森への帰還 その2

 いい加減、アヴェリンとユミルのじゃれ合いも終わって、不自然な沈黙が漂うようになった頃、森の方に動きがあった。

 木々が揺られる訳でも、葉がざわめく訳でも、鬨の声が上がった訳でもない。

 ただ剣呑な雰囲気が、森の縁から漂って来るのを感じられる。


 それに気付いたのは、森の方を見ていたミレイユだけではなく、俊敏に気配の変化に気付いたアヴェリンだった。その次に森や樹々に注意を向けていたルチアが気付き、それにつられる形でユミルが顔を向けた。

 そして今や、森の縁から野営地まで、まるで糸が繋がっているかのように、直線的な敵意が結びついている。


 ――いや、あれは敵意ではない。

 それは戦意であり、殺意だった。

 あれだけ濃密な気配なのに、気付かないでいられる兵達が不思議だった。未だ他の野営地から兵隊が戻って来ていない現状、警戒をせずにはいられないだろうに、森を見ても奥を見ていない。


 端材を用いて陣地をマシにしようと涙ぐましい努力の跡も見えるが、それをさせず直ぐに逃げ帰らせる為に、ミレイユは徹底的な破壊を命じたのだ。

 即座の撤退を決めなかったのは、完全に失態だろうが、今更言っても仕方ない。


「……やはり、こうなったな」

「エルフがこの状況逃がすとは思えないのよね。エルフと言わず、防御側からしたら見逃す理由がないでしょ。あーあ、さっさと逃げれば良いのにねぇ……」

「帰ったところで敗戦の責任は免れないだろう。そういう板挟みで動けなくなっていたのかもな」


 ユミルのボヤキに、アヴェリンが律儀に返して鼻を鳴らす。


「兵達には気の毒な事だ。上が無能だと、その苦労と皺寄せは常に下が被る……」

「エルフ側にしても、ここで追撃したところで、今後の戦争が有利に働くとは思ってないでしょう。ただ、絶対不利の状況からの今ですから、少しでも今後の有利に貢献したいんですかね。あるいは、勝利の美酒を味わいたいだけかもしれませんが」


 ルチアが何とも言えない、気不味い視線を森へと投げ掛けてから、野営地へと視線を移す。


「眼の前に転がりでた勝利には、食いつきたいでしょう。……そして、ミレイさんの後押しがあったと勘違いしてるなら、尚の事この波に乗るべき、という流れが出来ているのかもしれません」

「そうね。それが勘違いとも言い切れないのがねぇ……、実際アタシたちは手出ししてるし。だけど、勘違いさせられているとして、あのままやらせて良いの? 稚拙者は何考えてるんだか分からないわよ?」


 ユミルの発言には、ミレイユとしても苦い顔をせずにはいられなかった。

 あれの狙いが何にしろ、ミレイユ達を不利な立場に置きたいという事は分かった。それで何がしたいのか、となると、そこまでは流石に考えも読めない。

 いっそ単なる嫌がらせで動いているかもしれず、そうとなれば何をするつもりか、見当を付ける事すら難しい。


「一応、いつでも介入できるよう準備しておけ。私達への嫌がらせが目的なら、森から出てきたエルフを攻撃し始めるかもしれない。……あぁ、つまりそれが目的か?」

「呪霊を使って見せたのも、つまり見せ札という意図があった訳ですか。このままじゃ、私達がエルフの前に姿を見せないだろうから、見捨てるつもりがないなら出てきて助けろ、と……」

「でもそれじゃ、当初の稚拙さはドコ行っちゃうのよ? 結局、奴らの掌の上ってコトになるけど」

「……そうだな、どうもチグハグで繋がらない。全く、馬鹿な事を……!」


 ミレイユは帽子を脱いで髪を掻き上げ、悪態混じりの息を吐く。


「計算ずくで動く相手の方が、まだ相手にしやすい……!」

「まぁ、馬鹿の相手は疲れるだけよねぇ。まともに考えるだけ馬鹿を見るかもよ……?」

「全く……っ、そのとおりかもな。つまり計算してやった事じゃなく、嫌がらせをした結果が、私達にとって歓迎できない事態に繋がるだけなのか……?」


 とにかく、と言って、ミレイユはユミルに顔を向け、次いで森へと指を向けた。


「呪霊が出るようなら、それを無効化してくれ。エルフ達には好きにやらせ、そのまま森へと帰ってもらう。……まさか、調子付いてオズロワーナまで向かうなんて事はないよな?」

「それは無いでしょ。そこまで能天気になれるとは思えないし、気が済んだら帰るわよ。……でもね、呪霊の方は簡単じゃないのよねぇ」

「この場からじゃ、距離もあり過ぎるしな。近付くしかないか……」


 ミレイユが帽子を被り直して樹木から背を離すと、アヴェリンは行先を遮るように立ち塞がった。


「お待ちを。呪霊の前に出るとなれば、ミレイ様とて危険なのでは。幸い、これまでは敵として相手にする事はありませんでしたが、此度はけしかけられる、となれば話は別です。別の手段を講じるべきかと」

「私なら、呪霊を近付けさせない防壁を作ってやれる。むしろ、それがないお前を前線に送る方が不安だ」

「しかし――」


 更に言い募ろうとしたアヴェリンに、手を挙げて止める。

 それ以上の言葉を遮るものではなく、とうとう森から戦士たちが飛び出た為だった。森の外縁、その下生えが揺れたかと思うと、一気呵成の勢いで次々と声を張り上げ駆け出して行く。


「始まった。とにかく、見捨てる事だけは出来ない。いつでも対処できるよう、近くまで行く。決してお前より前に出る事はしないから、今はそれで飲み込め」

「……ハッ、畏まりました」


 背筋を伸ばしたアヴェリンに頷き、次にミレイユはルチアを見た。

 既に立ち上がって杖を構えるルチアの目には、同族を思う強い色が浮かんでいる。


「思うところがあるのは分かるが、あまり派手に動かないように」

「大丈夫です、心得ています。無様な姿は見せませんよ」

「うん、お前は大丈夫そうだ。――ユミル」


 最後に声を掛けて、ルチアの隣に立った彼女に顔を向ける。


「有効かどうかは不明だが、私達の姿は隠蔽してくれ。……あぁ、いや……あれを見るに希望は薄いが」

「……確かにね」


 ミレイユが向けた先をユミルも確認して、互いに苦い顔を浮かべた。

 視線の先には森から飛び出した戦士たちがいて、その中にはエルフのみならず、鬼族や獣人族の姿がある。

 エルフの数が最も少なく、そして最も多いのは獣人だった。獣人は虎や狼、猫など多種多様で、彼らの嗅覚や視力を持ってすれば、隠蔽を続けるのは簡単な事ではない。


 それだけの多種多様な種族が、一千を越えて森から飛び出し、野営地を目指していた。当然、野営地で陣地を築こうとしていた兵達は、泡を食って逃げ出そうとしているが、ろくな体列も組んでいない軍というものは脆い。


 士気軒昂なエルフ達なら、蹂躙も時間の問題だろう。

 だが、いつでも彼らを助けに入れる距離まで、接近しなければならないとなれば、むしろ隠蔽効果を持ったミレイユ達へ、攻撃を繰り出してくる可能性すらあった。

 気も立っているなら嗅覚も鋭敏な筈で、その中でいつまで姿を隠し切れるか分からない、というのは神経がすり減るような思いがする。


「前門の虎、後門の狼か……」

「そりゃあね。あれだけいれば、虎にも狼にも困る事はなさそうだもの」

「言ってる場合か……! 全く……、予想以上に思い通りにはいかないな」


 いつもの調子が戻って来て、ユミルの顔にも嫌らしい笑みが張り付く。その肩を軽く小突いて魔術を急かし、ミレイユは野営地と森の双方を交互に指し示す。


「森の方から近付けば、匂いのキツイ樹木を利用して容易に近付けるかもしれない。だが、森の外縁にもまだ控えの部隊がいるかもしれず、結局発見が早まるかも……。野営地の後ろから回り込めば接近は容易だが、遮るものも誤魔化すものもなく、発見は速いだろう。どちらも危険性は対して代わりないんだが……さて、どちらを選ぶ?」

「呪霊が襲うとしたら、エルフ達の方なんですよね?」


 ミレイユの質問には、ルチアが最も早く問い返して来て、それに頷いてから首を傾げた。


「エルフ達……に限った話ではないかもしれないが、まぁそうだろう」

「悩ましいですね。接近は容易でも咄嗟に助けに入れない場所を、位置取る意味は無いように思いますし。でも森側は森側で、発見されるのを呑む必要があるように思います」

「……うん、いっそ二手に分かれるか。ルチアとユミルの二人なら、むしろ見つかっても私の関与を否定できる。逆にいない事を明言してくれたら、下手な憶測も消えてくれるだろう」

「それが現実的かもねぇ……。私の関わりは消せないとして、アンタは居ないって思わせるのは良い案よ。寿命的にも妥当な話じゃない? それでルチアの里帰りとでも言えば、そこまで不自然でもないし」


 ルチアとユミルが顔を見合わせて頷き、ミレイユも頷いて指を向けた。


「それじゃあ、幻術の隠蔽が終わり次第、二手に別れてカバーに動こう。戦端は開かれたが、既に敵軍は逃げようとしているところだ。どこまで追うつもりか、獣人がどう動くかは予想つかない。そこだけ注意して呪霊に対応してくれ」

「了解よ。……にしてもまぁ、面倒な割に秘密裏な対処で涙ぐましいコト」

「嫌になるな……。神々の詭計は、まだ始まったばかりだろう。その対処で、いきなりこれだ……。先が思いやられる」


 互いに渋面を浮かべた上で肩を叩き、幻術の発動と同時に動き出す。

 アヴェリンを伴って走り出しながら、この化かし合いの様な状況に辟易とした溜め息を吐く。嘆いたところで始まらないが、せめて呪霊を見たらこの手で仕留めてやろうと、目を皿の様にして周囲に意識を向け始めた。

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