ったにしろ無かったにしろ、アヴェリンの怒りは相当なもので、声を掛けた瞬間から目に見えて注意力が上がった。

 ミレイユもまた周囲に注意を向けながら、野営地の方を睨む。


 デルン軍は既に潰走かいそうしていて応戦する意志を見せず、それを足の早い獣人が追いかけていた。獣人の群れが隊列らしきものも無く逃げ出す兵を飲み込み、踏み潰していく様を見ながら、何処から来るかも分からない呪霊を探す。


 上手く獣人達の視界からも逃れ、野営地近くの丘まで来ると、そこで一度身を伏せた。

 この場所からは森の方まで良く見えて、ユミル達が見えないかと目を凝らす。しかし、流石に姿を隠蔽している二人を探し出すのは難しい。


 そこは素直に諦め、傍らに同じく身を伏せたアヴェリンを伺った。


「一応聞くが、ここは風上じゃないよな……?」

「はい、流石に獣人相手に風上に立っては隠蔽どころではありませんから。そこは弁えております」


 訊いてみたのは、一応で念の為だ。アヴェリンがその様な単純なミスをするとは思っていなかった。

 野営地周辺には多くの獣人が残っており、取り分けエルフの数が多い。そもそもとして全体を見た時、比率としてエルフの数が少ないのは仕方ないとして、追撃に動かしたのは獣人ばかりであったようだ。


 周辺に残された僅かばかりの武具や、砕かれた端材などを見分して、ここで何が起きたか調べようとしている。

 昔ながらの制御術で魔力を扱っているのを見てホッとするのと同時に、探査するように巡らせる魔力を見て、少しずつ身体を後方へ下げていく。


 声を出さず、視線と手の動きだけでアヴェリンに指示すると、ミレイユに倣って最小の動きで後を付いてくる。十分な距離を離して、上からも下の様子が分からない場所まで来ると、ひっそりと声を出して話し始めた。


「……あまり近付き過ぎると気付かれる。追撃部隊も、すぐに帰って来るだろう」

「はい、しかし……呪霊の姿も術士の姿も見えません。こちらではないのでしょうか」

「元より何処を攻撃するつもりか分からない、攻撃の意図があるかどうかも分からない状態だからな……。読みが外れてる可能性もあるし、取り越し苦労というなら、それはそれで仕方ない」


 ミレイユが森の方へと視線を向け、代わりにアヴェリンが周囲を見渡した時だった。森の外縁部が騒がしくなったと思ったら、一部を取り囲むように獣人達が広がる。

 手には槍や剣など持っており、誰も居ない空間を吠え立てていた。


 警戒しながら包囲網を少しずつ狭めて行く様は、まるで狩りの様にも見え、そして中心に居る者が誰かなど、敢えて考えるまでもなかった。


「……これで出て来るのが、実は例の死霊術師というなら助かるんだが」

「そう願いますが……えぇ、違うようです」


 ユミルが使う幻術と、その隠蔽レベルは高いものだが、しかし獣人の鼻や耳、そしてエルフの感知を抜けるものではない。

 ミレイユも、先程エルフが使おうとする術に気付けなければ、危ないところだった。

 幻術を解いて出てきた二人に獣人達は殺気立ったが、ルチアの姿を認めて困惑もしたようだ。武器を持って威嚇する勢いが減っている。


 二人は見つかったが、初めからその時はそれで良いとも伝えているので、ユミルたちは逃げ出さない事を選んだのだろう。

 そして彼女たちの弁が立てば、むしろミレイユの不在証明をでっち上げられるので、発見されるのは悪い事ばかりでもない。


「まぁ、むしろ大々的に呪霊の対処が出来るのだから、いざという時は頼りに出来るだろう」

「となれば、敵が狙うとしたら野営地側になるのでは?」

「……かも、しれないな」


 ミレイユは森から野営地側へと視線を移す。勿論、角度の都合でその様子までは見えないのだが、少しでもその様子が伺えないかと耳を凝らした。

 その時だった。


 左側から地を踏む音がする。

 気配を押し殺し、息遣いすら抑え、足音も最小にしていたが、しかし全くの無には出来ない。それを俊敏に感じ取った二人が視線を向けると、そこには獣人の女性が獣のように身を屈めてこちらの様子を伺っている。


 敵兵を追いかけるのとは別に、残存兵が潜伏していないか探しに来た者なのかもしれない。仲間を呼ぼうとしないのは、ここに何かがいると確信が持てない故だろう。

 アヴェリンへと目配せすれば、心得ている、という表情と共に首肯が返った。


 ミレイユ達は野営地の風下に立っていたが、あの獣人からすれば、この距離なら関係なく察知できるだろう。今更移動するのも難しく、何か物でも投げて注意を逸らすべきか悩む。

 獣人の手には小指ほどの大きさをした笛を持っていて、いつでも吹けるよう準備している用意周到さだった。


 笛を一つとして鳴らさず無力化できるか、そういう意図を持ってアヴェリンへ目を向けると、これにも首肯が返って来る。

 ユミル達が発見されたとなれば、そちらで様々な対応が迫られるだろうし、何よりルチアの帰還はそれなりの事件である筈だ。


 こちらに向ける注意も散漫になる筈で、その間に逃げ切るのは可能の様に思える。ただ、獣人族一人が気絶している事を、有耶無耶には出来ない。

 一つの証拠は一つの疑問を生み、一つの綻びは一つの穴に繋がる。


 そのまま気付かず何処かへ行ってくれるのが、最も安心できる結末だった。

 だが、鼻を動かし、耳を動かすその姿は、明らかに違和感を持って捜査している証拠だ。何も居ないのに何かがいる、と勘付いていなければ、こうもしつこく探さない。

 そして、決して近付いて来ようとしないのも、その警戒度の高さを窺わせた。


 ――見逃しを期待するか、それとも無力化するか。

 今すぐ決めなくては発見される。

 発見された後でも無力化は出来るだろうが、それは次なる発見を誘発しかねない。獣人の女性は、鼻の動きを止め、そしてミレイユ達の居る方を見据えて目を細めた。


 これはもう駄目だ。

 そう判断し、アヴェリンに動いて貰おうとした次の瞬間、その獣人の後ろから次々と別の獣人が姿を現した。追加で三名の獣人が来て、警戒心も顕に周囲を睥睨する。


 ――笛の音など聞こえなかったが。

 そうであったら、即座にミレイユ達も逃げ出している。少なくとも発見されたのが自分達かどうか、その確認は怠らない。

 その音が無かったのだから、発見自体はまだなのだ、と思っていたのだが、それこそが間違いだったのかもしれなかった。


 ――小指ほどの筒状をした笛。

 あれはもしかしたら……。

 ミレイユは自分の迂闊さに舌打ちしたい気持ちを、必死で押し殺して歯噛みする。


 あれは犬笛だ。

 人間には聞こえない周波数で鳴らす、しかし獣人には伝わる音。おそらく、彼女が姿を見せるより前に、念のため笛を鳴らしてから接近を始めたのだろう。

 そして、警戒は無用だったと判断できたなら、再度笛を鳴らして安全の報告をしていたのかもしれない。


 獣人の特性を活かし、そして敵に情報を与えない、見事な方法だった。

 ――感心だけしていられたら楽だったのだが。

 ミレイユはひっそりと息を吐いて、傍らのアヴェリンを見る。


 その目には止むを得ない、という感情が上っていて、無力化するつもりでいる事が分かった。

 ミレイユとしてもそのつもりで、もはや完全な隠蔽は不可能だ。気絶した獣人を丘の上に残して行く事になるが、この際完全な発見をされるよりマシだと割り切るしかない。


 アヴェリンへ首肯して、ミレイユも自ら立ち上がろうとした瞬間、それが姿を現した。

 低く宙を飛び、地を這う様にして野営地へ突き進んでいるのは、これまで探していた呪霊に違いなかった。今度こそ、我知らず舌打ちが漏れる。


 ――こんな時に!


 あの呪霊が、野営地にいる者達を目標としているのは明らかだ。

 その存在に気付いたエルフ達も、そして丘の上にいた獣人たちも気付いて、一同場は騒然となる。忌むべき存在として、あれには警戒せずにはいられないし、死を誘う存在として忌避せずにもいられない。


 立ち上がり、隠蔽も解いて姿を現したミレイユ達に、獣人達は驚き、警戒も顕に威嚇してくる。直前に呪霊へと意識を奪われていたのも相まって、どちらへ対応するべきか、その反応が遅れた。

 ミレイユはアヴェリンを伴いながら、丘を駆け上がる。


 その間に魔力を制御しながら、丘をジャンプ台に見立てて飛び出した。逃げ出そうとするエルフや獣人達と、それを追おうとする呪霊の間に立ち塞がり、次に準備していた魔術を解き放った。

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