御影神宮 その9

「い、一体、何が……!?」

「あの場に留まっていたら、流石に面倒だろう」

「いや、それはそうですけど……。って、そうじゃなくて!」


 今は林道の更に奥、鬱蒼と茂る樹々の中にいた。

 林の中に立ち入っている訳ではなく、ちゃんと用意された道の上にいるのだが、とりあえず狼園の中にいた人達からは目に着かない位置へ移動している。


 一瞬で姿を消したミレイユ達を見て、彼らは何を思うだろう。

 もしかしたら本物のオミカゲ様があの場にいたのではないか、と想像を掻き立てるのではないだろうか。

 ――何しろ、とアキラは改めてミレイユの顔を見つめる。


 あの神狼・八房様が一人の人間に擦り寄り、甘えた声まで出したのだ。

 その人間が実はオミカゲ様で、人々に紛れて八房様に会いに来ていたのだと、そう考えても不思議ではなかった。


 実際には、本当に会おうと考えるなら、もっと時間や場所を考えそうなものだ。しかし、あのような瞬間に立ち会っては、誰もが感動的な美談に変えようとする。

 目撃したものを誇張して、有ること無いこと脚色して伝えるだろう。


 その場にいたミレイユへ質問攻めも十分に考えられた。

 それを思えば、あの遠吠えで面食らっている瞬間に逃げ出したのは正解だったと思うのだが、同時に一瞬で姿を消した謎の集団に何を思うかは……あまり考えたくない。


 そこへアヴェリンが厳しい表情で辺りを見渡したまま、ミレイユに問いかけた。


「ミレイ様、何事かを話されていたようですが……」

「そうだな……。自己紹介された」

「自己、紹介……?」


 アヴェリンが怪訝に首を傾げたのも無理ない事だった。

 アキラも同じ気持ちで、鼻面を押し付けられているようにしか見えなかったが、どうやらミレイユとは何か通じるものがあったらしい。


「……ああ、お陰でな。分かったよ、色々と。……色々とな」

「色々、とは?」

「それはまだ言えない。分かったと言っても予想がついた、という程度で確度の高い話じゃない」

「ふぅん……?」


 一人しきりに頷くミレイユに、ユミルが意味ありげな視線を向けた。

 その表情を観察するように見つめ、しかし直ぐに視線を切った。聞きたい事があっても、言う気になるまで待つつもりなのかもしれない。

 彼女は意外とそういう距離感が上手いのだと、最近気づいた。後はアキラに対して距離感を間違ってくれなければ言う事ないのだが、と思いながらルチアに視線を向ける。


 彼女は彼女で何か考え事に没頭していた。

 顎を摘んで俯くように足元へ視線を固定させている。時折小さく唇が動いているので、自分の中で何かを整理しているのかもしれない。


 ミレイユは顔を上げて、ルチアの肩を叩いてその横を通っていった。

 叩かれたことで顔を上げたルチアは、その背に続く二人へ慌てた様子で着いて行く。アキラもそれに続いて、ルチアの横を並んで歩く事になった。


「何を考えていたか、教えて貰っていいですか?」

「……教えられるような事は何も。私にもまだ整理がついてないですし、それにやっぱり情報が少なすぎます」

「八房様とミレイユ様、一体どういう関係なんでしょう? 自分が支配する地に来たから挨拶にやって来たと考えるのも……うーん、何だか違うような」

「さて、どうでしょうね。ただあれは精霊ですから。それと関係があるのかも、と思っていますけど」


 ルチアの言葉に、一瞬アキラの動きが止まる。ずれてしまった位置を戻そうとして速歩きになり、そしてルチアの顔を覗き込むようにして問うた。


「八房様は精霊なんですか? 神の眷属ではなく?」

「そこは解釈の違いなんじゃないですか? 何を持って眷属とするのか、その定義から始めませんと。ただ、あれが巨大な獣でもなく、神霊の類いでもなく、精霊の一種である事は見て分かりました」

「精霊……」


 アキラは思わず唸って前方に視線を向けた。

 八房様が神の類する者ではなく、精霊というのは意外に感じた。しかし、同時にそれを意外と感じて良いものか迷う。


 獣でもなく超自然的存在と言われれば、それはそれで納得できてしまう気がする。

 生物ではないのだから、あれほど生態系から逸脱した体躯である事も、狼達が八房様の命令を聞くという話も、だからこそ納得できてしまうのだ。


 難しく考えているところで、前の三人は足を止めたようだった。

 見ればその先は禁足地。許可なく立ち入る事は出来ないし、もし入り込んだら命の保証は出来ないとされる場所だ。

 入り口で見た大鳥居と同様、御影石造りの鳥居はあるものの、誰にでも潜る事は出来ない。


 その理由は、ここが『奥宮おくのみや』である事に起因する。

 参道を進み、林道を進み、その更に先、奥参道を進んだ先にこの奥宮が鎮座している。ここは本殿同様に敬われるべき場所であり、同様に許された者だけが入れるオミカゲ様の寝所なのだ。

 それ故に、奥御殿とも呼ばれる。


 鳥居のすぐ奥は門扉が固く閉ざされており、入り口には武装した武者が番をしている。入り口ばかりではなく、その中も同様に警備の兵がいて、侵入者を許さない。

 周辺は塀で囲まれ、道を外れて入ろう者なら狼が猟犬のごとく見つけ出し捕獲する、と言われる。


 奥宮という名前ではあるものの、宮というより城に近い造りで、塀によって囲われている中には身の回りを世話する巫女たちや料理人などが住む為の居住宮も用意されているらしい。

 通いで宮勤めをする者もいるから、いつも完璧に締め切られているという訳でもないものの、許可なく鳥居を超える事があれば敵意在りと見なされるから、刺激したくはない。


 参拝者も観光客もその辺りは教え込まれている部分だから、例え記念撮影といえども鳥居に近づくようなものはいない。

 子供は立派な武者姿を、憧れの眼差しと共に見つめている。

 他の参拝者と同様、近づきすぎない位置でアキラ達も門扉を見つめ、それからミレイユがぽつりと呟いた。


「案外、何も見えないな……」

「それはそうでしょう。見えてしまえば、防犯上問題でしょうから」


 見ればアヴェリンもそれには同意見らしく、重苦しく頷いた。


「日にどれだけの者がここに近づくのか知りませんが、全てに目を光らせるのは不可能でしょう。ならば、最初から見せずにいる方が、面倒が少なくて良い」

「そうは言ってもねぇ。どうせなら、門扉以外にも何か見たかったわね」


 そうだな、とミレイユは帽子の下から笑った。


「そうでなくとも、何か接触があるかと思ったが……」

「本気ですか……!?」


 アキラが顔を引き攣らせて、盛大に身を引いた。

 門扉が開いて何者かが来るとなれば、それは間違いなくオミカゲ様に近い人物だ。ミレイユの口振りからすると、オミカゲ様そのものから接触を望んでいるように見える。


 とてもではないが、そんな事になればアキラは逃げ出すしかなくなるだろう。

 アキラ自身は決してやましい気持ちなど持ってないが、だからといって御前試合のような公式の場でもない場所に、わざわざ行きたいとは思わない。


 それに御前試合なら多くの大衆が近くにいるという安心感もあるし、何より誉の場だ。誇り高い気持ちにはなっても、逃げ出したいという気持ちは生まれまい。

 ミレイユは門扉を見つめて目を細くする。まるで当たりのクジを引いたような気楽さで、事も無げに言った。


「ここはマナが濃い。恐らく、あの向こうが最もマナの高い生成地だろう」

「……もしかして色々歩き回ってたのは、それを探す為だったんですか?」

「勿論だ。観光しに来た訳じゃないと、お前も理解していた筈だろう。――ここは確か、霊地じゃなかったか?」

「え、あ……勿論、オミカゲ様のおわす場所なんですから、当然――」

「そうじゃない。単純に立地として、霊地なんじゃないのか、ここは」


 言われてアキラはパンフレットを見返してみた。

 そうすると、確かにそこには霊地の一つとして数えられる場所だと記されている。

 それを聞いたミレイユは得心がいったように頷いた。


「……うん。つまり霊地のエネルギーをマナに変換して、それを利用している訳か」

「霊地に力があるんですか? その……由緒正しい的な意味だけでなく?」

「私もある種、フィクションと捉えていた部分があったが……ここまで来ると逆に説得力あるだろう。何もないところからマナを作り出していると考えるより、元からある何らかの力を変換していると考える方がずっと納得できる」

「龍脈なんて言葉で言ったりしますね」


 注釈を入れるように言葉を挟んできたのはルチアだった。

 生徒に向けて話す教授のような口振りで、両手の指先を動かしながら続ける。


「力というものは色んなところに流れているものです。空しかり地上しかり地下しかり。でも多くは拡散してしまって、一つの流れを作るような事はまずありません。しかし地下だけは例外です」

「それが、龍脈……?」

「ええ、川の流れのように、あるいは血脈のように流れる力ですが、場所によっては交叉します。そこで膨れ上がった部分を霊地と呼ぶんです」


 ユミルが幾度か頷きながら、悪戯好きそうな笑みでアキラを見る。


「事はそう単純じゃないけどね。霊脈から変換するにしろ、元々この世界にはない力でしょう?」

「そうですね。マナや魔力っていうのは幻想だと思ってましたし」

「なら変換器のようなものが必要になるんじゃないかと思うのよね。それは魔力やマナと親和性の高い存在が好ましい。……例えば、精霊なんかがそれに当たるわね」



 ユミルが流し目でルチアを見ると、納得の表情と共に数度頷いた。


「なるほど、そういう……」

「そしてマナがあるなら、元より魔力を宿せる身を持つアンタたちだもの。ちょっと上手く使ってやれば、病を治したり傷を治したり出来るかもね?」

「……あっ!」


 咄嗟に出た声が出てしまい、アキラは遅いと分かりながらも口を両手で塞いだ。


「蓋がされてあるから一時しのぎにしかならないんだけど、むしろそっちの方が都合は良いのかしら? 何度も足を運んで貰えるし、感謝だってして貰えるもの」

「実際、意外に思うほどよく出来たシステムですよ。如何にして信仰を得るか、向けさせるか、維持させるかを効率よく行っています」

「きっと、他の霊地にもことごとく神社があるんでしょ? これだけ効力があるのなら、優先して置かせろといって断る筈がないもの」

「その為に名声を育ててるんですよ。育てた名声を使っていると言ってもいいですが。そもそも断る選択肢を潰してるんです」

「……やるわね」


 ユミルは呆れ半分感心半分といった表情をして頷く。


「更に面白いのが、どこかの世代で改宗しても、子や孫が再び改宗して戻ってくるようになってるところですよ」

「ああ、親と同じ宗教を選ぶ子は多いものだけど、実利を選ぶ子も多いわよね」


 アキラは塞いだ手を離さないで良かったと、心から感謝した。そうでなければ、大声で叫び出していたかもしれない。強く握りしめて自分に痛みを与えないと、自制できずに暴れてしまったかもしれなかった。


 ユミルは言っていた。

 まるで健康を人質にしているようだ、と。

 七五三にも言及していた。

 幼い頃から怪我と病を治されて、それで捨てられるものだろうか、と。


 日本人の凡そ八割以上、もしかすると九割がオミカゲ様を信仰しているという。一度得られた特権や格差はそう簡単に捨てられるものではない。

 親が他宗教でも、子が当然の権利として受けた万病を跳ね除ける力を、親がそうだからという理由で同宗教を維持が出来る者は少ない筈だ。


 そうして獲得した信者はあしげく神社に通って信仰を捧げていく。

 二人が予想したとおり、日本の霊地や霊山に必ず御影神社がある。アキラが知る限り、霊地以外にも多く建立されている筈だが、しかし霊地に御影神社あり、という逸話もまた良く聞くのだ。


 マナは自然発生したものではない。

 オミカゲ様によって作られたものだ。そして人は、蓋を外せば自分自身の力で克服できるのに、そのおこぼれを預かるように癒やしてもらっているのだ。


 アキラは自身の呼吸が荒くなっていくのを感じた。

 掌で抑えつけられた口から、荒く息が吐き出されていく。自分の信じるものが足元から崩れ去っていく気がした。

 そして実際、アキラは自身の目の前が白い布でも掛けられたように見えなくなり、意識を呆気なく手放した。

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