御影神宮 その10

 その日、狼園で起きた事態に、場は一時騒然となった。

 本来その御姿を見せるのは稀である神狼・八房がその御威光を放ち、林の奥より降臨したのだ。そして、その尾を広げた雄々しく神々しい御姿を見られたとあっては、頭を垂れずにはいられない程だった。


 そして、その御威光を間近で浴びるだけでなく、直接触れた者がいる。その様子を見ていた者が言うには、親しげな友へ接するような気安い態度で、その鼻面を撫でていたという。

 全てが終わった後――。

 八房様が林の中へと帰っていき、遠吠えを震わせた後には、その撫でていた人物の姿はどこにも見当たらなかった。そこに居たはずの人物が、忽然と消えてしまっていたのだ。


「まさかオミカゲ様が、足を運んで会いに来ていたのではないかしら!」

「いや、そんなまさか……!」

「だって、そうでなくては、八房様があのようにお近づきにはならないでしょう?」

「それは……そうかもしれないが」


 何しろ、神狼・八房が人前に姿を見せたのは、記録で確認出来る限り、五十年は昔の事だ。それも林の奥にその御姿がちらりと見えたという程度のもので、明らかな全身を確認できたという訳でもない。


 それを思えば、何の理由もなしに、単なる気まぐれで姿を見せたと考える方が不自然に思えた。

 そして五十年も姿を見せなかった八房が、姿を見せるだけでなく親しげな姿を見せる相手など、一柱しかおられない、という話になる。


「まさか……本当に!?」

「そうとしか考えられないわ!」


 断言する者もいれば、それとは反対に否定する声もあった。


「でもさ、髪の色は違ったし、サングラスも帽子だってしてたじゃん?」

「そうなのか? 何色だった?」

「それは……覚えてない。けど、顔を隠してたんだから、ミカゲさんじゃないじゃん」

「いや、逆だろ。顔を見られたら、絶対騒ぎになるんだしさ」

「でもオレ、あの人達が鳥居潜って来たの見たぜ?」

「だから、奥宮から出てきたら、それこそ一発で騒ぎになるだろ。騒ぎになるのを嫌がったなら、それぐらいの事してもおかしくないし」

「……マジかよ、マジでミカゲさんだったの!?」


 否定が賛成へ傾く声に周りの者達も感化され、それに誰もが賛同していく。


「いや、アタシも凄いオーラある人だなって思ってて!」

「分かる! マジで近づいたらヤバいオーラあった!」

「なんかお付きの人っぽい人達いなかった?」

「いた! ボディーガードみたいに、いっつも周囲を見てた人とか! めっちゃ美人なの!」

「どこのモデルだよ、って思ってたけど、オミカゲ様のお付きなら納得だよねぇ」

「でも外人っぽかったよ?」

「バカね。能力があるから、お付きになれたんでしょ?」


 そうして話題は動画に撮った映像へ移っていく。

 一人が八房の威光に屈せず、野次馬根性で収めた映像だが、それが今では称賛を浴びながら見せてくれとせがむような事態になった。


「角度的にはオミカゲ様の顔はやっぱり分からないけど、その手前の黒髪の人も全然動じてねぇのが凄いな」

「隣の子もそうだよ。でも可愛いなぁ、妖精みたい!」

「もしかしたら、この人達も神使なんじゃない? だって、そうじゃなくちゃ平伏したりしそうだし」

「そうかも! そう考えたらしっくり来るし!」


 だが大勢の観たい人達からすると、スマホの画面はあまりに狭かった。

 周囲に人が群がり、見たくとも見られない人達からブーイングが上がる。


「俺たちも見たいよ! そんなんいいからアップしてくれよ!」

「自分たちだけズルいって!」


 盛り上がりを見せつつも、そうした声に後押しされて、遂にその動画はSNSにアップされた。多くの人の目に触れる事となり、それが日本中へ隈なく拡散されていくのは、事態が起きてから僅か一時間にも満たない間の事だった。


 そして多くの人の目に触れた事で、ミレイユ達を追っていた人物達の目にも、それが留まる事になる。

 随分と時間が経つというのに、一向にその足取りが掴めないせいで、最初はあった熱意もすっかり陰りを見せていた。事務所でやる気なくスマホを弄っていた男もその一人で、事件のあった地域周辺を隈なく聞き込みまでしたのに見つからない。もはや、すっかり不貞腐れていた。


 しかし、偶然目に留まった動画を見て、態度を一変させる。

 ソファーにだらしなく座っていた体を起こし、食い入るように画面を見つめた。遂に見つけたと思ったものの、どうしたものかと苦く顔を歪めた。


 しかし見つけたものを隠蔽する訳にもいかず、そしていつまでも成果を上げない下っ端に、上もそろそろ痺れを切らしている頃合いでもあった。

 だから男は腰を上げ、別室に繋がる扉の前まで移動する。丁寧にノックをして、返事があってから一秒の間を置いて扉を開いた。


 部屋の中は応接室とよく似た構成になっており、ソファがテーブルを挟んで二脚ずつ。そして窓際に執務机と上等な椅子が用意されていた。

 ソファには既に二人、ガラの悪い格好の男達が座っており、それらに対し机に座る男が何やら指示を下していたようだった。

 机の男は不機嫌そうに顔を歪めて顎をしゃくる。


「……どうした」

「はい、兄貴。例の女を見つけた事をご報告に……」

「やっとか!」


 その報告に表情を和らげ、机の男は手を叩いた。

 だが報告に来た男の表情は優れない。重い足取りでソファーの後ろを通り、ソファーに座る男達から胡乱な視線を向けられながら、執務机の前に立つ。


「ですが、厄介な事になりそうです。これを見てください」


 自分のスマホを机の上へ丁寧に置き、画面が見えるよう反転させてから両手で押し出し、動画を再生した。

 画面を食い入るように見つめる男は、苦い顔を通り越して盛大に顔を歪めた。

 下唇に噛みついた後、乱暴にタバコを咥えて火を着ける。重苦しい溜め息と共に煙を吐き出した。


「……だったとしても、やらねぇワケにゃいかねぇだろう」

「兄貴、本気ですか!? これは絶対に手を出しちゃいけない相手です!」

「……じゃあお前が、オヤジ説得するか?」


 そう言われてしまえば、男としても黙るしかない。

 スマホを返されてポケットにネジ込み、そして青い顔をして頭を下げる。


 執務机に座る男――、名を生路市蔵いくじいちぞうと言った。四十を過ぎた屈強な体格を持つ男で、その頬には刀傷が走っている。

 五代目生霧会の若頭を任せられている男であり、霧島組長の息子を襲撃した女達の捜索を命じられていた。


 襲撃というのはあくまで表向きの話、実際は粉をかけた女達から逆襲に遭ったというのが真相だと市蔵も知っている。しかし、真相はどうあれ組の看板に泥を塗られ、ケチが付いたのも事実だった。


 ケチを付けられたままにすれば舐められる。

 そしてそれは、対等以上の関係を持ちたいと思っている取引相手に対して、致命的な傷となる可能性があった。プライドの問題もある。

 決して放置は出来なかったし、何かしら解決したという実績も欲しかった。

 だから、治療費と見舞金でも出させて、それで終わりにする腹積もりだった。


 ――だというのに。

 市蔵は再びタバコを吸い、動画の内容を脳裏に思い返しては顔を顰めて煙を吐き出す。


 しかし、ここに来て今更無理ですとも言えない。

 せめて詫びを引き出すぐらいはしないと、収まるものも収まらないだろう。


「女達の居場所は?」

「まだです。ただ動画の撮られた時間から見ても、近くにいるとは思うんですが」

「じゃあ、すぐ行け。捕まえて連れてこい」


 言われた男は顔を引き攣らせた。

 命令に背きたいけど背けない、そのジレンマを感じさせる表情だった。

 市蔵は目の前の男から視線を外し、ソファの男達に顔を向ける。


「そこの二人も着いて行け。他の奴らも集合かけて、数を集めて探し出せ。ただ怪我させるような暴力沙汰は無しだ。頭一つ下げさせて手打ちにする。それで丸く収める」

「オヤジがそれで納得しますかね?」

「神宮勢力から頭下げさせたとなりゃ、オヤジだって納得する。俺がそうして見せる。――だから急げ! さっさと女を連れてこい!」

「わ、分かりました!」


 突然の大声に身を竦ませ、ソファーに座る男達も飛び上がるように部屋から出ていく。

 市蔵はタバコを灰皿に捩じ込み、すぐに二本目のタバコを取り出して火を付ける。

 やはり苦い顔を崩さぬまま、溜息と共に煙を吐いた。

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