幕間 その2
フガマイトはその日、緊張が高まるばかりの森の中から、野営地の方を睨んでいた。
木々の間に身を寄せ、大きな身体を縮めるように隠しながら、常と変わらず監視している。冒険者たちが物資を運び入れていく様を憎々しく思いながらも、それをみすみす見逃すしかない、という現状は腹に据えかねた。
実際、打って出た事もある。今は堅牢な野営地も、まだ十分形になっていない時だった。
挑発するように森から見える範囲に陣地を築き始めた人間に、堪り兼ねた同族が襲い掛かったのだが、双方に被害を出しての痛み分けとなった。
数において圧倒的な差があり、そして圧倒的に少数である森の民が、同じ事を繰り返す事は出来ない。戦闘員を擦り減らすだけで、幾らでも補充の利く相手に取る方法でない事は理解していた。
しかし、目の前で陣地が構築されていくのを、指を咥えて待っていても、やはり森の寿命が擦り減っていく事に変わりないのだ。
――忸怩たる思い。
それが外縁部の警備隊が持つ、共通の認識だった。
そして、その野営地がただ一箇所でなく他にも作られていると分かると、とうとう本腰を入れて攻め込むつもりだと察した。
その報告をすると、森の意見は大きく分けて、三つに割れた。
一つは攻め込み、陣地作成を許すべきでない、という声。
あれが完成すれば、それが総攻撃の合図みたいなものだ。それをさせない事が肝要だ、とする意見。
一つは防備に徹し、誘引戦術で仕留める声。
今まで攻め込まれても、一度として森の奥まで到達できた軍はいない。これまでどおり対処すれば、やはり同じように防ぎ切れるだろう、という意見。
最後の一つは、森を捨てて逃げる声。
既に、攻めるも守るも難しい。これまで以上の準備を整えているのなら、整えば攻め滅ぼせるだけの戦力がやって来るに違いない。そうなる前に逃げるべき、という意見。
どの意見も激しく対立し、結局何一つ決まらないまま現在に至る。
敵野営地は完成し、もはや逃げる事も叶わない。常備兵として使われている冒険者が、時に偵察をしながら森の外をうろつき、森から出て来る者があれば襲ってくる。
外からやって来た、森へ逃げ込もうと考える者であっても同様だった。
だが冒険者どもも、いつでも真面目に偵察をしている訳ではない。時としてわざと見逃している事さえあり、だから掻い潜ってやって来れる幸運な者もいる。
何も知らない、旅疲れでやって来た者でも、森に辿り着く事は珍しい事ではなかった。
それもまた、総攻撃するなら同じ事だ、と余裕を見せているつもりなのだろう。逃げてくる者の多くは非戦闘員で、戦争が始まる直前での加入はむしろ負担になる。
それでも逃げてくる同胞を見捨てる、という選択肢はないので受け入れるのだが、それが森からの逃亡を難しくさせていた。
逃げ来てたばかりの者は、やはり相当に疲れ果てている事が多い。
その彼らを引き連れての逃亡劇は、高い確率で失敗するだろう、というのが大方の見解だった。
ならば攻め込むか、となっても既に遅い。どこか一つを攻め始めれば、他の野営地から増援が来る。そして複数を同時襲撃するような戦力は無いし、例え味方が一人でも欠落すれば、それは大袈裟でもなく大きな被害だった。
最早、生き残るには森を守り抜くしか、道は残されていない。
それは誰の目にも明らかだった。
デルン王国は、これまで何度も森を攻めてきたが、しかし野営地の設営などという前準備を整えた事はなかった。
それを意味するところは、あまりにも明らかだ。
今度こそ、森を焼き払うつもりでいるのだろう。だが、森に生きる民として、そう簡単にやられるつもりはない。これより後がないと分かっていればこそ、必死になった森の戦いを見せつけてやらねばならないと、多くは気炎を上げていた。
――もう二度と、森を攻めるなどと思わせないように。
フガマイトが苦渋の中に、決意を新たにしてから暫く後のこと、いつものように憎々しげに野営地を監視していると、そこで異変が起こった。
野営地と森の外縁部までは距離があり、実際にその中で何が行われているかまでは分からない。しかし
「……何が起きてる?」
思わず、呆然とした声が口から漏れた。
衝撃音は一度ではなく、それからも立て続けに何度も起こる。あっと言う間に見るも無惨な形へと野営地は作り変えられ、後には瓦礫と化した木材ばかりが転がるようになった。
粉砕された木材の傍には、冒険者の姿も確認出来て、その彼らはピクリとも動かない。
それも一人ではなく、おそらく駐屯していたと思われる全員が、折り重ねるように倒れていた。そうとなれば、彼らが自分でやった事ではないのは明白だ。
あるいは、事故という線も考えられるが、果たしてそう単純に考えて良いものだろうか。
「さっぱり意味が分からない……。これは陽動だとか、例えば我らを誘い出す為の罠なのか?」
森の民が野営地を壊したいと思っている事など、あちらからすれば当然認識している事だろう。完成するより前には、幾度か仕掛けたこともあるし、こちらが監視し続けている事も、当然承知の上だ。
実際の作戦より前に、油断を誘って森から誘き出すつもりなのだろうか。それで少しでも数が減らせれば良し、と考えているのかもしれない。
それは大変、有り得る事のように思われた。
森に入っての戦闘が熾烈を極める事は、敵も理解している事だ。その為に戦力を削れるなら、それに越した事はないと考えたのだろうか。
フガマイトは今にも飛び掛かって、その倒れた身体に槌を振り下ろしたい衝動に駆られた。しかし必死に押し殺し、樹の幹を握り締める。
その時、側面から軽快な足音を鳴らして、近付いてくる存在に気が付いた。
いつも定時報告にやって来る虎人だと分かっているので、そこに警戒はない。よく聞き慣れた足音だけに、視線すら合わせず挨拶を交わした。
「おう、いつもご苦労さん」
「挨拶は後! 今どうなってる!?」
「どうした、突然。何があった?」
「聞いてるのはこっち! 野営地は……あぁ、やっぱり!」
虎人のフィルメは信じ難い物を見るように目を見張り、それからフガマイトの腕を掴んだ。
「ねぇ、野営地がどうなってあぁなったか、あんた見てた?」
「そりゃ、監視するのが仕事だからな」
「良かった、見てたんだ! 他の奴ら、全然仕事してなくて、見た時にはもう崩れた後とか言い出すからさぁ!」
「……何だって? 他の奴ら? 他の野営地も同じ事になってんのか?」
「そうだよ! だってのに、音に気付いた時には、もうあぁなってたとか言い出すの! あんなでかい野営地が、目を離した瞬間に崩れるかっての!」
フィルメは怒り心頭で下生えを蹴りつけ、空を切るような鋭さは草を見事に舞い上がらせる。
伝令役と報告役としては、詳細を聞き取る役目があるだろうから、知らないと言われても困るのだ。彼女が伝令役をやっているのは、その種族として持つ俊敏性を買われての事だ。
彼女もその役割の重要性は理解していて、特に今回の様な異変があれば、その報告を詳細に報告しなければならない立場にいる。
だからろくに見てない他の監視役にも、説明できない状況においても、怒りを表さずにはいられないのだろう。
フィルメの怒りは最もだが、フガマイトとしては他の者の言い分も理解できた。
フガマイトは元より実直な性格だから目を離していなかったが、代わり映えのない風景を見つめるだけ、というのは気が滅入るものだ。
暇つぶしに空に流れる雲を追ったり、意味もなく樹皮や木目を見て時間を潰したりする事は責められない。緊張感の高まる時期とはいえ、一分たりとも目を離さずにいられるか、と言われると難しい。
そして、目の前で起きた粉砕劇は、その一分余りで終わった出来事なのだ。
何か気付けば崩れてた、という報告も決して嘘ではないだろう。音を聞いてから慌てて目を凝らしたのだとしても、何が起きたか理解できなかったに違いない。
「なぁフィルメ、そいつら嘘言ってないぞ。俺は始まりから終わりまで見ていたが、本当にあっと言う間の出来事だった。まるで初めからそう作られていた、と思えるほど端から端まで倒れるように崩れていった」
「……嘘でしょ? 有り得るの、そんなこと? じゃあ、あれって何かの合図とか、そういう?」
「かも、しれないな。だが、その割には冒険者が倒れているだろ? あれが何を意味してるか分からん」
言われて初めて気付いたらしく、フィルメは眉の辺りに手を翳して庇を作って遠くを見つめる。そして、すぐに高い声で驚きを上げた。
「本当だ、あれって何!? 何で寝てるの?」
「俺達を誘き寄せる罠じゃないかと思ってるんだが……。奴ら、誰も血を流してないだろ? 他の野営地も崩れたっていうなら事故じゃないだろうし、例え事故でも巻き添えで怪我くらいしそうなもんだ」
「本当だねぇ……。自分たちでやったというなら、油断させようと見せてるんじゃないか、って話? んー……、でも何で野営地壊すの? あそこに軍を呼び込むのに、準備してたんじゃないの?」
フィルメの最もな疑問に、フガマイトは二の句が告げなかった。
これからの本攻めをする為、軍を待機させ準備する為の野営地だ。多くの物資を運び込んでいた事からも、それが窺える。それを本番前に潰す、合理的な意味を想像できなかった。
「そうとしか思ってなかったけどな……。じゃあ、何があったんだ、あれ?」
「もうちょい詳しく、初めから教えてよ。何が起きてああなったの?」
「俺から言える事も多くないが、なんか硬いものがぶつかる音がした。そう思ったら、あっちの角の方が崩れていった。そうと思えば、順に……小枝を折るかのように崩れて折れた。一分かそこらの話だ」
「嘘でしょ……」
フィルメは頭を抱えて蹲る。
「そんなの何て報告すれば良いのよ。嘘かでっち上げだと思われるに決まってる。見てなかったから、適当なこと言ってるんだろうって」
「だが、嘘なんて言ってない」
「そりゃ分かってるけどさ、信じてくれるかな……」
今は誰もがピリピリしていて、それも最初に意見が割れた時から、現在ではそれがそのまま引き継がれて、いがみ合いのような状況が続いている。
森長のヴァレネオは信じてくれそうだが、他の代表が何と言うか……それを考えれば、フィルメが蹲る気持ちも分かる気がした。
そしてまた、それをネタに、別のいがみ合いが始ならないかと不安にもなる。
その火種を自分で持ち込むかもしれない、というのがフィルメには耐えられないのだろう。同じ立場ならフガマイトも似た様な気持ちになる。
これが目に見えて明るい情報なら、持ち帰るのにも不安はないのだが、あの様子では混乱を招くだけ、という気がした。今の森が持つ雰囲気なら、それも十分有り得る。
フィルメは蹲ったまま動こうとしない。遂には地面を見つめながら身体を前後に揺すり、子供のような真似までし始めた。
気休めを言っても始まらない。
自分の気持ちに決着が付くまで、フガマイトは黙って見ている事にした。
――その時だった。
フィルメは頭の耳を機敏に動かし、そうして唐突に立ち上がる。森の先、野営地よりも更に先へと目を向け耳を向け、身体を向けた。
「おい、どうした」
「爆発音、遠くから。戦闘があったのかも」
「戦闘? 森から離れた場所で? 魔物が出たか? 森とは関係ないだろ?」
矢継早に尋ねるも、フィルメから返答はなく、その目は遥か先を注視している。
この街道で魔物が出る事は稀だが、皆無ではない。
その為に目撃情報をギルドへ持ち帰る者など居て、討伐の依頼などで冒険者が駆り出される事もある。だが、この近辺に出るというなら、魔物だって小物の筈だ。森まで飛び火する事はないだろう。
沈黙が続くなか、フガマイトが再び尋ねようとして、その前にフィルメが一歩退いた。
尾はピンと先立ち、その体毛が総毛立っている。
悍ましいものを見たとでも言うように、その姿が雄弁に語っていた。
「どうした、何があった。何が見えた?」
「何も見えちゃいないよ。ただ、ちらっと……本当にちらっと見えただけ。亡霊じゃない……。そんなチャチなもんじゃなくて……、もっと恐ろしい何か……」
「おい、何を見たんだ! 見えたんだろ!?」
呆然と引き攣った声を零す姿には流石に黙っていられず、フガマイトはフィルメの肩を掴んで身を寄せる。触れた肩は冷たく、それどころか冷や汗すら掻いているようで、明らかに異常だった。
「お前……どうしたんだ、一体……」
「分かんない……分かんないよ……。でも、逃げてくる」
「逃げて?」
フガマイトがその声につられて森の外へ顔を向けると、確かに道の奥には砂埃が起きていた。砂埃が見えるなら、それは相当な数の人間が地面を蹴っている証拠だ。
だが、あれを多いと見るべきか、それとも少ないと見るべきか迷った。
砂煙の規模から見て、千人前後と思われる人数が近づいて来ているのだろうが、それが仮に軍だと言うなら少なすぎる。
だが、冒険者なら脅威となるだろう。一体どちらだ、と見定めるつもりで固まっていると、その姿が徐々に露わになってくる。
「……軍隊?」
「多分、そうだと思うよ。最初は体列組んでたから」
「あぁ、そりゃ軍隊っぽいな……。だが待てよ……?」
その僅かばかりの軍勢は、野営地近くまで辿り着くなり、呆然としているように見えた。
あるべきものが消えていた、そのような姿に見え、気付いてからは足取りも重くなっている。駆け足を止めた事がその証拠で、野営地に辿り着いてからは指揮官らしき者が、冒険者を見るなり蹴りつけ始めた。
まるで、事の釈明を要求しているような状況だ。
そして実際、それは間違いではなかったらしい。
フィルメが耳を動かし声を拾うと、その内容を教えてくれる。
「あの男、凄く怒ってる。何が起きてるか分かってないみたい。野営地の現状は、あいつらにとっても不満みたいだね」
「じゃあ、あれは事故でも罠でもなく、誰かの仕業でやられたって事か? ――誰が?」
「森の奴らがやった筈ない。そんな事が出来るなら、こんなに追い詰められてる訳ないもの」
「そりゃそうだ。俺達に出来るだけの力があるなら、もうとっくに打ち壊してる」
フガマイトは樹の幹を握っていた掌に力を込める。
それで樹皮が割れて樹の中身が露呈しそうになるが、慌てて止めた。人と比べ物にならない力を持つオーガ族だが、しかし刻印の登場で、その力関係にも陰りが出始めている。
かつてのように、一方的な蹂躙など出来なくなっていた。
それはエルフにとっても同様で、魔術に秀でた一族、という株も奪われて久しい。
実力ある者から徐々に戦死し、そして今では魔術士に事欠く有り様だ。治癒術を使える者も希少で、それもかつての様な万能性は期待できない。
森の薬草から作られる水薬の方が役立つが、魔術は薬草のように次の採集まで長く待たねばならない、という点がない分秀でている。森の治癒術士には、その程度の治癒力しかなかった。
だから打って出ることが出来ずにいる、とも言える。
オーガ族に限らず、戦士職が受けた傷は癒やせる事なく死んでいく。
だから攻め込めないし、傷を受ける確率を減らす、不意打ちで倒せる森で戦うしか、もはや方法は残されていない。
「なぁ、とにかくこれ……報告しなきゃ拙くないか」
「そうだよね……、これはもう何が起きてるかなんて見てる側が分かる事じゃない。見たまんま報告するしかないよ」
だからさ、とフィルメは続けた。
「あんたも着いてきてよ」
「俺が!? 無理だ、報告なんてした事ねぇって!」
「見たまんま言ってくれればいいし、基本はこっちで言うから! この場合、説得力が絶対必要なんだって!」
「だが、ここに誰もいないってのも……」
「だったら用意すればいいでしょ! すぐ代わり呼んでくるから、それまで待ってて! この辺、巡回してる鬼族、どっかにいるでしょ!?」
言うなりフィルメは、草生えを蹴って駆け出した。
その背が見えなくなるのは一瞬で、もはや逃れられないと悟る。実際、目の前で見た者の証言がいるというなら――そして、それが里の軋轢を弱められるというなら、喜んで報告する。
ただ、不安には違いない。
今も遠く野営地では誰かが喚き散らしているようだが、その声までは聞こえて来ない。だが、ここが最大のチャンスである事も理解できた。
他の野営地でも同じだというなら、敵軍を追い返す最大限の、そして最後の機会という気がした。その攻める口実が得られるとうなら、どんな説明でもしてやろう、とフガマイトは心に熱を灯した。
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