第九章

森への帰還 その1

 森の方にも、デルン軍にも然したる動きはなかったが、ミレイユは樹木に寄り掛かって、そのまま様子を見続けていた。

 デルンにしても、最早軍事行動は望むべくもなく、都市まで引き返して敗戦を伝えるしかないと思うが、それらしい行動を取ろうとしていない。


 茫然自失として座り込む兵達が多く見え、誰もが動きたくないと思っているようだった。

 瓦礫と化した廃材、端材の中で、まだしも使えそうなものを探して椅子代わりに使っている者もいる。少しでも建設的な動きが出来る者は、それら木材を薪にして、火を焚こうとしているようだ。


「しかし、動きが見えないな。あそこで座り込んだところで、どうしようもないだろうに」

「はぐれた者達を待っているのかもしれません。軍とは基本、命令なしで勝手な退却は出来ないものですし、そうであるなら指揮官がいる場所に戻ろうとするものです」


 アヴェリンが解説してくれて、なるほど、とミレイユは頷く。


「全ての兵が遵守してくれるとは思えないが、しかし逃げてくる兵はいる筈だ。兵を預かる者として、逃げて来る者はもういない、と判断できるまでは待たねばならない、という事か?」

「恐らくは……」


 進軍地ぐらいは、各隊の隊長も知っている事だろう。

 野営地が複数あったからには、そこへ分散進撃するつもりだったのかもしれないが、いずれも使い物にならないと分かれば、他の場所へ移動しようとする筈だ。


 それなら指揮官がいる筈の野営地を目指すだろうし、最終的には生き残ったり、逃げる間に逸れた兵達も合流するだろう。

 だが、果たしてそう上手くいくものか。


「随分と数を減らした。防備も無く、新たに陣地を構築しようとも散発的。士気も低迷し、疲れ果てた兵たち……。指揮官の居ない野営地では、更に酷い事になっているだろう。……エルフが放っておくか?」

「あれが果たして、どのように見えているものか……。格好の獲物として食い付くやもしれません」

「……うん。今更あれを、罠や陽動と見る事はないだろう。とはいえ、だとしたら何の為の軍事行動だ、とは思っていそうだが」


 そのどちらでもないと分かれば、次に疑うのは第三者の介入だ。

 何者か、あるいはどこぞの軍が、デルン軍を攻撃したのだと見做すだろう。問題は、その第三者を味方と見るかどうかと、その味方に心当たりがあるかどうかだった。


「予定通りの削り具合なら、敵兵の数が少ない事を訝しんでも、そこに味方する第三勢力までは考えなかったかもしれないが……」

「ユミルの奴が台無しにしましたね」

「――だぁから、違うってば」


 それまで黙って話を聞いていたユミルだが、流石にその言葉まで聞き流す事は出来なかったらしい。聞き分けのない子供を叱るように両手を腰へ当て、嘆息しながら続ける。


「確かに敵兵を予想以上に削ったし、それを襲ったのは呪霊だわ。でも、私がやった事ではないのよ」

「だが、死霊術はお前の一族のお家芸ではないか。そして、一族はお前を最後に途絶している。だったら一体、誰が使ったのか……考えなくとも分かる事だ」

「そもそも、それが間違いよ。お家芸だったとして、他の誰もが使えなかったワケじゃない」


 アヴェリンの言い分は至極真っ当に聞こえるし、そうとなればユミルがもっとも怪しいという指摘は、誰もが納得するところだろう。

 しかしユミルの反論に、アヴェリンは鼻で笑って否定した。


「この時代では魔術は刻印へと取って代わられ、そして一般では目にする事も出来なくなったのが、死霊術というものではなかったか? 我らが生きた時代とて、良い目で見られた術ではなかった。使い手も相当限られていたものが、あの場で偶然誰かが使用したと? たまたま第三者があの場にいて、たまたま死霊術を会得していて、それで軍を攻撃したと言うのか? ――馬鹿を言うな」

「死霊術は、この時代では特に希少で、他の魔術ほど簡単に会得できるものではない、という指摘には同意するわ。万人に一人も持っているものではないでしょうよ。でも、だからって私が唯一無二というワケでもないの」

「それは詭弁だ。問題は、あの場で攻撃したのが誰か、という話だ。死霊術を使って攻撃できた者が、あの場あの時、あの瞬間にいたか?」

「居たかなんて知るワケないでしょ。使われたからには居たんだ、としか言えないわ」


 論点をずらしていた事は、ユミルにも自覚があったのだろう。

 アヴェリンに指摘された点について、上手い言い訳は思い付かなかったらしい。息を吐いて視線を逸したところで、ルチアが弱り顔でミレイユの肩を揺さぶった。


「ちょっとミレイさん、これは流石に好きに言い合いさせて良い場面じゃないですよ。下手すると亀裂が入ります、それも修復できないタイプの亀裂が。即座に納得させるのは難しくても、何とか言って上手く纏めて下さいよ」

「……そうだな、アヴェリンのガス抜きをさせている場合でもないか」


 ミレイユは野営地に向けたまま視線を、そこで初めて動かしルチアへ向ける。


「一番傍で見ていたのは、お前だな。それで実際のところ、どうだったんだ」

「えぇ、名誉に誓って言いますけど、ユミルさんは使っていませんでした。そもそも作戦は順調に推移していたんです。無理する場面でもなかったんですから、明らかに分不相応な呪霊なんか必要としていません」


 その推移については、現場に居なかったミレイユ達には判断できない事だ。

 しかしルチアの言い分には説得力があり、そしてこの二人が揃っているのに関わらず、想定外な戦力が出現した訳でもなければ、そうそう失敗するとも思えなかった。


 前列、中列と見送ったミレイユからしても、そこに想定外と思える強者は居なかった。だからこそ、後は二人に任せれば大丈夫だと、作戦の遂行を決めたのだ。

 しかし、そこでも異を唱えたのは、やはりアヴェリンだった。


「事実を見ろ、事実だけを。呪霊はいたか? 誰が使えた? 敵軍を攻撃する理由がある者は? この三つ全てに当て嵌まる者が、あの場に偶然いたなど有り得ない。仮にいたとしても、攻撃するだけの理由がなかろう」

「それは、確かにそうですけど……。でも、理由がないのは、こっちも同じじゃないですか」

「作戦の意図だって、こっちはちゃあんと理解してんのよ。敵軍を半分程度まで減らせば良いだけ、私達の介入を分かり易く明示しない、それが分かっていて何で死霊術を使うと思ってんのよ」

「事実、そこに呪霊がいたからだ!」


 アヴェリンが声を荒らげた事で、場の緊迫が更に上がった。

 ミレイユは落ち着かせようとアヴェリンの隣に立ち、その腕を撫でる。アヴェリンは顔を向けては悔しそうに顔を歪め、それから一礼して一歩下がった。


 たしなめられたと思ったのだろう。

 非がどちらにあるのか、それは明確なのに、というアヴェリンからの強い意志表示を感じた。

 実際、アヴェリンの怒りの根底にあるのは、ミレイユが立てた作戦に反したからではない。不利益を被る勝手をした、と思っているからだ。


 エルフを助ける事に異はなく、むしろかつての戦友として助けたいと思っていたぐらいだろうが、同時に信奉を向けられたくない、というミレイユの意もよく理解している。

 殆ど唯一無二と言って良い、死霊術による助力があったなら、あの場に居たのが誰かなど、エルフ達にはすぐ分かる。


 ユミルが助力したのなら、その傍にミレイユがいると連想されても可笑しくなく、この戦力の間引きにも関与があったと見做すだろう。

 二百年の時の流れをどう捉えるか、という問題はあるが、それこそミレイユを神の様に思っていた彼らである。耳を丸めたエルフと称していた件もあるし、二百年程度、大きな問題として捉えていないかもしれない。


 事態の悪転は、想像以上に悪い。

 それが分かるからアヴェリンは怒ったし、それを考えなしに行ったユミルは罰せられるべき、とも考えている。糾弾してくれれば良かったものの、ミレイユはユミルに味方する態度を取った。


 しかし実際は、ユミルに無条件な味方するつもりもないし、単に許すつもりで取った行動でもない。それをユミルも理解しているから、外へ向けていた顔を戻して口を開いた。


「……アタシ達は、常に後攻なのよ。神々が指す手に対し、常に後出しの対応に迫られる。今回の件だってそうでしょう? そして、裏の手まで読み切ったからこそ、枷を強いての対応に迫られた」

「死霊術さえ、その一環だと? 都合の悪い事が起これば、全て神の仕業か……?」


 一度は引いたアヴェリンだが、ユミルの言い分には黙っていられなかったようだ。それは確かに言い訳がましくも聞こえ、だから詰問するような態度になった。

 しかし、ユミルはそれに腹を立てるでもなく、大いに頷いて続けた。


「アタシはね、その枷を嵌められた状態で、そして姿を隠した上で攻撃しようとしていた。ルチアにも言ったものよ……不意打ちを狙うには、狙いをつけてるその背中を打つコトこそ有効だって」

「……確かに、あの死霊術は不意打ちだったな。ここぞという場面、不意打ちと言うには相応しい一手だった」

「そう、姿を見せて欲しい相手に、姿を見せないからとやったコトなんだと思うわ。……いえ、違うわね。姿を見せないからこそ、周囲に気づかせようとした一手なのかも」


 アヴェリンは皮肉で返したつもりだったが、ユミルは大真面目に頷く。

 皮肉に皮肉で返すのはユミルの十八番だが、今回はそれに応じず真面目な態度を崩さない。むしろ、その言葉がユミルの推論を後押しするような恰好になって、思考を巡らす材料になった。


 ミレイユとしても、その意見には賛成したい気持ちだったが、それでもやはり疑問は残る。

 あの場にミレイユ達が居たのは確かだと、認識していなければ出来ない一手だ。そして分かっているなら、他にやりようは幾らでもあったように思う。


 同じ疑問に、アヴェリンも行き当たったようだった。

 挑むような目付きでユミルに問う。


「手口が余りにまどろっこしい。死霊術である必要さえない。大規模魔術一つ――それこそ雷霆召喚の方が、ミレイ様がいる事を印象付けられただろう。……なぜ、ユミルが得意とする死霊術なんだ」

「そうだな、そのとおり。私の関与を外部に漏らしたい、広めたいというのなら、別の手の方が有効だ。……しかし、それこそが狙い、となれば……?」

「……ミレイ様?」


 ミレイユはアヴェリンの肩を抱き、その肩口に額を当ててから背を離す。

 アヴェリンは決まりが悪そうな顔をしつつ、自分の肩口へ大事そうに手を当てた。


「不意打ちというなら、正に今、この不和を招いた状態が不意打ちとは言えないか。――確か、一度言っていたろう。森を見捨てさせる事で不和を煽るつもりがあったんじゃないか、と」

「……あったわね。まぁ、ちゃちな方法だから、本気で狙ってるつもりなんか無いと思ってたけど」

「だが、案外そう思っていないのかもしれない。神々は我々が団結する事を良しとしておらず、崩せるのなら、いつでもその機会を窺っているのかもしれない。それが今回、明らかになったと言えないか?」


 ミレイユの言い分には素直に賛成できないようで、ルチアは懐疑の表情を顔面に貼り付けて言ってきた。


「本気で……? 何かのついで、失敗しても只では転ばない、石を投げる程度の嫌がらせ……それなら分かりますよ。でも、そうではなく、本気で狙ってると思ってるんですか? あまりに穿ち過ぎじゃないでしょうか。疑心暗鬼になり過ぎて、ちょっとナーバスになってるんじゃ……」

「……そうかもしれない。だが、根拠は――いや、違う。そう……」


 言いかけようとして一度止め、唐突に閃くものを感じて顔を上げた。

 一度考えはしたものの、すぐさま思考の奥へ仕舞い込んだものがあった。森を攻める、という作戦の裏には、神とは別の意志で動いているものがある、という考えだ。それは単に王国としての利で動いていたのだ、と思っていたのだが、あるいはそれですらないのかもしれない。


「これは別物なんだ。矛盾がある、と言ったろう。この件には二つの意志を感じる。そして一方は、明らかに稚拙だ」

「あぁ……」


 ユミルも得心した表情で頷き、苛立たしげに足を鳴らす。


「今回の動きには、違和感がアタシにもあったわ。本命とは別の動きがあって、一手に幾つもの意味や効果を持たせてるのかと思ったけど……。そもそも、別々に動いた結果、今回の一件が重なったのね」

「……うん。特に冒険者の扱いが蛇足だ。あれは私を森から手を引かせる要因にさえなりかけた。森へ行かせようとする意志と反発するんだ。何故こんな矛盾した手を、と思ったが……」

「それがつまり、死霊術の件とも繋がるワケね……。確かにお粗末、矛盾とまでは言わないけど、他にやりようなんて幾らでもありそうだもの」

「それがどういう神と意図から来るものか、まだ分からない。しかし、二つの意向や意志の介在は勘付く事が出来た」


 ミレイユが柔らかくアヴェリンに笑むと、彼女は肩の荷を降ろしたかのように力を抜いた。


「然様でしたか。……だから最初、ユミルに確認だけ取って、それで納得されたのですね」

「言葉少なで悪かった。だがまさか、本当にそんな稚拙な罠で、籠絡できるつもりかと、自分自身、半信半疑だったからな……。自身の気付きを整理したくて、二人を止めるのも遅れた」

「まぁね、結局ね……。アンタが先走ったのが悪かったんじゃない」

「調子に乗るなよ、貴様……!」


 ユミルが高笑いでも始めそうな仕草でアヴェリンの前に立ち、気の障る口調と仕草を見せつけられて、額に血管を浮かべる。そのまま額をぶつけるような距離まで顔を近づけ、睨み付けた。


「大体、貴様がロクな釈明をしないから、あぁなるんだろうが!」

「基本的な釈明はしたわよ。それで十分だったし、だから十分あの子も理解してくれたわ」

「人任せも大概にしろ、それがミレイ様なら尚更だ! 思った事を全てを悟ってくれると思うなよ、現にお前の所為でチームが半壊するところだったのだぞ!」

「仕掛けたのはアンタね、アタシじゃないし」

「馬鹿を言うな、お前が――!」

「アンタが――!」


 いつもの馬鹿騒ぎが始まって、ミレイユは改めて樹木に背を預けて腕を組んだ。

 その横、足元にルチアが座り込み、立てた膝に頬杖を付いた。


「よくやりますよ、あの二人も」

「止めようとはしないのか?」

「あの状態はは止めなくて良いって、私だって分かります。好きにさせておけば良いんです」

「そうだな。あの二人のいがみ合いを見ていると、心が落ち着く」

「流石にその境地には、至れそうにありません」


 ルチアがげんなりと息を吐き、ミレイユは笑った。

 再び野営地を見下ろしても、その敵陣は相変わらず動きがない。森の方を見ても、やはり動きは感じられず、改めて今回の詭計に思考を巡らす。


 策謀があるのは間違いない。

 そして、関わっているのは一柱でもない。

 ――あるいは……。

 もう一つの稚拙と感じる罠に関わるのは、神ですら無いからかもしれない、と思い直した。

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