外へ その3

 そのアヴェリンが見せた笑顔を誇らしく思いながら、ミレイユは続ける。


「そして戦士なら尚の事、力量、技量、両方の問題で無理だ」

「師匠を超える戦士がいないって事ですか?」

「……どちらかで上回る戦士はいるだろうな。しかし、どちらか一方を上回る程度では、次に魔力量という絶対の壁の前で頓挫する事になる」


 アキラは遂に出た魔力という言葉に身を引き締めた。

 内向魔術について詳しく説明を聞けると期待したのかもしれない。実際ここからは、そこを詳しく掘り下げるつもりで、内向を鍛えている最中のアキラにも身になる話だ。


 アヴェリンが目を細めてアキラを見た。

 背を叩いて背筋を伸ばさせ、よく聞くようにという指示をする。

 アキラもそれに応えて両手を膝の上に乗せ、前のめりになりそうなのを抑えて顎を引いた。


「内向魔術とは実に戦士に向いたものだ。だから、その魔力総量の多い方が戦況を支配する。剣を振るう速度、受けた後の押し合い、傷を受けるかどうか。持久力、体力、それら含めた継戦能力すらも、骨格や筋肉から生まれる差異を物ともしない。紙一重の力量差であっても、魔力量の差が大きければ、そんなものは全く意味がない」

「それは……つまり、剣の腕など磨く必要はないと?」


 アヴェリンはアキラの頭を平手で叩いた。

 またもパァンと小気味良い音がする。アキラは後頭部を撫でてアヴェリンに謝意を示し、ミレイユに顔を向き直した。

 ミレイユは苦笑しながら続ける。


「勿論、剣の腕は必要だ。誰もが最初から、魔力豊富な状態で生まれる訳ではないからな。内向魔術を育てるには武術と合わせるのが一番だ。だから、自然と何かの武器に精通していくし、それを根幹とした魔力の扱いを身に着けていく」

「僕の剣術と同じように?」

「そうだな、どちらか一方のみを鍛えるような事はしない。武器の振るい方一つでも、魔力の運用方法が違ってくるものだしな。アヴェリンはそのところ、よく理解している。お前は剣の腕を磨いているつもりで、魔力もまた磨かれているんだ」


 アキラが驚きと感動の面持ちで見つめ、アヴェリンが澄ました顔で鼻を鳴らした。


「全く駄目な奴で辟易しておりますが」

「そこはもう少し、粘り強く教えてやれ」


 ミレイユが柔らかく言えば、とりあえずアヴェリンは頷いた。

 アキラは何とも言えない顔で、引き攣った笑みを浮かべていた。


「そして、武術の道に終わりはないが、魔力の総量と密度に終わりはある。これは前にも言ったな、骨のようなものだと。これ以上は成長しない、というラインが必ず存在する」

「はい、その点について、僕はまだ伸び代があるんですよね」

「そうだな。……そして、最終的に戦士はその魔力量の過多による勝負になる。必ず魔力量が多い方が勝つという訳ではない。僅かな差であれば覆し得る、それはどのような世界であれ同じ事だ」

「あれ、でもさっき……」


 アキラが言い掛けた言葉を、ミレイユは指を振って止める。

 恐縮したように口を噤み、頷いて見せて続きを始めた。


「つまり、その差が僅かで収まらない程、アヴェリンは多いという話でもある。基本的に内向魔術士は魔力総量が少ない傾向はあるものの、外向魔術士と遜色ないレベルで保有する者もいる。だが、こういう場合、多くの者は大成しない。何故か分かるか?」

「魔術に憧れちゃうとかですかね? 内向一本に絞らないから、とか……」


 ミレイユは頷いたが、困ったように笑った。


「それも間違いではないし、実際そういう奴はいる。しかしより多いのは、密度を作れないせいだ」

「密度……。それってつまり、マナから変換した魔力を身の内に作れないって事ですか?」

「正確には、作ったものの増やせない、と言った方がいい。ボールの例えを覚えているか?」

「はい、内向魔術は膨らませたボールのようなもので――あっ! つまり空気でパンパンに膨らませられない、って事ですか?」


 ミレイユはよく出来た、と笑んで頷く。


「萎んだボールは跳ねないだろう? 内向魔術を鍛える際には、この密度を作るのが困難を極める。小さなボールならばいい、しかし大きくなると持て余す。何しろ内向魔術は大規模に消費するような魔力運用をしないからな。身体は自然と生成する量を絞る」

「基本的に消費と生成の量が釣り合うって言ってましたもんね」

「そうだ。だから大きいボールは萎んだまま、小さいが良く膨らんだボールに負けるような事になる。自らの魔力総量を持て余すんだ。それでは勝てない、つまり大成しない」


 なるほど、と頷き、アキラは次にアヴェリンを見据えた。

 話の方向が見えてきたらしい。


「じゃあ師匠は、その大きいボールでありながら、密度もパンパンに膨らんでいるという事なんですね」

「そうだ。しかも膨らませ過ぎて死の危険すらあったから、点穴を開けたというレベルの密度だった。そんな事をした奴は、多分歴史上類を見ない」


 ミレイユが小さく笑いながら見つめれば、アヴェリンは苦い笑みを返した。

 背筋を伸ばして小さく一礼し、一秒静止してから顔を上げた。


「その節はご迷惑を……」

「いいさ、結果だけ見れば最良だったんだから」

「そっか、普通はそれで穴からどんどん空気が抜けてしまって、膨らまなくなってしまうから……」

「そう、その点穴塞ぎに、幾らか魔力を割くものだ。そして膨らみは維持されるものの、割いた分だけ弱体化する筈だった」


 アキラはかつて聞いた話を思い出し、しきりに頷く。


「でも、逆に使い勝手が良くなったんですっけ……。手加減が上手くできるようになったとか」

「そう。そのようなレベルだから、大抵の戦士じゃアヴェリンの相手にならない。力量も技術も、その魔力で捻じ伏せてしまう。だから勝とうと思えば、不意打ちで首を落とす、というような方法しかなくなる」

「それもどうなんですか。戦士の誇りとか……」


 アキラは顔を顰めたし、ミレイユとしても同じ意見だ。

 しかし、どのような世界でも、戦士の誇りを持たない戦士はいる。勝てば良いと考える輩もいるし、不意打ちも戦法の一つと開き直る奴もいる。

 ミレイユの気持ちを知ってか知らずか、アヴェリンは鼻を鳴らして笑った。


「どこにでもクズはいるものだ」

「それは確かに……そうですね」

「それに敵は常に戦士という訳でもない。暗殺者のような相手と戦わざるを得ない場合もある。そんな奴と正々堂々もない」


 アキラは苦い笑みで頷いた。


「それはそうです」

「だからだな……。アキラ、アヴェリンの髪をどう思う」


 突然の話題転換に、アキラは目を白黒とさせた。

 どうというより、どういう意味だ、とでも言いたげな瞳だった。ミレイユが重ねて問えば、拙い語彙で必死に言葉を紡いで説明しようとした。


「それは……勿論、綺麗だなぁ、と。長い金髪で、緩やかなウェーブもかかってて。よく似合っていると思います」

「そうだな。背中まで伝う豊かな毛量、輝く金髪は私も好ましく思っている」


 言いながら、隣のアヴェリンに手を伸ばし、その滑らかな髪に指を通す。軽く梳いてその感触を楽しんでから手を放した。

 当のアヴェリンは恥ずかしげな顔をしていたのは最初だけ、ユミルに見られているのに気づいてからは、優越感に浸った勝ち誇るような顔を惜しげもなく晒していた。

 ユミルの額に青筋が浮かんだのは言うまでもない。


「だが、聞きたいのはそういう事じゃなくてだな。アキラ、少しでも不自然に思わなかったか? 何故戦士をしているのに長い髪なのか」

「それは……」


 アキラは一瞬、声に詰まる。

 実際、ミレイユを含めた全てのメンバーで、一番髪が長いのはアヴェリンだ。次に長いのはユミルだが、サイドで纏めて動きの邪魔にならないようにしているし、ルチアなど肩に掛かるほどもない。

 だというのに、最も髪が短くて良い筈の前衛として動くアヴェリンが、一番髪が長いのだ。


「でも、実力があるなら、別に邪魔にも感じないんだろうなぁ、と……」

「邪魔に決まってるだろ」


 アヴェリンから鋭い口調で指摘があって、アキラは困った顔で笑った。


「じゃあ何でそんな髪型に? ミレイユ様が褒めてくれるからですか?」

「馬鹿か、貴様。そんな理由で髪を伸ばすか」


 吐き捨てるように言ったアヴェリンだったが、しかし、アキラにはそれ以上明確な答えなど出せないようだった。あるいはそれ以外ないとでも思っているのかもしれない。

 幾ら待っても答えが返ってこないので、ミレイユは早々に答えを教えてやる事にした。そもそも、アキラが現実的に即した物の見方をしてしまうのは当然で、飛躍した発想で回答するのは期待していないのだ。


「内向魔術と魔力密度に関係する話だ。別に趣味やお洒落でしている訳じゃない」

「あ、ちゃんと理由があるんですね」

「――当たり前だろ」


 再度アヴェリンから指摘が飛んで、アキラは身を竦めた。


「内向魔術を極めれば、大抵の傷に強くなる。しかしそれは、何も肌や筋肉、骨に限った話じゃない。頭髪もまた、魔力が通れば強靭になる」

「髪まで……でも、それでどうして伸ばすんです?」

「言ったろう、アヴェリンを倒そうとすれば不意打ちをするしかない。ならば首を一太刀で落とすしかない、となるんだが、そうすると背後からは髪が邪魔で出来なくなる」

「え、そこまで硬いんですか!?」


 ミレイユは笑って手を左右に振った。

 それから再び、アヴェリンの豊かな髪に指を差し込む。


「流石にどんな剣の一撃も防げるという程じゃない。しかし間違いなく威力は削がれるし、実際なまくらなら両断すらできない。上質な武器なら可能だが、肌が切れても切断するところまでは持っていくのも難しい。そういう按配だから、それだけでも髪を伸ばす意味はある」

「でも、だからってそこまでするんですか……」


 ミレイユは髪を梳いては手を放し、皮肉な笑みで頷いた。


「実際、戦士ではそれ以外で勝ち筋がないと言われたのがアヴェリンだ。名を上げたい奴は暗殺、不意打ち以外で挑む事はしなくなった。嫌だろうと対策は必至だった」

「そんな事が……」

「だがアヴェリンほどの魔力密度があると、不意打ち程度しか出来ない奴が持つ武器じゃ、その髪を断つ事すら出来なかった」

「うっわ……!」


 アキラの驚愕とも恐怖ともつかない声に、アヴェリンは不快げに眉を顰めて言った。


「戦士の武器は持つ者の格を表す。不意打ちしか選べぬ相手では、武器もそれ相応。隠れる事は得意でも、その一撃では私には届かん」

「師匠って凄いんですね……」

「何を今更」


 アヴェリンが小馬鹿にするように鼻を鳴らして、侮蔑のような視線をアキラに向けた。

 ミレイユは間を取り成すように笑い、軽く手を叩いて鳴らす。


「……興が乗って色々話してしまったが、アヴェリンへの理解が深まったのは良い事だろう。鍛練にも一層身が入りそうじゃないか」

「それは……そうですね。僕は凄い人に教えを受けてるんだと、改めて実感しました……!」

「励めよ」

「はい!」


 ミレイユが短く激励して、アキラも素直に返事をして頭を下げる。

 アヴェリンへ向ける敬意も、弥増しに増して羨望にも似た眼差しを向けていた。

 ミレイユはすっかり氷の溶けてしまったコーヒーに口を付け、薄くなった味に顔を顰めた。

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