対立 その2

「な、何ですか、突然。それって何の事です。曖昧の事ですか?」

「そう、それ。曖昧。曖昧なものを曖昧なままで使っているのが、魔術なのよ」

「そんな馬鹿な……」


 アキラの呆然とした一言を、誰一人否定しなかった。

 アヴェリンさえも、それを当然と受け止めながら頷いている。


「いいか、アキラ。魔術なんていうのは、過去の偉人が実践してそのとおりだったから、きっとそうなのだろうと言う理論で使っているようなものだ。深奥を覗き込んで理解してまで使っていない」

「雰囲気で使っているって事ですか?」

「そこまで曖昧でもないがな。だが、曖昧なままでも使えているから使っている、というのは間違いない」


 アヴェリンの答えに愕然とした表情を見せるアキラに、ルチアが目を細めながら言った。


「魔術は世界と向き合う学問、という言葉は知ってますか?」

「それは……いつだったか、ユミルさんが」


 アキラがしどろもどろに答えると、ルチアは満足そうに頷いて続けた。


「その言葉のとおりです。まだ何も知らないから――魔術を知らないから、魔術を使って知ろうとしている、未だにそういう段階なんですよ」

「でもそんな……本末転倒のような……」

「馬鹿みたいでしょう? でもその馬鹿みたいな事を、真剣な顔してやっているのが魔術士です。……貴方、薄氷の上と言いましたか? 薄氷どころじゃありません、罅だって入って歪んでますよ」


 ルチアは自嘲するように言って、はんなりと笑った。

 アキラは言われた事を理解できないように、あるいは拒絶するように首を振る。

 ミレイユはアキラへ視線を揺らぐことなく見つめて、言葉を引き継ぐように続けた。


「なぁアキラ、私達とて魔術や魔力を知っている訳ではない。しかし先達である分、お前より多く知っている部分はある。だから、幾らか知っている私が言ってやる。お前はお前の信仰を信じていて良い」

「分かりません……、僕にはもう何を信じていいのか」


 アキラはとうとう頭を抱えて、テーブルの上で蹲ってしまった。

 ユミルはそれを、不愉快極まりないものを見るように見下して、鼻を鳴らした。


「面倒な奴ね。この子がオミカゲを信用して良いって言ってんのに、何でアンタが俯くのよ」

「しかしそうなると、敵ではないと考えてよろしいのですか?」

「いいや、それとこれとは話が全く別だ」


 希望に縋ろうと顔をあげようとしていたアキラは、ミレイユの言葉を聞いて動きが止まった。

 その眼は虚ろで濁り、どう反応して良いか迷っている。


「むしろ、だからこそ敵対するとすら考えている。相容れない可能性は高い」

「あら、そうなのね。でも明確な敵と判断しているワケでもない?」

「ああ、敵と認識されない限り、こちらから攻撃する事もないだろうな」

「それは全く構いませんが、そう考えるに至った根拠を聞いても?」

 

 アヴェリンが低姿勢で問いかけたが、しかしミレイユは首を横に振った。


「それはまだ言えない。言いたくないのではない、その根拠を確信に変えるまでは口にしたくないからだ。そして確信を得るには奥宮に殴り込まなくてはならなくなる」

「……では、行きますか?」


 事も無げに伺ったアヴェリンに、アキラは即座の再起動を果たし、反射的に否定した。


「駄目に決まってるじゃないです……か」


 テーブルへ身を乗り出し、しかし言い切る前に言葉を止め、自分自身驚いたように口元に手を当てている。


「それがお前の本心なのだろう。ミレイ様が良いと言っているんだ、お前はお前の信仰に殉じろ」

「……いいんですかね? 一度は疑い、信用できないと考えたクセに」

「そんな事、私が知るか。薄氷の上に立っている事すら知らずに、今更ながら薄氷の上だと気づいただけの事だろう。それで知ったつもりになって、自分で勝手に思考を暴走させただけだ」


 吐き捨てるようなアヴェリンの物言いに、アキラは困った顔して笑った。その目尻には薄っすらと涙が浮いている。


「いっつも容赦ないもんなぁ、師匠は……」

「容赦して欲しいなら、誰か他の者に頼め。私は持ち合わせていない」


 ですよね、と言ってアキラは笑った。

 乱暴に腕を擦り付けて、流れる前に涙を拭う。


「もう一度、信じてみる事にします。ミレイユ様が言ってくれたからではなく、僕がそうしたいと思うから」

「……好きにしろ」


 アヴェリンがぶっきらぼうに言って、顔を背けた。

 素直じゃないな、とミレイユは思ったが、その顔を向けた先がアヴェリンの頼んだスイーツだと分かり、アキラより甘味に気が向いただけと分かって苦笑した。





 アヴェリンが抹茶クリームあんみつを美味しそうに口へ運ぶのと同じくして、ルチアも宇治金時のカキ氷を眼前に見つめて感心していた。

 緑色をした食べ物といえば野菜ぐらいの認識しかなかったが、それを甘味として目にするのは予想外だったらしい。


 細かく刻まれた氷や山と積まれ、その上からグラデーションを作ってかけられたシロップは目で見て楽しい仕掛けとなっている。

 頂上付近には粒餡がしだれ掛かるように乗せられていて、それがまた味のバリエーションを増やすのと同時に舌休めの役目も果たしているようだ。


 ユミルもそれを正面から見つめて、面白そうに微笑んだ。


「それにしても、アンタが氷を食べるって考えると、ちょっと面白くない?」

「何でですか。変な想像しないで下さいよ」


 スプーンを手に持ち、今にも氷山の一角を崩そうとしていたルチアが白い目で見る。

 それに気を良くして、ユミルは更に笑みを深くした。


「因みに、氷を食べた事とかあるの?」

「ある訳ないじゃないですか。食べ物と考えた事すらないですよ」

「まぁ、そうよね。わざわざ氷を削って甘味のソースをかけて食べるっていう発想は、正直ぶっ飛んでると思うし。……美味しいの、それ?」


 ユミルが不安げに言うに従って、ルチアにも躊躇する気持ちが生まれてしまったらしい。恐る恐るミレイユの方へ顔を向けるが、笑顔で首肯してやると思い直してスプーンをカキ氷に突き刺した。


 予想よりも軽い音がして表面を掬い、予想よりも少ない分量が乗ったスプーンを口へ運ぶ。シロップの大部分は底へ沈んでしまっているので、それだけでは味も薄い。

 掬い取った部分で白く見える部分が多かったのも、それを後押しした。


「……うん。……うん?」

「何よ、駄目なの、それ?」


 顎を動かしさえせず飲み込んだルチアは首を傾げ、それを見ていたユミルは怪訝に見た。ユミルは自分のコップを口元に運びながら、予想外な反応を見せたルチアが心配になったらしい。


「いや、なんか……味が薄くて。甘いは甘いんですけど、削った氷ですから食べ応えもないですし」

「あら、意外ね。こっちの食べ物、特に甘味はまずハズレがないと思ってたのに」


 ですよね、と言いながら、ルチアは再びスプーンを氷山に突き刺す。

 その横からアキラが未だ気恥ずかしい思いを顔に見せつつ、アドバイスを横から送った。


「カキ氷の山を潰して、まず平らになるようにすると良いですよ。シロップ――その甘いやつは下の方に沈んでいるので、底から掬うように食べると分かります」

「そうなんですね」


 素直に礼を言って、ルチアは雑にやって盛り皿から落ちてしまわないよう、慎重な手付きで山を崩していく。金時部分を時々口に運び、こちらには満足したように頷きながら、山となっていたカキ氷を皿の縁の高さまで減らした。

 ザクザクと氷を刻みながら、底の方の氷を掬い上げ、緑色のシロップに並々と浸かった氷を口の中へ運ぶ。


 途端に顔を綻ばせて、すぐに二口目を口に運んだ。


 ミレイユはその様子を見ながら、そういえばと思い出した。

 食べ続けると身体を冷やすだろうから、熱いお茶を店員に頼んでおく。同じように食べ続けるとクドく感じてくるアヴェリンの為にも、二人分注文した。


 そうしてパフェを食べるように上機嫌でカキ氷を掬っては食べていたルチアが、突然苦悶の表情で苦しみだした。指を鈎状に曲げて、目を固く瞑って喉の奥から悲鳴を噛み殺した音を出す。

 ユミルがコップを置いて手を伸ばし、その手に触れる。


「ちょっと、どうしたのよ……!」

「いぃぃ……、ひぐぅ……!」

「まさか、毒……!?」


 ユミルが信じられないようなものを見る目でミレイユに顔を向け、それが耳に入ったルチアは片手で魔術を行使する。

 ミレイユはそれを冷静――というより、単に無頓着な視線で見つめ続ける。

 アキラが困ったように笑うだけなのは、ミレイユと同じく事情を知っているからだが、しかしアヴェリンも食べるのは止めて、今は心配そうにルチアの動向を見守っている。


「ひぃ、ひぃぃぃ……!」


 光の漏れる手の平を胸に押し当てているというのに、ルチアの苦しみは紛れるどころか強まったようにすら見えた。

 ユミルはその手を強い力で握り返され、痛みに苦しむルチアをどうにかしようと、自らも懐に手を入れポーションを取り出そうとしている。


 ミレイユが手を制して止めると、苛立ちのような視線を向けて来たが、ルチアの気が鎮まってきていると分かって安堵の息を吐いた。

 ユミルを握り返す手からも力を抜き、大きく息を吐いて姿勢を正した。


「あ、危ないところでした……。解毒の治癒術がまったく効かなくて……ミレイさんが何かしてくれたんですか?」

「いや、何も」

「そうよ、この子は何もせず見ていただけ。……でも、一体なにがあったのよ。アンタがあんなに苦しむなんて、よっぽどのコトよ?」

「それが良く分からなくて……。突然頭の奥に抉るような痛みが広がって……、今まで感じた事のない痛みでした」


 ルチアはその時の痛みを思い出したかのように、苦悶の表情を浮かべた。

 ミレイユは人の悪い笑みを浮かべてルチアを見やる。


「その食べ物はな、人を選ぶ。心に疚しいものを持つ者は、拒絶され痛みを味わう事になる」

「まさか、そんな……!」

「嘘に決まってるでしょ、そんなの。バカバカしい」


 ルチアが驚愕して見せる横で、ユミルが鼻で笑ってミレイユを見た。


「だったら、お前も食べてみろ。……あぁ勿論、疚しい気持ちを持つ自覚があるなら拒否しても良いが」

「いいわよ、その安い挑発、乗ってあげる」


 カキ氷を既に遠ざけていたルチアに、ユミルは顎をしゃくって寄越すように言った。

 素直に押し退けて、ユミルの前に未だ多く残っているカキ氷がやってくる。スプーンを手に取って、余裕の表情で口に運んだ。


 ゆっくりと口の中で転がすように咀嚼して、嚥下する。

 そして、ほら見たことか、と勝ち誇った笑みを浮かべた。

 だがミレイユは首を横に振って、更に食べるようカキ氷を手で示す。


「ルチアを見ていただろう。一口ぐらいじゃ判定されない、もっと食べてからその余裕顔を見せてくれ」

「ま、いいわよ」


 ユミルは言われたとおり、二口、三口とかき氷を口へ運ぶ。

 結構美味しい、などと余裕の笑みを浮かべて周囲を睥睨していたが、四口目を口に入れた直後、それは訪れた。

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