対立 その1

 ミレイユ達は今、神宮から少し離れた喫茶店で、お茶を楽しんでいる最中だった。

 本当なら神宮の参道へ続く道にあった、古式ゆかしい佇まいの店に入りたかったのだが、狼園での騒ぎが拡大したせいで難しくなってしまった。


 それにやはり神宮近くの店は繁盛しているらしく、昼も近い時間帯となると混雑していて、多くの時間を待たされそうでもあった。

 だから少々離れた場所でも、それらしい店があればと思い適当に歩いていたところ、この店を見つけたのだ。


 ここの店舗は割と新しい店のようだったが、和風喫茶と銘打ってあるところが気になって、入店する事にした。

 気絶したアキラはアヴェリンの雑な気付けですぐに目覚めたものの、体調が思わしくないのは間違いない。すぐに腰を下ろせる場所を、と思ったのだが、どこも待ち時間があったのでこうして離れた場所まで移動する事になっていた。


 そうはいっても、店内の客数は少ない訳でもなかった。

 今の状態で窓際の席しか空いていないとなれば遠慮したい気持ちはあったのだが、アキラを休ませる事を優先させると、そこは我慢しなければならなかった。


 席へと案内されて、それぞれが席につく。

 例によってアヴェリンが席順を仕切り、ユミルとルチアが窓際、ユミルの隣にミレイユが座った。その隣にアヴェリンが座ってミレイユを挟む形になり、そしてミレイユの正面にアキラが座った。

 調子を崩したならば、少しでもゆったりしたスペースが必要だろうと、アキラにはルチアと座らせる事にしたようだ。


 注文も済ませ、後は待つばかりとなって、そこでようやく雑談する流れになった。

 ユミルが窓際に置かれたメニュー表などを指で弄りながら、不満を滲ませた声でアヴェリンを見やる。


「……今更言うのもなんだけど、何でアタシが窓際なのよ」

「いざという時、お前が盾となる為だ」

「は? そういうのはアンタの役目でしょ?」

「当然、私も盾になる。だが危険は外側から同様、内側からも多い。袖の中に忍ばせるナイフなどを使うなら、むしろ内側の方が危険だ。ならば私が、通路側に座るのが筋だろう」


 しっかりと自らも盾となる算段を立てていたとなれば、ユミルもそれ以上強く言えなくなった。口をもごもごと動かしてから、未だに意気消沈したように見えるアキラに顔を向ける。


「……で、アンタ平気なの? まぁ、歩けるようなら大丈夫でしょうけど」

「えぇ、はい……。すみません、ご迷惑おかけしまして」

「体力的には、もう問題ない筈なんですけどね。私からも治癒術使いましたし」


 ルチアが首を傾げながらアキラを見た。

 気遣ってのもの、というより単に不思議なものを目にしたような視線を向けている。


「体力的に問題ないと言うのなら、じゃあ精神的な問題という事になるんだろうさ」

「単に、日差しに頭をやられてんじゃなくて?」

「まぁ、そういう雰囲気でないのは、見て分かるだろう」

「……そうかしらね?」


 ミレイユの意見に、ユミルもまた小さく首を傾けてアキラに視線を向けた。

 アキラは俯いて視線を下に向けたまま、何かに深く思考を廻らせているように見える。


 ミレイユはアキラが何を考えているのか、その凡そは見当がついていた。

 倒れる直前にしていたルチアとユミルの会話を思い起こせば、何を考えていたのか予想がつく。明らかに挙動不審になった上、呼吸も乱れて顔色も目に見えて悪くなった。


 だから今、アキラが沈んだ様子を見せるのはオミカゲ関連だと思っているし、逆にそうでなければあそこまで取り乱さないだろう、とも思う。

 信仰する神への不審と不信、そして疑義があそこまでさいなませる原因となっているのだろう。


 ミレイユは最初に運ばれてきたお冷を一口含み、グラスを置いた。

 ――さて、何と言ったものか。


 ミレイユにも考える時間が必要そうだった。

 別に説得をするような面倒さはないとはいえ、言葉を選ぶ必要はある。アキラに教えて良い――教えて問題ないものを取捨選択しなければ、余計な混乱を生むだろう。

 そもそもミレイユ自身も、まだ確信を持てない部分は多々ある。


 しばらく店内に流れる柔らかい音楽へ耳を寄せながら、ミレイユ自身も思考を回す。

 そうしながら、ふと窓の外に目を向けると、法定速度を明らかに越えた速度で走っていく車が見えた。ユミルもそれには気づいていて、ルチアも一緒にその車を見送っている。


「なに、あれ……。あんな速度で走る奴なんているの?」

「普通はいないな。車が出しても良いとされる速度は、厳格に決められている。……だから、ああいう速度で走る奴は、昼間は出ないものなんだが」

「昼間? 夜なら出るワケ?」


 ミレイユは窓の外を見つめたまま頷く。


「常に出るものでもないが、深夜で人気のない時間帯を狙って、速度を出して走るような奴らはいる」

「……あらまぁ、そこまでして走りたいモノなの?」

「私は彼らじゃないから知らないが、単に速く走るだけじゃなく、車を早く走らせる技術を競い合っている部分もあると思う。それが楽しいのだろう」

「ふぅん……? 自分で走った方が疾いのにねぇ」


 つまらなそうに呟いたユミルに、ミレイユが苦笑を返す。


「それはお前だけ、でもないな……私たちだけだろ」

「走ってみる?」

「私は楽しくないから遠慮する」

「つれないわねぇ」


 二人して笑い合って窓から視線を戻す。

 頼んでいた注文も、早く出来上がるものから順次運ばれて来たようだった。先に食べられる人は先に食べるように伝え、とりあえずは昼食を済ませてしまう事にした。




 和風喫茶の昼食となれば、メインはやはり麺類になる。

 そばやうどんを中心とメニューが多く、それにトッピングを変えてバリエーションを増やしているような印象だ。カレー蕎麦などの中心メニューから外れるようなものもあったが、しかしカレーは何処でも鉄板商品でもあるので、主力商品なのかもしれない。


 麺類だけでは物足りない人は追加で丼物も頼んでもらい、それぞれを楽しんで昼食は終わった。

 アヴェリンなどは、むしろここからが本番で、メニューを見ていた時から既にこれはと決めていた商品があったらしい。

 追加で抹茶クリームあんみつというものを頼み、今は心待ちにして厨房の方を盗み見ている。

 和風と言ったら抹茶だ、というミレイユの主張に従って、ルチアも宇治金時のカキ氷を頼んでいた。


 腹が満たされれば余裕も生まれる、というのがミレイユの知る数少ない真理だ。

 だから今は、食事中も返事が上の空だったアキラに、ようやく話を聞いてみようという気になっていた。


「さてアキラ……、お前の悩みの内を私に話してみる気はないか?」

「それは……」


 あくまで視線を向けず言い淀むアキラに、ミレイユは平坦な声音で問いかけた。


「悩みの根源はオミカゲに関する事だろう」

「……そうです」


 アキラは一瞬声に詰まったものの、結局素直に頷く。

 実際、そこを隠し立てする意味はなかった。状況から見て、それ以外に考えられる要素がない事は、アキラにも分かっていただろう。


「とはいえ、お前も心の内を探られるのは嬉しくないだろう。だから簡潔に、私の結論から言う」


 ミレイユの声は平坦なままだったが、それでアキラの顔が上がり、視線が交わる。


「お前はお前の信仰を大事にしていい。迷うな、信じろ。それで解決だ」

「そう……なんでしょうか? 僕は迷っています。信じ続けていたものが、突然薄氷の上に歪な建て方をされていたような気持ちになってしまって……。僕は本当に信じ続けていいんでしょうか」

「いいぞ」

「そんな適当な……」


 ミレイユの返事は素っ気なく、また簡潔に過ぎた。

 親身になって相談に乗ってくれると思っただろうアキラには悪いが、ミレイユは別に信仰に迷う者を導く牧師という訳でもない。

 ただ、知っている事、分かっている事を教えてやれるだけだ。


「お前の不信は魔力を身に着けたから、そこに起因するものだろう。他人とは違う力を手に入れ、違う理を知り、そして真相を知ったつもりかもしれない。――全部、気の所為だ」

「気の所為、ですって……?」


 アキラが不安げに、あるいは不満げに眉を持ち上げるのを見ながら、ミレイユは嘆息する。

 視線を感じて見てみれば、ルチアもユミルも興味津々の笑顔でこちらを見ていた。


「全部というのは? どこからを言ってるんですか? 僕の気の所為って、どういう事ですか?」

「お前はつもりになっているだけだ。全部、つもり、だ。力を手に入れたつもり、理を知ったつもり、オミカゲの真相を知ったつもり、本当は何一つ知ってはいない」


 アキラの表情が歪に変わる。怒りのようでもあるし、困惑のようでもある。侮られ辱められているとも感じているかもしれない。


「でも、僕は勝手に知ったつもりになってはいません。教えられた事を学んで、力を鍛えて、そうして蓄えたものから思い当たったんです」

「うん、それはそうだ。実際お前はよくやっている」


 ミレイユは素直に褒めた。相変わらず平坦な声だったが、それで尚更アキラは困惑した。


「……じゃあつまり、どういう事なんですか」

「なぁアキラ……。内向魔術を学んでいるが、それが何か理解して使っているか」

「何です、突然……」

「いいから、答えてみろ」


 重ねて問いかけて、アキラは口を開こうとして、やはり閉じてしまった。実際、これを口で説明しようとするのは難しい。整理して、理論立てて説明するのはアキラには不可能だろう。

 だから説明しようとして、何と言っていいのか言葉にできず固まってしまっている。


「何か? 何かってどういうことです、そんな曖昧なもの……」

「それが答えよ、お嬢ちゃん」


 ユミルがいつもの嫌らしい笑顔を貼り付けて、アキラに人差し指を向けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る